協力
「な――」
問答無用の先制攻撃。
スズリは咄嗟に、最寄りの幹へ避難する。
空間を突き抜けた一撃は、衝撃を以て礫を散らした。
科学文明が一笑に伏すような現象。が、スズリに疑問や驚きはない。意識を切り替えて、じっと木々の向こうを見る。
蝋燭は回避の反動で消えた後。得られる情報は格段に減ったが、精神は冷静そのものだ。
瞳を閉じて、自身の世界へ埋没する。
瞬間、スズリの身体を青い光が包み込んだ。慣れ親しんだ魔術の発動により、余計な心情が整理される。
視界はクリアに。何がどこにあるのか、手に取るように理解が進む。それが自身の能力。本命を使いこなすための、肉体の強化だった。
奥に見えるのは歳の近い少年と、今に放たれようとしている二撃目。
決断は即座だった。
盾にしていた幹を捨て、一気に未開の道を駆け抜ける。
擦過する光の砲撃。魔砲とでも呼ばれる現象を、体一つで回避した。
「――っ!」
学校の体力測定で出せば、目を疑われるような速度。
身体への負担も度外視して、スズリは三度、閃光を捉える。今度は左右と中央に一つずつ。避けることを見込んでの、強引な範囲攻撃だった。
しかし回避の動作も、防ぐ構えも彼女は見せない。加工されたエネルギー――魔力の接近を、碧い瞳が真っ向から見据えている。
走る中、直撃よりも遥かに早いタイミングで払った手。
そこには片刃の剣が出現していた。淡い炎のような光は、見る者に神秘を、気高い畏怖を発している。
「ふ――!」
加速を大地へと打ち込み、捻る身体が力を作った。
一閃。
真っ二つに裂けた閃光は、周囲の木々を揺らせて終わる。
いい加減に腹が立ってきた。スズリが向かうことは、相手方に伝わっている筈ではなかったのか。
「あの男、やはり問題を――」
独り言とは随分余裕だ――そう諫言を浴びせんばかりに、二本の砲撃が襲ってくる。
さすがに直前の芸当を繰り返す余裕はない。再び木の幹を盾にして、響く轟音をやり過ごす。
静止は間髪入れず終わりを迎えた。
長髪を風に乗せ、スズリの疾走は止まらない。敵までは後少し。接近戦に持ち込めば、こちらの優位は確保できる。
迎えの魔術は猛追を拒むように。だが当たらないものは当たらない。予測は結果となり、視界を光が彩ってくれる
最後の一歩は、もはや滑空に近かった。
左右に浮かぶ魔方陣。その中央に向けて、スズリは刃を振り下ろす。
しかし、脳天に触れる手前で刃は止まった。
「……」
木偶人形がある。
頭はスズリより少し高い程度で、羽織っているのは学生服。まるで狐にでも化かされた気分だ。魔術的な反応があるわけでもなく、ただ茫然と突っ立っている。
即ち、敵は別の場所。気付けば左右の魔方陣は消えており、緊張の炎を再び灯す。
直後。
閃光が、スズリの視界を埋め尽くした。
数メートル先で巻き上がった土煙りに、少年は安心して息を吐く。
簡素な囮による誘導は、案外と上手くいった。さすがに仕留めてはいないだろうが、ある程度の傷は負わせただろう。勧告もこれで効果が出るというもの。
「……」
徐々に視界は晴れていく。暗闇に慣れた目は、常人よりも遥かに多くを移していた。
「――やっぱりか」
舌打ち混じりに吐き捨てる。
煙の中から現れたのは、五体満足なスズリ・ファティナだった。右手で握る剣には、こちらの打ち出した魔力の残骸。
恐らく弾かれるか、受け止めるかしたのだろう。真っ向から攻撃しておいて、撃ち抜けなかったのは矜持に触る。
――とは言え感想は感想に過ぎない。現実において成すべきことは、如何なる状況においても不変。彼女を退ける実力の有無とは関係ない。
それを成すべきだから、成すまでだ。
「帰ってくれ、って言えば聞いてくれるか?」
左右に魔方陣を展開しながら、淡々と少年は質問した。
剣を構え直す彼女は、眉間に皺を作って答えない。対応を思案しているのか、あるいは疑問を膨らませているのか。
まあ、どちらでもいいことだ。
「……貴方が神谷哲心?」
「さすがに名前ぐらいは知ってんのか」
こちらからは言わずもがな。加えて学校で有名な美人、嫌が応でも耳に入る。
魔方陣による砲撃の姿勢を維持したまま、哲心は言葉を続けた。
「悪いけど帰ってもらえるか? 我が家はそっちに協力するつもりなんてない。寧ろ敵視してるぐらいだぞ」
「……こちらから連絡が入っている筈ですわ。ご頭首なり、責任者を出して頂けませんこと?」
「無理な相談だな。そもそも、本来くる筈の男はどこ行った?」
「それは私ですが?」
「何だと……?」
正面の女から目を逸らさないまま、哲心は一歩二歩と後ろへ下がる。彼女が嘘をついているかは問題ではない。
自分達が、あの男にまんまと騙されたのが問題だった。
「……もう一度言うが、早急に帰ってくれ。そっちの相手をしている場合じゃない」
「私こそ貴方の相手をしている場合ではありません。出すべき人物を出して頂かなければ。……最悪、本部の方に対応を求めることになりますよ?」
「――」
それは勘弁して欲しい。魔術師の家系としては古い神谷家だが、組織の長でも独裁者でもないのだ。
不機嫌に感けて舌打ちしたくなるが、子供らしいので止めにする。
「――断る」
こんな返答も、聞き手によっては青臭いかもしれないが。
「な、何故です!? こちらを退けて、貴方がたにどんな利益があるのですか!?」
「まあ殆ど無いだろうな。けど、うちの支部は誰一人そっちを支持しちゃいない。そもそも、玄関を無理矢理こじ開ける奴が何を言うんだ?」
「む、無理矢理って、私たちはきちんと許可を取っている筈ですわ」
「……そんな話、いつ誰が真実だって保障したんだ?」
「え」
疑念や怒りではない、酷く困惑した面持ち。彼女の内心を頭上に示すなら、見事なクエスチョンマークが浮かんだだろう。
哲心は別段、嘘を吐いているわけではない。本当に今日、客人が来る予定はなかった。
強いて上げるなら、敵が独断で侵入を試みている、という情報だけ。
「……よくもまあ、やるもんだ」
嵌められたのは考えるまでもない。
だがその目的が分からなかった。クラフトにとって、スズリは主人の一人娘。何かあれば一大事。百害あって一利なしだ。
それとも彼女が来ることに、何か意味でもあったんだろうか?
「とにかく君は帰れ。どうも利用されてるらしいぞ」
「り、利用って何にですか? 彼は信頼できる人物です。数年間の付き合いから、私も自信を持って言えますわ」
「なら早急に気付け。それが――」
瞬間。
背筋を凍らせるように清らかな、ヒトの咆哮が反響した。
「な、何ですの……?」
「っ――」
「ちょ、ちょっと!」
彼女に構っている暇はない。主人の娘を囮に使うなんて異常だが、そういう非道な男なのは知っている。
今はただ。
「急げ……!」
未整備の獣道を、何の障害もないように疾走する。
後ろから追ってくる気配を気遣う余裕はない。いや、あったところで無視していただろう。部外者の優先順位など、自分にとっては最下位だ。
行動によって示される意図。スズリとの距離を広げながら、ようやく声の元に到着する。
いたのは、純白のローブで身を包む誰か。
身長は二メートル前後で、お世辞にも筋肉質な身体ではない。まさに長身痩躯。服を剥がせば骨しか見えないのでは、とさえ思えるほど痩せこけていた。
彼は哲心の存在に気付いていない。背中を向けたまま、異常に発達した腕を掲げている。
そこに一人の子供がいた。
絞めた五指は彼の矮躯を綺麗に覆っている。頭の天辺まで同様で、自由になっているのは足首ぐらいだった。
持ち上げられた腕は頭上へ。ゆっくり傾き始める首と、開かれた口が目的を語る。
「やめ――」
魔方陣を構えたが、遅い。
一飲みだった。
顎が外れたように大きく開いた口は、咀嚼もせずに人を飲む。悲鳴は聞こえなかった。
心の温度が冷めていく。
怒りも後悔も通り越して、哲心は一撃をぶち込んだ。
「何ですの……」
ようやく追い付いた先では、既に戦闘が始まっている。
対峙するのは神谷哲心と、白い人型の化け物だった。
後者は魔術による産物だろうが、スズリの記憶に当て嵌まる存在はいない。神代の幻獣にもいたかどうか。
禍々しく裂けた口は悪魔を思わせる。しかし、全身を覆う純白のローブがそれを否定した。底の見通せぬ白は、神々の善意にすら例えられる。
天使の類ではないか――資料でしか知らない存在に、スズリは畏怖の念すら懐いた。
戦うべき相手ではない。直感の命令に、足は震えるどころか冷静だ。目前の激闘に背を向けようと、潔く後退していく。
子供が喰われた瞬間はもちろん見た。が、だからと言って倒すべき対象には成り得ない。そこに神の意思が関わるなら、魔術師風情が干渉すべきではないからだ。
「……」
化け物は哲心へ狙いを定めると、腕を鞭のように叩きつける。
明らかに伸びていた。しかし哲心は慌てもせず、しっかり魔方陣を盾に防ぐ。
そこから直ぐに魔砲を放つが、化け物は腕を引き戻して対処した。
苦い表情の彼。敵はそんな心情にも関わりなく、大股で距離を詰めていく。一歩一歩の足音は大きく、死を押し付けがましく主張していた。
哲心は身構えたまま。回避の準備をするどころか、真っ向勝負を仕掛けようとしている。
無茶だ。
思わず声に出し掛けた瞬間、白い腕が哲心を捕えに掛かる。
しかし、掴んだのは土塊だけ。
最小限の動きで回避し、彼は化け物の懐へ。突き込んだ拳の先に魔方陣を展開する。
閃光は短く、吸収されずに突き抜けた。
その胸元にはポッカリと大きな穴が。化け物は一歩二歩とよろめいた後、仰向けに倒れて動かない。
痙攣すら残さず、糸が抜けた人形のように固まっている。
「まったく……」
怒気すら孕ませた言葉のあと、哲心は化け物へ近付いていった。
何ら戸惑いも無く、その腹部に手を突っ込む。
しばらくして出てきたのは喰われた筈の子供だった。意識はなく、だらりと四肢が伸び切っている。彼の表情から気が抜けていく辺り、生きてはいるのだろうか。
一方、足元の骸は崩壊を始めていた。水のように、無音で大地へと帰っていく。
それに寂寥感を思うのは、人としてどんな部類の反応だろうか。
「大丈夫……なんですの?」
自分の気持ちを整理できないまま、スズリは哲心へ問い掛ける。
「意識を失ってるだけだ。消化される前で良かったよ」
「……あれは、一体何なのです? 辞典にも乗っていな――」
言葉は途切れた。
哲心の向こう、再びさっきの化け物が現れている。今度は二体。復讐だとでも言わんばかりに、二人を力強く凝視していた。
「っ、逃げるぞ! 子供を庇いながら同時は無理だ!」
「し、しかし――」
「下手すりゃ死ぬぞ!」
子供を抱え、彼は一目散に森の中へ。化け物は棒立ちしたまま追って来ない。
哲心と敵と見比べた後、スズリは前者を追っていく。
心を見透かすような眼光が、追跡者の印象だった。
「あ、あれは一体何ですの!?」
「……」
無言で先行する背中には、苛立ちさえ募ってくる。
ただ、スズリのことを憂慮してはいるらしい。ときおり速度を緩めては、後ろの様子を確認してくれる。
まず目の前の安全を。疾走する背中は無言で語った。
スズリは哲心を追って森の奥へと進むだけ。必然的に、彼ら一族の領域へ近付いていることになる。
さっきの子供は領民の一人だろう。現代社会に追われる住処ではあるが、複数の世帯が住んでいるのは不思議でもない。
「――っ!?」
突然の轟音。吹き抜ける追い風に、有難みと不安が同居する。
「設置してた防御用の結界が発動しただけだ。こっちに危害はない」
「そ、そうでしたか……」
走る勢いを強くして、スズリは彼の横に並んだ。
平静な双眸はこちらを見ない。横目を使おうともせず、逃げることに集中している。
質問は後回しにしよう――思い始めたところで、目に入ったのは木造の一軒家だった。
「ここで待ってろ」
「え」
子供を抱えたまま、彼は家の中へと入った。
心中穏やかではないスズリにとって、一人で過ごす時間は不安しか呼ばない。秒刻みで背後の光景を確認してしまう。
何度正面を見直しても、彼が出てくる気配はない。
だが後方から、木々を掻き分ける何かが近付いてくる。
「来たか?」
いつの間にか戻っていた哲心は、落ち着きはらった様子のまま。
彼の向こうには逃げ去っていく家族の姿がある。さっきの少年は、父親らしき人物が抱えていた。
「……ええ、恐らく彼らかと。この場で迎撃しますか?」
「いや、このまま端に引き寄せる。他の領民も避難してるだろうし、遭遇したら一大事だ」
彼は望みの方角へ正面を定めた。無論、スズリに追う以外の選択肢はない。
しかし今度は、速度に加減があった。足を止めては後ろへ振り向き、悪戯程度の砲撃を放つ。
負傷を与えた望みは薄いだろう。それでも彼は定期的に、サインを出すような気軽さで撃っていく。
繰り返すこと数分。二人が辿り着いたのは、無人となっている廃墟だった。
元々集落があったのだろう。残骸はさっきの家と形を似せており、空間の関連性を匂わせる。容赦のない暴力の痕跡が痛々しい。
「一体何が……」
「昔、攻撃してきた馬鹿がいたんだ」
答えはそれだけ。
後方を見据える哲心は、地響きに似た足音を良しとする。
「共同戦線を張ってもらえるか? スズリ・ファティナ」
「……構いませんが、アレは一体何ですの? そちらについて説明を頂かないと、私も正確な判断が下せませんわ」
「捕食者だよ、単純に」
哲心は廃墟の奥へ踵を向ける。が、スズリは納得などしていなかった。彼の動きに同行しつつ、疑問の声を絶やさない。
「どのような捕食者で? まさか狼やライオンだとでも言うつもりですの?」
「もちろん違う。連中は輪廻の存在だ。魔術師と同類で、自然の概念や規則を行使するための生物になる」
「彼らは人を襲っているようですが、それに心当たりは?」
「単に餌の問題だろ。……まあ、詳しくはそっちの召使いに聞いてくれ」
「貴方、うちの者と知り合いですの?」
肯定は淡々と。
一方で彼は恐れも不安もなく、迎撃の位置を定めていく。
一息と共に哲心が呼び出したのは、魔方陣が四つ。魔術の中核を成していることは考えるまでもない。
「基本の射程は長くないから、あんま期待しないでくれ」
「倒せるんですの?」
「この距離じゃ、二体同時は無理だな」
「引き付けろ、ということですか……」
少し不安が沸き上がってきた。
しかし彼の瞳は、これっぽっちの絶望すら宿さなかった。対峙した経歴がないスズリは、何の力にもなれないというのに。
「連中――まあ、ヒトクイ、って名前なんだがな。さっきみたいに大きな損傷を与えれば、一先ず撤退はしてくれる」
「……撤退? あれは消滅ではありませんの?」
「違う、別の場所にいる本体へ戻っただけだ。……こっちに決定打を与える戦力がないと知れば、もっと強力な個体を送り込んでくる。あれは小手調べでしかないんだよ」
「そんな……」
一体だけでも手間取ったのに、それ以上を相手にするなんて無謀だ。
哲心は前置きを作って、説明を続ける。
「撤退だけでもさせないと、被害は多くなる一方だ。……その、さっきのことは謝る。済まなかった」
「お気になさらず。うちの者に不手際があったようですし、お互い様ですわ」
「……そうは言っても危害は危害だ。謝るよ」
「そんな、もう大丈夫ですから」
感心しつつ自身の魔術――青い霊刀を生成する。
他に使用できるのは身体能力の強化だけ。こちらは副次的な魔術だし、わざわざ説明する必要はあるまい。
「後方支援はしっかりやる。近接戦闘をやるんだったら、君の方が適任だろうしな」
「女性に前衛を任せるとは、常識はずれな殿方ですわね」
「最近の女性は逞しいと聞いたんで。無理だったら俺が引き受けるが?」
「いえ、私の魔術は射撃系ではありませんので。……ところであの、一応魔術の詳細は教えて頂けますか?」
外の様子を窺いながら、お安い御用だ、と彼は相槌を打った。
「概要から言うと、魔方陣から魔砲を打つだけの性能になる。射程は短めで、解決策としては陣を連結させることかな。一度に出せる陣の枚数は四。ああ、盾にも使えるから、万が一の時は使ってくれ」
「……意外と躊躇いなく答えてくれましたわね」
「? 黙ったところでどうするんだ」
確かにどうしようもないが、ここまで素直だと虚を突かれてしまう。敵対する可能性もあるのだし、手の内は極力隠蔽したいのが魔術師だ。
彼の愚直とこちらの非情。――正否については、どちらも五分五分であって欲しい。
「危機意識が足りない、とでも言いたそうだな」
「……自覚はしているのですか」
「そりゃあな。不誠実な真似をするよりはマシだが」
「呆れてしまいますわね」
深呼吸の後、スズリはゆっくりと腰を上げた。
安全な作戦ではないだろう。が、彼が言うように犠牲者が出るかもしれない。それだけは嫌だ。自分の保身が原因で、救われる存在が消えるなど。
胸の暗闇は順調に晴れていく。哲心へも、二つ返事を送ることは堅かった。
「――責任を持って、ヒトクイとやらを成敗させて頂きます。大船に乗ったつもりでいて下さいな」
「宜しく頼む」
「ええ、お任せください」
一息。
「私の剣に、切れぬものなどありません」