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理想論者と引き籠り  作者: 軌跡
8/19

迷宮

 人影が少なくなってきたところで、スズリと要は手を振り合った。

 しかし一方の表情は浮かばれない。極力表には出さなかったつもりだが、何度理由を尋ねられたことか。

 過ぎ去っていく友人の背には、何か不吉な予感がある。

 正体は分からない。哲心と戦うことの罪悪感が、そんな心象になったのだろうか。


「仕方ないこと、ですよね……」

 支部の会議場で聞かされた、クラフトからの指示を反芻する。

 今夜、森にヒトクイが出る可能性は高いらしい。そこで護衛を果たし、神谷家と領内に住む人々を襲わせる。名門派のお墨付きな、現状もっとも無難な策。

 予定に従い、スズリは彼にメールを送る。数分以内には、森で待機している同志達が行動を開始するだろう。

 今回は事実上、名門派と中立派の戦いだった。


「――多勢に無勢。褒められたものではありませんね」

 宛らスズリ達は、彼らにとっての死神。いや、強盗と呼んだ方が適切か。

 要の背が見えなくなった辺りで、正面にある森を見上げる。今回は車もなく、徒歩であの壁まで向かわなければならない。


「……ふう」

 もう一度、心に決意を投げ込んだ。

 足先だけでなく、肺に取り込む空気までもが重い。森全体がスズリを監視しているようで、ついキョロキョロと見回してしまう。

 代役を引き受ける――誰かに提案を受ければ、間違いなく役目を放り出しそうだ。

 しかし前に進む度、スズリは文字通り退路を断つ。決めたものは決めた。これ以上悩んだところで、被害の拡散を座視することになる。

 頑固になるのは得意だ。昔から、家の伝統や文化を守るよう躾けられた所為だろう。

 自分の正当性を推すように、都市の光から逃げるように。

スズリの足は早く、早く。

 現実と魔性を分ける境界には、いつの間にか辿り着いた。壁には大穴が一つ。上手く映らないテレビのように、壁全体も軋んでいた。


「――」

 仮想の一線を潜り抜け、一日のぶりに領内へ。

 早かったな、と声が聞こえたのは直後だった。


「先陣で来るとてっきり思ってたが、後発とは意外だった。クラフトに指示でもされたのか?」


「いいえ、ただの偶然ですわ。……領内では戦闘が?」


「ああ、反対側から一気に来た。壁に穴まで開けてくれてな。……俺も向こうの応援に行かなきゃならんから、手短に済ませたい。いいか?」


「……」

 心境の変化か、木漏れ日が見せる双眸は凍りついていた。

付近にはそんな主人を喜ぶ魔方陣。きっちり正面に四門だ。魔力が光となって集い、言葉通りの準備万端を窺わせる。

 スズリは霊刀を手に。

 額を流れる汗は、本当に緊張ゆえだろうか。


「一つ聞きたいのですけれど」

 時間はない。言葉を交わす無念もない。

 しかしスズリは怯えることなく、哲心を見つめていた。煩わしい、と押し返す視線が告げている。


「貴方は、町の方々を殺す気ですの?」

 それでも放った詰問。説得できるのではないか、と甘い考えが胸にある。

 だが当然。


「ああ」

 肯定は無慈悲に、頭蓋を撃ち抜く衝撃さえ伴っていた。


「ヒトクイは単に人口を調節しにやってきてるだけだ。領地の人間が殺される必要性はない」


「……代わりに死ね、と申し上げるのですか?」


「違うさ。必然的に、だ」

 抑揚こそ上がっているが、中は間違いなく冷えたまま。

 浮かべた失笑に、ゾッと本能が警告する。


「どんな方法で取り繕っても人間は死ぬ。そういう運命にある連中へ、これまた運命がやってきた。必然以外に、どんな表現があるってんだ?」


「良心が痛まないのですか? 自分達の代わりに、どんな日陰で人が苦しんでいると――」


「それはそっちも同じだろう?」


「――」

 スズリは言葉に詰まって、反論を視線へ乗せるしかない。無論、彼はビクともしなかったが。

 どちらが正義でどちらが悪か。そう単純に決められることではないが、自分の行動を疑えないのが人間という生物。彼に良心の呵責があったところで、すべては事態が済んだ後だ。

 無論、スズリ当人に関しても。

 霊刀に込める魔力を増やして、腕を水平に突き付ける。


「戦って決めるしかないと、貴方は思っているんですのね」


「違う。結論なんてのは、最初っから明らかだ」

 憐れむような目。僅か数メートル先にいる少年に、先程までの敵意は予感できない。

 スズリにはその動機が分からなかった。しかし、努めて冷静に睨み返す。

彼の表情に、不安が混じり始めた瞬間だった。


「……まさか、何も聞かされないのか?」


「何をです? はっきり申し上げてくださいな」


「なら、はっきり申し上げさせてもらう。――ヒトクイは、名門派の連中が呼び寄せた」

 何かの作戦か――裏を疑う程度に、スズリは身内への信頼で洗脳されきっていた。

 そうだ、きっと何かの間違いだろう。魔術師を統率し、人々を導いていくことを誇るファティナ家が、そんな愚行を犯す筈がない。

 だが、唇は動かなかった。


「……どうやら本気で初耳らしいな。疑うなら疑って結構だぞ? 後々自分を保てるかは知らんが」


「っ……」

 眉尻が上がる。戦いの火蓋は今にも切られそうで、油断ない空気に染まっていた。

 この際、彼の言葉が真実かどうかは後回しでいい。ヒトクイを放っておけば犠牲者が出る。もっとも少ない損害を選ぶため、スズリは哲心を排除しなければならないのだ。

 木々を揺らす微風が、二人を煽るように吹き続ける。

 身体の調子は万全だ。彼の魔術からして、接近すればこちらが有利。先手必勝で決着をつける。

 負け知らずの魔術師は、ぐっと四肢を溜め込んで――

 背後へ落ちてきた轟音に、集中力を攫われた。

 その正体は一枚の壁。杭のように突き刺さり、空撃ちを謝るべく傾いている。

 随分と狙いが甘い――挑発する勢いで、敵への罵倒が喉をついた。

 だが刹那。


「!?」

 バケツをひっくり返したように、天上から何十、何百という石壁が落ちてくる。

 まごうとない連打。耳を聾する轟音には、文句の一つも言うことが出来ない。

 しかし静止する様子はなく。狼狽する哲心も、とてもじゃないが状況を把握していなかった。


「これ、貴方がやったんじゃないんですの!?」


「違う! これは領内で使う防衛用だ! 誰が勝手に――!?」

 風圧を従えて、壁は哲心を吹き飛ばした。

 理解の顔は誰も作らない。大地がドラム宜しく叩かれるのを見るだけで、異常の中にある変化すら見逃していた。

 気付いた時には、視界が途切れる。




 一分だったのか、一秒だったのか。

 意識が断絶したような感覚はあった。しかし身体は五体満足。耳鳴りを起こしかねない悪因が消えて、逆に気分壮快と言っていい。

 もっとも、それは一瞬で打ち砕かれた。


「な――」

 二人は小高い丘の上。全体を俯瞰することが出来る位置にいる。

 あるのは、複雑に入り組んだ石の壁。迷宮だ。

 地平線の向こうまで壁は続いている。出口がどこにあるのかも分からない。背後も状況は同じで、肝心の出入口すら見当らない状況だった。

 誰かを閉じ込めるような開放空間。不可視のゴールに、自然と気が遠くなる。


「一体これは……」


「見ての通り迷宮だ。ラビリュンス、って言った方が良いかな」


「意味合いはどちらも同じではありませんの?」

 横にいる哲心は答えない。気分を害されたのか、単に必要性を感じていないのか。傾斜を悠然とした歩みで降りていく。

 その時だった。

 人間のような、牛のような、狂気さえ纏う雄叫びが反響する。

 スズリは肩を震わせるが、哲心は舌打ちをするだけに留まった。鳴き声の正体について、疑問はないといった体に見える。


「何なんですの、今の……?」


「ミノタウロスだな」

 あっさりと、神話上の存在が喉を通った。


「アリアドネの糸って知ってるか? ギリシャ神話に出てくる……まあちょっとした道具なんだが」


「いいえ。ミノタウロスがどういう生き物かは知っていますが、他は特に」

 そうか、と歩きながら答える哲心に嫌味はない。外で一色触発の雰囲気だった時とは大違いだ。こちらの方が、要から聞く幼馴染像に近い。


「ミノタウロスも含めて説明するが、この迷宮はそいつを閉じ込めるものだ。当然、脱出できないように難解な作りになってる。で、道標に使ったのがアリアドネの糸だ」


「特別な代物なんですの?」


「いや、普通の糸って話だぞ。知恵のエピソードってわけだな」

 話している間に、いよいよ迷宮へと足が入る。壁の高さは頭上しか見させない程。五十メートル近くはありそうだ。対して通路の幅も、それ以上のスペースが確保されている。


「……とにかくこの迷宮は、神話の産物である、と?」


「そうだ。俺の祖父が実験ついでに作った防衛用の結界になる。普通に謎説きをしたぐらいじゃ、脱出できない作りだからな? そもそも出口がないし」


「考えたくもありませんわ……」

 しかし、そう言う哲心は落ち着いている。慌てる必要がないと知っているような、薄気味悪いぐらいの冷静さだ。


「どうすれば脱出できますの?」

 スズリの率直な問いに、哲心は壁の向こうを指す。


「そりゃあ、ミノタウロスを倒すしかないだろ?」


「で、出来るんですの……?」


「協力すればどうにかなるんじゃないか? そもそも魔術師の結界には、法則が設定されてる。これがダイダロスの迷宮である以上、同じような方法で抜けられる筈だ」


「その糸を探して脱出する、というのは?」

 無言で彼は首を振る。肩に掛かる荷物の重さが、余計に増した気分だった。

 そもそも、と付け加えられて説明が続く。


「糸を使った脱出はミノタウロスを倒した後だ。手順が逆になっちゃうだろ?」


「あくまで誠実に、神話を再現しろと? ――ですがそれでは、時間が勿体ありませんわ」


「他に解決策があるか? 少なくとも、俺は他に知らんし」


「お任せください。この壁、普通に壊れますわよね?」


「ああ」

 頷きに微笑んで、スズリは哲心に下がるよう指示する。

 手に出した霊刀は強い光を放っていた。昨夜、ヒトクイを撃退した時とは雰囲気が違う。身体を巡る魔力も、一層上の活力を与えてくれた。

 頭上に剣を掲げ、完成するのは光の塔。

 魔力によって強化、巨大化した霊刀そのものだった。


「ふ――!」

 高速のブルドーザー宛らに、振り下ろした斬撃が突っ走る。

 直線上の壁はすべて消えていた。

 しかし最奥へ到達することはなく、何十枚と貫通した後に斬撃が霧散する。広がる波紋は、透明な臨界点の証拠だろう。

 スズリは安心感で胸を満たしていた。やはりこの迷宮、視覚通りの広さではないらしい。あの温和な老人が、そうも悪辣な仕掛けを施すものか。

 一撃が無効化された場所で作業を繰り返せば、結界に穴を穿つことくらいは出来る。相応の自信は経験に裏付けされていた。

 しかしそんな甘えは、迷宮へ迷い込んだ時と同様に砕け散る。

 壁が、即座の修復を始めていた。


「そんな……」

 ルール違反は許さない。スズリの努力を嘲笑うように、新しい蓋が地面から生えてくる。

 さすがに哲心も予想外だったのか、嘆息混じりに肩を竦めた。


「まあ、鉄壁ってことだな。これまで突破された経験もないらしいし」


「……とにかく、ルールに従えば脱出は出来るんですのね?」


「ああ。――俺が祖父から聞いた話だと、脱出の条件は二つ。まずはさっきの神話通り、生贄としてミノタウロスと遭遇、返り討ちにすること」


「もう一つは?」


「俺と君のどっちかが死ぬことだ。英雄に同行した生贄は、犠牲者を出すことなく脱出に成功してる。崩しさえすれば結界の維持は出来ない」


「……」

 言って、彼は無防備な背中を向ける。

 ただ迷宮の奥へ進もうとしているだけが、スズリは命の献上にも捉えていた。

 殺せば出られる。しかし、それは向こうも同じこと。

 哲心には露ほどの殺気もない。急いでいるのは彼の方だろうに、手段を選んで脱出しようとしている。

 その潔さには感服するばかりだ。切り掛かろうとしているスズリには、尚更の事実。


「やるのか?」

 肩の向こうから、危機感のない声色で告げた。

 澄んだ双眸に絶望感は映っていない。いつも通り感情自体が読み取れなかった。外野の騒ぎ声へ耳を傾けるように、悠然とした身構えである。

 反感さえ抱きたくなるような、生命を無下にしたその態度。

 自分の命はどうでもいい――自殺志願者でもなく、命令に従う道具でもなく。人の形を保ったまま、彼は達観した目でスズリを見つめていた。

 この男にとっては、自分自身さえ無関係なのか。

 降って沸いた苛立ちを処理できないまま、凶器を握った腕を降ろす。


「止めておきますわ。冷静に考えれば、結界を解除する理由もありませんし」


「成程、時間稼ぎってわけか」

 哲心はそれ以上何も告げず、迷宮の奥へ進んでいく。

 放っておけばいいものを、スズリは後ろ姿を追った。一人取り残されるのは不安でしかない。自分がミノタウロスに殺されれば、それこそ結界は解けてしまう。


「しかし――」

 疑問は気晴らし程度に。無言を続けるのは、逆に精神を圧迫しそうだった。


「貴方のお祖父さんは、優秀な魔術師なんですのね。これほどの結界を作るなんて」


「別にそうでもないさ。歳を重ねた魔術師ってのは、力の単位がぶっ飛んでる。価値観に揺らぎが生じないからな」


「揺らぎ……?」

 理解が及ばず、スズリは彼に説明を求めた。

 哲心は嫌がる素振りも見せない。知識を確認する学者に似て、平静な声を響かせる。


「魔術師の強さは精神の強さだ。外部からの影響を受け難い人間ほど、術の強度や規模、威力が上がってくる。だから老いた魔術師は強いんだ」


「自分の価値観に染まりきっている、ということですの?」


「そ、つまるところ習慣だな。何十年も同じ価値観、行動原理を重ねていくと、自問自答なんてそうそうしない。魔術師ってのはある意味、頑固者揃いだよ」


「ふむ……」

 だとするなら。

 ファティナ家という既得権力は、一体どれだけの頑固者なんだろう。


「……私はその辺りを学習していないため存じないのですが……魔術の内容も、本人の精神性に寄るのですか?」


「ああ。激情家だったら炎、残忍な性格だったら氷、みたいにな。基礎的な部分は教育以前の――まあ魂かな。それの形で決まる。専門用語を使うなら、イデア界が云々、って感じだろうな」


「古代ギリシャの哲学者、プラトンの論ですわね。……貴方や私の場合も、それを体現しているわけで?」


「そりゃあ勿論。……自分で言うのも何だが、俺は理想論者的なところがあるらしくてね。一点を突き抜ける、って意味で魔力を加工、魔砲をバカスカ撃つようになったんだろう。父親からは随分、そんな風に育てた覚えはなかった、って言われたが」


「仲が悪かったんですの?」


「いや? 言ったろ、教育以前の問題だって。魔術師の親からすれば軽い冗談だ」


「そ、そうでしたか……」

 思わず笑みが零れるのは、余計なお世話に含むだろうか。

 当の彼は半歩先を進みながら、前置きを作って話を再開。


「ちなみ祖父は昔、優柔不断な性格だったらしくてな。迷宮とか色々、迷うものに関連する魔術を使うことが多かったらしい」


「……こうして魔術に取り込まれた後では、傍迷惑な人格に思えますわ」


「祖父も喜ぶよ。ちなみに俺が結界について聞いてるのは、さっきで全部だ。観念してミノタウロスを探して――」

 瞬間の轟音。

 力尽くで破壊された壁の向こうに、斧を持った巨大な影が。頭部は牛のそれ。三メートルに達しかねない全長と、隙間ない筋肉で全身を覆っている。

 ヒトクイを長身痩躯と言い現したが、今の相手は文字通り、体格の良い大男。


「――まあ、逃げられればいいんじゃないか?」

 他人事かと思えるような、清々しさで言い放った。

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