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06.不可解な感情

06.不可解な感情



屋敷の縁側に寝転ぶ俺の傍に、静かに座り夜空を見上げる椿。彼女の持つ団扇が緩やかに風を送ってきて心地よい。


寝転がりながら椿を見上げると、視界の端に夜空に瞬く無数の星が見えた。星に縁取られた輪郭を眺めながら、ふと思いついた事がある。


顔の中程まで覆う黒髪も、艶やかで絹糸のようなどと形容する事は決して無い、元はパサついた髪だ。手入れをしたからこれ位の状態でいられるだけ。髪から覗く鼻や口元も特筆すべき造形では無く、凡庸そのもの。一つ残った目元も、いたって普通。

けれど……


「なぁ、椿。顔見せてみ。」


突然の言葉に目を瞬かせていた娘は、一拍置いた後その言葉をようやく飲み込んだと見えて、慌て首を横に振る。


「お前の顔をはっきり見た覚えがねーんだわ。ちょっと位良いだろ、減るもんでもねーし。」


むくりと起き上がった白蔵は椿に向き直ると、彼女に手を伸ばした。


手近な所に紙と筆があるかと、狼狽えつつ探している椿の細い腰を捕まえる。一層慌てた様子の椿が、腕の中から踠いて逃げ出そうとするのをやすやすと捕まえ、床に仰向けに転がした。顔を隠そうとする両手を頭の上でまとめて押さえつけ、容赦無く彼女の前髪を掻き上げると、椿が体を硬くするのがわかった。


「あー、初めてちゃんと見れた。」


言い終わらないうちに、見る間にひとつ残る目に涙が滲んだ。眦にこんもりと膨らんだ雫は大粒の涙となって零れ落ちていく。

ギョッとした白蔵が手を離した隙に、跳ね起きた勢いそのままに屋敷の外に飛び出した椿。


「んだよ、泣くこたねぇだろがよ。」


唖然とその後ろ姿を見送る白蔵の後頭部に、鋭い嘴の一撃が刺さる。


「いてっ!何しやがる鳥!」


「お前こそ何してるんじゃ馬鹿者!」


本気で怒っているだろう鳥の声が響き渡る。

鳥がここまで怒りを露わにするのも珍しいのだが、気まずさをぶつけるように言い返した。


「鳥が椿を美人と称していたが、いったいどの辺りが美人なのか教えて欲しいもんだ。」


鳥の顔で眦を吊り上げる、事は叶わないが、人と同じような表情筋が存在していたのであれば、間違いなく般若の形相であろう。


「それであんなことをしでかした訳か、子供かお前は!」


「別に見る位良いだろ、減るもんじゃないし。何で泣くんだあいつはよ。わっかんねーなぁ。」


「白蔵よ、お前本当にポンコツじゃの。」


「あん?何でだ。お前にポンコツ呼ばわりされる覚えは無い。」


わざとらしく溜息をついた鳥が、頭を横に振りながら冷たい視線を寄越した。


「いいか?椿はおなごじゃ。おなごは美醜に敏感じゃろう。自身が気にしている傷を、お前には見せたくはなかったんじゃろう。」


「なんで俺にはなんだよ。」


「それくらい自分で考えろ、この朴念仁が」


そう吐き捨てるように言うと、夜の空に舞い上がり姿を消した。


「鳥のくせに夜目が利くのかよ。」


その夜、椿は社に戻らなかった。






椿が姿を消してから数日が経つ。

鳥の姿も見えない。

静かに時が止まったような日々がただ過ぎ去ってゆく。


椿は今何処に居るのだろうか。

やっぱりあの男の所にいるのか。でも姿が見えない以上、ただ椿が眺めるだけのはず。何かある訳が無い。


いやいや、何かって何?俺は何の心配をしているんだよ。

ただ、いつも二人分用意されていた膳が出てこない事が気にかかる。俺が食べない分残った物を椿が食べていたはず。今何も食べないでそこいらをうろついているのかと思うとなんだかイラついてくる。馬鹿なのか、馬鹿だろあいつは!

あんなに細い腰付きで、あまり蓄えも無い体のくせに何日も食べないでいるなんて体を壊すんじゃなかろうか。人間なんて簡単におっ死ぬ物なんだから。


そんな事をつらつら考えて、止めた。

定位置に寝転べば、空を流れる白い雲が見える。妖の俺が、なんであんなちんくしゃの心配をしているんだよ。第一自分で出てったんだから、腹を空かして行き倒れていようと、俺には関係の無い事、そう思い直した。

そうだ、そもそも妖ってのは勝手気ままに生きてる物さ。

この社に囚われる前は俺だって自由気ままに生きていた自覚がある。自由であるという事は、囚われる物が無い事。雲のように何処に流れていこうとも、俺は俺で俺以外の何者でも無い。だから、他人を気にかけるなんて感覚がわから無かった。


幼い椿の髪を梳る事も、手紙なんて物を書く事も、布団を掛けなおしてやる事も、新しい着物を見繕ってやる事も、椿の顔を見たいと思う事も……


「わっかんねーな。」


ポツリとこぼした言葉が宙を彷徨う。

本当にこんな狭い所に押し込められて、頭がどうにかなっちまったみたいだ。


手に残る感触が酷く甘やかだ。

細い手首に細い腰、白い首筋は甘く匂い立つようで、彼女の目尻から零れ落ちた雫が胸を焦すよう。それに被せる様に思い出されるのがあの村の男の横顔。

ジリジリと焼け付く様な不可解な感情が自身を支配する。

自分が自分で無い様な、苛立ちを含む感情を名付ける事が出来ずにいる。


「ったく、何処をほっつき歩いているんだか。」


そっと目を閉じれば、日の温かさを目蓋に感じた。


お読み頂きありがとうございました。

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