04.変化の季節
04.変化の季節
この社に来た頃には短かった手足もすんなりと伸びた。ボサボサとすすき野の様な様相を呈していた髪も、毎日梳かして油を刷り込んでいるお陰でつやつやと輝く様な美しさになった。
あの小汚いガキが、こんなに変わるだなんて信じられない。まるで蛹が羽化した様な劇的な変化を遂げた椿は、それでも中身は相変わらずだ。
何度もいらないと言った人間の飯を、そうっと俺の前に差し出す。同じ様に鳥にも膳を整えるのを見て笑った物だ。指に乗る小さな鳥に、一人分の膳を用意する馬鹿らしさ。
子供の頃と変わらない椿がいた。
それでも変わった事もある。
丸みを帯びた硯で墨をする椿の指先にはもうあかぎれはない。スッと伸びた背筋で向かう文机では、流れる様な美しい文字を綴る白い手。
鳥の言いつけに、暇を持て余す俺は仕方なく従って椿に文字を教えた。
ヘッタクソなミミズがのたくった様な物が、段々と綺麗な文字に変わっていき、まともに文が書ける様になるまで付き合ったが、面倒くさいったらない。
椿は俺と文を取り交わすのが好きだった様だ。筆まめなあいつが五通書く所、俺は一通適当な返事をするかどうかのやり取りでも満足そうだった。
鳥の結界の中で暮らす椿は、屋敷の脇に小さな畑を作り、せっせと野菜やら何やらを育てていたが、不思議と日に焼けたりせずに抜ける様な色の白さの肌に変わっていた。
初めて会った頃は、牛蒡のような色をしていたが、元は色白だったようだ。
『白蔵、少し出掛けて来ます。夕暮れ前には帰りますので。』
屋敷の縁側に寝転んだ俺の枕元に、椿が座り紙を寄越した。
暖かな日差しにウトウトしていた俺は、半分目を開けて見上げると、覗き込む椿と目が合った。途端に歯を見せながら笑顔になる。
椿は胸元で小さく手を振ると、さっさと立ち上がって走り去っていく。こういう落ち着きの無いところは変わらないがな。
凛とした趣さえも感じる文字が並ぶ紙を寄越す椿は、自分の思いを伝える手段を得る事により精神的に安定した様で、よく笑うようになった。
もちろん声は出ないが、その顔に浮かぶ表情は優しいものに変わり、時折鳥の言うことになど、声もないまま笑い転げることさえある。
鳥曰く、箸が転んでもおかしい、そう言うお年頃だそうだ。
相変わらず人間の事はよくわからない。
わからない、と言えばこの所の椿の行動。
何の用が有るのか、度々村の方へ歩いていく。
結界の影響を受けて俺はこの社からは動けない。椿も同じく結界の影響を受けているのだが、こちらは何処にでも行く事が出来る。ただ、その姿は他の人間には見えない。
妖が姿を消したり変えたりして人の世に潜む事はままある。だが、人間がその様な事になるとは聞いた事がない。
それを鳥に問えば、
『椿は既に人に非ず。一度死んだ身、そして産土神としての儂の力が椿を永らえさせているからのう。お前は妖としての力が大きすぎてこの地に拘束される羽目になっておるが、椿は自身の力なんて無いに等しい。言うなれば網の目をすり抜ける砂粒みたいな物じゃ。』
などと小難しい事を言っていた。
「なあ鳥、椿のやつは何処に行ってるんだ?二日と開けず村に下りてるが、一体何の用があるっていうんだ。」
「さてな、儂にもサッパリ分からぬ。ひょっとしたら好きな男でも出来たのかも知れん。」
「はあっ!男だあ⁉︎あの陰気なガキにか⁉︎」
じと目で俺を見る鳥の視線が何だか生暖かい。鳥の筈がどうしてそんな目つきが出来るのか、不思議なくらい人間臭い表情をする鳥だ。
「まあ、髪で顔半分を隠しておるからな、それに声も無い。じゃが客観的に見て椿は美人じゃぞ。反対側の髪に隠れていない顔を横から見ればわかるはず。それに最近はよく笑い顔を見せる様になったではないか。もう椿は陰気なガキなどでは無い。」
そう言われれば思い当たる事が無いわけでも無い。が、あの牛蒡が美女だと?男がいるだと?なんじゃそりゃ!
いや、男は居るはずがない。何しろあいつは声が出無いし、何よりその姿は人に見え無いのだから。
けど、椿の方がその男とやらに心奪われているのだとしたら………
「おい!鳥ぃ!そっ、そりゃあどこのどいつだ!」
「何動揺してるんじゃ。そもそもどこのどいつでも椿とどうこうなる訳は無かろう。椿は半分妖みたいなもんじゃからな。」
「そうか、まあそうだよな。」
そうだよな、ともう一度自分に言い聞かす。
一体どうしたって言うんだ。自分でも驚く程の衝撃を受けた。
椿が惚れた男か。
どんな人間か?気にならないと言うのは嘘だろう。
気分は娘を持つ親父の様な………ただ、いくら椿が想っていたとしても、目に止まることさえ出来ないのだ。
なんだか酷く身体の内側が騒つく気がする。
普段気にもしていなかったが、椿は人間だ。
もっとも真っ当な人間とも言い難いが、ほんの数年であれ程の変化をする姿を見ればやはり人間そのもので、その体の柔さも同様に自分との隔たりを感じる一つだ。
妖はそう簡単には年も取らないし、くたばらない。俺がこの社に封じられる羽目になったのも、そのせいだ。
妖にとって強さとは、自身の存在意義そのもの。だからこの社にから感じる大きな妖気に惹かれ、喧嘩をふっかけたのがそもそもの間違い。
先代の使役神も妖狐であった。
それにちょっかいを出して闘った。理由は強そうなヤツがいるから、力くらべしようぜ。そんな軽いノリだったのに、そいつは全力で俺を殺しに掛かり、俺も死に物狂いで反撃に出た結果、殺す羽目になっちまった。
おかげで先代の代わりとしてこの社に封じられる始末。
『この土地の産土神の使役神として、契約を結べば社から出られるぞ。』
そう鳥に脅されているものの、はいそうですかなんて言えるものか。
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