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ねがいごと   作者: tetsuya
3/3

後編

 土曜の午後、ひかりは苦労してステラの店を探し当てた。

 流木の看板、白いペンキで、STERAの文字。かすかに流れ出るタンゴのメロディ。きしむドアを開け、店の中に踏み込んだ。

「いらっしゃい」

 びくん、と身体が震えた。

 まったく思いがけず、男の低い声を浴びせられたからだ。振り向くと、ドアのすぐ影に、キャッシャーがあった。その後ろに、ひかりより年上の感じの少年が立っていた。ステラと同じ茶色い肌、でも、髪も目も黒い。背が高くて、肩幅が広くて、ラグビーでもやってそうな身体だけれど、目は静かで、知的な光をたたえていた。

 少年の姿に見入っている自分に気づき、恥ずかしさで顔が赤くなった。きょろきょろと店の中を捜すが、ステラの姿はない。

「何かお探しですか」

 少年は手にしていた本を閉じ、ひかりに話しかけてきた。

 ひかりは少年に見つめられて動きが止まってしまった。顔が赤くなっていくのを感じながらどうすることもできず、何も言えない。

 困り果てた末に、無言で小瓶を突き出した。

 少年は眉をあげて、粉々になったラ・ステラ・フエソを見た。

「返品、ですか」

 探るように問いかけてくる。

 ぶるんぶるんと首を振って否定。一つ深呼吸して、思い切って言った。

「ステラさん、いませんか」

 大声になってしまった。少年は困惑の表情を浮かべながらも微笑し、

「婆ちゃんなら、部屋で寝てるよ。婆ちゃんが売っちまったんだな、不良品を。ごめんな、店には出るなって言ってるんだが……返品でいい?」

「あの」言いかけて、もう一度深呼吸。「返品じゃないんです。これ、ステラさんからいただいてしまったんです。いただいたときは、丸い珠の形をしてたのに、一晩明けて見てみたら、こんな、粉々になってて……願い事がかなうって、ステラさん言ってて、強い力持ってるって、気をつけろって……それで、だから……あの……」

 自分の願いのせいで母が倒れたのかもしれない。それを口にできず、口ごもるうちに、目に涙が浮かんできた。

「ラ・ステラ・フエソ。婆ちゃん、そう言わなかった」

 問われて、無言で頷いた。

「ただの骨だよ。水死した人の骨が、何十年も波に洗われて、丸くなっただけのもんだ。願い事が叶うかどうかは俺にはわからない。でも、一つ質問していい?」

 少年は手を伸ばし、ひかりの髪に触れた。息が止まるほどの優しい声で、こう言った。

「どうして泣いてるの」

 そんなことをされたから、ひかりは大泣きしてしまった。ひとしきり泣いてから、何度もしゃくりあげながら、途切れ途切れに事情を説明した。

 事情といっても、たいした内容はないのだと気づいた。

 事実としてあるのは、母が倒れたこと、ラ・ステラ・フエソが砕けたこと、それだけだ。

その両方がひかりの願い事のせいだと示す根拠は、何ひとつない。

「ごめんなさい、私、なんかバカみたい」

「そんなことはない」

 少年は静かに言った。

「俺は婆ちゃんが信じてる魔法の力とか、そういうことに関しては分からない。ノーコメントだ。でも、俺はこう思う。何かを願うということは、たくさんの可能性の中からひとつの未来を選択し、引き寄せること、その未来の中にある全てを受け容れることだ。願うことで、自分自身が変わる、そのことによって周囲も変化する。願いが叶う、っていうのは、そういうことだと思う」

 彼の言葉は、ゆっくりとひかりの中に染み込んでいった。ひかりは思った。

 私はそんなふうに何かを願ったことがあっただろうか。身の回りの不満や不安から逃げ出したいと、漠然と夢想に浸っていただけじゃないだろうか。

「馬鹿みたいって、思わないんですか」

 彼は優しく微笑んだ。

「願いが役に立たないなら、人間に一体何ができる? 願うことから全てが始まるんだ」

 彼の笑みが大きくなった。それでひかりは、自分が微笑を浮かべてたことに気づいた。

「君が自分を責めることはない。たとえ君のせいだったとしてもだ。大切なのは、今から君が何を願うかだ。そうじゃないか」

 また涙が出そうになった。こくりとうなずき、そのまま、あごを胸にうずめたまま、顔を上げられなくなった。

「俺は、海野ホセ。邦星って書く。変な名前だろ」

 ひかりは涙目のまま顔を上げた。

「君は?」

「ひかり」

「また来る?」

「え?」

「また、会えるかい」

 首から上が真っ赤になるのを感じた。小さく頷き、あわてて店を飛び出した。

「さよなら、ルシア」

 邦星の声が、背中にそっと触れた。


 ひかりは帰りのバスに揺られながら、自分の心の内を見つめていた。私は何を望んでいるだろう。一体、何を望むべきだろう。

 母の手術は月曜の朝、早くに行われる。帰ったとき、母は目を覚ましているだろうか。

手術までに、意識を回復することがあるだろうか。

 母に話さなければならない。ごめんなさいの一言でもいい、母と向き合って、母の目を見て、自分の言葉で話さなければならない。

自分自身の人生のために何を願えばいいのか、ひかりにはまだわからない。でも、確かな願いがひとつだけある。

 母と話したい。

 今までずっと話すことのなかった、たくさんのことを。

 だから、今夜は願おう。

 そう決めた。

 母の枕もとに座って、ラ・ステラ・フエソの小瓶を握りしめて、手術が上手くいくようにと、ひたすら願おう。夜が明けるまででも、願いつづけよう。町の明かりが残らず消えた真夜中の闇の中でも、星は、きっと光をなげてくれるから。

 願いつづけよう。

               

                                                                終

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