『群盲』
大学に入って最初に学んだのは、人間はこんなにも簡単に群れる生き物だということだった。
入学から二週間と経たないうちに、僕は居酒屋の座敷にいた。誰が言い出したのかも知らない。「新歓」という名のその集まりに、気づけば二十人近くが詰め込まれていた。全員がついこの間まで他人だった。今も殆ど他人だ。それなのに最初の一杯が配られた瞬間、誰かが「とりあえず、乾杯!」と声を張り上げ、二十人が一斉にグラスを掲げた。声が揃った。出会って三十分程の人間が、もう一つの生き物みたいに同じ動作をしていた。
何が乾杯なのか、と僕は思う。何に乾杯しているのか。誰も知らないはずだった。ただそういう流れだから、そういう声が上がったから、全員がグラスを上げる。意味は要らない。空気がそうしろと言えば、人間は声まで揃えられる。その従順さがぬるいビールよりも舌に残った。
それから自己紹介が始まった。
順番に名前と、学部と、出身地と、「何か一言」。判で押したようなフォーマットを全員が律儀になぞっていく。誰もが少しだけ面白いことを言おうとして、誰もが大して面白くなかった。それでも一人喋り終わるたびに、座敷は大きな笑いに包まれた。何がそんなに可笑しいのか分からない。恐らく、可笑しくはなかった。笑っておけば角が立たない。笑っておけば輪の中にいられる。だから全員が、笑う準備を顔に貼りつけたまま次の人間の言葉を待っていた。あれは笑いではない。相槌だ。声を出す相槌だ。
僕の番が来て、僕も何か言った。何を言ったかは覚えていない。無難なことを言ったのだと思う。座敷は僕にも同じ大きさの笑いをくれた。寸分違わぬ規格通りの笑いだった。それを受け取りながら、僕は妙に冷めた頭で考えていた。今のは僕に向けられた笑いではない。誰に向けても同じ大きさで配られる、あらかじめ用意された笑いだ。僕という人間は、ここでは別に僕でなくてよかった。
会がお開きになる間際、案の定それは始まった。
「とりあえず、連絡先交換しよ!」
誰かがそう言うと、座敷のあちこちでスマートフォンが掲げられた。画面に表示されたコードを、見ず知らずの人間同士が読み取り合う。さっき名前を聞いたばかりの、いや、名前すら覚えていない相手と当たり前のように連絡先を交換していく。何のために、とは誰も聞かない。聞く方がおかしいのだ。そういう場ではそういうことをする。それが決まりになっている。
僕も差し出された画面を何台か読み取った。断る理由をその場で組み立てるのが面倒だった。断れば空気が一瞬だけ揺れる。「なんで?」という顔をされる。その一瞬の揺れに耐えるくらいなら、コードを読み取る方がよほど楽だった。だから僕は楽な方を選んだ。二度と開かないであろう名前が、僕のスマートフォンに何人分も増えた。
その晩、家に帰り着く前にもう通知が鳴り始めていた。
新歓のために作られたグループだった。誰かが「今日は楽しかったです!」と書き込むと、間を置かずにスタンプが続いた。犬が親指を立てているスタンプ。猫が「楽しかった〜」と踊っているスタンプ。「またみんなで集まりましょう!」という言葉に、また別のスタンプが返る。画面の中で、意味を持たない絵が次々と積み上がっていく。
駅のホームのベンチに座って、僕はそれをただ眺めていた。
誰も中身のあることは言っていなかった。「楽しかった」「また会おう」「よろしく」。その三つを、言葉とスタンプで形を変えて繰り返しているだけだった。けれどそれでよかったのだ。中身は最初から求められていない。求められているのは反応することだ。誰かが何かを投げたら、すぐに何かを投げ返す。投げ返している限り輪は回り続ける。投げ返さなくなった人間から、静かにいなかったことになる。
通知はその後も鳴り続けた。僕は一度もそれを開かず、かといって消すこともできないまま、ホームに滑り込んでくる電車を待った。
あのグループを、僕は二度と開かなかった。通知は数日のうちにやんだ。僕がいないことに気づいた人間は一人もいなかったらしい。当然だ。あの輪に必要だったのは「僕」ではなく、頭数の一つにすぎない。一つ欠けたところで、残りはまた適当に間を詰めて、何事もなかったように回り続ける。代わりはいくらでもいる。連中にとって人間なんてその程度のものだ。互いをその程度にしか見ていないくせに、そのことに気づきもせず、絆だの仲間だのと呼び合っている。反吐が出る。
新歓のあと、僕は誰とも群れなくなった。
サークルには入らなかった。入学のときに交換した連絡先は、一つも使わないまま画面の奥で腐っていった。講義は一人で受け、昼食も一人でとった。誰かと予定を合わせる煩わしさも、行きたくもない集まりに愛想笑いを差し出す義理も、最初から持たなければ生まれない。煩わしさの大半は人間関係という名前をしている。それを根元から断ったら、生活は驚くほど静かになった。一人でいるのは思っていたよりずっと楽だった。
ただ、楽なのと平気なのは少しだけ違っていた。
尤も、それに気づくのはずっと後のことだ。このときの僕は、ただ清々していた。あの薄ら寒い群れから抜け出して、漸くまともに息ができる。むしろ、あそこに残った連中をどこかで憐れんでいた。一生、互いの顔色を窺いながら、空っぽな言葉を交わして生きていくのだろう、と。一人になった僕の目に、これから世界がどう映るのか、まだ何も知らないままで。
一人になって、初めて見えたものがあった。
群れているうちは、自分が群れていることすら見えない。外に出て初めて分かる。世界が、どれだけ馴れ合いでできているのか。
講義の始まる前、教室の後ろはいつも騒がしい。示し合わせて隣り合った学生達が、始まるまでのわずかな時間を埋めるように喋っている。「昨日さあ」「マジで?」「ウケる」。三語で会話が成り立っていた。いや、あれは会話ですらない。言葉のやりとりの形を借りた、互いの存在確認だ。お前はそこにいるか。いる。俺もここにいる。それを手を替え品を替え確かめ合っているだけだ。中身は最初から一つもない。
僕はいつも一番前の端に座っていた。誰も寄りつかない場所だ。そこから振り返れば、馴れ合いの全景が見渡せた。何人かで固まって、同じタイミングで笑い、判で押したような相槌を打つ。誰か一人が特別面白い訳でもない。ただ、笑うべき空気が来たら笑う。沈黙が訪れる前に、誰かが意味のない一言を足して間を埋める。一秒の静けさにも耐えられないのだ。一人になれない人間というのは、要するに、自分と二人きりになるのが怖い人間のことだ。僕はそう結論づけて、また前を向いた。
昼も同じだった。
学食は馴れ合いの見本市みたいな場所だった。四人がけのテーブルを当たり前のように四人で埋めて、トレイを並べて、同じ時間に同じ場所で昼食をとる。喋りながら箸を進め、スマホを見せ合っては笑う。誰も、一人で食事をしている人間のことなど目に入れない。僕は隅の一人がけの席で、黙って箸を動かしていた。一人でとる食事は味が良く分かる。誰かに合わせて食べる速さを調整する必要も、面白くもない話に頷きながら飲み込む必要もない。
窓際の席で、学生が三人笑っていた。
何がそんなに可笑しいのか、ここからは分からない。一人が何か言うたびに、残りの二人が弾けるように笑う。その声が、食堂の騒めきの中をやけにくっきりと通って届いた。三人とも心の底から楽しそうに見えた。恐らく、そう見えただけだ。あの中の誰か一人が欠けても、残りはまた同じように笑うのだろう。僕はそう思って視線を手元に戻した。戻したはずなのに、その笑い声だけがしばらく耳に残っていた。
なぜ残ったのかは考えなかった。考えるまでもないと思った。
味噌汁は、もう冷めていた。
大学を出ても何も変わらなかった。
馴れ合いはキャンパスの中だけの病ではない。電車に乗れば、座席の一列が丸ごと同じ顔をしていた。揃いの制服の高校生が、肩を寄せ合って一つの画面を覗き込み、同じ瞬間に笑う。目の前の七人が、一匹の生き物みたいに同じ動きで揺れていた。誰か一人が画面から顔を上げれば、残りも顔を上げる。誰か一人が降りる支度を始めれば、残りもつられて立つ。あの中に、自分の意思で動いている人間が一人でもいるのだろうか。僕には、そうは見えなかった。
カフェに入っても同じだった。
二人がけ、四人がけの席が、判で押したように埋まっている。向かい合った人間達は絶え間なく口を動かしていた。話題が尽きない訳ではない。尽きるのが怖いから、尽きる前に次のどうでもいい話を継ぎ足しているだけだ。「それなー」「わかる」「やばくない?」。中身のない言葉ほどよく流通する。意味を持たないからこそ、誰にでも投げられて、誰からでも返ってくる。価値のないものを、価値のないまま交換し続けて、それで回っている。
一人がけの席で本を開いているのは、たいてい僕だけだった。
偶に、僕のような人間がいない訳でもなかった。一人で席につき、誰とも喋らず何かを読むか、ただ窓の外を見ている人間。そういう人間を見つけると、僕は少しだけ安心とは違う何かを覚えた。同類がいるというより、この気持ち悪さに気づいているのは自分だけではない、という確認に近い。尤も、向こうが僕と同じことを考えているとは限らない。ただ連れがいないだけかもしれないし、偶々一人なだけかもしれない。それでも、その横顔を見ていると、勝手に共犯めいた気分になった。
僕は、その気分を少し気に入っていたのだと思う。
どこへ行っても、世界は馴れ合いで満ちていた。逃げ場はなかった。けれど逃げる必要もなかった。僕は群れの外にいて、群れを眺めている。その位置が僕にはちょうどよかった。見下ろしているつもりはない。ただ、巻き込まれずに済む場所から、世界がどれだけ空っぽな確認作業で回っているかを冷めた目で見ていられる。それで十分だった。
そういう日が続いた。
朝、決まった時間に目を覚まし、一人で支度をして、誰とも口をきかずに家を出る。電車に揺られ、講義に出て、一番前の端に座る。昼は学食の隅で黙って箸を動かす。午後の講義に出るか、出ずに図書館の奥にこもるか。日が暮れれば、また誰とも喋らないまま帰る。それだけの一日が、判で押したように繰り返された。
最初のうちは、その単調さが心地よかった。
誰にも合わせなくていい。誰の機嫌も取らなくていい。明日が今日と同じであることが、あらかじめ約束されている。それを僕は自分で選び取ったのだと思っていた。実際、選び取ったのだ。あの座敷でグラスを上げる連中の中にいるよりは、よほどましだった。
ただ、同じ景色を来る日も来る日も見ていると、奇妙なことが起きる。
最初は鮮明だった嫌悪が、少しずつ輪郭を失っていくのだ。後ろの席で誰かが笑う。前はその一つ一つに虫唾が走った。それが、夏を過ぎる頃には、もう風景の一部になっていた。腹も立たない。ただそこにある。気持ち悪いものを気持ち悪いと感じる力さえ、毎日浴びていると少しずつ磨り減ってくる。慣れというのは、恐らく一番静かな敗北の形だ。
それでも、輪に加わろうとは一度も思わなかった。
磨り減ったのは嫌悪を感じる鋭さであって、嫌悪そのものではない。後ろの連中を見て、相変わらずああはなりたくないと思う。その芯だけは錆びずに残っていた。残っていたから、僕は一人のままでいられた。一人でいることと孤独であることの違いに、まだ気づかないまま。
その日も、僕はいつもの席にいた。
一番前の端の席。半年通って、そこに誰かが座ったことは一度もなかった。前すぎて教員と目が合う。端すぎて出入りに使えない。誰もが避けるその場所は、いつの間にか僕の指定席になっていた。誰にも侵されない場所を持っているというのは、それだけでささやかな安心だった。
講義が始まる少し前だった。
「ここ、座ってもいいですか」
声がして顔を上げた。見たことのない学生だった。同じ講義に出ているはずだが記憶にない。尤も、僕は他人の顔を殆ど覚えない。覚えるだけの関心を最初から持っていないからだ。彼女は空いた隣の席を指していた。
「どうぞ」
僕はそう答えた。何も考えずに。本当に何も考えなかった。彼女は「ありがとうございます」と言って隣に腰を下ろした。鞄からノートを出し、ペンを並べ、前を向く。それだけだった。会話はそれで終わった。やがて講義が始まり、隣り合ったまま、一度も口をきかずに九十分が過ぎた。終わると彼女は「お疲れさまです」と小さく言って出ていった。
何も起こらなかった。
起こらなかったはずだった。
その夜、一人の部屋で、僕はなぜかその数秒のことを思い返していた。「ここ、座ってもいいですか」「どうぞ」。たったそれだけのやりとりだ。何の意味もない。明日には互いに忘れている。世界に無数にある、空っぽな接触の一つにすぎなかった。
なのに引っかかった。
引っかかったのは彼女のことではない。彼女のことならどうでもよかった。明日には忘れる相手だ。引っかかったのは、僕のことだ。あのとき僕は、あまりにも滑らかに「どうぞ」と答えた。一瞬の躊躇もなかった。声の調子も、恐らく感じが良かったはずだ。いつも軽蔑しているあの愛想のいい連中と、寸分違わぬ反応を返していた。拒みもしなかった。それどころか、応じることに何の苦痛もなかった。むしろ——あの数秒、僕はほんの少しまともな人間に戻れたような気がしなかっただろうか。
馬鹿馬鹿しい、と思った。
席を譲っただけだ。誰だってそうする。あんなものは礼儀でしかない。僕はそう自分に言い聞かせて、考えるのを止めようとした。止めようとしたということは、つまり止められなかったということだ。
次の講義の日も、その隣は空いていた。
僕は教科書を開き、ペンを持ち、前を向いた。それからもう一度、隣を見た。誰も座っていない椅子の、座面のわずかな窪みを。視線を戻すのに思ったより手間取った。教員が何か言って、後ろのほうで笑いが起きた。僕の手元では、ペン先が同じ一点を押さえたまま、紙に小さな染みを作っていた。
舌打ちが出た。
よりにもよって、僕が、だ。あの連中の存在確認を心底気持ち悪いと思っている僕が、たった一度の「どうぞ」を引きずって、空いた椅子を盗み見ている。やっていることは、連中と一つも変わらない。誰かがそこにいないと落ち着かない。あの、虫唾の走る、お前はそこにいるか、いるよ、の繰り返し。それを僕は、相手もいないまま、一人で始めている。
何を今さら、とも思う。あの数秒は、向こうにとって空いた椅子に座るための手続きでしかない。明日には忘れている。今度どこかですれ違っても、向こうは僕の顔も見分けないだろう。都合が変われば、人はそういう顔で離れていく。そういうものだと、僕はとうに知っていた。知っていて、誰の背中も追わないと決めた。
ペン先が、知らぬ間に同じ渦をなぞっていた。何重にも重なった、意味のない円。気づいて、手を止めた。顔を上げると、視界の左端に、誰も座っていない椅子があった。見るつもりはなかった。それでも、そこにあった。
その夜は、中々寝つけなかった。
天井を見て、寝返りを打って、壁を見た。打ち直しているうちに、座面の窪みと、空いた椅子と、あの三文字が勝手に像を結んだ。誰かのいる部屋を思い描いている自分に気づいて、跳ね起きた。水を一杯飲んで、また横になった。
カーテンの隙間から、向かいの棟の窓が見えた。
いくつかの部屋に、まだ灯りが点いていた。あの灯りの下で、今夜も誰かが誰かと空っぽな言葉を投げ合っているのだろう。「楽しかった」「また会おう」。一番安い通貨の垂れ流し。あの輪に自分が混ざっている図を想像して、喉の奥が鳴った。冗談じゃない。あんなものに加わるくらいなら、この暗い部屋のほうが、まだましだった。
舌打ちをして、カーテンを引いた。隙間は塞がった。
眠れないのと、あの輪に戻りたいのは、まったくの別物だ。前者は確かにある。だが、後者は死んでも御免だ。この二つは、何の矛盾もなく、同じ僕の中にある。厄介なのは、それを承知していることだった。戻れば、この眠れない夜は消える。恐らく一晩で消える。それくらいのことは分かっている。分かっていて、戻らない。
翌朝、僕は普段通り、同じ席に座った。
隣に鞄を置けば、誰も来ない。そう思いながら、鞄は膝に抱えたままだった。椅子は空けておいた。なぜそうしたのか、考えようとして、やめた。
講義が始まった。誰も、隣には来なかった。
それでいい。来られれば、また「どうぞ」と応じる。応じれば、また夜に像を結ぶ。御免だ。誰も来ないほうがいい——そう思いながら、僕は一度だけ、入り口を振り返った。すぐに前を向いた。二度は振り返らなかった。
それからの数ヶ月をどう過ごしたのか、上手く思い出せない。
大したことは何も起きなかった。講義に出て、隅で昼を済ませ、帰る。表向きは何も変わらない日々だった。ただ、その膜の下で何かがずっと低く疼いていた。痛いというほどではない。けれど消えもしない。歯の奥の、治りかけの傷のような疼き。舌で触れればまだそこにあると分かる。触れずにいれば忘れていられる。だから僕は触れないようにして過ごした。
あの席には毎日通った。
隣は空けたままにした。誰かが来れば応じ、来なければそれまでだ。応じた夜は決まって寝つけなくなる。尤も、来ない日のほうがずっと多かった。誰も来ない日には、安心と、それによく似た別の何かが同じ顔をしてやってくる。どちらがどちらか、見分けはつかない。見分けようともしなかった。
冬が来て、春が来た。
季節が変わっても疼きは引かなかった。引きはしないが慣れた。慣れてしまえば、それは日常の一部になる。歯の傷を舌で避けて喋ることに何も感じなくなるように。僕は欠けたところを抱えたまま、それを抱えていることにすら、一々立ち止まらなくなっていった。抱えたまま歩けるようになった、と言えば聞こえはいい。要するに麻痺しただけだ。
そうして気がつけば、一年が終わっていた。
二年に上がっても、何も変わらなかった。
教室の顔ぶれは、いくらか入れ替わった。去年見かけた連中の何人かは、別の講義へ流れていったのだろう、見なくなった。代わりに知らない顔が増えた。それだけのことだ。後ろの席は相変わらず騒がしく、相変わらず中身のない声で埋まっている。去年と同じ「昨日さあ」が、去年とは違う口から飛んでいる。喋っている人間が入れ替わっても、喋っている内容は寸分も変わらない。お前はそこにいるか。いる。俺もここにいる。それを延々と、誰かがやっている。
馴れ合いには、卒業がないらしい。
僕は相変わらず、一番前の端に座っていた。殆ど使われなかった隣の席に、今日も誰も座らない。彼女がまた現れることは、結局なかった。同じ講義で見かけたことすら、ない。広いキャンパスのどこかで、恐らく今日も誰かと喋っているのだろう。僕の知らない相手と、僕の知らない場所で。それでいい。あれは、一度きりの数秒だった。それで正しかった。
膝の上の鞄を、隣の椅子に下ろしかけて、止めた。下ろせば、誰も来ない。来ないようにするのは、それだけのことだ。なのに、鞄は膝の上に戻ってくる。一年経っても、この手は同じところで止まる。どうせ一度きりだ。来たところで、また離れていくだけだ。それは分かりきっている。分かりきっていて尚、椅子は空いたままになる。穴は、開いたまま塞がっていない。塞ぎ方は、恐らく知っている。あの後ろの輪に、へらへらと加わればいい。一晩で塞がる。明日には塞がる。
それを思うだけで、舌の根が苦くなる。
塞ぐためにあの気持ち悪さに目を瞑るくらいなら、僕はこの穴を開けたまま抱えて歩く。欠けたままでいい。欠けていることと、あそこへ戻ることは、まったくの別物だ。僕は欠けている。だが、戻らない。それだけは、一年前と何も変わっていなかった。
講義棟へ続く銀杏並木が、去年と同じ場所でまた芽吹き始めていた。
去年もこの道を、同じように一人で歩いた。あれから銀杏は色づき、散り、裸になり、また芽を吹いた。一年かけて、元の場所へ戻ってきただけだ。後ろの連中も同じだった。群れて、笑って、別の群れに移って、また群れる。世界はそうやって、同じところを回り続ける。その輪の中で、僕だけが去年と同じ席に、同じように座っている。
僕は、ここにいる。
どこへも行かず、どこへも行けず、ここにいる。それを停滞と呼ぶなら呼べばいい。負けと呼ぶなら呼べばいい。連中の回る輪も、僕の動かない席も、傍から見れば、どちらも同じところを巡っているだけかもしれない。違う。そう思う。思うだけで、誰に言うわけでもない。言ったところで、伝わる相手もいない。
誰も座らない隣を、僕は今日も空けておいた。
来てほしいわけではない。来たら、また「どうぞ」と言ってしまう。だから、来ないほうがいい——そう自分に言い聞かせながら、僕は一度だけ、入り口のほうへ目をやった。それから、前を向いた。




