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 ある程度の振れ幅に収まっていく。


 夏休みも残すところ数日となり、僕の心の在りようには小さな変化が起きていた。机に向かう時間は増え、自然に勉強に身が入るようになった。どこかに行ってしまっていた心が、突然帰ってきたような感覚だった。しかし、それが何故なのか、僕自身にも分からなかった。この時の僕は、勉強をしている間だけ安心した気持ちでいることができた。何もしていない時、僕の心には、受験までの時間制限が短くなってきているという不安と、好史の不在を埋めるかのように浮かんでくる、はっきりとした形を持たないイメージの塊が、容赦なく膨らんできた。僕は、自分の中の靄を追い払うために、頭を使うことに意識を向けていた。

 正午を回り、僕は勉強で疲れた頭を休めるために、家を出て、公園へ向かった。これは僕が最近身に着けた、新しい習慣だった。家の近くには、野球ができる程広い芝生の公園があり、休日は家族連れで賑わっている。僕は、窮屈に住宅が立ち並んだ場所にいるよりも、このひらけた場所で遠くを眺めているのが好きだった。ものが多い場所では、目が勝手に色々なものに視点を合わせてしまい、疲れるからだ。

 僕は公園のベンチに腰を下ろし、加藤先生との一件を思い返した。先生は好史の死を知った時、年甲斐もなく泣いたと言っていた。しかし、僕は泣かなかった。それどころか、先生の所に行くまで悲しみさえ感じていなかった。その代わり、理由の分からない後悔の感情だけが、時折僕を襲った。僕は何に後悔していたのだろう。そして、どうして悲しみを感じることができなかったのだろう。

 「小池君」と、不意に声をかけられた。

 驚いて振り返ると、村谷さんだった。好史が死んでから一度も顔を合わせていなかったが、元々クラスも違い、あまり関わりもなかったので、会いたいとも思っていなかった。

 「村谷さんってこの辺だったっけ」と、僕は聞いた。

村谷さんは首を横に振ってから、

 「でも、うちの周りには広い公園が無いから、時々こっちまで自転車に乗ってくるんだ」と言った。

 「運動が好きなの?」と僕が聞くと、

 「運動より、公園でのんびりするのが好きなんだよね」と、村谷さんは答えた。

 「変わってるんだね」

 「小池君は?」

 「俺も最近、ここでゆっくりするのが好きになった」

 「じゃあ、小池君も変わり者ってことだね」

 「ん? ああ、本当だね」

僕は、村谷さんと顔を見合わせて笑った。村谷さんの笑顔は今までにも何度か見たことがあった。しかし、この時の笑顔はそれまでに見たどの表情よりも素敵だった。その直後、僕はこのまま話し込むのは良くないと感じた。村谷さんは、好史の彼女だった。好史は死んだ。それでも、今目の前にいる村谷さんは、やっぱり好史の彼女だった。村谷さんの胸中を聞いてみたいという思いはあった。僕は間違いなく彼女に惹かれていた。しかし、その欲求の上には、好史に対する罪悪感がのしかかっていた。そして何より、僕は頭の中で、そういう風に感情の分析をしてしまった。それによって僕の感情は言葉になり、形になり、僕を縛り付けるのだった。

 「小池君」と、村谷さんが呼んだ。

 「どうしたの」と、僕は答えた。村谷さんの表情が、なんとなく僕にそう言わせたのだと思う。

 「――ううん」と、村谷さんは言いづらそうに俯いた。

 「言いにくかったら言わなくていいよ」と、僕は言った。

まだ何か言葉を吐き出そうとしている村谷さんを見て、僕はさっきの言葉を無粋だと思い、恥ずかしくなった。言いにくいから言わない、というのは、決して村谷さんを楽にしてあげられる言葉じゃない。言いたいし、言わなければならないから、言いにくいのに言おうとしているんだ。

 「小池君から見た時にね」と、村谷さんは言って、また少し沈黙し、

 「私なのかな」と、言い直した。

僕は意味が理解できなかったが、まだ村谷さんが何か言おうとしているのを感じ、出かかっている言葉を捕まえようと黙った。そして、その表情を見て、村谷さんが好史の死について、僕とも加藤先生とも全く違う感情を持っていることを直感した。

 「私が――殺しちゃったのかな」と、震える声で言った村谷さんの顔は、歪んでいた。


 第八の場面は、ここで幕を閉じる。

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