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本編

 この世にはオニの棲む界があるという。


 オニは燃えるような紅い髪に碧の瞳。額にある、一つまたは二つのツノと、口から見える牙を持つと言われている。


 今世の帝は幼いころに伴侶になるはずだった娘をヒトに殺められてから、ヒトを憎む。ヒトの世界との間に強い結界を張り、交流を絶った。ヒトがオニの世界に迷い込めば、苦しみ悶えて最悪は死に至る。


 帝の治世が長いため、今は語り継がれるだけの悲劇。


 帝の名は弦彗(げんすい)という。



「主上、そろそろ」

 オニの帝たる男に向かって、顔色を(うかが)うことなく、あっさりと言い放ったのは、側近中の側近、(はく) 静鵬(せいほう)である。

 以前行った側室選びから早五百年。後宮はしんと静まり返っていた。

「あのような騒ぎをまた起こせと?」

「仕方ありますまい。主上の正妃に手段を選ばず(、、、、、、)正妃になれと命じた所以でしょう」

 あの頃は側室選びが頻繁に行われた時期でもある。しかも当時の重鎮たちが己の娘を入内されるために増やそうと必死になっていたのだ。


 そんな女性に心が揺るがされることもなく、数年で宿下がりが行われたのだが。

 それで納得いかない当時の大臣たちが「再度入内を!」と迫ってきた。


 それが続くこと数回。何度帝たる己の寝所に忍び込む女の多かったことか。

 その身内どもは最低百年昇任できないようにしたのは記憶に新しい。……のだが。

「喉元通り過ぎればなんとやら、という言葉がヒトの間にあるようですし」

 だが、うるさいものはうるさい。それが二人の一致した意見であった。

「ふむ。そなたの正室選びも兼ねて入内者を選ぶか。

 静鵬、あやつらの身内は除いて、文官武官の上下にかかわらず家を選べ」

「御意に」

 この時点で、高位貴族の大半数の家が除かれた。



 それが、(ほう) 林雪(りんせつ)にとって不運だったといえた。



 林雪は、内務卿で書記官をしている峯 晋栄(しんえい)という男の末娘である。

 晋栄の人となりは、野心もあるがそれ以上に職務に忠実。と誰もが口をそろえる。


 子は嫁いだ六人の娘と、各部署で働く四人の息子。皆晋栄の自慢ともいえた。

 これまで入内の選定があり、峯家が選ばれたのなら誰を入内させても間違いはないといわれるほどだった。

 今までないのが残念、と近しい者たちは口をそろえて言う。


 そんな晋栄の汚点というべきは末娘の林雪だ。オニとしてあるまじきほどに、おどおどしており、威厳どころか貴族としての義務すら果たせないような弱者。

 それが周囲の見解だった。

 林雪とてそれを知っている。それに対して何か言えるほど林雪は強くない。


 本日も、己の丈に見合った家へ嫁ぐべく頑張るのだった。



 それが覆されたのが、後宮への入内だった。


「お嬢様、大変名誉なことなのですよ」

 行きたくない、そう言って部屋へと閉じこもった林雪に、家族どころか使用人たちまでもがなじり始めた。

「わたくしは、そのようなことは望みませんのに」

 寝台の上で一人さめざめと泣いた。

「林雪、そなたが行かぬというのであらば、我が家は取り潰されるのだが」

「お父様」

「取り潰され、ひもじい思いをするのはそなた一人ではない。それを違えるな」

 いつもなら、あきれ果て何も話さぬ父である。


「……承知いたしました」

「せめて私の役に立て」

 重い沈黙に耐え切れなくなった林雪が承知したとたん、父親から本音が垣間見えた気がした。



 何人もの女性を迎え入れた後宮へ、林雪が足を踏み入れたのは、それから一つ分の季節が廻った後だった。

 あの頃は紅く染まった木々が生い茂っていたが、今では白い花を咲かせていた。


 オニにとってこの「白い花の季」は寿ぐ季節である。昔より、この時期に入内する娘は、後宮に長くいるといわれている。


 家からつけられた侍女は一人。そして嫁いだ姉たちから一人ずつつけられている。そのうちの一人は、林雪の姪にあたる。

「あなたよりもわたくしがふさわしいのに。もっと前に選定の儀があると知っていたら、お祖父さまにお願いして養女になっていたくらいよ」

 野心強き姪はそう、言い放った。


 どの家もその辺りは同じだった。侍女たちも運良くば、帝に見初められる。それを見越しているのだ。

 そういう意味でも林雪は周囲から浮いていた。



 後宮に賜る部屋選びは、侍女たちを外に出して行われた。

 皆、帝の寝所に近い部屋を選ぶ。


 その中で林雪は、後宮の外れを選んだ。

 楽器の練習にもってこいであるし、舞の練習をしても誰かに見られることは少ない。


 呆れた姪がすぐさま侍女を辞めたが、林雪は相手を咎めることが出来なかった。

 それを見た他の侍女たちも辞めていく。


 残ったのは一人。家からつけられた侍女のみだった。


 いつも通りの質素な服で、箏を弾いていた。

「この部屋、素敵よね」

「そうおっしゃるのはお嬢様だけかと」

 呆れた声で侍女が答えた。

 林雪が「素敵」というのにはわけがある。ここは誰も来ない小さな庭園がすぐ傍にあるのだ。そこで楽器を奏でるのは何ものにも代えがたい。

「ふふふ」

 今日も姿を見せぬ方へ、曲を捧げよう。



 あれはいつだったか。入内して間もなくだ。この部屋を賜ったことに激怒した姪になじられたあとだったと思う。

 寝付けぬ林雪は小さな琵琶を手に取った。

 室内で弾けば、うるさかろう。そう思い、庭園へ向かった。

 小さな音で奏でる「慈しみの(うた)」。何故かこの庭園にふさわしいと思ったのだ。


 がさり、と樹が音をたてた。

「すまぬ、驚かせてしまったな。其方の奏でる曲が素敵すぎて、気がそぞろになってしまったようだ」

 そう言って近くの樹から降りてきた男に驚き、林雪は琵琶を落として逃げた。


 その後相手から琵琶と共に「時折でいい。私は姿を見せぬ故、奏でてくれまいか」、と書いてあった詫び状が届き、了承する形で奏でている。

 時折声をかけてくれるが、林雪への返答を求めるものではなかった。


 それが、林雪の「幸せ」だった。



 月に一度の茶会。林雪にとって苦痛以外何ものでもない。

 今では侍女の数も少ないのだ。皆、態度があからさまだった。

「峯家も辞退なさればよろしかったのに。このような者では恥をさらすだけですもの」

「全くですわ。いっそのこと、宿下がりをなされば?」

 皆口々に林雪を貶め始めた。


 このひとたちは姪や姉と同じだ。そう思った瞬間、林雪は動けなくなった。

 怖い。どうして? 静かに生きていきたいだけなのに。

 言い返すことも出来ずに、林雪は立ち尽くした。



「なんとも醜いものだな」

「御意に」

 それを見ていた弦彗と静鵬は思わず口に出した。

 あそこまで気の弱いのも如何とは思うが、それ以上に徒党を組んで一人を攻撃するのは如何なものか。

「何故あの娘が責められておるのだ?」

「さて。女官長の話ですと、気の弱さに付け込まれているからだとか」

 侍女も一人だけになりましたしね。さらりと静鵬が付け足した。

「確かにあの程度の嫌味で竦む者は後宮向きではないな」

「御意に」

「まぁ、それ以上にあの醜い者たちは正妃どころか側妃にも向かぬな」

「今回も該当者なし、ということで?」

「その予定だ。二十年ほどはそのままにしておくが」

 下賜を望むものがいれば、その限りではないが。

「あの方たち、どこにも嫁げなくなりますが」

「仕方あるまい。元々我は後宮を開く予定はなかったのだぞ」

 しばらくは壁として役に立ってもらおう。


 弦彗はくるりと踵を返し、静鵬へすべてを任せることにした。



「其方の気の弱さ、仇になるな」

 箏を弾く合間に男が言う。

「わたくしは……」

「言の葉に出来ぬなら、地に書け。あとで我が消す故」

 静かに暮らしたかった。それだけを書き、林雪はその場から去った。


「……静かに暮らすのは無理だぞ」

 男の声が後ろから追ってきた。


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