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理想論者と引き籠り  作者: 軌跡
9/19

ミノタウロス

 剛の連撃に、人の動きが交差する。

 ミノタウロスに魔術の砲撃は通用しない。やはり神話にある通り、刃物での攻撃でなければ通らない――のではなく、単純に躱されている。

 体格に似合わない俊敏さ。ついて行くだけで精一杯だ。


「くそ……っ」

 何度目かの無駄。好き放題は阻止しようと、大人しく魔術を行使する。

 が、そんな願いと敵の行動は裏腹だった。牛男は突き進む。人一人を吹き飛ばすような衝撃でも、力に訴えて寄せ付けない。

 せいぜい足の動きが鈍る程度。時間稼ぎも夢見ごとだ。

 挽肉にしようと、鉄塊にしか見えない斧が振り下ろされる。


「っ――!」

 腕に砲撃を叩き込めば、多少の妨害は成立した。その間に斬撃の圏内から離脱する。

 振り下ろされたのは直後のこと。衝撃に晒された石造りの床は、遭えなく爆砕四散するだけ。細切れになった礫が頬を掠める。

 ミノタウロスは追撃の手を諦めず、即座に斧を引き抜いた。雄叫びと共に、獣染みた殺意が襲ってくる。

 小さい影が斧の軌跡を変えたのは、直後だった。


「はっ!」

 金属音が軌道を逸らす。

 正面へ割り込んだスズリに疲労はない。真っ直ぐ伸びた背筋で、前衛役を見事に果たしている。

 直後の剣戟。介入お断りの速さで、双方の衝撃が飛散する。

 打ち合いを制したのはスズリだった。

 がら空きになった胴体へ、剣を振り抜いた勢いでの蹴りが炸裂する。強化された筋力は、確かに幻獣を吹き飛ばした。


「こちらです!」

 二人は反転し、脱兎の如く逃走する。

 姿勢を立て直し、即座に追ってくるミノタウロス。小さな一歩でも常人には大股だ。必死に開けた数メートルの乖離も、秒を刻む度に減っていく。

 迷宮の曲がり角を進んだ、直後のこと。

 小部屋の入口が二人には見えていた。木製の扉だが、攻撃をやり過ごすには十分。猛追する轟音に胆を冷やしながら、全速力で向かっていく。

 扉を突き破り、ようやく中の部屋に入った。

 入口の高さはよくて二メートル辺り。ミノタウロスは当然立ち往生。天井から細かな礫が落ちてくるのも、やや後の出来事だった。


「壊すつもりですか……」


「他に対策がないだろうからな。急いで向かい側の出口に抜けるぞ」

 ええ、と頷く少女を見て、思わず哲心は感心していた。

 彼女は呼吸一つ乱してすらいない。確実に自身の役割をこなし、生き延びることに貢献している。ミノタウロスに遭遇してこのかた、弱音の一つも漏らしていない。

 覚悟を決めたと、そういうことなのだろう。

 崩壊が約束された部屋を抜け、向かい側の通路を走る。

 迷宮には幾つかの小部屋が用意されていた。ミノタウロスの進行を止める役割だが、当然破壊は逃れられない。脱走者は次の休息地を探して一直線。


「隙を用意してくれたのは、やはり良心の呵責からですの!?」


「……」

 走りながらの会話に、スズリの余裕を感じ取る。

 哲心はもちろん答えたくないが、無視し通すのも失礼な気がした。


「違う。現実のクレタ島に迷宮型の遺跡があって、そこに小部屋が何個か設えてあったんだと。それの真似だろうさ」


「成程。あくまでルールの――」

 うち、と締まる筈が、後方の破砕音に呑まれていた。

 牛男は食糧に対する歓喜からか、再び雄叫びを練り上げる。走る勢いを上げる哲心達だったが、向こうにすれば雀の涙ほどの差異だろう。


「は、っ――」

 少しだけ息が上がる。命の危機に差し掛かっていようと、体力には限界があるのだ。

 二つ目の必死は思考の中。厳哲から聞かされた、テセウスのエピソードを思い返す。

 彼がミノタウロスと戦う羽目になったのは、生贄にされる人々を救うためだった。迷宮に入る前に出会ったのが、王女アリアドネ。彼女から赤い毛玉とナイフを託され、テセウスはみごと難事を成し遂げる。

 だったら、それに見合う再現とは何か。

 いざ考えを纏めようとするが、猛追する敵に意識が向く。


「先に行け!」


「え……」

 目を丸くしたスズリに構わず、哲心はミノタウロスへ突貫した。

 このままではいずれ追い付かれる。条件を満たしている可能性は限りなく低いが、衝突もまた避けられない。

 魔方陣の連結が意思の現れ。枚数は二枚ずつ。半数に減る砲門だが、威力と射程は数倍と見積もって有り余る。


「っ――!」

 踏み砕かれる足場。一対一を好機とばかりに、敵は逡巡すら挟まない。

 二門が迎撃の引き金を引く。――が、同じ結果が繰り返されるだけだ。

 怪物は変化もなく、馬鹿の一つ覚えのように袈裟切りを叩き込む。

 飛び退く哲心。うちの一門を敵の脇、外側に向けて滑らせる。

 完全に的外れな砲撃は、壁に触れて霧散した。

 中に、巨大な瓦礫を混ぜて。


「っ!?」

 ミノタウロスは異変を察知するが、手遅れだ。壁はゆっくりと内側に倒れてくる。

 動こうとした矢先には魔砲の洗礼を。脚力さえ妨害できれば今は事足りる。

 余った方では、もう一方も破壊した。

 左右からの挟撃。哲心は放射を続けながら退避する。

とっくに人外の体躯は影の下。防ごうにも、魔砲を堪えているために構えが取れない。

 しかし瓦礫が散らばる直前。どうにか動き出した巨躯は、ついに魔術を弾き飛ばした。

 それでも優位は変わらない。哲心は崩落の余波を逃れられる位置にいる。ここでミノタウロスが何をしようと、刹那の間に下敷きだ。

 故に、敵は飛ばしてくる。

 握った斧を、力の限りで投擲してきたのだ。

 一瞬で顔色を替える哲心だったが、こちらも時既に遅し。


「ぐ……っ!」

 斬撃が脇腹を深く抉る。

 一方で無事にミノタウロスは封殺された。五十メートルから直撃した瓦礫は、岩雪崩として迷宮を連打する。

 舞い上がる煙。山のように積み重なって、彼らは己の最後を誇っていた。

 無論、これで撃破したわけではあるまい。時間が経てば復帰するだろう。明確な対処を熟慮する時間は、それが最初で最後になる。


「――け、怪我をしているではありませんか!」

 戻ってきたスズリは、比喩も不要なほど顔色を青くしていた。

 だが哲心はそれ以上。魔力の消費も重なって、強烈な疲労感に襲われている。傷の方も冗談で済む範囲を超えていた。


「私の肩を借りてください。頼りないかもしれませんが、あるだけマシでしょう」


「済まん……」


「謝る必要などありません」

 埋まった嵐に背を向けて、二人は休息の場所に急ぐ。

 振り向いた先では、未だ生物の気配があった。




「まったく、こんな負傷をするなんて。先に行け、と格好つけた意味がありませんわ」


「被害者は俺なんだから、別に問題ないだろ。女の子の腹が裂かれるよりはな」


「――」

 呆然とした表情は、嘆息を告げて締め括った。

 怪我の方は一先ずの応急処置。制服を千切って包帯の代わりにしている。ミノタウロスが健在である以上、しっかりした治療は受けたかったが。

 休息はまさに嵐の前触れ。崩落現場から距離を取った小部屋だが、妙な静寂が逆に怖い。

 激痛を引き摺りつつ、哲心はどうにか腰を上げる。少女の向ける杞憂の目が辛い。大したことではないと、せめて弁明してやりたかった。

 しかし無論、肉体は現実を理解している。意地を張ったところで隠せるものではない。

 理性で支えられるのは、折れ掛かっている心だけだ。


「大丈夫ですの?」

 怪我人を気遣ってか、スズリも一緒に立ち上がる。

 否定も肯定もなく、荒い呼吸だけが症状を語っていた。


「……それよりも、先に考えるべきは敵のことだ。このままじゃ、打つ手なしで死ぬだけだぞ」


「倒すための――傷を与えるルールを満たしていないと、そういうことですわね。件の神話とやらに続きはないのですか?」


「他は……帰国途中にアリアドネと別れたり、船の帆を間違えて父親が死んだりする。が、迷宮と直接的な関わりはない。まあそのエピソードを組み込んでいる可能性はあるが」


「なら、何が欠けて……」

 喉を鳴らして思案する。焦ってしまうのは良くないだろうが、記憶は必死に解答を求めていた。


「結界の仕組みが変更された、という線は有り得ないでしょうか? 発動したのは厳哲氏ではなく、第三者の筈。その段階で手が加わっている可能性は?」


「低いな。以前に俺が見た結界と、内容そのものは変わらない。他人の魔術を変更するなんて、洗脳同然の話だしな。祖父の魔術相手には無理だろう」


「むむ」

 スズリは再び考察の顔付きへ。

 一方の哲心は、小部屋の外を眺めたまま微動だにしない。第三者が見れば力尽きているようにも映ったろう。それだけ余力が残されていない。

 外は静寂で、空気の流れさえ映りそうだ。

 胸の早鐘は速度を変えない。急かされているような気分になるが、実際にその通りだ。誤魔化したところでどうにもならない。


「……ものは試しだな。スズリ、ちょっとそこでじっとしててくれ」


「は、はあ?」

 考えは率直、シンプルイズザベスト。誤魔化しや妥協を介さない方が、真実を突いているかもしれない。

 果たして、結果は想像通りだった。

 スズリの身体が透けている。結界の在り方に沿い、退場への準備が始まった。


「ちょ、ちょっと! これはどういう――」


「動くな」

 指先一つで、彼女を魔方陣が包囲する。

 しかし得心がいった様子はない。刻一刻と存在感を無くしていく身体に、一抹の恐怖さえ感じているようだった。


「ミノタウロスに遭った時、生贄は怯えて何一つしなかったらしいからな。まあそこをストレートに汲んで、試してみたわけだよ」


「だ、だからって、どうするつもりですの!? 負傷した状態で勝てるとお思いですか!?」


「出来る出来ないじゃない。これは役割の問題だ」

 法則上、あの幻獣にトドメを刺せるのは哲心だけ。スズリが残っていたところで、盾か囮の役割しかない。

 そもそも、ミノタウロスを一体倒しただけで結界が解除される保証はない。発生源に干渉するのが一番確実だ。

 スズリが自由を得てしまうのは百も承知。が、ここにいたって彼女の目的には沿ってしまう。なら一か八か、善意の欠片に頼った方がいい。


「――なので、後は宜しく頼む。家の方にまで行って、結界の機能を止めるだけだ」


「と、止めるなんて、どうすれば……」


「行けば分かる。……領内の人間に手を出すようなら、地獄から這い

出てやるからな。ああいや、天国か地獄かは知らんけど」


「ちょ、ちょっと――」

 言葉はそこで途切れた。いや、まだ小言を吐いているようではあったが、結界から隔離されたため伝わってこない。

 それでも希薄な輪郭は、目で送るだけの価値があった。

 ふと、何かを吹き飛ばすような騒音が聞こえる。引き籠りを部屋から連れ出す、お節介な化物の音が。


「はあ……」

 軋む肉体と格闘しながら、哲心は深々と息を零した。

 別に痛みへ根を上げたわけではない。明らかな敵に甘さを捨てられない、自分自身へ呆れただけだ。

 祖父や要、妹や両親にも指摘されたことではある。何度も修正を試みているが、上手くいった試しは一度もない。数秒後に忘れていることだって度々だ。

 それでも、危害を加える側へ回りたくはなかった。

 因果応報であるならまだ分かる。

 文明の発展が生む闇、あまりに巨大な集団を作る意味。こうなって当然だ、と自身が納得できるモノには、どんな結末が訪れようと冷酷でいられる。外道と呼ばれても、当然の帰結だと納得する。

 しかし他の感情を取り扱うなら、哲心は善人寄りの人間だ。思考回路は最小単位で。この場に彼女と自分しかいないなら、お互いに出来ることをするまでと。

 ――本音を言うなら、女性を身代わり同然に扱いたくなかったかもしれない。

 自己矛盾とはまさにこれだ。小さい単位で考えろと言っておきながら、知り合って一日の少女を優先しようとしている。もっと長く、親しい付き合いのある領民を危険に晒して。


「もう少し、立ち位置は定めないとまずいんだがなあ……」

 相手がその場で悪意を示さないと、これ以上なくやり辛い。

 さっきだって、もっとベストな選択肢はあったのだ。離脱の条件が静止であれば尚のこと。砲撃の一発でも叩き込んで、無理矢理行動を奪えばいい。気絶すればなお良しだ。

 戦力も削ぎ落せて一石二鳥。ヒトクイの被害に、出来るだけの抵抗を施せる。


「――」

 もちろん過ぎた事だ。部屋を出ながら、悔む理屈もないと――肩の力を抜いていく。

 戦力自体の差は否定できない。向こうの身体能力だって、人間を遥かに上回っている。

 しかしやらねばならない。彼女が結界を解除するにしても、それまでの時間は生き残る必要がある。

 右も左も命懸け。だったら、手短に済む方へ賭けるだけだ。

 哲心の行き先は崩落させた壁の下。

 ようやく出てきた牛男の輪郭。喉は食欲を抑えきれずに唸り、眼光は赤く血走っている。まるで点火した爆発物だ。

 お互い様か、と自嘲の笑みが頬に来る。

 しかし余裕はそれだけのこと。全身を蹂躙する痛覚は、魔術の行使にさえ影響を与えかねない。精神の産物である以上、己を掻き乱す五感は最大の敵だからだ。

 とは言え、男は出した拳を引っ込める思考がない生き物。

 面倒だとか死にたくないとか、くだらない保身は理想でもって呑み込んだ。


「――第一から第四階層、展開。全層連結」

 言霊に沿って、普段通りに起動する魔術。中にはブレているものもあるが、華麗に目を背けて対処とする。

 重なった四つの陣は、長銃に似たシルエット。突き出した腕を覆うように成立した。

 ミノタウロスは、全身をバネのように。

 直後の猛進に備え、哲心は双眸へ力を込める。三度目の正直か、仏の顔も三度までか。

 どの道、


「倒す……!」

 魔力による砲撃を、手袋代わりに叩き付ける。

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