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理想論者と引き籠り  作者: 軌跡
18/19

回帰

「……は?」

 他に出そうな反応もなく、哲心は辺りを見回す。

 右も左も、前も後ろもない真っ白な空間。現実のものとは思えなかった。

 記憶が回想するのは最後の光景。人狼に頭部を噛み砕かれ、終わった筈の人生。もう少し行けると思っていたが、自分の実力に箔を付けていたらしい。

 となると、この場所は冥府の類だろうか。


「あら、神谷さん?」

 最近では滅多に聞かない呼び方が、逆に個人を特定させた。

 少し離れたところに、スズリが一人お茶を嗜んでいる。テーブルの上にはクッキーらしき洋菓子も。

 他に行き場もなくて、哲心は彼女の方へと歩いていく。

 辺りは静かだが、さりとて怖くもなかった。何となく温かい雰囲気がある。


「ここ、いいか?」

 空いた椅子を指差せば、どうぞと彼女は認めてくれた。

 しかし、そこから先に具体的な目的があるわけではない。益体のない雑談も、尋ねたい疑問も浮かばなかった。


「……どうして、ここへ来てしまったのです?」

 沈黙を見兼ねたスズリは、紅茶の用意をしながら問うてくる。


「負けたんだよ、お宅の飼い犬に。猛犬注意、の看板だけじゃ足りないレベルの凶暴性だな、ありゃ」


「犬ではなく狼では? まあどちらもイヌ科ですけど」


「違いない」

 差し出された紅茶にそっと口を付ける。基本は日本茶やコーヒーの哲心だが、何故か感覚は美味を告げた。


「――ここ、どこなんだ? あの世、なんてベターな答えでもいいから、教えてくれると有り難い」


「あの世ですわ」


「本当にそのまま返すのか……」

 しかし、それが一番府に落ちた。

 椅子に寄り掛かりながら、哲心は静かに息を吐く。覚悟した上での戦いだったが、改めて負けを聞くと悔しいものだ。

 しばらくゆっくり出来るんだろうか――菓子へ手を伸ばすと、スズリがその手を押し退ける。


「貴方は向こうに戻りませんと。少しの休憩であれば、ご自由にどうぞ」


「……俺、生きてんのか?」


「恐らく。ここは私の心象世界も同然ですから、入ってきた者がどんな状態か、何となく分かりますわ。門の近くで意識を失ったから、精神が流れ込んで来たのでしょう」


「よく分からんな……」

 第一、戻ったとしてもどうするのか。諦め以上に、素朴な疑問ではあった。

 惨敗を喫するためなのは気が引ける。余りにも惨めだし、さっきの段階で結論は出た。甘んじて受け入れるのも、誠実な態度ではあると思う。

 だが哲心以上に、スズリは不満顔だった。


「私に言ったこと、覚えてますの?」


「……珍しく説教したから、どれのことだかサッパリだぞ」


「そうですね、まずは図書館の方。物事は最小の単位で考えた方がいいと、貴方は仰っていました。――なら、自分の身体に対する責任は、きちんと取ってくださいな」


「――」

 そういえば、そんなことも言ったっけ。

 豆鉄砲を食らったように哲心は動かない。彼女の言は確かに己の持論だ。視点を高くし過ぎると細部に目が行かないから、自戒の意味も込めて見出した。

 しかしついさっきまで、哲心は意図的に死地へ赴いている。

 仕方なかった――そういう言い訳も結構だろう。が、感情論の域に過ぎない。負け、あるいは死が濃厚になった時点で、思考自体を諦めていた。

 指標を掲示しておいて、面目ないことこの上ない。自分のことを棚に上げてから言うなんて、説得力皆無の行動だ。


「上手い具合に覚えてるもんだ。そんなに印象的だったか?」


「ええ、印象的でしたわ。私とは真逆の考え方でしたし……自分の隣人を幸せに出来ない人が、信頼される筈ありませんものね。例えば夫婦、恋人とか」


「……穴掘って隠れてもいいか?」


「素手で掘るつもりですの?」

 勘弁してくれ、と地面を見回してから哲心は苦笑する。

 責任を負っているつもりで、その実体は逃避だった。要の頼みだとしても、それを叶えるかどうかは別の話。でないと、彼女を犯罪者に祭り上げてしまう。

 みんなの犠牲になる。そんなことで良い格好するなんて、本当に馬鹿馬鹿しい。

 正しいことなら、他人にも薦められる行動でなければならない。勝てるかどうかも分からない戦いに突っ込むなんて、要や厳哲にはさせられない。

 なら、あの決断は紛れもない悪だった。


「――でも皮肉だな。俺があの場から逃げたら、みんな大変なことになっちゃうんだから」


「何か方法はありませんの?」


「勝ちを捨てればいいんじゃないか?」

 あっさりと。別の方向制で、諦めを口にする。


「敵わないのは承知した。こんな場所にも来ちまったし、素直に負けを認める。んで、泥まみれになって皆のところへ帰るよ」

 正しく在りたい。その考えは変わっていない。

 たっだら、汚れたって構うものか。心はきっと黄金のまま。立ち直ることが出来るなら、光が外に溢れる日も来るだろう。


「……要はどうするつもりですの?」


「なんだ、現状は知ってるのか?」


「ここは無意識の情報が流れる場所、大体は分かります。――諦めるのですか?」


「分からん」

 歯切れよく、彼女の質問に対応する。


「ギリギリまで粘るつもりではある。クラフトやヒトクイを倒さなくても、助ける方法はあるかもしれん。……それでも駄目だったら、受け入れるさ。毎日楽しかったし」


「でしたら普通、余計別れたくないのでは?」


「……否定はしない。でも、人の別れなんていつも唐突だ。未練を残すんだったら、幼馴染はとっくに卒業してる」

 要も哲心も、これまで有り余る幸せを受け取ってきた。後悔なんてあるわけがない。

 未来に託すことも、過去に縋ることもなく。精一杯に今を愛した。


「ま、いざ別離が来れば、それはそれで悲しいんだろうけどな。でも記憶から消えるわけじゃない。例え薄れたって、あの日々は確実に俺を作った。俺が生きてる間は、彼女の存在が証明できるさ」


「……なら私は、それを見送る側ですのね」


「やっぱ死んでるのか? スズリって」

 さあ、と彼女は曖昧に肩を竦めた。


「ここはまあ、冥府との境目のようですから。私が生きているのか、死んでいるのかも分かりません。イデア界に片足を突っ込んだ、というところですわね」


「――成程。それで一応、俺は戻れるんだな」


「ええ。私が責任を持って送り返しますわ。貴方に死なれたら、きっと成仏できませんもの」


「……俺も、スズリの顔が夢に出てきそうだ」


「御冗談を。浮気すると、要が悲しみますわよ?」


「だなあ」

 彼女の姿が薄くなる。いや、哲心がこの領域から退場し始めているのだ。

 その前に確認したいことが、一つある。


「そういや俺、お前の見送りとかしてなかったな。せっかくの客人なのに」


「状況が状況でしたから、仕方ありませんわ。私は気にしていませんし」


「いやいや。ちゃんと見送るのが、迎えた側の最低限だろ?」

 お陰で、


「やること、一つ増えた」




 最初に見たのは、男の驚愕する面貌だった。

 感覚を確かに、哲心は周囲を確認する。

 敗北を喫してから然して時間は経過していないらしい。門の様子も大差なしだ。クラフトの位置が変わっている程度で、他は寸分の狂いもなく同じだった。


「……何故生きている?」

 交差する視線が人であることに、妙な珍しさすら感じてしまう。


「確かに頭部を噛み砕いた筈だ……血の感触もあった。即死だぞ!? 大体――」

 半ば混乱しつつ、クラフトが広間の一角を指差す。

 あるのは血の池。遺体が無いのは彼が喰ったか、あるいは。


「俺は幽霊なのかもしれないな。呪われる前に、さっさと喰い殺したらどうなんだ?」


「く……」

 哲心は魔方陣を展開する。

 その数、三倍の十二門。

 クラフトは怯まない。即座に人狼へ身体を切り替え、必殺の一歩で広間を揺らす。

 更に一回り大きな衝撃。加速を繋いだ二歩目は、床を陥没させる威力さえ誇った。文字通りの神速であり、建築物すら轢殺して余りある。

 それを。


「全層追尾」

 意思という無線で、魔法陣が人狼を包囲する。

 後は、ごく自然の出来事だった。

 全方位から照射される砲撃。人狼の輪郭は跡形もない。叫びを上げる隙さえなく、力の奔流に砕かれる。

 クラフトは人の姿に戻っていた。哲心の一撃で、魔術そのものが破壊された証拠である。本体は負傷していないが、再発動まで一定の時間を要するだろう。

 魔力の負荷に息を荒げて、彼は歯を食いしばる。


「下らん小細工をっ!」

 取り込んだであろう、別の魔術が駆動した。

 哲心の四方を囲う壁。迷宮の壁にも似たそれは、周囲の出来事を完全にシャットアウトする。

 分かるのは一つ、莫大な魔砲が迫っていることだけで。

 木っ端微塵に砕かれる正面。脅威の数は目算するだけ馬鹿らしい。そして逃げ場のない哲心にとっては、苦みを噛み殺したくなる光景だ。

 ならばすべて捩じ伏せる。

 二枚分の連結。一気に拡大する射程が、鉄砲水のように小石を飲む。

 魔砲はクラフトに到達する手前で四散した。彼が何かしらの魔術を使ったのか、射程の限界に達したかは定かでも――いや、どうでもいい。

 既に人狼が、粒子の中へ突っ込んでいるからだ。

 三メートル近くの体躯から放たれる一撃は、壁ごと肉を擦り潰す。


「っ!?」

 しかし容易く、裏拳の一発で逸らされた。

 拍子抜けの手応えに人狼は動かない。が、中身の方は、さぞ好ましい表情をしていることだろう。

 殻の胸元。何枚もの鉄板で固めたような筋肉へ、一枚の魔方陣が口付けする。

 快音と共に、短い衝撃がぶち込まれた。

 瞬間に人狼は霧散。膝を付いたクラフトだったが、それでも哲心は逃がさない。

 ここぞとばかりに十二枚、すべて用いた連結砲が完成する。照準は逸らしようがない、逸らす方が難しい。

 決着だ。


「っ……!」

 クラフトは咄嗟に防御用の魔術を起動する。哲心が当初と同じ出来であれば、一撃を凌ぐことも容易だったろう。

 しかし、今の魔砲は聞き分けが悪い。

 壁の存在など些細なこと。後ろにいた男ごと、魔力による物質を粉砕する。

 それでも視線は力強く。

 この程度か――そう言わんばかりに、宙に浮かんだまま人狼を纏う。打ち消される衝撃の余韻。床へ打ち込まれた四肢が、防御の姿勢を成立させた。

 続く照射と、耐える不埒者。数秒の拮抗を得て、途切れたのは両者だった。

 クラフトの疲労感は更に濃い。術の行使を同情したくなるくらい、彼は魔力を使い込んでいる様子だった。


「貴様、身体を何処へやった!?」

 怜悧な面持ちも何処へやら、彼は同然の疑問を口にした。肉体が限界を迎えていたなら、出来る筈のない芸当だと。


「アンタが壊しただろうが! おまけに消滅現象だってこっちはあったんだぞ!」


「ならどうやって戻ってきた!? 肉体が消滅すれば、魂は輪廻に――」


「お姫様に追い返されてな! 半実体ってところだ……!」

 光の鉄槌が、横一直線に駆け抜ける。

 応戦するクラフトだったが、力量の差は変わらない。業火は炎を飲み込み、苛烈さを増して襲い掛かる。無駄を承知で抵抗する意味は、薪をくべるのと同意義だ。

 今の哲心はクラフトと魂の質が違う。魔術が精神の産物である以上、重ねた時間以上に致命的な差異でしかない。

 しかし、どれだけ劣勢になろうと結局は人狼。

 手負いの獣は着弾までの一瞬、迷わず神速を踏み出した。

 紙一重で躱される最大火力。漆黒の暴走特急は、得意の格闘戦で決着を求めている。

 哲心は逃げず、応じることを選択した。

 身体はイデア界からのお零れで出来ている。流れ込む情報量もこれまでの比ではない。さっき人狼の一撃を逸らしたように、立ち向かう力は備わっている。


「――」

 高速で回る動体視力。一挙一動を焼き付け、巨大な的に打ち込もうと――

 変化は瞬く間に行われた。

 動きが交差する中、人狼の姿が人に戻る。最小限の動きで回避するクラフト。手に握った短刀が、彼の新しい得物だった。

 突き刺す。

 裂傷に喘ぐ間もなく、返しの魔砲が宙を走った。

しかし原因は再び変態し、土壇場の一撃をあえなく躱す。

 哲心から血は滴らない。この身は既に肉を捨てている情報体だ。実体を帯びた亡霊と言っても良く、イデアから自分だけを引っ張り出して維持している。

 傷の修復は、同じく情報を持って行われた。


「く、っ」

 それが自身の存在を消しに掛かる。小僧一人の魂など、世界の前では塵芥も同然だ。

 予想が核心へと到達し、戻ったクラフトはこれ以上なく破顔した。


「諸刃の剣ということか! これは好都合な弱点だ……!」

 顕現する死。人狼は単なる移動手段と化して、クラフトの必殺を達成させる。

 乱れる意識の中、本能は連結砲を組み立てた。

砲音を響かせるも結果は同じ。体格の急激な変化、予測能力を実現する身体機能で、構えた刃物を突き刺しに来た。


「だったら――」

 言葉だけが先走る。

 いい加減、


「負けろおおおぉぉぉ!!」

 一喝と共に、神谷哲心が覚醒する。

 刺突は今更止められない。魔術を切り捨てた肉弾戦に、過去の感覚が浮上する。

 擦過する刃と擦れ違いで、魔方陣ごと打ち込まれる拳。打撃以上の衝撃がクラフトを貫き、五体をその場から退ける。

 憤怒を込めた視線が、彼の見せる最後。

 人の咆哮と魔術の咆哮。

 少年の意地が、過去の因縁を粉砕した。

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