09.この朴念仁が
09.この朴念仁が
いつもくるくると独楽鼠の様に動き回っていた椿が、ぼんやりと座り込んでいる。
縁側から見える庭には、椿が植えた水仙が咲いていた。あの花が咲き始めた頃は、冬なのに雪を割って咲く花が慕わしいと言っていた。それに白と黄色と緑色の反物が翻っているみたいだと笑っていた椿だが、今はその花を眺めながらも、精彩を欠き魂が抜けた人形みたいだ。
鳥がいつも姦しく騒ぐから、この静けさが気になった事は無かった。
今鳥の姿は見えない。恐らくいつもの様に村の何処かに出かけているのだろう。
人々の姿を見守るのも神の勤めとか何とか言っていたが、適当な奴だ。だいたい見守るだけではどうにもならん事ばかり。自分でも言っていたではないか「この形ではどうにもならん。」と。
『私、自分が子供の頃に住んでいた家を探していたんです。』
椿が差し出してきた紙を見ると、そう書いてある。どんな顔をしているのかは分からない。うつむく椿の顔は前髪に覆われたままだからだ。
『ここに来る前は、地主様の家の下働きをしてました。野党に一家皆殺しにあったそうで、死んでいると思った私が息を吹き返した時は村中騒ぎになったとか。名主様の家での生活は、納屋に寝泊まりして、夏は藪蚊や蚋に刺されて痒いし痛いし、冬はとても寒くて、次の日の朝自分の目がちゃんと覚めるか自信がないくらいに寒かった事、おぼえています。』
野党にやられたのか、よく命があったものだ。しかも風の吹き込む納屋なんかで藁の山にでも潜り込んで凌いでいたとか、確かによく生きていたもんだ。ここに来たばかりの頃、骨と皮ばかりの子供だった頃を思い出す。
『でも、その前は確かに自分の家族が有って、家があって、普通の生活が有った筈なんです。でも、それを思い出せない。いえ、断片的に思い出す場面があるんですが、両親の顔や、兄の顔が思い出せない。のっぺらぼうの父が土間で竹細工を作っていたり、のっぺらぼうの母が、夕飯ができたと呼んでいたり、手を繋ぐ兄を見上げてもやっぱり顔が思い出せない。最近なんだかとてもそれが気になる。昔の事を思い出そうとすると、すごく頭が痛くて。でも探さずにはいられなかった。だから、ごめんなさい。この社でのお務めが疎かになってしまって。』
妖には分からない感情。
でもそれにこいつは囚われ続けている。
…家族か。
「くっだらねー。別に俺も鳥もお前に何をしろって命令してなんかいないだろうが。昔の事が気になるんだろ。好きにすればいいさ。どんだけ時間が掛かっても構わない。どうせやる事もない暇人なんだ。」
横目でみれば、キョトンとした椿が俺を見ている。そんな変な事を言った覚えは無いが。
「けっ!好きにやればいいんだよ!もう地主に顎で使われる小間使いじゃねえんだ。お前は自分の為に生きればいいだろ。」
本当に人間てのはしょうもない生き物だ。馬鹿だとしか言いようが無い。なんで自分から進んで囚われようとするのかわからない。
俺は妖だから人間の生き方は知らないし、知ろうとも思えない。寝たい時に寝て、起きたい時に起きて、喰いたいものを喰うし、やりたい様にやる、それが妖ってもんだ。
だから、困った様に微笑んだ椿に、ほんの少し腹が立った。
「椿は出掛けたのか。」
戻ってきた鳥が箱膳の縁に留った。
なんだかいつもの鳥の雰囲気とは違い、ひどく硬い表情をしている、様な気がする。鳥の表情筋なんて無いに等しいはずだから、鳥の醸し出す気配がピリピリしているせいだろう。
「ああ、なんでも今日は月がやけに大きく見えるそうでな。村に行ってみたいんだとよ。何かを思い出しそうな気がするってさ。お前椿に合わなかったのか。」
「そうか、始まったか。」
夜空に煌々と輝く月を睨めつける様に見上げる鳥に、不穏なものを感じ取る。
「なんだよ、始まったって何がだ。」
真ん丸いつぶらな瞳を閉じた鳥は、絞り出す様に言う。
「あの子が忘れてしまった過去に訣別する為の禊じゃよ、言うなればな。」
「あいつの思い出せないって言ってた家族の事が?」
「そう、何故あの娘がたった一人取り残され生きて来たのか。それはあまりにも辛く苦しい記憶で、一人生きる幼子にはあんまりに残酷じゃった。だから自分自信がその記憶を切り離したのだ。忌まわしい記憶には幾重にも重なる鍵が掛けられ、決して蘇る事は無かったはず。だが、神の花嫁となり世俗との隔たりがある生活により、負った心身の傷が癒えるに連れ心に余裕が生まれ……気付いてしまったのじゃろう。その記憶の存在に。」
「じゃあなんであいつに村に行く様促したんだ!」
つくづく表情の豊かな鳥だ、だが今はそれが憎たらしい。なんでそんな顔をするんだ。
酷く疲れた様な悲しいような複雑な顔で俺を見る。
「椿が望んでしまったから、じゃな。」
「何を。」
小さな鳥の頭が左右に振られると、小さなため息が漏れ出る。
「お前は、本当にポンコツで朴念仁で、どーしようもない男じゃな。何で気付かぬか。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここ迄ひどいとは。椿も難儀じゃのう。」
「おい、さり気なくおもいっきり俺を貶めてくれてる産土神さまよ、つまりは何だ。あいつが望んだってのは。」
黙り込んだ鳥にイラついてならない。今度こそ握りつぶしてやろうか、と手を伸ばしかけた俺は、鳥の言葉に固まった。
「あの娘はな、お主との先を望んでおるのだ。お前を好いて、慕っておる。」
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