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原罪の白い餅

挿絵(By みてみん)



 この白い部屋に時間の感覚などあるわけがない。窓もなければ扉もない。

 ウカといえば、私がコーヒーを飲まなかったことに幾分か不満の声を漏らしたあと、何事もなく立ち去った。

 ……入ってきたときと同じく、壁に消えたのである。

 ウカが去ったあとに壁に触れてみたが、そこには隙間もない。たたいてみても、動くことさえしない。

 四方を壁に囲まれたそこは、音もない。それは病院の集中治療室を彷彿とさせる。

 薬品臭の代わりに、今はコーヒーの香りが漂ってはいるが。

(……俺は、正常だ)

 一人になったとたん、私は妙に冷静になる。手を幾度握りしめては離す。爪の跡がつくほどに、きつく握っては離す。

(正常だ……意識もしっかりしてる)

 痛覚は正常だ。やはり生きている。

 要は、一世一代の自殺は失敗に終わり、このようなところに閉じこめられているのだ。しかも、あのような人を食ったような少女に!

 意識を失って何日経ったのか、想像もつかない。

 時間の感覚がおかしく感じられるのは、時を示すものがないからだろう。そのせいで、腹も減らない。

(……出口も入り口もない、白い部屋)

 私は改めて部屋を見渡す。広さは六畳ほどか。さほど広くはないが、恐怖心を感じるほど狭くはない。色のおかげで、むしろ広く感じられる。

 温度は寒くもなく、暖かくもない。壁はたたけばそれなりの音はする。しかし、私の力で壊れるほどやわでもない。

 さんざん暴れてみてもよかったが、私は振り上げかけた拳をそっと下ろした。

 暴れて声を上げる自分を想像したのだ。それは恐ろしい風景だった。人とはそういうものだ。焦る声は恐怖を呼び起こすのだ。

(じゃあ、あの娘はどこから入ってきた?)

 私は部屋の片隅に座りこみ、じっと自分の手を見つめた。

 動きを止めれば冷静になれる。今わかることといえば、自分が生きていることだけだった。

 死んだはずなのに、生きていた。奇妙な娘にこんな部屋に監禁されている。それ以外何もわからない。

 自分の服装といえば、最期に着ていた安っぽいスーツのみ。

 ポケットの裏地まで引っ張り出してみたものの、やはりそこにはなにもない。いつも入れていたはずのものも、何一つない。

 この部屋だって同じだ。自分以外、なにもない。

 ……いや。

(カップ) 

 私は顔をあげて、目を細めた。目覚めた時は何も無かったこの部屋に、今は異質なものがひとつある。

 それはウカが持ってきたコーヒーのカップだ。壁面に作られた神棚のような出っ張りに、ぽつりと置かれている。

 白壁に、陰を落とすアンティークのカップ。

 それは、奇妙な風景であった。



「やあ。今日も元気にしてた?」

 ウカが現れたのは、それからどれくらい経ってからだろうか。

 小さな地響きとともに、壁が揺れる。揺れたあとには、靄が生まれ先日と同じようにウカが現れる。

 場所は昨日と同じところだ。

 私は目を細め、体を斜めにする。と、ウカがあざ笑うように言った。

「言っておくけど君じゃこの靄は越えられない。せいぜい壁に頭をぶつけるだけだから、止めておく方が身のためだね」

 あざ笑うようなその声を聞いて、私は張った肩の力を落とした。

 もし外の世界でこの言葉を聞いても、信じることなどしなかっただろう。しかしこの部屋ではウカの言葉は絶対なのだ。たった一回の交流で、それが分かる。私を生かすも殺すも彼女次第だ。

 彼女の台詞がハッタリではないことなど、わかりきっていた。

「まあ動いて腹でも空かしてくれるなら、それはそれで好都合だけど」

 ウカは呑気にそんなことを言って、私の前に昨日と同じ盆を置く。

 乗せられていたのは、白い皿。その上には、小さく丸い餅が二つ。

「今日はねえ。こんなものを持ってきた。どう? そろそろお腹すいたでしょ?」

 餅には軽く焦げ目が入り、そこに醤油がまぶされている。焼き立てなのか、ふわりと湯気が上がる。

 湯気には、米と醤油の香りが混じっている。

 思わず喉が鳴った。腹など減っていないはずなのに。

「……外に出してくれ」

 餅から目を外し、私はウカを睨んだ。狐面の少女は相変わらず姿勢も正しいままに、私を真っ直ぐに見つめている。

「無理だよ、だって、君は死んだんでしょ?」

「それは失敗したんだろう。俺がここにいるのだから」

「ああ。ここが死後の世界でも夢の世界でも無いってことは、理解したらしいね。頭の回転の早い人間は好きだよ。手間がかからない」

「出してくれ」

「何度もいうけど、それは無理だ」

「外に出られないならせめて殺してくれ」

「もっと無理だよ」

 ウカの声は軽い。まるで子供を宥める母親のような声音で私の要求を全て却下する。

 そして、白い皿を持ち上げて彼女は笑うように言うのだ。


「さあ。今日こそ、たんと召し上がれ」 


 餅の香りは、炊きたての米よりずっと甘い。ねっとりと突かれて練られ、ひとつの塊になったそれは不思議と甘い。

「お餅と米は、神にとってはとても大事なものでね。君はすごくすごく幸せものだ。神である私から、餅を下げ渡して貰えるのだから」

(餅か……)

 機嫌の良いウカと違って、私の背筋は冷たく凍り付いたままだ。

 餅を見ると、冷や汗が流れた。それは、とある思い出が私の心を突いたせいである。



 幼い頃の私は、臆病だった。いや、その臆病の病は治っていない。いまだに私は、臆病だ。

 臆病というのは厄介な病である。自分以外の全てが敵なのだ。父も母も、道を行く人間も友人も先生も、何もかも。

 彼らはきっと、いつか私に害を成す。そんな風に怯えて過ごした。信じられるのは自分だけだが、その自分自身が気弱に過ぎた。

(まだ……確か、私が5つか6つのころ)

 鮮やかに思い出すのは、歳末の冷たい風の吹く住宅街。

 まだ若い母に手を引かれて歩く私は小学生になったかならないか、それくらいの年代だ。

 連れて行かれたのは、地区で行われる餅つき大会であった。杵を持つ大きな子供達が、意地の悪い目で私を見ていた。

 あの杵で突き殺されるのではないか。そんな恐怖に私は泣いた。泣いた私を面白がって、少年達ははやし立てた。

 あの、居心地悪く冷たい風を思い出す。

(……嫌だ)

 目の前に上品に置かれた白餅は、私の思い出をくすぐる。

 前の時からそうだった。ウカの持ってくるものは、全て私の思い出をちくちくと刺激するのだ。それは、不快だ。

「ウカ」

 私は立ち上がり、拳を握る。

「俺は怒ると怖いぞ」

 できるだけ威勢を込めて言ったつもりが、私の声は情けなく震えていたらしい。ウカはあざ笑って立ち上がった。

「言っておくけど、私を殴ったって何も解決しない。無駄なことはしないほうがいい」

「何が目的だ」

「最初から言ってる。ご飯を食べてほしいだけ……言っておくけど、私は君と出会って今まで、嘘なんてひとつも付いちゃいない。ずっと言ってるだろ、君にご飯を食べて欲しいだけだって」

 ひどく大人びた声を出すかと思えば、急に子供のような声もあげる。今のウカは、まるで泣きそうな少女の声である。

 その声に絆されたわけではないが、私は恐る恐る床を見た。

 餅は、まだそこにあるのだ。

 口に入れると、きっと甘いだろう。喉を通る感触は、きっと柔らかい。胃に落ち着けば、きっとこの苛立ちも少しは解消される。

 ウカには何も言わないが、先ほどから確かに私の腹は鳴っているのだ。けして空かないはずの腹が、思い出と共に狂犬のように暴れ出した。

(でも)

 私は餅に、どうしても手が伸びない。

(俺は……)

 幼い頃、あのイベントで出会った意地の悪い年長者たちは、新入りの私をからかうつもりだったのだろう。そうだ、私と両親はその数ヶ月前に、その地区に越してきたばかりだったのだ。

 臼に手を入れた私の手を、彼らは幾度も杵で脅した。手に当たるか当たらないかのぎりぎりの所で餅をつくのだ。周囲の大人達も気付いていただろうに、止めることさえしなかった。

(俺は……)

 悲劇はそのあとすぐに起きた。私のそばにいた少女が、気配を察知したのか私を押しのけて臼に手を差し込んだ。

 運悪く、少女の手は杵を掠めた。少年等があわてて止めたおかげで、怪我はひどくならずに済んだ。

 ……しかし、なぜ、彼女は臼に手を入れたのか。

 少女は、少年等が私を虐めて遊んでいたことを声高に主張した。こんな危ない事をすればどうなるのか、分からせたかった。と、少女らしい正義感で彼女は叫んだ。

 しかし、誰もそれを信じない。なぜなら、彼女は盲目であったから。

 不用意に手を差し込んだ方が悪いのだと、少年等の母親は気でも狂ったように抗議をした。

 そのせいで祭は中止になり、少女の手の傷は一生残ることとなる。

 泣いてばかりいた私だが、少女が腕から流す赤い血を見てはじめて泣き止んだ。

 私は理不尽が嫌いだ。理不尽な暴力が嫌いだ。

 少女は優しく「大丈夫」と私を慰めたが、その声は余計に罪悪感を刺激した。

 そして、それから、私は、泣かない少年となった。

(そうだ、俺は)

 急に大人びたようだ。と母や父はそう思ったらしい。何てことはない、ただ。あのイベントのあと、年長の少年が一人、消えただけの話だ。

 その少年の体は数年後、祭会場の裏の畑から見つかった。

 ……多分、私の間違った正義感は、その時から始まったのである。


「ねえねえ。一口でいいからさあ」


 ウカの顔が想像以上にすぐそばにあり、私は息が詰まる。後ろに転ぶと激痛が背に駆け抜けた。痛みを誤魔化すように私はウカに背を向け寝転がる。腹を押さえていなければ、狂ったように苦しいのだ。

 ひとつ、食べ物を思い出すたびに私の心が揺れる。思い出が、食べ物にリンクしている。まるでそれを見透かすように食べ物を持ってくるウカが心底憎らしい。

「ああ。もったいないなあ。食べないと、本当に死んじゃうよ」

 しゅ。とまるで燃えるような音がした。振り返ると、皿の上には何も無い。白い餅はまるで煙のように消え失せた。

「食べないなら、仕方ない」

「……」

 なにもなくなった皿をみて私は絶望に震える。食べなかったのは自分自身だというのに、その機会を奪ったウカが憎い。

「勿体ないなあ」

 ウカはぼやきながら皿の表面を指でなぞる。それだけで、汚れが消えてただの白い皿となった。

 それをそっと、壁にしつらえられた棚に載せるのである。カップと白い皿。奇妙な展示物のように、二つが並ぶ。

 並べ終えたあと、ウカは珍しくも鋭い声で言った。

「ねえ。君はこんなところで壊れていい命じゃないだろう」

 何故だろうか。

 私はその言葉を、いつかどこかで聞いた気がするのである。


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