初陣
学校の授業が終わりグラウンドに集まったのは引退する3年生を除いた13名。
皆野球が好きだ。集まるに決まっていた。
「これは嬉しい事です」
監督は笑顔である。
「みんな野球が好きでよかったです。苦痛で試合をしても楽しくありませんからね。それではユニフォームを配ります」
ああ、そういえば今日練習試合だった。途端に緊張感が増してくる。
「一番篠崎くん」
「二番西岡くん」
「三番三宮くん」
監督は一人一に13名ユニフォームをわたす。
「これはポジション順です。そして打者順です。10番から13番の選手にも出場機会を与えます。ご安心ください。私のことはそうですね、コーチと読んでください。監督は恥ずかしいです」
「しかしか……いやコーチ私はキャッチャーの経験がありません」
。二番キャッチャーである西岡が不安げに聞いた
「貴方はショートで一番ボールを取るのが上手いです。キャッチングもできるでしょうしサインも知っています」
「それだけですか」
「いいえそれと貴方は肩が強く送球に癖がない」
ただの暇つぶしで見ていると思っていたがそんなところまで見ていたのか。皆少し感心する。それからは立花は各ポジションの配置について理路整然と答えた。誰も反論できない。
威圧的で反論できないのではなく。納得して反論ができない。
「惜しくもレギュラーを逃した人は能力が劣るというわけではありません。必ず使いますから緊張を保つように」
「はい」
四人が答えた。何故かこの立花には信頼感がある。いつも見守ってくれていたからだろうか。
「ときに。昨日の野球中継を九鬼君は見ましたか」
キャッチャーからライトのコンバートされた九鬼に聞いた。
すると九鬼はちょっと俯いた。
「見たのですね」
悪いことがバレた小学生のようである。
「他に見た人は?」
少し間があってひとりひとり手を上げていった。そしてそれは全員だった。
パンと立花が手を叩く。
「野球って面白いですよね。昨日の投手戦は見なければ損です」
「えっ」
叱られると思っていたナインの腰が少し浮く。
「どうでした。いつもより集中して見られたでしょう」
そういえばそうであった。立花の言うとおり、いつもの様に流してみるのではなくプレーの一つ一つを食入いるように見つめていた。そしてプロたちの凄さに改めて感嘆した。
「プロ……野球で生計を立てるということはああいうことなんです。自分のすべてを野球に注ぎ込み、それから才能を開花させたものだけが入ることの出来る世界です。誰しもが一度は何かしらのスポーツのプロになることを夢見る。ちなみに将棋もスポーツです。しかし殆どの人達は諦めていく。それは自分より優れた選手をいやというほど見てくるからです。しかし、それを通ってきた人々がこうしてプロとして生計を立てている」
少し暗い雰囲気になった。そういえば自分も昔はプロ野球選手になりたいと思っていた過去が全員にあった。
「しかし気にすることはありません。人生に勝ち負けはないです。自分の幸せを叶えるのはあくまでも自分自身です」
表情は相変わらず笑顔のままだ。
「おっと、きましたよ」
立花の自然につられて目をやると城西ナインがグラウンドに入ってきた。
「上杉監督。試合を組んでくれてありがとうございます」
立花が頭を下げると
「いえいえ、うちとしても三年生の最後の試合がああいう終わり方では不憫です。願ってもないお願いでした。むしろこちらから申し込みたいくらいです」
上杉も頭を下げるがそこには自分たちが勝つであろうという自信がみなぎっている。
「きれいなグラウンドですね」
「はい。まだランニングもしていません」
「ええ」
上杉は率直に驚いた。
「ですから試合は一時間後にしてくれませんか」
「それはかまいません」
「その間、グラウンドを好きに使っていて結構です」
「こんなグラウンドを使わせてもらっていいんですか」
「ほら、この学校の園長は野球が好きでしょう。施設はほんとうに素晴らしい。しかしですね。学区外からは絶対にうちには呼びません。そのポリシーが好きです。それではどうぞ」
「遠慮なく使わせてもらいます」
城西ナインは軽いランニングを始めた。
「さて、私達は室内練習場に行きましょう」
この学園の園長は本当に野球が好きで弱いのにこういう施設だけ作ってある。
「では一時間柔軟体操をします」
「一時間?」
自分が要求した時間を全部ストレッチに使うというのか。
「はい。二人一組になって」
一時間、本当に一時間ストレッチを続けた。
「怪我だけはしないでくださいね。選手にとって一番の敵は怪我です」
ストレッチを終えたあと立花はそう言ってぱちんと手を叩く。
「ではグラウンドに戻りましょう」
グラウンドに戻ると城西ナインのユニフォームはすでに試合後のように泥だらけであった。
「こんないいグラウンドを使わせてもらってありがとうございます」
上杉は手応えを感じていた。
「それでは試合を始めましょう。私達はグラウンドにまだ入っていないので15分ずつ練習しましょう」
「こちらはもう結構です」
「そうですか。ではみなさんポジションについて」
立花は軽い打球のノックを始めた。そしてそれで十五分全てを使い切った。
「私達の準備はそれで結構です」
上杉の表情は曇っている。自分たちがなめられていると思ったのかもしれない。
しかしすぐにいつも顔に戻った。室内練習場でバッティングをしてきたと感じたのだろう。そして手の内は見せないという作戦だなと推測した。
もし、ストレッチだけと言ったら。どんな表情になるのか。篠崎の脳に少し意地悪な考えが浮かんだ。すると、立花と目があいお互いに笑った。
「ホームだから、うちが後攻なのでしょうがどちらがいいですか」
「こちらの先攻でいいです」
「そうですか」
いよいよ素人監督の初陣が始まる。