11.消し去ったはずの過去
流血注意です。
苦手な方はバック願います。
11.消し去ったはずの過去
それは見事な月夜であった。
盆のように丸く大きな月は、淡い青い光を帯びて下界を照らしだす。
山々も人里も、まるで昼間の様に明るく影を落としていた。
しゃがみこむ足元では踏みつけた草が潰れ、青臭い匂いを放ち、足の指の間からそのジクジクと青い汁が滲み出ているのが分かる。
おこりにでも罹ったかの様にガタガタと震えだす体を抱きしめ、左の人差し指を噛み締めた。
音を立ててはだめ、静かにしていないとみつかっちゃうから。
なんでこんなことになってるのかな。
足元の一点を見つめながら考えようとする。
けれど、心臓の音ばかりが頭に響いてうるさいくらい。こめかみがドクドクと脈打っている。
ああ、うるさい。
静かに、静かにしなくちゃダメなんだよ。
で、……こんなこと
って、なんだっけ
なんだっけ
おもいだせない
おもいだせない、
そのほうがいい
……なんで
ああ、頭の中でチカチカ光が瞬いているよ。
赤い光が、赤く、赤く
あか、あかいろ
脳裏に浮かぶ赤い着物。
あ、にいちゃんが赤い着物着るなんて変だよ。
お母ちゃんも、祭着みたいに綺麗な赤い着物、いいなぁ。私も着たいよ、欲しいよ、赤い着物。
赤い、着物。
あかいきもの
あれ?
にいちゃん、腕が変な風に曲がってるよ。痛くないの?
にいちゃん、返事してよ。
ねぇ。
途端に喉の奥で上がりかけた悲鳴を飲み込む。
力一杯噛み付いた左の人差し指からは血が流れ出た。
赤い、真っ赤な血が。
脳裏に浮かぶ赤い絵が重なる。
暗い土間に転がる小さな体に、赤く染まった着物を着た兄は、手だけで無く首も可笑しな方向にねじ曲がり、薄っすら開いた口からは桃色の泡を吹いていた。首元には刃物で切り裂かれた跡。肉が傷口の端から盛り上がり皮が捲れて白い骨さえ覗かしていた。
極限まで見開かれた目には恐怖が、ふっくりとした頬には涙の跡が残る。
振り返れば母が、同じ様に首から血を滴らせ土間の片隅に突っ伏していた。
身体中の血が流れ出たかの様に、母を中心に大きな血だまりを作っている。
父も戸口の敷居に被さるように倒れているが、首は庭に転がっていた。
ぴちゃ
足元で小さく水音がした。
その物音に、ゆっくりとこちらを振り返る人影。
手に持つ鎌からも赤黒い液体が滴り落ち、土間に滲みを作る。反対の手には大きな鉈が握られており、その手も赤黒く染まっている。
「かわいそうにな、母ちゃんも父ちゃんもにいちゃんも、皆んな行っちゃったよ。お前も一緒に逝くか?」
にっこりと微笑むその笑顔は、いつもと変わらない。
その事が一段と恐ろしい。
◇◇◇◇◇
狭い部屋の中で広がる惨状に言葉も出ない。
ついさっきまで一緒に寝ていた兄も、繕い物をしていたはずの母も、草鞋を綯っていた父も、皆が血の海に沈んでいる。
肺を満たす血の香りに吐き気が込み上げて来て、思わず口元に手を当てる。
変わらぬ笑顔で近付いて来る男が怖かった。
それなのに竦んだ足は一歩も動いちゃくれない。いや、怖いからこそ動けないでいる。
ポタッ
ポタッ
滴る血が微かな音を立てた。
その音を耳が拾う。
恐怖と緊張とで尖らせた神経が僅かな音さえ聞き漏らさせない。
神経が焼き切れそうな程の緊張感に潰されそうだった。
ドンドン、ドンドンドンドン‼︎
突然戸を叩く音に男の動きが止まり、外の様子を伺っている。
鳴り止まない音に痺れを切らした男は、戸を開ける様にと顎をしゃくって見せた。
おずおずと木戸に支ってある棒を外し、戸を開ける。
戸口には誰も居らず、竹林が夜風にそよいでいるだけだ。
「風か?いや、幾ら何でも」
ポツリと零す呟きに反応したかの様に、また戸を叩く音。今度は反対側の壁を叩いている。更に大きく激しい音が辺りに響く。
ドンドンドンドンドンドンドンドン‼︎
舌打ちをして木戸を潜って外に出た瞬間、男の脇をすり抜けて小さな影が転がり出てきた。
草履も履かず、裸足で夜道を走り出す子供の姿があった。
◇◇◇◇◇
屋敷とは目と鼻の先程にある社、古びた佇まいで静かに在り続けるそれは、静謐な空気に満ちている。
だが、相変わらずカビ臭く埃っぽい所だ。鳥を祀っているという村の人間共も大概だな。正しく困った時の神頼み、普段は放置と来たもんだ。
社の奥に祀られている小さな和鏡の前に立つと、曇ったそれの表面にさざ波の様な模様が浮かび、次に映し出したのは竹林を走り抜けていく椿の姿だった。
苦しそうに喘ぐ様な様子の椿は、その片手に小さな少女の手を握り締めて走っていた。
子供は引きずられる様にしながら、それでも懸命に足を動かしてる。
「あいつ、何やってるんだ。」
「あの娘を助けようとしておる。が、間に合うかどうか。ほれ、背後を見てみろ。このままではすぐにアレに追いつかれてしまう。」
お読み頂きありがとうございました。




