捕食者
先制権は哲心に回った。
全開の一撃。案の定、半人半牛の巨漢は横に躱している。勢い余って壁に激突し掛けるが、膂力で強引に制御した。
「――オオオォォォ!!」
猛進は弾丸、あるいは衝撃の塊か。
撃墜は出来ない。連結砲は連射性能を度外視した性能だ。この一瞬は、肉体の能力に掛けるしかない。
哲心の正面、片足が宛ら杭のように打ち込まれる。
まさに震脚。荒れ狂うエネルギーは斧を伝い、斬撃すら生じさせかねない勢いだ。
首を刎ねんとする一閃を、その場で屈んで回避する。
「連結解除……!」
局地的な暴風。打ち付けようとする風の圧力を頭上に仰ぎ、敵の懐で二撃目を放つ。
近距離専用の魔砲は架空生物を打撃し、確かに両足を浮ばせた。
しかし殺気は健在している。
大気を裂いて突っ込んできたのは、持ち手のいない斧だった。隙すら突かない投擲には半身を捻るだけで十分過ぎる。
だが、そんな一瞬の隙さえも。
「――!」
超人の前には、数分の機会だったに違いない。
振り下ろされる鉄拳。咄嗟に魔方陣を掲げるが、その負担は莫大だった。
一瞬で罅割れる盾。
人間の拳であれば容易く弾くソレを、ミノタウロスは力でもってねじ伏せる。陣の悲鳴は哲心の悲鳴。精神による産物である以上、内への痛みは避けられない。
割れた。
「っ、ぐ――」
胸を絞るような痛みと、崩れた姿勢。即座に二枚目を滑り込ませるも、堪えるだけの魔力がない。
連続する破砕の声と、直撃により吹き飛ぶ人の矮躯。胸に仕込んだ三枚目が、どうにか役割を果たしていた。
「っ……!」
受け身を取る余力はどうにかある。
それでも視線を上げた先、魔手が無情にも目前へ。哲心の細首を圧し折ろうと、鋭利な五指に殺意を乗せている。
愚直と、そう呼んでも差支えない程に。
「舐めるな……!」
カウンター風味の一撃が炸裂する。
爪は擦過すらしない。組み上がった連結砲が、早撃ちにおいて上回った。
満足できる手応え。ミノタウロスは光の瀑布に消え、奥の壁へとぶち込まれた。
崩れる瓦礫は土煙りが覆っていく。哲心が足止めを行った場面の再来だ。が、今回崩れているのは一枚だけ。時間稼ぎとして考えるなら、本当にお粗末なものだろう。
故に、気を抜く暇などありはしない。
「……!」
打ち払われる灰色の境界。哲心は駄目押しと言わんばかりに、再度使用可能になった連結砲を叩き込む。
ミノタウロスは直進することしか能がないイノシシのようだった。我が身を省みることもせず、破壊の口内へ突貫する。
――結果論になるが、それは自信の表れだったのかもしれない。
飛ぶ鳥すら落とす勢いの半人に、罅のような何かが走っていく。
風船のように膨らむ身体。溢れる光に、直感が警笛を鳴らしていた。
「!?」
黒い帆の、軍船。
宙に浮かんだ箱舟は、その船頭を挑戦者に向けている。
展開する魔術は哲心と同じく魔方陣。これまでの鬱憤を晴らすべく、雨のような魔砲が襲い掛かる。
量は比較するでもない。動いていようが止まっていようが、遅かれ早かれ蜂の巣だ。
船を撃墜する他に、生き残る術はなかった。
「……っ! 二層連結! 上!」
躱した爆風を追い風にして、船底へと一直線。そこなら比較的弾幕は薄い。
船の高度は三十メートルの空中。ビルにして七、八階の高さだ。連結砲を使えば、余裕で貫通を狙っていける。問題はそれまで耐えられるか否か。
睨み合う両者。突き出した左手が、五指の中に船を見た。
「行けっ!」
先手必勝。反動に心地良さすら覚えながら、人の神秘を捻り出す。
さしずめ、光は獲物を狙う鮫。頭上を突き破らんと、全速力で駆け抜ける。
「!?」
呆気ないぐらいの貫通だった。
魔砲は次々に船の素材を飲み込み、木々の繊維を断裂させる。
しかし。
「な……」
照準は変わりなく、哲心で動いていた。
確実に崩壊は進んでいる。なのに以前と変わらないのは、核と呼べる部分がない所為か。
砲門は倍以上に増幅し、豪雨同然に降り注ぐ。
足を止めている哲心に避ける術はない。故に、僅か数メートルの空中へ指示を飛ばす。
撃ち終えた連結砲は分裂し、直ぐに盾として機能した。が、止むことのない連打に成す術はない。大きくなる亀裂が、魂を次第に蝕んでいく。
割れた。
殺到する地獄の手招き。守護者としての矜持故か、頭を向けた残骸も哲心目掛けて降ってくる。
僅か数秒後の未来を描いて、しかし諦観など出来なかった。
動力がない? そんなもの知ったことか。破壊しても動き続けるというのなら、手っ取り早い対策が一つある。
「木っ端みじんに吹き飛ばせばいいんだろ……!」
自分への叱咤で、魔力の駆動に熱を入れた。
ストックしていた魔方陣も破壊されたお陰で、哲心は気絶の一歩手前。これ以上の辛抱はかけなしの綱渡りだ。
それでも一撃。後先どうなっても構わないから、この軍船だけは落としてみせる。
適材適所と言った以上、意地に賭けても退くものか。
「がっ、ぐ……」
直撃する無数の弾丸。だが動かない。肉体の問題以前に、本体を引き付けなければ目的は達せないのだ。
最大火力の連結砲は強引に作り上げている。他に出来ることと言えば、魔力を一気に流し込んで砲身を再構築するだけ。必要な充電の時間を、後がない力技で解決する。
中途半端は許さない、と哲心の感覚が告げていた。
弾の一部分は砲門が防いでくれる。が、すべてを捌くには至らない。
「くそっ……!」
左手を支える右手の感覚が消えた。
足が、胴が、着弾の衝撃に耐えながらも神経を消していく。例えるなら死の間際。呼吸のタイミングを間違えれば心臓が止まるような、崖っぷちに立っている。
今度は顔。
意識が飛んだ。
しかし標的は目の前に。肉体の状態も分からないまま、歪な笑みを射手は浮かべる。
――旗の色一つでテセウスの父は死ぬという。
軍艦の旗は黒い。不吉な、不幸を告げるに足る色合い。
だが、それを返さずして意味はない。
尖頭に抉られる魔方陣。
最速の距離だった。
「吹き飛べえええぇぇぇぇ!!」
眼光と砲撃が、強く神代の巨体を射抜く。
直後には閃光が空気を染めた。豪快に終わりを迎える船。僅かな木片も残すまいと、魔力は扇状に広がっていく。
順調に、速やかに。砕かれるだけの末路で、眺める瞳は泰然自若。
照射は一秒続けるだけでも、全身を絞られるような感触があった。それでも手は止めない。汗の一滴すら使い尽す覚悟で、肉体の要素を魔に奉じる。
そしてようやく、最後の木片が光に消えた。
「――は」
何となく。
倒れたい欲求を抑えて、迷宮の奥を凝視する。
陰影は数体のミノタウロス。両手に持った斧が脅威の証拠だった。鼓膜に伝わる鳴き声も、危機のリアリティを増させている。
絶望する力すら今は残っていない。立っているだけでもやっとなのだ。目蓋には重石をぶら下げているようで、一刻も早く睡眠欲に身を委ねたい。
「ったく……」
それでも腕を上げてしまうのは、愚か者の極みだろうか。
鉄壁の迷宮。
その意味を、ようやく理解できた気がする。
森の中。現実の世界に戻って、スズリは目的地へひた走る。
視界の隅には白い巨人が映っていた。先日に遭遇した二体と、比較しようもない巨躯。加えて名門派が攻撃している以上、領地の人々も逃げられるかどうか。
「――っ」
踵の向きを、どうしても逸らしたくなってしまう。
しかし優先すべきは結界の解除だ。彼が逃がしてくれた以上、スズリも恩を返さなければならない。――直後、仇で酬いる結果になったとしても。
神谷の屋敷までは後少し。後方には、未だ歪んだ空間が鎮座している。お陰で動機はくっきりと勇壮に。
しかし、たった一つの人影で歩みが止まる。
影は堂々たる出で立ちだった。ヒトクイの方を無言で見つめ、対策を施す様子もない。
「クラフト……!」
「何かね、その驚きようは。私の企てが余程意外だったかな?」
くく、と笑いを堪える主犯。日中のやり取りから、スズリもそう驚いているわけではない。
だが心情と現実は別だった。ましてや、彼の浮かべている嬉々とした顔が恐ろしい。躊躇も戸惑いもなく、一方的な殺害を見逃そうとしている。
あるいは、それこそ正義なのか。
突如として上がった悲鳴に、スズリは思案から舞い戻った。
「全滅するのは時間の問題だな。森の周辺は、同胞たちで包囲している。脱出することなど出来ないし、外からの介入も時間が掛かるだろう」
「……」
「無言ということは、同意してくれるのかね? お嬢様」
「出来ません。そもそも、このヒトクイは貴方がたが呼び出したものでしょう? 責任を他人へ押し付けるなど、言語道断ですわ」
「我々とて悪意があるわけではない。ヒトクイは一定のサイクルで出現する。生贄が用意できた時に捧げておかねば、危険を持ち越すだけではないかね?」
「それは……」
「大体、私を止めるにしろ、現実に迫っている脅威はどうする? 同意しなければ、他の人間が死ぬだけだ」
だが断る――哲心なら、某漫画家ばりに反論したかもしれない。
町の人々が犠牲になっている様は見ているし、それを不幸だとも感じている。見えない死神に、人々は怯えることしか出来ないのだから。
故にここで目を瞑らねばならない。大義名分も揃っている。
しかし。
「――彼らを犠牲にしていい理由が、正当だとは思えません」
「正気かね?」
失望したと、クラフトはこれ見よがしに肩を竦めた。
スズリも、彼の態度には同意を送りたい。今の自分はどうかしている。目先のことだけではなく、もっと全体像を見なければならないのに。
迷いは消えない。様々な恐怖が渦を巻き、混乱の位置を定めていく。
それでも、構えた霊刀は降ろさなかった。
「今の私は代理人のような存在。彼の意思で、脱出する道を頂いたのです。……それ讃えるべき務めから、貴方が正論だろうと屈するわけには参りません」
一夜限りの騎士道精神。
正面にいる人喰い男は、混じり気のない蔑視を向けるだけだ。
「いいのかね? 結界を解除するのが目的のように見えるが」
「……御冗談を。どちらであろうと、通すつもりは無いのでしょう?」
「おっと、これは一本取られたな」
笑う彼に緊張感はない。余裕だけで雰囲気を固めている。
対峙するスズリも心境は大差なかった。クラフトの魔術が攻撃性に高くないことは小耳に挟んでいる。名門派の中で有力な戦力であるこちらに、負ける道理は微塵もない。
しかし油断は程々に。勢い余って転倒したのでは、勝利したところで格好が悪い。
「――?」
スズリは気付く。彼の周囲に、ある筈のない霧が立ち込めていると。
結界の余波――には見えなかった。姿を覆い隠すようなソレは、明らかに別種の魔術であることを比喩している。
不安に駆られて、急遽攻撃を仕掛けた直後。
霧の中にクラフトは消えた。しかし刃を振り下ろすまで一秒足らず。対策を講じようと、間に合わせない確信はあった。
「ふ――!」
身体を捻る。魔力の刃は、いとも容易く蒸気の壁を引き裂いた。
何か、得体の知れないモノに防がれるまでは。
スズリが目を見開いている間、徐々に霧は晴れていく。
霊刀を掴んでいるのは、幹よりも太い腕だった。
明らかに人の物ではなく、かと言ってミノタウロスでも、ヒトクイでもない。隆起した筋肉に共通点がある程度だろうか。
顔は、霧を押し退けるように露わになる。
イヌ科の顔。牙は刃物同然の鋭さで、今にも少女の柔肌へ喰いつこうとしている。
体格は人間に近い。というより現に、後ろ脚だけで身体を起こしていた。
「人狼!?」
本日二度目になる幻に、スズリは喫驚の声を上げる。
馬鹿な、と頭が否定する前に身体が動いた。即座に霊刀を引き抜き、改めて一閃を叩き込む。
しかし。
「――!?」
人間という器の産物は、際限を知らない幻想の前に折れた。
驚く声も上がらない。客観的な自分が、必死に現実を受け入れる。
身体が掬い上げられたのは、直後だった。
数メートルの弧を描いて飛ぶ視界。魔術によって強化された肉体でも、持て余す程の打撃だった。
「っ、う……」
生々しい音を立てて、地面の上をスズリは転がる。
腹部には鈍痛が残っている。小細工がなければ内臓破裂、あるいは風穴でも空いていただろうか。敵が本物の化け物であることに、今更ながら呆れてしまう。
三半規管の乱れと格闘しながら、どうにか立ち上がった先。
「あ――」
人狼の爪と牙が、スズリの終わりを告白する。
どうしようもない。呼吸同然の殺意が、ただでさえ危うい足元を震わせる。
しかし強く開いた目が、諦観を頑なに拒んでいた。
擦過する前足。辛うじて成立した回避に、スズリは粉骨砕身で挑みかかる。
素の霊刀では皮膚を貫通できない。ならば選ぶ方法は一つだけ。
「はああぁぁぁ!!」
迷宮の壁を串刺しにした、数十メートルの大剣が霊刀を包む。
必殺の斬撃。スズリにとっての切り札は、既に回避不可能な位置だ。これからどんな対策を施したところで、まとめて粉砕してご覧に入れよう。
「っ!!」
両手の手応え。逆光に照らされる人狼の顔は――特に、何の変化もない。
それでも敵は飛んでいた。会心と評して良い威力が、彼を衝撃で弄ぶ。
だが、視界の奥。
「な、何故……」
敵は、ゆらりと立ち上がっていた。
瞬間、彼の威容が人間に戻る。今度は霧ではなく、魔方陣で周囲を覆って。
二種類目の魔術。二つ目の人間性の具現化。
意表を突いた出鱈目が、スズリの視界を塞いでいた。
「っ……!」
生きているのは習慣だけ。意思の代わりに、肉体が回避を命令する。
隣りを走っていく魔砲はフェイクでも何でもない本物だった。過去の経験、哲心の魔術を見ているからこそ断言できる。
奥にいるクラフトは得意顔。
「私の魔術は、人の魂を喰うことでね。お陰で複数の魔術を扱うことが出来る」
「こ、殺したのですか……!?」
「無論だ。人間など、刃物一本で刺殺できる。……ああ、この人狼化は非常に便利な能力だったよ。何せ――」
二度目の変化は即座だった。
隣接する威容。突き込まれる拳を躱し、擦れ違いざまに一閃を送る。
振り抜いた――そんな感覚は、次の正対で打ち消された。やはり、という納得も一緒に。
人狼は無傷。恐らく、元になった魔術師が高齢だったのだろう。魂の完全な固定化によって、鉄の防御力を得ている。
野生の幻獣が特別な防御力を持っているとは聞いたことがない。迷宮のミノタウロスは別にしても、スズリの一撃を耐えられる領域ではない筈だ。直前に哲心から聞いた話もあって、他の結論は導けない。
ならばどう対策するか。力で捩じ伏せられない以上、この相手は鬼門でしかない。
「っ――」
諦めの悪い反撃。
今度は躱そうとも防ごうともしなかった。余裕綽々で刀身を掴み、握力だけで圧し折ってくる。持ち主の方も、身を包めたいような痛みに襲われていた。
次は網膜には、諦観と恐怖が座る。
光が人狼を攫う、その直後までは。
「大丈夫か!?」
「え、あ」
スズリは答えるよりも先に、人狼の行方を目で探る。が、あの濃密な敵意も、非現実的な輪郭も見当らない。消えていく霊刀の残滓だけが、数秒前からの差異だった。
「っ!?」
現れた哲心は、まるで亡霊のように。
いや、事実そうだと言っても大差ないだろう。左腕は潰れ、四肢としての名残を有していない。他の部位についても、概ね同じ状態だった。
どう見たって五体不満。しかし彼の顔は、安心感で緩み切っていて。
「し、神谷さん!?」
疲れた、と。
血を尾のように引きながら、重力任せに倒れていた。
森の一角からは悲鳴。ヒトクイの姿も、枝葉の向こうに見えている。クラフトが去ったところで安心は出来ない。
後ろからは軍靴の響き。哲心は彼らに任せようと、声の方角へ四肢を飛ばす。
既に決着はついたのか、森は昨夜と同じ静寂で染まりつつあった。純白の人形こそ唯一の異物。日常への帰還を、阻害している当のモノ。
「要……!」
辿り着いた先には親友がいた。
彼女を庇う男性の姿。手には魔術と思わしき槍を握っているが、既に満身創痍。
一切の抵抗なく、捕食者の掌へ収まった。
嚥下する。
後は祭りの名残だった。ヒトクイは一時の満腹を喜んで、元いた場所へと帰っていく。
無残に破壊された住宅だけが、暴力の名残だった。




