表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集

クネヒト・ループレヒト

作者: 壱宮凪

 


 誓約。

 我々は、ミラに眠る聖ニコラウスとの盟約により終末の時まで彼との誓いを遂行する。決して驕り高ぶらず、溺れず、荒ぶらず、粛々とこれを全うする。



 サンタクロース達の住処はフィンランドにあった。北極圏に程近いラップランド地方、中心街のロヴェ二エミからさらに北の山岳地帯。雪深い未開の地にサンタクロース達はひっそりと暮らしていた。

 しんしんと降る雪の中、白銀の世界は喧騒に彩られていた。冬は、特に十二月は彼らにとってもっとも忙しなく、そして特別な時期だ。サンタクロースの意義ともいえる二十四日は村人達に余裕はない。だというのに彼らの顔には疲労も苛立ちも無く、どこか楽しげな色を湛えていた。

 サンタクロース村の人数は三百人弱、その内百人が現在サンタクロースとして活動している。その中には、アグリコラ家の長男ミカエルも含まれていた。

 二十四日。

 太陽が西の雪原のベッドに入った頃、村の中央にあるモミの木から現在存在する全てのサンタクロース達が一斉に空へと飛び立った。勿論ミカエルも。

 サンタクロースのソリは魔法のソリだ。トナカイが流れ星の光を纏って成層圏まで駆け抜けるのにミカエル達にはそよ風の風圧すらない。

 サンタ達はお馴染みのあの衣装を色とりどりに染め、ソリが空へと流星の尾を引いている。誰も彼もこの日の為の特別なコート(赤、緑、橙、パッションピンク!)モコモコとした毛皮だったり、ライダースだったり、サンタクロースはおもいおもいの戦闘服を着こなすのだ。

 だがカラフルな色の中にあって、ぽつらぽつら黒が混じる。何の飾り気も無い、クリスマスらしからぬそれ。

「よっ、ミカエル。きまってるな」

 友人であり同僚のヘンリッヒが夜空のドレープを掻き分けソリをミカエルの横へとつけた。

 陽気な天然パーマのいつも眠たそうな顔をしたヘンリッヒはミカエルと同じ黒いサンタクロースだった。五十世紀以上前から伝わる、黒いサンタにだけ受け継がれるカソックだ。 

 鎖で繋がった一枚の金貨がペンダントになって首元にかけられている以外、何の飾り気もない。

「飛行禁止区域の変更は聞いたか?」

「まだだ」

「だと思った、イスラム圏の飛行が全面禁止だ。これは国連に正式に通知してある、去年ロケットランチャーでソリを撃ち落とされた奴がいただろ?」

「トマスだろ、あいつ今年も同じ事やるつもりだぞ。サンタの進路は誰も阻めないって今朝息巻いてた」

「まあ」

 ヘンリッヒは肩を竦めた。

「サンタクロースだって人生まえのめりな奴はいるさ。俺は今年ロシア方面だ、お前は?」

「日本」

 ミカエルがトナカイの手綱を離さずソリの縁をトンと叩いた。

 魔法のソリは木目模様が世界地図になっているのだ。ミカエルが人差し指でトンとつま弾いた場所は目的の島国だった。

「今年から祝福の地に入った」

 サンタクロースがソリを引ける空は、信仰心の多い人間がどれ程いるかで決まる。隣人を貴び、神の思し召しを願う誠実な心の子供が彼等の道を切り開くのだ。

「ミカー! ヘンリッヒ!」

 黄色い声が頭の上から二人に降り注いだ。成層圏の飛行可能高度ギリギリを飛んでいる一台のソリを仰いだ。

 金髪碧眼グラマラスな肉体を赤い衣装で飾らせた美女エレオノーラが二人に手を振る。はしゃぐ彼女にミカエルが声を荒げた。

「エレオノーラ、前をよく見ろ。高く飛び過ぎだ!」

「大丈夫よ! 見てて!」

 そう言うとエレオノーラははしゃぎ声をあげて手綱をグイッと引いた。途端に二頭のトナカイが嘶き前方宙返りをすると、ソリも釣られてグルンと一回転する。荷台の白い袋の口からキラキラと恩恵の星屑が零れる。

「どう? ミカエルどう?」

「馬鹿が!」

 両手一杯にエレオノーラが落とした星屑を抱え、ミカエルは悪態を吐きながら頭上のソリへぽいぽいと投げ飛ばした。エレオノーラのソリを引く熟練のソリ引きトナカイが零れた星屑がソリの中に落ちるように速度を落としている。

「日本はエキセントリックでクレイジーな国なんだよ! 子供達は忍者の子孫なの。これくらいクールな姿を見せなくちゃ!」

「お前の彼女最っ高だな」

「彼女じゃない」

 ヘンリッヒが口笛で囃し立てたのをミカエルは眼光鋭く黙らせた

 北極園のグリーンランドまで飛ぶと、サンタクロース達はそれぞれの地域コースへ散開した。半分はこれから北大西洋を横断して南半球エリアへ。北半球エリアのサンタクロース達は北極点を起点に緯度に沿ってソリを駆ける。

「よいクリスマスを!」

 南半球エリアのチームが一斉にほうき星の尾を引いて手を振った。彼らの中には、赤道を抜けあとサーフボードで目的の土地へ行くものもいる。トナカイのソリからイルカへと乗り換えるのだ。

「俺はシベリア方面だ」

 オーロラのベールを抜け北極点に差し掛かるとヘンリッヒが眠たそうな顔でニヒルに笑った。眼下では、年に一度のサンタクロース行進(マーチ)を北極クマの親子が眺めている。

「無事に帰ってこいよミカエル」

「お前もな、ヘンリッヒ」

 コツンと黒いサンタクロース達は拳を合わせる。ヘンリッヒはエレオノーラに投げキスを贈ると、他十数名のサンタと共に大きく右に旋回しユーラシア大陸の空へと進路を向けた。

「……大丈夫かなヘンリッヒ、ロシアは毎年KGBが厄介だって聞くけど」

「自分の心配しろブス」

「酷いよ!」


 二台のソリはカムチャック半島を向け千島列島を眼下に見下ろした。日本国のサンタクロースはこの若い二名のサンタだけだった。   

 千島列島を抜けたこの頃になってようやく彼らは高度を下げる。雲の底ギリギリを飛ぶのだ。

「すごい! まるでドワーフの宝石箱みたい」

 月が支配する時の中で、人工の光源を放つ日本列島にエレオノーラは歓声を上げた。東洋の島国は狭い土地にギュウッと人の営みが密集していた。

「ミカエル」

 興奮して今にもソリを宙返りさせそうな幼馴染は黒いサンタを呼んだ。

「素敵ね、まるで違う星に来たみたい。大気の中に沢山の信仰が溢れているのにすごく調和を保ってる」

 素敵。とエレオノーラはもう一度呟き、そしてミカエルにソリを寄せた。

「絶対に無茶しないでね、一緒にラップランドに帰るんだよ。約束して」

 余計な心配をするなと口から出かかったミカエルだった、濡れた翡翠湖のような瞳に吸い込まれて、ただただ頷くしか出来なかった。

「じゃあ、行ってくるね!」

 ミカエルの返事に満足したエレオノーラは彼の頭に一つキスを落とすと、大きくソリを滑空させ、ほうき星となって北海道知床岬へと駆けて行った。

 柔らかい唇が降った頭をぐしゃぐしゃにしてミカエルは手綱を握り直す。

 黒いサンタクロースが向かうのは、心安らかに眠る神の子羊達の元ではない。


 クリスマス・イブの夜にサンタは良い子に祝福のプレゼントを届ける。悪い子には黒いサンタがやって来て罰を与えにやって来る。

 名はクネヒト・ループレヒト。




 日本国内、A県少年鑑別所

 真黒の帳が空に垂れこめ、時計の針がカチカチと笑い声をあげながら深夜二時を告げた頃、月光を含む淡く光る雲がさらさらと雪となって地上に落ちた。

 少年鑑別所のとある一室で、その少年は膝を抱えて怯えていた。つい先日枕元に届いたメッセージカードのせいだった。

 洗面台とパイプベッドしかない味気ない拘留者用の宿泊室で毛布をかぶってガタガタと震えている。ベッドの足元には黒い紙に赤文字のメッセージ。

 差出人はクネヒト・ループレヒト。


 十字架のペンダントを握りしめ息を潜めている少年の耳に、シャンシャンシャンとベルの音が聞こえた。



 聖夜の夜をミカエルは駆けた。ソリは雲の目隠しを脱ぎ捨て粉雪の中を急降下する。向かう先はコンクリートの牙城。

 手綱を口に咥え、ソリに積んでいた白い荷物袋からマスケット銃を取り出した。古い木製の銃身に銀の十字架のシンボルがはめ込まれている。

 降る雪が月光の光に反射して目的の少年がどこにいるのかミカエルに知らせる。雪鏡の中に暗闇の部屋で毛布に蹲る少年を見つけミカエルは撃鉄を上げる。

 引き金に指をかけたその時、大きな墜落音と共に足場のソリが激しく揺れた。

「なっ?!」

 ガクリと傾く身体を衝撃が襲い迎えるは空中へ投げ出された。

 ソリから突き落とされたミカエルは鈍色に光る三日月の一閃を認め、大きく目を見張った。

 アーミーコートにゴーグル、日本刀を抜刀した男がソリを一刀両断したのだ。

「?! どこから……」

 トナカイが嘶く中、サンタクロースを隠してくれていた雲の切れ間から一機のセスナが上空へと旋回していった。

「舐めた真似しやがって!」

 舌打ちをしたミカエルをトナカイがその背で掬う。もう一頭のトナカイは手綱が絡まって身動き取れず、壊れた荷台と共に地面に手毬の様に跳ね落ちた。

 降る雪をトナカイの蹄で捉えアスファルトの地面に降り立ったミカエルは落ちた荷台に駆け寄る。サンタクロース村の樹齢千年のモミの樹から作り上げた魔法のソリがクッションとなり落下したトナカイは一命を取り留めていた。

「ブラックサンタクロースだな」

 簡易パラシュートを外した男が刀の切っ先をミカエルに向けた。ゴーグルの向こうからでもわかる鋭利な眼がミカエルを射止めていた。決して逃がさないと物語っているそれにミカエルは舌打ちする。

「サンタの営業活動を邪魔するってのはどういう了見だサムライ」

「俺はサムライじゃない。国際遺古物保存協会の者だ」

「知らねえよ」

「ヴェーダ・カルマだ。俺のスペルコードは七番目の『G』」

「ああ、いつもご苦労さん」

「どういたしまして」

 今度は聞いたことのある名称だった。

 古代呪術・力の残ったオーパーツ、それらを秘密裏に保護保全する、紀元前からあるヒトの秘密結社。ヒト族とそれ以外とを繋ぐ役割も担っている組織はサンタクロースの中でも有名だった。

 ミカエルは眉根を寄せた。

 サンタクロースの活動は飛行の関係上公然の秘密として時の政府に告知している。大人達は沈黙でサンタを歓迎していたが近年、クネヒト・ループレヒトの活動は百年程前から

 各国で排除する動きが始まっていた。アメリカではエリア51部隊が、ロシアではKBCが、中国では公安錦衣衛が、それぞれの国で罪を犯した子供達をブラックサンタから護るようになってきたのだ。

(日本は秘密結社が出てくんのかよ)

 ミカエルはマスケットを持つ手に力を込めた。未だ刀の切っ先を下げないGは転落の衝撃で怯えているトナカイにチラリと視線を向けた。

「その様子じゃ帰りは無理だろ。飛行機のチケットをやるから少年Aは諦めな。トナカイもファーストクラスに乗せてやる」

「はっ、それで済むと思ってんのか?」

 大げさに肩を竦めて、ミカエルはマスケット銃を突きつけると躊躇いなく引き金を聞いた。 



 パンっと破裂音が空気を引き裂いて、室内で怯える少年の耳にも届くと彼は身体をビクつかせて重たいカーテンへ顔を向けた。

「き、きた……! 僕を殺しに来たんだ!」



「サムライだかヴェーダだが知らねえが邪魔すんな! 聖夜のサンタは神の使いだぞ罰当たりめ」

 雪がさらに激しさを増す中、ミカエルは連続して撃鉄を起し銃声のファンファーレをGに向けて撃った。Gはそれらを柳の動きで交わしながら間合いを詰める。

「サンタならサンタらしく靴下に弾丸でも入れて帰ってくれ」

 Gが弾丸の矢を交わしながら言った。

「あの少年はこの国の司法で裁かれる、あんたに罰を与えさせるわけにはいかない」

「黙れヒトが、そんなポッとでのモンで千五百年の誓約を軽んじられて堪るか!」

 ミカエルが吠える。

「神の恩恵だけ受け取って罰を逃れようなんざ調子がいいんだよ、自分が無垢な幼児二人犯して殺しといて懺悔で済ませると思うな!」

 ヒュッという風切りの音を立て、Gの刀が弾丸を斬った。初めて目にする凶技にミカエルが驚く隙をつき、彼は間合いを詰めると刀の柄でミカエルの腹部を襲う。

 硬い鉄同士がぶつかる音が響いた。マスケット銃と刀の柄が鍔競り合い、二人の男が白く熱い呼吸をはきながらギリギリと睨み合った。

 ミカエルは吐き捨てる。

「あのガキは洗礼を受けてんだよ。洗礼を受けた子供はサンタクロースの守備範囲ってのが神の思し召しだ、分かるか?」

「ここは八百万の國だ」

 Gが歯を食いしばった。

「あんたらが大昔交わした約束相手は八百万の一柱でしかないんだよ。謙虚になれ」

「だったら祝福も受けんじゃねええ!!」

 鍔競りあう中、マスケット銃を撃ちならし、ミカエルはGを蹴り上げた。弾丸が頬を掠め、Gのゴーグルを吹き飛ばす。ミカエルはそのまま彼の腹部に一発弾を打ち込んだ。

 アーミーコートが地面に跳ねてもんどりうって転がる。

「余計な知恵回すからそうなるんだよ」 

 ミカエルが悪態を吐いた。今この瞬間も大勢のサンタクロースが天空から子供達へ星屑の祝福を降り注いでいる。健やかに眠っている明日の命を加護するようにと。


 その為に、ミカエル達は存在しているのだ。その為だけに、存在しているのだ。


 ミカエルはペンダントの金貨をギュッと握りしめた。

 全ては千五百年前、ミラの聖人が貧しい子供の為に暖炉の側にあった靴下に金貨を入れたことから始まった。ミカエル達サンタクロースはその暖炉の火の精の末裔だ。

 聖人の温もりに焼き尽くだけだった先祖達は揺らめき、金貨の祝福を受けて聖人に付き従った。その後無残にもヒトの手によって死ぬことになった聖人との最後の約束は、彼に代わって祝福を届けることだった。その為に火の精は数百年かけてヒトと交わってきて今のサンタクロース達になった。


 神の子らに祝福を。罪びとには懺悔の機会を


「法だかなんだかでこっちのアイデンティティー無くさせられてたまるか」

 マスケット銃を肩にかけ直し、鑑別所の交流室へと足を向けたミカエルは、しかしトナカイの嘶きに足をとめ、次の瞬間痛みの衝撃と共にエビ反りに吹き飛んだ。黒いカソックが鑑別所の柵に激突する。

 背中に激痛が走り、ミカエルは呻きながら丸まった。

「……痛っ」

「言いたいことは言ったか?」

 肩で激しく白い息を吐きながらGがユラリと雪の中立つと、頭に引っかかっていたゴーグルの残骸を投げ捨てた。

(くそ、やっぱ無理か)

 ゴホリと咳き込んで、ミカエルは地を這いつくばる。サンタクロースの武器では悪い子供以外は殺せないのだ。

「決めた」

 Gが頬を流れる血を乱暴に拭うと怒気を孕んだ声で言った。

「てめえとトナカイは師走正月の神社でこき使ってやる。荒野の神がこの世の絶対じゃねえって教えてやるよ」

「……聖夜以外働いてたまるか」



 先程から窓の外から聞こえる破裂音と金属音、そして争う声に少年は震えながらも好奇心に負けて窓のすぐ近くで耳をそばだてていた。

 十四歳の少年はとても好奇心が旺盛だった。行動力と決断力、若さゆえの恐れ知らず。そして何より愚かだった。

 少年はそっと毛布から出て重たいカーテンを開ける。月光がその生白い肌を滑った時、

 顔に影が差した。

 部屋の窓ガラスが砕け飛ぶ。影だった黒い塊が硝子片を纏って部屋の中へ侵入した。

「あああああ!」

 腰を抜かした少年が叫ぶ。咳き込みながら室内に予期せぬ侵入に成功したミカエルは起き上がった。

 所々に切り傷を負ったブラックサンタは、目の前の肥えた醜い白豚のような少年が手に握る十字架を認めると顔を歪めた。

「『聖夜の夜、クネヒト・ループレヒトが君に会いに行く』」

 割れた窓から風が吹き込み、室内に皺になったメッセージカードが舞う。丁度少年と黒いサンタの間の幕を開けるように。

 カードに綴られたメッセージを音にされ、少年の背筋に恐怖が走った。

「あ……」

「よう、坊ちゃん。サンタクロースが会いに来たぜ」

 叫び声が上がった。絶叫だ。少年はもがくように毛布を、枕を、砕け散らかった硝子の欠片をミカエルに投げつける。肉に埋もれた顔に涙を張り付け彼は喉が裂けんばかりに声を荒げた。

「来るな! 悪魔! クソ、死ね死ね死ね死ね屑が!地獄に堕ちろ!こんな所に閉じ込められて見張られて、十分だろ!いい加減にしろ」

「あ? 何言ってんだ」

 首の関節を鳴らして立ち上がったミカエルは少年を侮蔑の眼差しで睨みつける。

「てめーの罰をてめーが決めんじゃねえよ、ゴルゴダの丘を知らねえのか?」

 マスケットの銃口が少年を捉える。

 それを阻むように割れた窓からソリの残骸がミカエルに投げ飛ばされた。

 ミカエルは三度マスケットを撃ちソリの残骸を粉砕する。

「逃げろ!」 

 窓の外からGが腕を伸ばし少年の襟首を引っ掴んだ。大きな巨体に一瞬腕が止まるも、彼は背負い投げの容量で少年の身体を外へ投げ飛ばした。可愛くない悲鳴が上がる。

「いたぃ、痛いよう」

 えぐえぐと打ち付けられた身体を丸める少年にGが檄を飛ばす。

「管理棟に走れ! 機動隊が待機してる……さっさとしろ」

 最期の言葉は、ゾッとする程凍えた声音だった。少年はグズグズと鼻を啜ると、奇怪な悲鳴を上げ這いつくばる様に、しかし言われた通り彼に出来る最大速度でドタドタと走っていった。

 カソックに付いたガラスや木片を払いながら、二人のやりとりを見ていたミカエルが半ば同情のような気持ちで尋ねる。

「……………あいつを護るの悲しくならないか?」

「それでも、人は人が決めた規律に則って罰せられるべきだ」

「あいつのやったことはヒトの行いの範疇ってわけか? すげえ寛容になったもんだ。隣人を愛せの説法で磔にされた昔とは大違いだ」

 ふん、と鼻を鳴らしマスケットを肩に担いだミカエルは指笛を鳴らした。Gが怪訝に顔を歪め、油断なく刀を持ち直した時、またも可愛くない悲鳴が聞こえた。Gが声の方を急いで振り返る。二頭のトナカイが少年を威嚇するように囲んでいた。

「っ?!」

 少年へとGが駆けだそうとした時、彼の膝をミカエルは撃った。ガクッと地面に倒れ込むGの胸倉を掴み地面に叩きつける。

 脳天にマスケット銃の銃口を向けた瞬間ミカエルの顔面に蹴りが入る。Gが身体を反らせ後ろ回しに蹴り上げたのだ。

 Gが若豹のような動きで起き上がり刀を構えるのを衝撃で朦朧とする頭でミカエルは見た。頭部を蹴られ痺れた手ではマスケットが持ち上がらない。

 ヒュッと風を斬る音がした。銀の刃が弓なりの軌跡を描いてミカエルを一刀の元にしようとする寸前、両者の間に閃光が走った。音も色も何もかもを無くすまばゆい光にGは腕で顔を覆った。

「な?!」

「……?」

 強烈な光の矢を放ち、金平糖のように光が粒となって転がって消えた。ミカエルは胸元できらきらと光る金貨に目を見張った。

「エレオノーラ……?」

 魔法のソリをバク天宙返りさせ、祝福の星屑を落とした幼馴染が頭をよぎった。

 彼女が零した祝福の欠片が金貨に引っかかっていたのだ。

 グラグラとする意識を振絞り、身体を起こしたミカエルの耳にトナカイの嘶きが届いた。

 東の空が薄っすらと青く輝いているのを認めミカエルは苛立ちを隠すことなく舌打ちする。

 聖夜にサンタクロースが日の光の下に出るのは禁じられている。

 マスケットを拾い上げ指笛を鳴らす、少年を威嚇していた二頭のトナカイが蹄の音高く地を蹴り、ミカエルの身体を救い上げるように背に乗せ、未だ振る雪に足をかけると宙へと走った。

「最後一発……」

 トナカイの角を掴み地上を振り返る。既に百メートルは高く飛んだ場所でミカエルはマスケットの照準を少年に合せる。

「聖・ジョージの炎に焼かれろ!」

 引き金を引いた。その日一番大きな発砲音、トナカイの首輪のベルが反動でシャランと鳴る。

 少年の叫び声が木霊し、一瞬の混沌の中、マスケット弾が火柱を地上で上げた。

 粉雪を巻き上げ、世界を瞬間真昼に照らし、燃え上がった炎が凍えた冷たい空気に溶けていく。焼けた地面の痕には誰もいなかった。

 ミカエルは忌々しいげに舌打ちをした。

 円形に出来た焼けあと数歩外側、息を切らしたGが少年の襟首をつかんでミカエルを見据えていた。彼の右腕肘から先が黒く焼け焦げている。ミカエルは叫んだ

「悔い改めろ! クネヒト・ループレヒトがお前達を見ているぞ!」

 シャンシャンシャンと遠くなるベル、西の黒い空に溶けるようにして空へ駆け上がった二頭のトナカイが見えなくなると、ガクリとGは項垂れた。

「……やっと帰った」

 様子を窺っていた機動部隊が雪崩れるように裁判所の敷地の中へと駆け込んでくる。ソリの残骸や壊れた施設の確認をさせる中、少年を手厚く保護した。

 婦警から毛布で身体を包まれた少年は、温もりで正気を取り戻したのかGを罵り始めた。

「この役立たず! 何が守るだよ、怪我しちゃったじゃねーか! 見ろ、見て見ろほら!血が出てんだぞ?!」

 どこかで擦り剥いたのか、掌の五百円玉程の切り傷を威け猛々しく掲げると口角泡を飛ばす。

「死ね、死んで詫びろ屑が! 人の税金で糞してんだから死ぬまで尽くっ……」

 罵倒は彼が気の済むまで口から出ることは無かった、焼けた拳が肉々しい顔面にのめり込んだからだ。少年の身体が地面にバウンドし倒れ込む。声の無い叫びをあげる婦警にGはしれっと頼んだ。

「これ、サンタがしたことにしといて」


 トナカイの背に乗り、もう一頭の手綱を持ちながらミカエルは雲の上を走る。

 日本海を渡っている時、別のリズムのベル音が重なった。西から空っぽの白い袋をはためかせエレオノーラが大きく笑顔で手を振った。

 不承不承、珍しくミカエルは手を振り返した。偶然とはいえ、今夜はエレオノーラに助けられたのだから。

 ロシア領を北へ進んでいると、ヘンリッヒのソリが見えた。満身創痍の態でソリに銃痕が何十発も見て取れたが、眠たそうな顔は心なしか晴れやかだった。

「……また来年、だな」

 ぞくぞくと、サンタクロース達が北極圏に向けて集まって来る。一年で一番忙しい夜が終わりを告げる。世界中の良い子達に幸せを届けて、クタクタになりながら彼らは帰路につく。背を追う朝日に紛れて、どこかで目を覚ました子供の笑い声に見送られながら。


 良い子にはサンタが祝福のプレゼントを届ける。

 悪い子には、黒い姿のクネヒト・ループレヒトが君を仕置きにやって来る。



 聖夜はきっと、ヒトの子の誠実さが試される夜なのだ。


 MerryXmas――☆





お読みいただきありがとうございます。

よければ感想・批評・評価よろしくお願いします。貴方の一言が作者の喜びです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 宗教観の解釈が面白かったです。 アクションすげーとイッキ読み。 [気になる点] 誤字・脱字がいくつか。エレオノーラ登場時の「黄色いが頭の上から」や×グーグル→○ゴーグルなど。 それと・・・…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ