魔術同盟
「珍しいじゃん、哲心にしては」
「何が?」
「スズリのこと。ちょっと気になってたんでしょ?」
前のめりで尋ねる幼馴染に、ややあってから哲心は頷く。
借りる本を纏めたらしい要は、次に反対の椅子へ座った。彼女が来るとなれば読書は中断。さすがに集中できたもんじゃない。
背筋を真っ直ぐに伸ばした哲心には、上目遣いの幼馴染が良く見える。
「スズリさ、責任感がかなり強くてねー。何でもかんでも引き受けようとするんだよ。子供の頃の哲心みたいにさ」
「恥かしい話を掘り出すなよ……」
思わず顔が熱くなる。尻の青かった時代なんて、当人からすれば黒歴史ものだ。今、その青さが消えたとも言い切れないし。
「――とこで、あいつはどこ行ったんだ?」
「なんか用事があるってさ。館内を探せば見つかるんじゃない?」
「……じゃあちょっと探してくる。要はここで待っててくれ」
「むー」
二冊目の本を閉じ、元あったコーナーへ戻しにいく。背中に突き刺さる眼差しは、嫉視と呼んで差し支えないものだった。
戻り際、想い人の目を見て一言。
「今日も弁当、美味しかったぞ」
「そ、それだけで誤魔化そうったって、そうはいかないよ?」
「分かった分かった」
鏡があるなら、良い具合に赤くなった顔でも見せてやりたい。
哲心は急ぐことなく、音を殺して一階へと降りていく。利用者が少なかろうと、読書の邪魔はなるべくならしたくない。
関係者以外立ち入り禁止、の張り紙は、狭まった廊下の奥。トイレもかくやの目立たなさで、周囲の視線は完全に断たれていた。
鍵はない。許可証となるのは、魔術師本人の肉体だけ。
ドアノブに触れて、軽く魔力を流し込む。
指先から半透明の波が広がったと思うと、重々しいロックの外れる音が。
最後に後方を確認して、哲心はその奥へと入っていく。
閉めた途端に照明は呼吸を始めた。近代文明の否定さえ込めて、蝋燭が手前から灯っていく。
奥に続くは、地下に伸びる螺旋状の階段。
素材はすべて石だ。古代の神殿を彷彿とさせるデザインで、部分的な老朽化も味を出している。まるでファンタジーゲームの世界だ。
奥まで反響する足音。下から上がってくる人影もなく、遺跡を冒険している気分になる。
最後の一段まで降りると、進行方向は二枚の壁で閉ざされていた。
門だ。表面には彫り込まれた巨大な絵。毒ニンジンを飲んで処刑されたソクラテス、それを嘆く弟子たちの構図である。
とても一人の腕力では開きそうになかった。が、哲心は踵も返さず座視し続ける。
その数秒後。魔術師の反応を感知し、門は軋みながら口を開いた。
光が、身体を飲む。
視界が晴れた頃には、もう人々の前だった。何十冊の本を抱える者、険しい顔で議論に耽る者。バラバラの理由で、最後の地を同じくする人々がそこにいる。
日本魔術同盟、徳理支部だ。
「さて……」
途切れない喧騒を前に、哲心は少女の姿を探す。ここは革新、名門派のどちらにも属さない拠点だ。彼女が来るにしても、別におかしい場所ではない。
辺りには無数の目。
中には哲心へ興味を向ける者もいる。同情心や物珍しさも一緒だった。
嫌悪感や苛立ちは特別ない。引き籠り気味な神谷家の一員として、周りのペースには飲まれないのが流儀である。それに何も、悪意だけが渦巻いているわけではない。
スズリの背中を探しながら、支部を奥へと進んでいく。
建物は宮殿風の作りだった。いたずらに広大で、左右に幾つもの廊下を持っている。最奥にあるのは下層への入口と、上層部が控える中央会議場だ。
人の流れは完全にスペースを持て余している。制作者に見栄があったのかどうか、機会があれば尋ねてみたい。
「おお?」
そんな中にあっても祖父の姿は、格別の存在感を訴えていた。
「どうした哲心。お主が支部に来るとは珍しい」
「人探しをしに来ただけだよ。残念ながら仕事の手伝いじゃない」
「何じゃそうなのか……。ところで、探しておるのはスズリ君か? 彼女ならさっき、会議場の方へ向かっておったぞ」
「会議場に……?」
上層部に何の用だろうか。ともあれ哲心は、厳哲の横を抜き去っていく。
最奥へ向かっている間、擦れ違うのは人影だけに留まらない。何処かへ飛行する分厚い本に、書類の群れ。実にファンタジーな情報のやり取りが、常識の一端を担っていた。
激突しよそうになるのを躱すこと数分。開きっぱなしの門を潜れば、目的地への入口が見えてくる。
普段は、屈強な門番がいる筈で――
「ありゃ」
留守だった。
誰も指摘する者はいない。横にある階段の利用者も、我関せずと言わんばかりに去っていく。
会議場までは数メートルの乖離があった。が、そこにもスズリの姿はない。もしや擦れ違ったのだろうか。
予想を立てながら、念のため入口へ近付く哲心。扉は不用心にも開きっ放しだ。
「……お」
ガラス張りの向こう、探していた人物を見定める。
円卓の中心にいる彼女は、上にいる誰かと話している様子だった。
「――」
開いたドアの隙間から、空気の振動が伝わってくる。
微かに、そして重要な部分の会話が聞こえた。
踵を返す。
もう一秒だって、支部に残っている理由はない。
地上に戻った頃、哲心の姿はどこにもなかった。
まさかと不吉な予感に急かされ、彼の行動を要に尋ねる。
「いや、特に何も言ってなかったよ? 急いでた風ではあったけど」
「そうですの……」
聞かれたか――安心のような、不安のような感情が湧いてくる。
しかし元々、スズリと彼はそういう関係だった。矛を収めたように見えたからと言って、安易な仲間意識を持たれても参ってしまう。
内通者の手引きで密会した相手は、あろうことかクラフトだった。
用件は一つ。ヒトクイの被害が拡散する前に、収拾を付けろとのこと。
昨夜に撃退したお陰で、連中はその代わりを求めている。用意しなければ無関係な人々が危ない。
要約すれば。殺される筈だった人間を、生贄にしろと指示された。
「はぁ……」
これで何度目の嘆息だろう。犠牲を使った解決など、スズリだって望んでいないのに。
相談できる相手もなし。クラフトへ拒否を告げるにしても、代案がない以上は無責任なだけだ。それだったら、提案通りに動いた方が良い。
「――スズリ、なんか辛いことでもあった?」
「……」
笑ってしまえるくらい、要は胸の内を突いてきた。
ここで頷いてもしかたないと、スズリは胸襟を閉じる。
「何でもありませんわ。それより、図書館にはいつまで?」
「ん、そろそろ帰った方がいいっしょ。あんまり寄り道してると、優等生さんには不都合だろうし」
「そ、そのようなこと――」
「あはは、冗談冗談」
「……」
何だか隙を晒した気分だった。葛藤の存在を告げた気もして、思わず彼女から目を逸らす。
要にそれ以上はなかった。本を借りる手続きだけ済ませ、ぱっぱと荷物を整える。
「ほら、帰ろ。あたしだって家の仕事とかあるからさ」
「でしたら、急ぎましょうか」
二つ返事を聞いて、少女達は街の中へ。
外に出てからは寄り道も何もない一直線。人通りの量はさっきとほぼ同じだ。今回はさすがに、迷子の姿も見当らないが。
通り過ぎる幾つのも顔は、行動の推進剤に足るもの。
今日中に実行しなければ、この場にいる誰かが死ぬ。その時、スズリは責任を取れるだろうか? 遺族に泣き付かれ、恨みを吐かれるようなことがあっても。
無理だ。あって当然の悲観を無下に出来るほど、自分は強くない。
神谷家の関係者には、非情な態度を取るしかなかった。
しかし殺人への加担など、本来スズリには望める筈もない。欲しいのは誰もが悲しまない世界。道半ばで、選択を誤るわけにはいかなかった。
ならどうすればいいのか。ヒトクイが世界のルールである以上、逆らったところで無駄になる。犠牲者を増やすだけだ。
手詰まり。
そんな弱音が、スズリの根底に巣食い始める。
「――」
止めろとスズリは己を糺す。彼らだって、街中の人々と変わりはない。求める理想は、差別なく人命を救えと命じる。
そう。一つたりとも零すことなく、幸せを救えるのなら。それに越したことはなかった。
視界に映るすべての人々が幸福を夢見ている。人生における救済を、未来に対する希望を大なり小なり懐いている。
徳理市の開発が進む様なんて、比喩としてはピッタリだ。
足りないのなら付け足すまで。文明を獲得して以降の開発につぐ開発、繰り返される拡張の波。
人類の進歩は不安を払拭するための自己研磨だ。食糧の充実にしろ病の治療にしろ、技術が進むことで可能になった部分は多い。そして今も、日進月歩で成長は続いている。
幸福を求める権利は万人に共通のもの。神の御心を持ってしても簒奪は許されない。
ならどうして、スズリにそれを行うことが出来ようか。魔術師も所詮は人間。個人の善悪は、他の大多数と変わりない。
「……」
しかし危険は現実に迫っている。葛藤が許される時間は、物事に対して余りにも短い。
「――スズリ、あれ」
信号を待っていると、隣りにいる要が右手を示した。
何台もの救急車。何事かと、大勢の人々が暇を潰しに歩いて行く。
悪寒を感じて、スズリは駆け足で野次馬の中へ。半ば強引に掻き分けつつ、人の壁を抜けていく。
被害の全容は救急車の数からも分かった。しかし血痕や、車が暴走したような痕跡はない。やってきた公職の関連を除けば、打倒な物は何もなかった。
人々の話し声も疑念を確かにする。突然倒れたらしい、と。
後ろではようやく要が追い付いてきた。何処となく冷静な顔は、哲心の影響すら匂わせる。
「……これ、今朝と同じやつかな」
「何かあったんですの?」
「いや、朝ランニングしてた時ね、意識不明の男性が救急車に運ばれたの。原因不明だって言ってたけど……」
「――」
不吉な予感は、どうしようもない真実。
恐らくヒトクイだろう。存在を隠蔽するためか、奴らは一般人に対し魂しか求めない。抜き取られれば意識不明という扱いにはなる。魔術師に関しては肉体ごと取り込む辺り、最低限の区別はしているのだろう。
スズリは急いで視線を巡らせる。
仕切られた現場の最奥、救急車の影。
隊員の頭上に背を伸ばす、白い化け物の姿があった。
「あ」
止めに行こうと手を伸ばしても、事は既に終わったあと。
被害者は不意にくず折れた。周りにいた関係者が驚愕に身を揺らし、観衆は更に燃え上がる。――これでもし肉体が消えていたら、輪廻どころか暗殺者の仕業だ。
幸い、ヒトクイの姿は魔術師にしか見えない。死神の存在にパニックを起こされることがなければ、覚悟を決めることも、逃げることも不可能だった。
「……」
過度なくらい真っ直ぐな結論。天秤はどうやっても、重い方向に傾くだけ。何も知らず犠牲になるだけの無関係な人々を、なぜ看過することが出来ようか。
震えきった心で、少女は小さく決断する。
自身の矛盾に、堅く目を瞑りながら。