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理想論者と引き籠り  作者: 軌跡
16/19

負い目

 噎せ返るような匂いが、哲心の嗅覚を掻きまわす。

 おかしなことに不快感はなかった。逆に安心感さえ懐きかねない、甘い匂い。通学路を進む度にそれは濃く、かつ出所を明確にしていく。

 しかし登校中の生徒は自分達の雑談、他さまざまな要素に夢中だ。声には匂いのにの字さえ含んでいない。無視しているのではなく、本当にそれを感じていないのだ。


「っ――」

 不思議な安堵はいつしか悪寒へ。眉間に皺を寄せて、朝の波を突き進む。

 校舎の姿はまだ見えない。高い現代社会の背丈だが、こういう時は位置を下げて欲しくなる。


「な……」

 ようやく見えたその光景。

 あまりにも異質で、背中に氷柱を突っ込まれた気分だった。

 一目では数え切れないヒトクイの群れ。餌へありつけたことに喜んでいるのか、校舎を覆い尽すように張り付いている。

 生徒達はそんな非日常にも無関心だった。今も何食わぬ顔で、同級生と共に校門を潜る影が複数。

 直後に起きた変化は、蒸発と呼ぶしかない。

 衣類さえ残さず、生徒はその場から消え去っていた。白い光となって、纏わりつくヒトクイの元に向かっていく。

 餌の提供は次々と。魔術に関わっている哲心だけが、事態をありのまま眺めている。

 どうも学校の敷地内は敵の領域らしい。目を凝らせば、ドーム状の結界も見えてくる。

 魔術に耐性のない人間の生気を吸っていると、経験は判断した。となれば魔術師に効果はない。室内の方も少しは弱まる筈だし、ちょっとは時間に余裕がありそうだ。


「……」

 ヒトクイは単独で撃破できる数量ではない。二日前に比べて、個体の体格も巨大化している。領地が襲撃された時と同等か、それ以上だ。

駄目元で支部に連絡を取るしかない。もちろん自分でも攻略に入るが。

 しかし、番号を引き出そうとした刹那。

 一匹と、人の双眸が交差する。


「イイィィィ――!」

 甲高い叫び声と共に、白装束の巨体が突撃した。

 反応の連鎖は無い。他は校舎内の餌に夢中で、一瞥すら向けようとしなかった。

 現在地は校門前。辛うじて結界の外だが、連中に移動制限はない。立ち止っていたところで、胃袋に放り込まれるのが精々だ。

 操作の停止と同時に、魔方陣が哲心の正面に並ぶ。

 調子は万全だ。魔力が回復し切っていない風はあるが、戦闘する上では問題ない。

 気に掛けるとすれば、自分自身の時間制限。

 だが同様に、こんなところで倒れるわけにもいかなかった。


「っ!」

 ヒトクイが腕を掲げた瞬間、二つに結合した砲門が火を吹く。

 至近での一撃は会心の手応え。前後不覚に陥ったヒトクイは、哲心から外れた双眸を戻せない。

 全層での連結まで、手順は速やかに行われた。

 直後の止め。捕食した魂は外へ、細かな筋となって消えていく。

 魔砲は明らかに好調で、これまで以上の出来栄えだった。魂の質が上がっているお陰だろうが、現世への未練から喜ぶに喜べない。


「よし――」

 敵の消滅には刹那の安堵を。

校舎にいる何体かが、こちらに標的を移してもいた。

 速やかに祖父の携帯へ連絡を入れる。攻略に挑むことが当然でも、自分の実力が分からないわけじゃない。哲心一人で収められる範囲を、正面の異常は超えている。

 会話はこれもまた端的だった。内容は応援の要請と、出来る限りの誠実な返答。

 厳哲へ全面的に頼ることは不可能だ。彼らが自分達の身で手一杯な以上、哲心は主力として動かざるを得ない。

 向かってくる数は五。いずれも前回に比べれば、一回り以上に巨大だった。


「ぬ……」

 脈略のない目眩。原因と言えば一つだけで、力の行使を戸惑わせる。

 しかし、迫る敵の前には些細な障害だった。

 カウンター宜しく炸裂する魔砲。

連結まで用いた威力に、しかし敵は怯まない。片腕が吹き飛ぼうと、無視して食料へと雪崩れ込む。


「くそっ!」

 足を引き摺る身体さえ、度外視することが出来たなら。

 血が沸いている。身体なんて不純物は捨てて、もっと楽な概念を手に入れろと叫んでいる。

 気を抜いたら、その瞬間には身体を喰い破られるような感覚だった。薄れる五感、クリアになる視界。見えてないものさえ見える気がして、有象無象の雑音が聞こえてくる。

 最小の戦力による必殺。哲心に求められるのは、徹底的な運用の効率化だった。


「っ、おお!」

 軟弱な自分を振り払って、三度魔砲を叩き込む。

 無様な風穴と共に倒れる巨躯。しかし見送っている暇はなく、二門それぞれを敵に合致。

 突き抜ける。

 しかし壁が途切れる様子はない。校舎に取り付いていた人の天敵は、徐々に侵入者の脅威を認識している。


「とにかく、動いた方が良いな……!」

 思い付きで漏れる独り言。輪郭の薄い指先が、控える将来を案じている。

 しかし。

 ヒトクイは哲心の手を待たずして倒れた。いや両断された。

 斬撃は校舎の側から。薙ぎ倒された雑兵の先に、長髪の少女が立っている。


「スズリ」

 意外だ、とすら思わない口調。

 数十メートルの乖離が、国境に似て決定的だった。




 怪物の濁流も途絶えた中で、少年と少女が向き合っている。

 目にはお互いの姿しか映っていない。校門を潜る度に蒸発する生徒の姿も、自然と意識から弾き出された。

 敵対する二人の雰囲気はまるで違う。片や悲観があり、片や憤怒があった。


「どうして割り込んできた?」

 今まで聞いたことのない、深い怒気と湛えた声。

 助けた理由を良心の呵責とも、罪の意識ともすることは出来ない。たった一つの小さな予想外。要がいたという例外だけが、スズリを行動に走らせた。

 理由を後押しする正当性は依然。狂って燃える善意の炎は、少女を心ごと灰にする。


「……」

 妥当な答えが見つからない。下手な解答を並べれば最後、この敵は容赦も過去も切り捨てると確信があった。

 罪悪感が本当にあるなら、スズリには救いようがあったかもしれない。この場で喚き散らし、彼に理解を求める選択があったかもしれない。

 もう少しだけ子供であったなら。自分の役割に、義務も責任も感じなければ。

 人間はある程度まで自動機械だと言う。まったくその通りだ、とスズリは冷笑したい気分だった。

 しかし現実との齟齬を弁えない機械は、故障しても動き続ける不良品。  痛々しくもあり、愚かでもある在り方だ。


「一応、行動原理は聞いておきたいんだが」


「知ったところで、貴方の怒りを煽るだけかと思いますが……まあ、両親の人質に取られましたので」

 万に一つの理解を、会話の意欲は求めていた。

 返る台詞はそうかと短く。前方に合わせた照準が、断絶をより強くする。


「お前は見もしない人間のために、みんなへ犠牲になれって魂胆なんだな」


「……ええ」

 誤魔化しはいらない。大衆のためだなんて、そんな夢想もいい加減覚めた。


「――だったらお前の両親は、娘を誇りに思うだろうよ」

 それ以上、彼は言わない。

 哲心は指先を肩の高さに。正しさを口にしても、滾る敵意は収まらなかった。彼にとって大切なものが弔われる以上、これはスズリも予想している。

 故に。

 無言で、道を開けた。


「要は三階の廊下にいますわ。――そこまでの安全は、私が繋げます」


「……いいのか? バレたらただ事じゃ済まないだろ」


「一人くらいなら、どうということはないでしょう」

 それがスズリの妥協点。両親も、ヒトクイの被害抑止も二の次で、親友だけは救いたい。

 罪悪感すら無い外道の心は、失態を埋めることに希望を見た。

 もっと世界が優しければ、と思う。脅迫もなく、追い迫る死もなく、ただそこにあるだけで幸福を感じることが出来るなら。

 きっと、争う様な羽目には陥らなかったろう。

 只管に繰り返す日常。その他に何も知らなければ、もっと自分は救われていたのではないか。


「――さ、行きましょう」

 過ぎた後悔は後の祭りだ。要を連れ出した瞬間に彼と敵になっても、覚悟で応じなければならない。

 力を構える少年と少女。

 校舎に向かう二人の姿は、朝日のように晴れやかで。

 数分後の敵であっても、今は自然と背中を預けられる。彼の想いは真っ直ぐだ。愛した少女を救う王子様になりたくて、危険の渦中に走っていく。

 でもきっと、彼に功名心はないのだろう。

 それが正しいから実行する。美しくも儚い、命ある人間の一瞬間。

 眩し過ぎて、目を逸らしたくなるほどだった。


「あ」

 スズリに、闇が落ちる。

 刹那の油断。

 命は、その終わりすら分からない。




 風のようにさっぱりとした変化だった。

 ゴリ、と何かを咀嚼する音。その名に相応しい行動は、哲心の数センチ先で起こっている。

 巨体は四つん這いの姿勢から立ち上がり、平然と人間を嚥下した。


「――やれやれ。使える範囲で生かしておこうと思ったが、最初の侵入者に懐柔されるとは。役に立たない道具は何と呼ぶべきなのかね?」


「……」

 一つ一つが傲慢で、哲心の神経を逆撫でする。

 校庭の外れ、青年はベンチの上に腰を降ろしていた。ヒトクイの群れに臆する様子もない。破顔した表情が、寧ろ同族ではないかと思わせる。

 一方で当のヒトクイも、二人の男には興味を示さなかった。満腹感を味わっているらしく、真っ平らな腹を撫でている。

 冷静を意識して、哲心は男を睥睨した。


「親だけじゃ物足りないのか、人喰い狼は」


「必要から危害を加えただけだ。そもそも事が終われば殺す予定……自然的な結果には、君も敬意を表するのだろう?」


「殺人が自然的状態だなんて、狂ってるにも程があるな」

 売り言葉に買い言葉。クラフトとは、一生涯馴れ合うことはないだろう。

 代わりに納得のいった敵意がある。憎悪も一周回って義務感だ。


「……遅かれ早かれ殺すってことは、スズリが門だったのか?」


「その通り。二年前は代役に君の妹を差し出したが、今回はオリジナルだ。ヒトクイの本体に指定された、核たるべき存在。これなら十分に目的を果たせる」


「……うちの領に二度もヒトクイが出たのはそれが原因か。で、目的については魔術師の虐殺かよ?」


「そうだ」

 頷く男には笑みがある。


「以前も言ったが、私は力に従わぬ者が嫌いでね。中立派も革新派も目障りだ。で、ヒトクイは無数の魂を蓄える。……私自身の魔術については、既に聞いたかね?」


「人喰い狼、って言った段階で察してくれよ」


「それは失礼。……まあそんな次第だから、私は後々ヒトクイを手に入れるつもりだ。中立を排斥した後なら、多くの魔術を手に入れられるだろう。誰にも止められない力を得られる。二年前の分では、少々不足していてね」


「……それで表社会の連中を救う、なんて大嘘は吐かないでくれよ? 戦う前に腹痛で死んじまう」


「面白いことを言うものだ」

 ふん、と虚しい冷笑が鼻を通る。

 クラフトも口元へ手を当てているが、双方の余裕には天と地ほどの差があった。人狼とヒトクイが相手では、楽観的になるのも無理がある。挑発以外に言動は見出せないが、何としても戦闘は避けねばならなかった。

 要を含む生徒達のこともある。会話に興じる時間も、本来なら捨て去ってしまいたい。

 スズリを捕食した一体は、じっとその場に立ち竦むだけだ。校舎に群がっている連中も同じ。ようは目的を達したのだろう。

 この場で始末しなければ――焦燥感が哲心を急き立てる。が、下手に動けば命はない。

 校門に近付くのは未だ生徒達だけ。支部の応援がやってくる気配はなかった。


「安心したまえ。私達はそろそろ帰る」

 不安を指摘するクラフトは、静かにベンチから立ち上がる。


「まあこの場で君を排除しても構わないが……私も時間に余裕がなくてね。徳理支部への攻撃に指示を出さねばならない」


「……じゃあ、逃がさなけりゃあいいわけか」


「ふむ、勇ましいことだ。校舎の生徒達も直接の捕食は逃れたから、心配はないと。――結界が彼らの生気を吸い尽し、衰弱死させるなら問題はないのか」


「っ……」

 最優先はそこにある。結界の元を断つためなら、彼らの撤退は好ましい。

 嘲笑するクラフトは本当に目障りだった。しかし安堵しているのも事実。スズリ一人程度の犠牲で生徒達が救われるなら、それも一つの最善――

 途端、頭の中を洗い流したくなった。

 大勢だとか、数の問題である筈がない。巻き込まれた人間が救われる。必然的で幸せな終わり方だ。

 なのに。

 一人の犠牲でみんなが救われるなら、と心の何処かで思っている。


「では、また近い内に会おう。門を本格的に開くには、少々手間が必要なのでね」


「じゃあ招待券を寄越してくれ。こっちはどこでやるかも分からないんだ」


「それなら、渡す必要はないとも」

 言うなり、クラフトの周囲に異常が生じる。人狼へ変化しようというのだろう。ヒトクイ達の方も、徐々に姿を消していた。

 校舎の向こうに、超常の存在が消えていく。

 結界は両名の撤退と共に消えていた。戻ってくる学生達の声。無事な人々がいることに安心感を覚えるが、彼らに構っている暇はない。

 昇降口に入った段階で目にしたのは、倒れた無数の生徒達。

 非常の幕が、日常の世界に入り込んだ。

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