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15.妖の愛でた花

15.妖の愛でた花




紅い花は真白の雪を纏い花開く。

凍える寒さの中で凛と咲く花は、端然としたその佇まいに触れる事さえ躊躇われる。


決して手折ってはならない。





俺の腕の中で、泣き疲れた椿が微かな寝息を立てている。

まるで子供に戻ったみたいだ。

いや、昔の幼かった椿の方が聞き分けが良かったな。


縁側で椿を抱き抱え、ぼんやりと夜空を見上げれば、木々の間から丸い月が覗いている。





「お前はもってあと五十年あるか無いかの人間だ。お前がおっ死んだ後、俺が何をしているかなんて、これっぽっちも関係無いだろう。」


椿がなぜ泣くのか分からなかった。

だから、自分が死んだ後の事まで自責の念に駆られる必要は無いと言ったつもりだった。

それなのに椿は泣き止まぬ。


小さな握り拳で俺の胸元を叩く。握りしめた指先は白くなり、そのくせ非力な細腕が力いっぱい叩いても、少しも痛みなど感じない。


お前は人間だ。


俺は妖だ。


交わる筈のない道が、ふとした事で交差した。

ただそれだけのこと。




「白蔵や、酒でも飲むか?」


鳥が縁側の手摺に止まりこちらを見ている。

流石、鳥と言えども神。

冗談みたいな力だ。

鳥から目を転じれば、縁側に並ぶ盃と徳利。いきなり何の前触れも無く酒が目の前に出てきた。


「本当にその力は反則だよな。何でも出来ちまうだろうに、何で神使が必要なんだよ。俺なんか居なくても良いだろう。」


「冗談では無い、ようやく契約したと言うにそう簡単には逃さぬよ。儂の力も万能では無い。物を取り出す事は出来ても、生きた人間にこの力は振るえぬ。やはりお前の様な者は必要なんじゃよ。」


人間の扱い辛さは骨身に沁みた。

こんなに弱っちい癖に、簡単におっ死ぬ癖に、無茶をしたがる。助けてやったのに、挙句泣きながら怒って、妖を殴り付けようなんて、訳わからない。


溜息を付いた。

胡座をかいた俺の膝を枕代わりに、身体を丸め寝入る椿の髪を梳く。

ボサボサのあの髪が、見違える様に綺麗になった。


「なあ、あの時俺が神使になっていたら……」


そこまで言って次を続けれない俺に、鳥が言う。


「椿は声を、家族を失わずに済んだのか?と言いたいのであろう。」


やれやれと肩をすくめる鳥。

鳥の姿で器用な事をするものだ。

盃に嘴を突っ込み酒を呑み下す様は、可愛らしいのに、げふっと酒臭い息を吐いた。実におっさんにしか見えない。


「詮無い事。もし、などとは思わぬ事じゃ、時は決して巻き戻せはしないのだから。何よりお前の元に椿はこなかったろう。村の若い男の中から夫を選び、子をなし、やがて死んでいく。その短い人の一生にお前が関する事など無いはずじゃ。」


「鳥、お前にはこうなる事が見えていたのか。」


「さてな、未来とは大きな川の流れの様なもの。小さな分岐でいくらにも流れが作られる。じゃから儂が見た、先のお前達の姿も可能性の一つに過ぎない。ただ、人の生き死には神の領分。人がどうこうして良いものではない。そして、儂は秩序正しくある生と死を望むだけじゃ。」


きょろっとした黒目が無表情に白蔵をみつめている。

俺は何度目かの溜息を付いた。


そうだ、もし、などとは考えぬ事だ。

歩む速度は違い過ぎる。共にあり続ける事など出来やしない。


「酒は良いのか?神使就任祝いじゃで。儂が奢ってやるなんて滅多無いぞ。」


「酒はいらん、だが無粋な真似はするなよ。」


涙の跡が残る頬。

ずいぶん泣き虫になったものだと思う。


神の花嫁にと、村人たちに望まれ泉に放り込まれたあの頃は、泣く事さえ出来なかった。


華奢な身体を抱き上げて、御簾を潜る。

鳥にも釘を刺しておいた。

流石にそこは分かっていると信じているが、どーだか。

寝具の上に椿を横たえるも、未だ目を覚ます気配は無い。


目の前にはしどけない寝顔。


人間なんて唯の食物、だったはずが……

二十年も粘って使役神の契約から逃げ回っていたってのに、あっさり使役神なんぞになっちまった。

それもこれも、この娘のせいだ。


椿が死ぬかも知れないと思ったら、それよりはあの鳥の言いなりになる方がマシだと……いや、そんな勘定をする間も無かった。


いいから俺をここから出せ!


そう、鳥に叫んでいた。

どんだけ俺は馬鹿なんだ。


ふっくりした頬は瑞々しく、木々の若芽を思い起こさせる。椿の体はますます女として変化を迎え成熟する。今は痩せぎすな胸や腰も肉が付き、円やかな線に変わるだろう。それこそ蛹が蝶に変わる様に、劇的な変化だ。

それを傍で見て何も考えないとはいえ無い。


だいたい本性が狐の妖が、わざわざ人の姿をとるのは何故か。理由なんざ無いのかも知れない、俺だってそうだ。気が付いたら人型に化けていて、もう数百年は経ったろう。

けれど、その中で見てきたのは、人に沿う妖の姿。

そうした例が無いわけでは無いのだ。

妖と人の間に子を成す。

なんて馬鹿な奴らだと嘲った物だ……


食物に想いを寄せるだなんて馬鹿な事を、だいたい許された時間は余りにも違い過ぎる。

花の盛りは短くて、あっという間に老いさらばえた連れ合いを、見るのも看取るのも嫌なもんだろうなぁと思ったものだ。とかくきみが悪いとしか言えぬ選択だったはず。

けれど、今の自分には酷く甘美な物に思えた。


ころりと寝返りをうった椿の横顔に、髪が張り付いているのを、自分の鋭い爪で椿を傷つけぬ様、手の甲で払ってやる。


夜目の利く俺には、暗がりでも椿のふっくらとした形のいい唇がよく見える。

薄く開いた唇に口付けた。

角度を変え何度も、舌を挿し入れ口腔を舐めれば、流石に目が覚めたのだろう、目を見開き驚く椿の顔がある。

もう一度小さく音を立て唇を吸った。


「なあ椿、お前は神の花嫁だ。つまりは俺の為の女なんだとよ。」


鳥には体が無い。

それなのに供物として供される娘は、神の使いである妖の為に用意される。

自由奔放な妖の本性を抑えるための鎖なんだと。


すっかり鳥の思惑通りになっているのが面白く無いが、この際いいか。


「いいのか?今なら止まってやれるけど……」


言い終わる前に俺の首に絡みつく細腕に、存外に強い力で抱き寄せられた。

首筋に掛かる吐息に背筋が痺れるよう。


嘘ばっかり。

何が止まってやれるだ。

とっくの昔に引き返せない所に来ちまったくせに。


絡め取られ、囚われた俺は、お前が消えた後でさえ、囚われ続ける。

愛しいお前の姿を探して。






お読み頂きありがとうございました。


もし良かったら感想よろしくお願いします。

作者泣いて喜びます!

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