『高松』
一
「高坂との戦いで傷を負った高梨の殿様。そこに迫り来るは須田の三郎という大剛の者で、身の丈六尺はあろうかという大男である。殿様、最早これまでと観念したところ、颯爽と現れたのが中野の高松。殿様を救うべく、須田の三郎の前に躍り出て、刀を構えて須田の三郎と対峙したのである」
新蔵は街道の石に腰を下ろし、村の子供を前に昔話などを聞かせていた。新蔵は若い頃、高梨政頼に従って多くの戦に参加していたものの功を立てられず、四十を越えた辺りで足を負傷したのを契機に戦から身を引き、帰農して田畑を耕し始めたのであるが、暇を持て余すのか、時折子供らを集めてその若い頃に見聞きした話を聞かせていたのである。大殿様の話、狐憑きの武将の話、諏訪の姫様の話など色々あるが、中でもまむしの高松と呼ばれる男の話を好んで聞かせることが多かった。
「高松は身体が小さく、強力の者ではなかったが、機敏に動いて須田の三郎を撹乱し、寄せては避け、避けては寄せての見事な戦いっぷり。それはまるで、まむしが獲物を追い詰めるが如くであった。高松は須田の三郎と激しく打ち合い、ついにはこれを討ち取って殿様の窮地を救ったのである。殿様は高松を天下無双の武者振りと賞賛し、旧領を回復した暁には一城を与えるとの感状を高松に贈ったのである。中野村の高松がまむしの高松と呼ばれるようになったのはそれからである。その高松がどこにいるのか知りたいか?」
新蔵がそう訊ねると、勿論子供達は、知りたい、と答える。すると、新蔵は街道から見える小屋と呼ぶ方がしっくりくるような一軒の屋敷を指して示した。
「あそこに住んでいる高松の爺さんが、そのまむしの高松だ。頼めば殿様から戴いた感状を見せてもらえるぞ」
新蔵の話はこれまでならここで終いのはずであった。子供達は高松の家に行って感状を見せてもらい、それが本当のことだったのだと驚いて帰る。それがこれまでの流れだった。併し、今回ばかりは違ったのである。
「感状なんかなかったじゃないか」
高松の家に行った子供の一人がそう言ったのである。新蔵は驚き、高松の家に行って高松に事の仔細を訊ねた。高松は言う。
「感状なら焼いちまったよ」
「どうしてまたそんなことをしたんだ」
新蔵が問うも、高松は何も答えなかった。
高松の身辺に変化が起きたのは一月前のこと。妻のお衣が死に、高松も一人身になっていた。死んだといっても、高松もお衣も齢七十を越えており、人間五十年の世の中にあっては相当長生きの部類である。妻に先立たれて自棄を起こすような歳でもなかった。実際、お衣が死んでからの高松に、特にこれといって異変は感じられなかった。
新蔵は言う。
「それじゃあ、もうまむしの高松の話は聞かせてやれないな」
「そうだな……」
新蔵は高松の小さな身体を見た。小さな身体が、今日はより一層小さく見えた。それはまるで子供のような小ささだと、新蔵は思った。
二
「あいつだけは必ず倒さなけりゃなんねぇ」
高松は槍を握り締め、すすきの原に身を隠しつつ三郎の姿を追っていた。青々としたすすきの向こうでは、彼我入り乱れた戦いが行われており、辺り一面は人の喚声と馬の嘶きとで覆い尽くされていた。併し、高松の耳には人の喚声も馬の嘶きも聞こえてはいなかった。高松の耳は、三郎の足音だけを追っていた。
永禄四年(1561年)、越後の上杉政虎は突如として兵を挙げ、武田氏の治める信濃へと攻め入った。近年、武田氏による版図拡大の勢いは著しく、近隣諸国に於いて武田氏の脅威が深まりつつあったところ、上杉憲政から管領職を受け継いだ上杉政虎はかかる武田氏への牽制の意を込め、武田氏と領地を接する信濃へと兵を進めることとしたわけである。上杉軍は当初、妻女山に陣を敷き、武田氏の拠点たる海津城を攻略の対象と定めたわけであるが、両軍が対峙して早々上杉武田双方ともに防備を固めたため膠着状態に陥った。すると、痺れを切らせた武田軍は、軍師山本勘助の策を容れ、啄木鳥戦法なる奇策に打って出たのである。かかる奇策では、まず精鋭の大部隊を以って妻女山を攻撃する。上杉軍は攻撃を受け、それから逃れるために山を下って千曲川を渡るものと考えられることから、千曲川の対岸にある八幡原に兵を置く。すると、千曲川を渡り終えた上杉軍は、待ち構えた部隊と妻女山を攻めた部隊とで挟撃されることとなり、武田軍が有利に事を運ぶことができると考えられた。武田晴信は高坂昌信らに大部隊を与えて妻女山を攻撃させ、自身は八幡原に陣を敷き、川を渡ってくるであろう上杉軍を待ち構えることとした。
十月十七日の深夜、武田軍は動いた。高坂隊は妻女山へと攻めかかり、上杉軍の本陣へと突進していった。併し、妻女山は昌信が想像していたものとは全くの別物であった。昌信はすぐに上杉軍の罠に嵌められたことを知り、事の重大さに気付いたのである。
「やられた!」
昌信の怒声が妻女山に響き渡る。併し、上杉軍の中に昌信の怒声を聞いた者は一人もいなかった。妻女山に篭っていた上杉軍は武田軍の動きを事前に察知しており、高坂隊による攻撃に先んじて下山し、千曲川を渡って八幡原に進軍していたのである。
朝霧が晴れると、八幡原に二つの部隊の姿が浮かび上がった。一つは上杉軍を待ち構えるはずだった武田晴信率いる八千の部隊。そしてもう一つは、妻女山を下山し八幡原に兵を進めた上杉政虎率いる全軍一万二千の大部隊である。武田軍の劣勢は火を見るより明らかであった。武田軍の将兵が驚愕したのは言うまでもない。
夜が明けると同時に戦端は開かれた。既に攻撃の準備を整えていた上杉軍は柿崎景家を先鋒に、車懸かりの陣で猛然と武田軍へと襲い掛かった。車懸かりの陣とは、まず第一陣が勢いをつけて相手の部隊へと突撃し、勢いが衰えるや否やさっと退いて後方へ下がる。第一陣が下がると同時に第二陣が突撃を開始し、これも勢いが衰えるや否やさっと退く。すると、その頃には体勢を整えた第一陣が再び突撃を開始し、この二つの部隊による連続的な波状攻撃が、あたかも車の両輪の如く延々と続くために車懸かりと名付けられたものである。この攻撃は苛烈を極めた。武田軍は副将武田信繁、軍師山本勘助、重臣諸角虎定らを次々と失い窮地に立たされた。上杉政虎が小豆長光を振りかざし、放生月毛に跨り単騎として武田本陣を急襲し、講談絵巻に描かれるような武田晴信との一騎打ちを演じたのはこの時であった。
併し、武田軍はやがて体勢を立て直し、上杉軍の猛攻を食い止めると、妻女山を攻めた高坂隊が合流したことで一転、攻勢を仕掛けるに至り、八幡原は一面が乱戦による騒擾で埋め尽くされていった。今まさに高松が置かれているのは、このような状況であった。
高松は上杉軍の武将である高梨政頼の部隊に属しており、須田三郎は武田軍の高坂隊に配されていた。そして今、高梨隊が戦っているのは、その高坂隊であった。
「いたぞ! 須田の三郎だ!」
同郷同村の出である新蔵が三郎の姿を見付け、指で示した。その指の先には、赤い具足に身を包んだ三郎が、いとも容易く一人二人と切り伏せ、何かを探すように辺りに目を走らせている姿があった。三郎の探し求めているものが高梨隊の大将である高梨政頼であることは明らかであった。
高梨隊の兵が三郎の背後から飛び掛かる。三郎は振り向き様にこれを切ると、何事もなかったかのように再び周囲に視線を巡らせ始めた。怖ろしく強い男である。
――それでもおらはあいつを倒さなけりゃなんねぇ
高松は三郎から目を離さず、ただ強く、槍を握りしめた。
三
中野村の高松は、よわむしの高松。高松は子供の頃からそう呼ばれていた。高松は身体が小さいということもあるが、取っ組み合いの喧嘩になってもすぐに降参してしまうため、未だに一度として喧嘩に勝った試しがない。幼馴染の新蔵とも何度となく喧嘩をしたが、やはり高松はすぐに降参してしまうので、新蔵も呆れかえる他なかった。新蔵は言う。
「高松の名が泣いている」
高松という名は、横田備中守高松から取ったものである。横田高松は甲斐武田氏の家臣で、槍を使わせれば無双、比類なき猛将として甲斐信濃一帯に名声が轟いていた武将であった。横田備中守様のような強い男になれ。高松の父はそのような期待を込めて名を付けたのであるが、その期待は尽く裏切られた。
その高松も齢二十を越え、嫁の一人でも迎えるべき頃合であったが、高松に縁組の話が上ることはなかった。何と言ってもよわむしの高松である。嫁の来手などあるはずもない。しかし、問題はそれ以外にもあった。高松には、心に決めた相手がいたのである。幼馴染のお衣。子供の時分より新蔵らと共に遊び、よく知った仲である。高松の心中には、お衣でなければならないという思いがあった。
しかし、高松がそれとなく自分の評をお衣に訊ねたところ
「だってお前さん、弱いんだもの」
と言われてしまい、それ以上のことは何も聞くことができなかった。聞くまでもないということであった。
とにかく、強くならなければならない。強くなり、そして戦で功を立てることが己の為すべきことであったが、一介の農民に過ぎない高松が戦に参加するにしても雑兵扱いであり、そして何よりよわむしの高松である。高松には、己の為すべきことが途方もないことのように思えた。
それから、戦らしい戦も起きず時々刻々と日々が過ぎ去っていった。お衣が市河藤若の娘である琴姫の侍女として奉公するようになったのは永禄三年の春頃のこと。高松が川中島の戦いで三郎と合間見える一年半程前のことであった。
お衣が琴姫に仕えるようになって半年程経った頃、お衣についての噂が流れるようになった。なんでも、お衣が市河氏の養女となって武田氏の家臣と縁組するとのこと。高松は、そんな馬鹿な話があるものか、と思っていたが、新蔵が高松の元に来て
「どうやらあの噂は本当らしいぞ。お衣の弟がいるだろう? その弟の菊丸から聞いたんだ。相手は武田の家臣で、須田の三郎という奴らしい。次の戦で功を立てればお衣も縁組を承諾すると言っていたらしいが……」
などと言うものだから、高松は愕然とする思いであった。
高松が気を落としていると、新蔵は言った。
「俺はお前との付き合いも長い。お前が何を考えているのかもよく分かる。だがよ、諦めるのはまだ早いぜ」
「……」
新蔵の言いたいことはすぐに分かった。だが、それは非常に困難なことでもあった。
「お前が須田の三郎をやっちまうしかない。お前が三郎に勝てば、お衣もお前を認めてくれるだろう。どうだ、一石二鳥じゃないか!」
「そんな簡単に言ってくれるが、おらにそんなことができるわけがねぇ」
「馬鹿野郎! このままだと三郎に取られちまうだけだぞ!」
新蔵は高松の肩を掴み、激しく揺さぶった。
「もうよわむしの高松ではいられないぞ!」
新蔵はまるで自分のことであるかのように、語気を荒げてそう言った。
思えば新蔵はこういう奴だった。新蔵は中野村のガキ大将で、腕っ節が強く、同年代の子供と喧嘩をしても負けることがなかった。高松も子供の時分には、新蔵によく殴られていたものである。しかし、新蔵は乱暴で強欲であったが、曲がったことが大嫌いな性格でもあった。村の子供が隣村の子供に殴られたと聞くと、すぐに隣村に飛んでいって殴った相手に殴り返してきたこともある。子供の間で物を盗む奴がいれば、ぶん殴って取り返してきたこともある。そして、高松にとっての三郎は、新蔵にとって隣村の子供や物を盗んだ子供と同じであった。
「もし今度戦になれば、お前も一緒に連れて行ってやる」
新蔵はそう言うと、高松の前から去っていった。
新蔵は村の中でも早くから戦に参加している方であった。新蔵は以前に中野村を治めていた高梨氏の部隊に参加することが多く、次の戦になれば、高松もその高梨氏の一員として戦うことになるはずである。高梨氏は上杉氏に属しており、武田氏とは敵対関係にある。武田氏に属する須田三郎と合間見えることになるのも、現実的なことであった。そして、永禄四年の八月、上杉氏と武田氏の間で大きな戦が起こった。川中島の戦いである。
四
辺り一帯は激しい攻防を繰り返しているが、戦局は膠着状態へと向かっていた。上杉軍の先鋒である柿崎景家が車懸かりの陣を崩されて武田軍に包囲されると、上杉家随一の猛将色部勝長が槍を携えて武田軍に突進。包囲を打ち破って柿崎景家を救い出すと、そのまま血槍で以って武田軍に猛然と襲い掛かっていった。一方、武田軍の高坂昌景、真田幸隆は甘粕景持の部隊を破って上杉政虎の本隊に迫るも、宇佐美定満、村上義清、高梨政頼の部隊に阻まれて乱戦となっていた。中でも高梨政頼は旧領回復に燃えており、政頼が負傷してもなお一歩も退かぬ態で高坂隊と激しい戦いを繰り返していた。
高松と新蔵が三郎を追っていくと、高梨政頼の小旗が目に入った。三郎もそれを認めたとみえて、小旗の下に迫っていった。やはりと言うべきか、小旗の下には負傷した高梨政頼が数人の旗本を引き連れていた。すると、それを見た三郎は
「須田三郎!」
と名乗りを挙げた。旗本の一人、大森何某という男が前に出て名乗りを挙げるが、僅か一合、一刀の下に切り伏せられた。残りの旗本は三郎を大剛の者と判断したのか、一塊になって一斉に飛び掛っていった。流石の三郎も始めは多勢に無勢といった態であったが、十数創の傷を負いつつも一人二人と打ち倒していく。
「怖ろしく強い」
遠巻きに見ていた新蔵がぽつりと言った。
三郎が旗本を切る度に、高松は何とも形容し難い思いを募らせていった。
――おらはあいつを倒さなければいけない。そうだっていうのに、あいつはあんなにも強くて、おらはこんなにも弱いんだ。こんな理不尽な話があるもんか。神様は不公平だ。ちくしょう、ちくしょう……。
手に持った槍が小刻みに揺れているのが分かる。目が赤く腫れ上がっているのも分かる。悔しさでいっぱいである。それは全て、喧嘩に負けた時と同じであった。だが、喧嘩に負けた時と唯一違うものがあった。まだ、負けていないのである。
高松の胸に、強い感情の凝集が込み上げてきた。すると、居ても立ってもいられず、高松は三郎の前に飛び出していた。
「ちくしょう! お前にだけは絶対に負けねぇ!」
三郎は相手が雑兵だと分かったのか、特に名乗りを挙げるでもなく、刀を構えて高松の動きを探り始めた。槍の持ち方すらろくに分かっていない相手である。やるまでもないといった空気が流れていた。その絶望的な空気を、高松の大声が破った。
高松は大声を上げ、槍を前に突き出しながら三郎に猛然と挑んでいった。三郎は槍の穂先に注視しており、その槍を受け流して高松に一刀を加えようという風であった。
もう半歩で槍の間合いに入ると思われた、その時である。高松は突き出すと見せかけて三郎の足下に槍を放り投げたのである。三郎の視線は投げ捨てられた槍に奪われており、その隙を突いて高松は三郎の足に飛び付いた。不意に足に飛び掛られた三郎はそのまま後ろに倒れた。高松は三郎に馬乗りになり、手近な石を握って、それで三郎の手を何度も叩いた。三郎が痛みのために刀を落とすと、高松はそれを遠くに放り投げ、そして再び石で三郎を何度も叩いた。三郎もすぐに反撃に出始め、やがて取っ組み合いになり、辺りを転がり続けた。高松は何度も殴られた。腕には引っ掻き傷がいくつも付けられ、顔中あざだらけ、見えない部分も痛みで感覚が麻痺している。それでも高松はやめなかった。殴るのをやめた時が、負ける時だと思ったからである。
「お前になんか! お前になんか!」
高松は泣きながら三郎を殴り、泣きながら三郎に殴られた。決定打のない取っ組み合いは終わることがない。それはまるで、子供の喧嘩であった。
どれだけそうしていたのかは分からない。終わりは唐突にやってきた。武田軍のものと思しき太鼓の音が聞こえると、周囲の武田軍が退き始めた。三郎も太鼓の意味を理解したのか、高松を蹴飛ばして身体から離すと、すぐに立ち上がり、そしてそのまま走り去った。
高松は呆然としていた。何がどうなったのか、全く理解できないほど、身体中が痛みに支配されていた。痛みのために思考も麻痺していた。ただ、一つの声だけが、高松の耳にはっきりと残っていた。
「高松が須田の三郎を走らせた!」
周囲では、喚声のようなものが上がっていた。
八幡原に吹く午後の風は生温く、黄色味を帯びた光が地面から湧き上がっている。それは、子供の頃に見た景色に似ていた。だが、その景色の中に、子供の頃に感じたものは何もなかった。
五
季節は初夏に入ろうとしていたが、高松の家の床はどこか冷たく感じられた。
高松は病床にあるお衣の横に座り、何をするでもなくずっとそうしていた。高松は、食いたいものはあるか、水でも飲むか、とお衣に声をかける。しかし、お衣は、別にいいわ、としか返さない。高松もお衣も齢七十を過ぎていた。十分過ぎるほど長く生きてきたのである。お衣は自分の死期を悟っている風であったし、高松もそれを何とはなしに勘付いていた。そうであるからか、これからも長く生きていこうなだという類の言葉は一切かけなかった。ただ、時折手を握ったりなどしつつ、昔のことなどを話した。
高松は言う。
「なぁ、本当におらでよかったのか?」
「何を言ってるんですか。よかったに決まってますよ。こうして長く生きられたんだから」
お衣は弱々しい声で答えた。長く生きられた、という言葉が重みを持って感じられた。高梨政頼はとうに没し、上杉政虎も武田晴信もこの世にいない。須田三郎は武田勝頼に従って各地を転戦した後、長篠の戦いで銃弾に撃たれて命を落としていた。徳川家康が幕府を開き、戦のない世が訪れていた。戦乱の時代は遠い昔のことのようで、上杉政虎も武田晴信も須田の三郎も、何か絵巻物の中に現れる存在のように思われた。高松にとっては、握っているこの手のみが確かな存在であった。
高松はさらに言う。
「おら、一つだけどうしても訊きたいことがあったんだ。もうずっと訊きそびれてて、今更なことなんだけんども」
「……なんですか?」
「どうしておらだったんだ? 他にも選びようがあったんじゃないか?」
高松にとっては、お衣が自分を選んでくれたことが意外だった。どこかでお衣の気持ちが変わったからこそ自分を選んでくれたのだと思うのだが、それが一体何であったのか、高松はずっと気になっていたのである。おそらく、あの川中島の戦いで功を立てたことに違いない。高松はそう思っていた。併し、お衣の答えは全く違った。
「おかしなことを訊くんですね」
お衣は少し笑ったかと思うと、目を閉じた。その顔からは、穏やかな優しさが見て取れた。お衣は言う。
「だってお前さん、弱いんだもの」
その言葉を聞いた瞬間、高松はハッとさせられる思いであった。そして、子供の頃のことを思い出した。高松は喧嘩に負けて泣いていた。目は腫れ、身体中に擦り傷がつき、顔には泥がこびり付いていた。高松がそうして寺の石段に座って泣いていると、そこにお衣がやってきた。そして、高松を慰めてくれたのである。子供の頃は、よわむしの高松だった。いつしか村の中では、まむしの高松などと呼ばれるようになったが、お衣の中では、高松はいつまで経ってもよわむしの高松のままであったのである。高松はそのことに気付くと、何か胸の奥から込み上げてくるものがあった。
「そうか、そうか……」
高松はお衣の手を優しく握っていた。その温もりを、決して忘れぬように。
市河氏は信濃と越後の国境に程近い志久見郷を治める国人領主で、中野を治める高梨氏とは激しく対立する関係にあった。高梨氏が越後の長尾氏と縁戚関係を結んだことにより、市河氏は長尾氏と対立関係にある武田氏との関係構築に乗り出すこととしたわけであるが、それは武田氏にとっても渡りに船であったため、すぐさま縁組の話が持ち上がった。市河氏の当主である市河藤若の娘を、武田晴信の旗本衆の一人である須田三郎の元に嫁がせる方向で話は進んでいった。
併し、藤若の娘である琴姫は、父親譲りというべきか、男勝りであったためにすぐには首を縦には振らなかった。須田の三郎が嫁ぐに相応しい男であるかどうかを確かめたいと思っていたからである。そこで、琴姫は一計を案じることとした。
三郎は武田晴信の旗本衆であるが、今は高坂昌信に与力として付けられ、北信の海津城に詰めている。琴姫は、所用で海津城の近辺を立ち寄るということにして、その際に三郎と会う約束を取り付けた。どのような人と形りであるのかを確かめようと思ったわけであるが、琴姫の企みはこの次である。ただ漫然と会うだけでは、三郎は琴姫の前でだけ良い顔をする虞があった。そこで、気取られぬように三郎の後をつけて観察しようと考えた。琴姫自身は旅装に身を包んで三郎の後をつけて観察することとした。又、三郎は琴姫の顔を知らないため、琴姫の役は別の誰かにやらせればよいと考えており、その琴姫の役を誰にやらせるかという話になったが、お衣は丁度琴姫と同じ年頃で背格好も似たようなものであったので、あんたやりなさいよ、と琴姫から琴姫を押し付けられてしまったのである。お衣はあまり乗り気でなかったが、お姫様に言われてしまっては断るに断れない。しょうことなしに琴姫の言うがまま、琴姫の役を仰せつかることとなった。
お衣は寺の門前にある掛茶屋で、琴姫として三郎を待っていた。三郎は時間通りに来た。辺りは春の陽を浴びて明るく、茶屋の脇に立つ松木の落とす影も心なしか薄く見え、茶屋の前に並ぶ二つの影もまた同じように感じられた。三郎といくらか話をしてみるも、弁舌爽やかで実に誠実、この人物に裏表があるようには思われなかった。そして三郎は頃合を見て腰を上げると、
「次は僕の方からお伺い致します。その際には、改めて姫様にご挨拶させていただきます」
と残し、馬を駆って颯爽と去っていった。とうに変わり身であることを見抜いていたようで驚かされるものの、同時に、あのような人物こそ姫様に相応しいとも思った。
それから暫くして琴姫が帰ってくると、三郎の評を求められた。弁舌爽やかで、誠実で、頭も切れ、裏表のない好人物であるということを率直に答えるも、
「それが逆に気に食わない」
と、琴姫は何か納得していない様子。姫様に相応しい、という思いだけは胸の内に収め、その日のうちに志久見郷へと帰っていった。
三郎が再びお衣の前に現れたのは一月のことで、お衣が正月で志久見郷から生家に帰っている時のことであった。お衣の幼い弟が、
「さむらいがきた」
と言い、何のことかと思い表に出てみると、一人の若武者が馬を引いて立っていた。その若武者は三郎であった。馬も三郎も短い間隔で白い息を吐いており、すぐに屋敷の中に招きいれようとするも三郎はそれを固辞するので、お衣は自分が表に出ることにした。追って来る弟を追い返し、後ろ手で戸を閉める。外は雪景色であり、すぐに白い息が面前に現れては消えて行った。お衣は疑問に思う。何故三郎が来たのであろうか。
「姫様に正月の挨拶をしてきたところです。その帰りに立ち寄らせていただきました」
とのこと。
三郎は市河氏の正月の宴に参じ、その折に琴姫に挨拶をしてきたという話であったが、どうも琴姫の反応は芳しくなかったようで難渋しているということであった。そこで、琴姫の近従の者の意見を請いたいということで、どこで聞き知ったものかは定かでないが、近従であるお衣の生家を訪ねてきたというのである。お衣としては、とくに断る理由もなかったため、三郎に協力することとした。姫様は向こう気の強いお人で男勝りなところがある。そのような姫様を納得させるには、やはり強くなければならない。そうなると、
「戦で功を立ててくだされば」
という結論に至り、三郎も、なるほど、と合点し、礼を述べて帰っていった。
それから半年、戦らしい戦もないまま過ぎていったが、十月に入ると突然大きな戦が起こった。上杉政虎が大挙として信濃へ進軍し、武田氏と事を構えたのである。三郎は武田氏の高坂昌景に従って戦に参加するものと思われ、村からも何人かがその戦に参加するということであった。琴姫様とのこともあったので、お衣が三郎を心配するのは当然のことであったが、何故であろうか、お衣の頭の中に三郎のことはなかった。お衣の頭にあったのは高松のことであった。何がどういうわけなのか、高松は新蔵と共に戦に参加するというのである。それは意外なことであったし、同時に嫌なものを想像させるには十分であった。
お衣は、戦が終わるまで志久見郷にある神社に行き、
「高松はどうしたところで弱いから、戦になれば死んでしまう。神様、高松を生きて帰らしてください」
と、何度も願掛けをした。
お衣が手を叩く音が、神社の境内に木霊した。志久見郷の谷間を渡る風は北信平野に流れ込み、やがて八幡原に至ると辺り一帯に空気を運び、血の臭いを押し流していった。子供の頃に見た黄色い光と、土の匂いだけが、そこに満たされていった。