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理想論者と引き籠り  作者: 軌跡
6/19

勘違い

 最後の授業が終わる直前になって、スズリへ持ち前の集中力が戻ってくる。

 無論、手遅れなのは百も承知だった。黒板の内容を写すペースが速くなったくらいで、一日の半分以上は頭から抜け落ちている。

 原因は言うまでもなく哲心、そしてヒトクイだ。

 誰かが必ず犠牲になる現状。みんなが納得できる結論は何なのか、授業中ずっと考えていた。

 しかし無情にも、正解が出ないまま放課後へ。先生から告げられる連絡事項は、自分には不要なものだと聞き流す。まるで哲心のようだ、と自覚する余裕はなかったが。

 ふと外を見ても、さすがに迎えの姿はない。昨日が限定的な状況だった証拠だ。


「お父様……」

 クラスメイト達が下校を始める中、スズリはある番号を呼び出そうとしている。

 しかし、決定ボタンを押す寸前で留まった。

 答えが何となく予測できるからだろう。放っておきなさいだの本部に任せなさいだの、彼は優先順位を明確に定めている。世から一切の不幸を取り除くなら、選んでなどいられないのに。


「スズリ、今日は行かない?」

 葛藤の気配すら知らない要が、両手を机に問うてくる。

 正直、そんな気分にはなれる筈もなかった。が、頭の中は疲労困憊らしい。唐突な食欲も一緒に込み上げてくる。

 少し、息抜きをした方が良いのだろうか。


「ええ、構いませんわ。新しくオープンした洋菓子店でしたわよね? なら、混まない内に急いで――」


「違う違う、そっちじゃなくて」

 意表を突かれ、スズリは小首を傾げていた。昨日の記憶が確かなら、その行き先で合っている筈だけれど。

 気付いた時には、要の手に一冊の本。分厚いハードカバーのソレは、今どきの高校生が読むようなイメージにない。


「――ああ、図書館でしたか」


「そ。忘れてたー?」


「お恥ずかしながら」

 素直に、自分の面目なさを詫びる。

 しかし図書館とは都合が良い。あそこには魔術同盟の支部もある。静かな空気は息抜きにピッタリだろうし、本を読むのだって嫌いじゃない。

 教室を出ると、隣りのクラスへ視線が向かった。が、哲心の姿はない。要と登下校を繰り返している彼だが、今日のように用事がある場合は別らしかった。

 市が運営する図書館は街中にある。学校を出て、そうそう時間の掛かる位置ではない。

 借りていた本の感想を聞きながら、二人の美少女は学校を後にする。先々で集まってくる視線には僅かな優越感もあった。


「――てっきり、上下巻で全部のエピソードが終わると思ったんだけどね。今日は続きも借りられれば良いんだけど」


「イリアス、でしたか。古書を読むなんて、貴方も変わった趣味ですわね」


「んー、真似ごとみたいなものだけどね、あたしは」

 誰の、は付け足さなくても分かってくる。

 それだけ要にとって、神谷哲心は大きい存在なのだろう。噂では、小学校の頃からずっと引き摺っているそうだ。

 スズリにとっては、昔馴染み、というだけで憧れの対象足り得る。子供の頃から大人達に付き合わされるのが殆どだったからだ。同年代の友人は、高校で知り合った要だけと言ってもいい。

 だから多分、普通の生活に対して憧れは強かった。

 無論、それ以上に重要なのが一家の責任だ。子供の頃は曖昧だったが、いまや使命感の認識は強い。名門として、下々を守らなければ――そういう自覚が、スズリの行動原理になっている。

 同じ観点から、町を出歩くのは好きな方だ。守るべき対象は魔術師なわけだが、彼らも徳理市で暮らす人間に違いはない。

 都会の中、交差する人々に想いを馳せる。

 ここを通っている一人一人に生活があり、エピソードがあるのだ。それを守るのが権力者の義務。視界に不幸が映るなら、勇ましく背負ってやらなければならない。


「……ちょっと失礼」


「へ? スズリ?」

 理由も告げず向かった先は、信号の手前にある店だった。

 そこに一人の少女がいる。まだ幼稚園に入ったばかりのような、小さい子供。

 不安げな面持ちが善意を促す。

 到着していざ会話を持ち出すスズリだったが、少女は視線すら合わせてくれない。逆に怯えきっており、今直ぐにでも逃げ出しそうな勢いだ。

 周囲を改めて見回すが、両親らしき人物は見当らない。背後に新設のデパートが立っているくらいで。放置しておいても、良いことはなさそうだ。

半ば強引に、スズリは少女の手を掴む。

 と、そこで彼女の反応が変わった。想像以上の力で握力から抜け出し、脱兎の如く人混みに向かっていく。

 そこには一組の男女の姿。少女は母親らしき人物にしがみ付き、何かを頻りに訴えている。母の方も、うんうんと肯定を繰り返していた。

 少女がスズリに一瞥を向ける。

 それを追随した母親は、こちらに一礼を送ってきた。が、謝意の意思も、焦りに追われていた様子もない。今のは単純な挨拶だろう。


「……」

 親子を見送る青色の瞳。渦巻き始めたのは、勘違いを責める自分。

 恐らく、子供は迷子でも何でもなかった。あの場所で両親を待っていただけらしい。余計なお世話、と受け取られても仕方なかった。


「何してるんだ?」

 そんな時。

 冷たい声が、鼓膜をゆすった。


「神谷哲心……」


「フルネームでわざわざ呼ばなくていいぞ。……あの親子、知り合いか?」


「いいえ。単に、私の勘違いをしただけです」


「勘違い?」

 そう切り返すのは、哲心の後ろに隠れていた要だった。

 沈鬱な空気はスズリ一人だけのもの。要は言葉を探しているようだったが、旦那の方は無関心を装っている。


「――要、俺は先に図書館へ行ってるぞ?」


「あ、うん。お目当ての本、見つけたら教えてね。この前みたいに哲心が擦れ違いで借りてましたー、は御免だよ?」


「ああ、ありゃ凄い偶然だったな。二次元だったらオープニングだぞ。――大声出して利用者から睨まれたことも含め」


「うぐっ。そ、それについては言わない約束じゃん! これから丁度現場に行くんだしさあ」


「はは、まあ気をつけてな」


「むー!」

 親愛に満ちた、幸せなやり取り。

 それがスズリの耳には、異国の言葉にさえ聞こえていた。




 図書館に訪れた以上、本を読まないのも失礼かと思う。

 生来の真面目な気質から棚に向かうスズリだったが、指先は依然迷ったまま。迷子へ声を掛けた時と同じようにはいかない。

 吐息を残して、要が使っているテーブルへと戻る。

 古代ギリシャの一作、オデュッセイアを開いている彼女は、惚れ惚れするような集中ぶりだ。邪魔するもんじゃないと、スズリは踵の向きを変える。


「――」

 目に映った窓際。陽光の特等席では、哲心が本を開いていた。

 無言でページを捲る様は、聖典を開く司祭のよう。堅苦しいまでの無表情が、一転して神聖な気質さえ帯びている。

 表題には、パイドロス。

 どんな内容かはさっぱりだ。しかしページを読み終える度、彼からは充足感が溢れている。本の内容がそのまま頭に入った、そういう得心の顔だった。


「……ん?」

 一旦背筋を伸ばした彼と、視線が合う。

 何となくスズリは哲心のところへ近付いた。邪魔をしたいわけではなく、単に興味をそそられて。


「何の本ですの?」

 可能な限り音量を抑え、身体を解す哲心に問う。


「古代ギリシャの哲学者、プラトンの本だ。家にもあるんだがな、つい読みたくて拝借した」


「つまり哲学書、ですが……」

 スズリには門外漢のジャンルだ。学校の授業で習うくらいである。


「? つまり、以前にも読んだことはあるんですの?」


「まあ何回かな。良い作品、ってのは何度読んだって飽きないもんだよ」

 無造作に、あくまで自然に、彼は手元へ視線を落とす。

 四苦八苦して内容を叩き込んでいるようには見えない。寧ろ速読している感じで、読む必要があるのかすら疑わしかった。


「……」

 スズリは図書館を殆ど利用しない。独特な空気感も、初体験で差し支えなかった。

 街中や学校と違って、スズリに向かう視線はない。利用者が少ないことも影響していそうだ。住人達は、みな本に夢中である。

 気付くのは、無視という態度への焦燥感。

 人から視線を逸らされることには慣れていない。生まれ持った地位と美貌、責任が常にスズリを中心へ置き、飛び込ませもした。

 図書館はまるで異世界。一瞥を向ける者があっても、全体の雰囲気に飲まれて消える。


「――何で、子供の面倒を見ようと思ったんだ?」

 自己に猜疑心を向け始めたところで、哲心は視線も合わせず喋り出した。


「迷子なんじゃないか、と心配になったからですわ。あんな街中に子供が一人で、しかも不安そうな顔をしていたら、誰だってそう思います」


「でも、他の人達は構おうとしなかったろ? 君も同じように、見て見ぬ振りをする選択はあったんじゃないか?」


「何を言うのです。困っている人がいれば、手を差し伸べるのは当然でしょうに」

 スズリの絶対原理であり、誰も拒むことがない正義。

 だが件の出来事については、その情熱が何を成したわけでもない。主な部分は自然が解決してくれた。寧ろ自分が目を瞑った方が、事は無個性に終わったろう。

 しかし、あんな幼子を一人にしておくとは、両親の常識を疑いたくなる。誘拐でもされたらどうするつもりだろう。徳理市は地方都市だが、物騒な事件だって起こるのだ。


「……随分と不機嫌そうだな」


「――」

 これまた視線を合わせない評価。興味の有無が分かり辛いったらありゃしない。


「正直、あのご夫婦に親としての自覚があるか疑問ですわ。子供を一人にするなんて……」


「それはいけないことなのか?」


「あ、当り前でしょう! 何かあったら誰が責任を――」


「負わせりゃいいだろ、当の両親に」

 常識を返したに過ぎない――そんな雰囲気のまま、彼は淡々とページを捲る。

 確かに一理あることだ。が、当の子供は被害者になってしまう。取り返しのつかない事態になった時、その子はどんな思いを懐くだろうか。


「……ですが大人の責任とは、子を守ってやることにある筈。そこから外れた行いをしていたのであれば、糾弾されても不思議ないのでは?」


「守るって言うのは、何からだ?」


「あらゆる危険から、ですわ」

 胸を張った断言。少なくとも自分の父親はそうだし、それで救われたことも何度かある。無論、従わない機会の方が多かったりするが。

 正面では、酷く気に障る反応が見えている。

 哲心が、笑っていたのだ。


「――何か?」


「いや、おかしな責任を言うもんだと思ってな。それで勘違いをしたばっかりだろうに」


「……」

 耳が痛い。

 しかし、彼の反論は少々的外れだ。スズリは指摘の通り味わったが、親が認識不足だったことの擁護にはならない。

 もっともあの場面では、自分が危険の対象に見えたろうけど。


「俺はあの両親が何を考えていたか知らん。ただ子供の方は、色々経験になったんじゃないか? 待ってれば親が戻ってくる、って確信も得れたろうし」


「絆が深くなったと? それは傍から見た意見では?」


「そりゃあ俺達は部外者だからな。まあ正しい親子関係が成立してるなら、極力口を出すべきじゃないと思うぞ? 余計なお世話、ってやつだ」


「……それでは、間違いを放置することになりますわ」

 彼の意見を矯正すべく、自然と熱意が籠っていく。

 いいじゃないか、と哲心は即答。


「間違いを犯すなら、親になるべきじゃなかったってことだ。最悪の事態だけは引き起こさせないよう、周囲が目を光らせておけばいい」


「つまり、そうなるまで放置しておけと? 無責任ではありませんか? 子供が可哀想ですわ」


「……酷だが、それも一つの経験だ。放置のボーダーラインは人によって違うだろうが、痛みによる経験が無駄になると俺は思わない」

 ともあれ、と続いた緒言に、更なる彼の持論が示唆される。


「もっと最小限の範囲で、物事を考えることだな。外ばっかり見つめたところで、自分の善悪は見つからないぞ?」


「――」

 それが、一連の言葉を締め括った。

 スズリはと言えば、不満の解消が済んでいない。まだ言いたい、聞きたいことが一つだけある。

 なので。


「非行を犯した親は、どうするべきだと?」

 最後にと、心に念を押して啖呵を切った。

 哲心は逡巡した後、本を閉じて腰を上げる。視線はスズリを正面から見据えていた。


「手遅れだと、俺は思う。相手が大人であれば尚更だ」


「……何度も言うようですが、無責任ですわ。互いに手を取り合うのが人間です。彼らの間違いを正すのも、正義が命じる役割では?」


「何十年の価値観を言葉一つで変えさせるのか? それこそ無責任だろ。……例えばだ。文明社会の人間と、自然社会に生きる人間がいたとしよう」


「ええ、それが?」


「文明人が自然人にこう言ったとする。自分達のところには車っていう利器があって、これなら移動が楽だって。んで、関連すること全部教えて、彼が故郷へ帰ったらどうなる? もちろん、車本体は与えないで、だぞ?」


「……教わったことがまず無駄になりますわね。車を作り出す技術がありませんから」


「ならそれが教授の意味だ。行動は車、経験は技術、って具合にな。過去の累積物は、同じ時間を掛けてじっくり修正するしかない。……あるいは、ぶち壊す程の衝撃を与えるか」

 嘆息と共に視線を逸らす彼。

 どこか遠く、もう届かない何かを、柔らかな瞳孔が見上げている。

 会話の脈が途切れたところで、スズリはテーブルを去っていた。要は一区切りついたようで、新しい本を漁っている最中。


「まだ読むおつもりですの?」


「あー、スズリが良ければ読みたいかなあ。いまいい調子だからさ、このまま一気に行きたいじゃん? ……まあ流しつつなんだけどね」


「焦らなくても構いませんわよ? ――私も一つ、用がありますので」

 同行した前提。図書館の地下にある空間を、いつまでも無視するわけにはいかない。

 小首を傾げる要に向かって、スズリは上品な会釈を残した。

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