なんか……想像していたスローライフと違います!
「奥様! 新調する予定の馬車の見積もりが届いております」
「奥様! 明後日の晩餐会のメニューですが……」
「奥様! 先程面接した侍女志望の子ですが、いかがいたしましょうか……?」
「ちょっと待って! 私、聖徳太子じゃないから! いっぺんに話しかけないで!」
私は思わずそう言いかけて、慌てて口を閉じる。
そうだ、この世界に聖徳太子はいない……
今、私の前に並んでる執事のセバス、料理長のジョー、メイド長のクリエは、みんな私が異世界人だということを知ってるけど、だからといって聖徳太子とは何者か? を説明されたって困るだろう……
とりあえず私は一度深呼吸して、現状対応すべき問題を整理し始めた。
私はメイ・レイウッド。旧姓春野芽衣。25歳。
仕事からの帰り道。疲れからか駅の階段を踏み外し、気がついたらここオーディリア王国にいた。いわゆる異世界トリップというやつだ。
突然異世界にやってきた私が、実は数百年に一度復活する魔王の封印に不可欠な聖女だった、というのもこれまたよくある展開。
少し変わっていたのは、同境遇の人があと4人もいたことだろうか。
なんでも今回復活した魔王は、いつも以上に強大な魔力を有していて、一人の聖女では心もとないと判断されたらしい。
とはいえ、聖女5人+護衛の騎士たちでワチャワチャ旅をするのは結構楽しかった。
……まあ、私が5人の中で一番歳上だったから、なんとなくみんなのまとめ役っぽくなって苦労したのも事実だけど……それも、今では良い思い出だ。
で、無事魔王を倒したその後。私達5人はそれぞれ国王陛下からご褒美をいただけることになった。
それも「私に出来ることなら、なんでも願いを1つ叶えよう」という破格のご褒美。
ある子はお互い一目惚れしたそうな王太子殿下との結婚を願い、ある子は甘党つながりで仲良くなった騎士様と、王都でお菓子屋さんを開きたいと願う。
そして、私が願ったのはずばり『スローライフ』だった。
閑静な田舎の小さな家に引きこもって、薬草を育てたり、お菓子を焼いたりするアレ。
怒涛の社会人3年目で疲弊していたところに、今度は救国の聖女様なんてやった私は、とにかくのんびり過ごしたかったのだ。
私の希望に唖然としていた国王陛下だけど、さすが陛下。きちんと願いを叶えてくれた。
のんびり暮らしがしたい、という私への陛下の采配はバーナード・レイウッド子爵という方の妻となることだった。
バーナードさんは王都郊外に広大な領地を持つ伯爵家のお生まれ。5人兄弟の末っ子で神官をなされている。
全寮制の神学校を首席卒業(すごいっ!)した後、ずっと王都の神殿にお勤めだったのだけど、最近伯爵領の神官長となることを見据えて、領地へ戻られたそうだ。
伯爵領は穀倉地帯として有名なのんびりした田舎で、しかも兄が4人もいるから爵位継承とはほぼ無縁。
その上、バーナードさんは当時神殿で魔王復活への対応をされていて、私と面識があったのも決め手になった。
「最低限の社交ぐらいは求められるかもしれないが、あとはのんびり暮らせるじゃろう」
と笑顔で送り出してくれた陛下に深く感謝し、この長閑な伯爵領にやってきた私。
けれども私は1週間足らずで「なんか……想像していたのと違います」と心の中で叫ぶ羽目になった。
ほぼ押し付けられたに近い異世界妻を、暖かく歓迎してくれたバーナードさん。
彼が住んでいたのは、領都郊外の村にある赤い屋根の小さなお屋敷だった。
小さい、とはいえ貴族の屋敷であるここには、執事、料理長、メイド長……と10を超える使用人がいる。これでも貴族の家としてはかなり小規模らしい。
そして、そんな彼らを指揮、監督するのは妻、つまり私の役目。これが大変だった。
なにせ、現代日本なら株式会社化を検討する規模だ。
その上、神官様というのは領主と領民を繋ぐ役割があるらしく、バーナードさんのもとには、領主(つまり伯爵様)に上奏するほどではない相談や懇願が日々、山ほど届けられてる。
そしてその中には、妻である私が関与せざるを得ないものもちょくちょくあるのだった。
……そう、つまり今の私はそういったあれやこれやに忙殺され、とてものんびり庭仕事……みたいな生活は送れそうにないのだった。
「あの……奥様?」
「そうだったわね! ごめんなさい。えっと……馬車の見積もりね。――ってこんなにするの?」
「馬車にございますから……」
「そ、それもそうね。後でこの世界の相場を教えてくれる?」
「かしこまりました。奥様」
「次に晩餐会ね。……主菜は鴨――美味しそうだわ!」
「鴨は伯爵領随一の特産ですから……特にこれからの時期は脂が乗っていて絶品なのです。大旦那様も喜ばれると……」
「まあ素敵だわ! あっ……でも大旦那様はもうかなりお歳だけど……大丈夫かしら?」
「大旦那様は健啖家ではありますが……気になるようでしたら、前菜はよりあっさりとしたものに変えましょうか?」
「そうね……ええ、お願い。楽しみにしてるわ」
ちょうど明後日の晩餐には本家の大旦那様(つまりバーナードさんのお父様)夫妻をお招きすることになっている。
私が嫁いでから、2人をこのお屋敷にお招きするのは始めてらしく、屋敷の中はどことなくソワソワ。
……ただ、問題なのはむしろ3つめのメイド長の案件。私は執事と料理長に比べて、だいぶ深刻そうな顔をしているメイド長に向き合った。
「えーと……私の侍女見習い志望の子よね。で、紹介状をもってないと……」
「はい。本人は前の職場の主に虐められ、行き場がないと……本当でしたら可哀想なお話ですが……」
「その、紹介状がないと……身元が保証されないのよね?」
魔法はあるものの、主な通信手段はいまだ手紙のこの世界。
使用人を始め、市井の人たちが働く上で生命線になるのが、『紹介状』だ。
簡単に言うと、前職での働きぶりなんかを記した手紙。一般的にこれがない、ということは前の職場を相当な理由(窃盗とか……)で辞めたと見做されて、碌な仕事にありつけない。
常識的な主なら、相当ひどい人でも紹介状は書くものらしいのだけど……
「極稀に、本当にひどい雇い主もいるのよね?」
「ええ……稀にですが……ほとんど身一つのようで、行く宛てもないと本人は……」
「そう……」
それが本当なら可哀想な話。突然異世界に飛ばされた私としても同情はする。
ただ、一方で私は今、この屋敷を任された身だ。
それでなくてもお忙しい身の上なのに、『田舎でスローライフしたい!』とかいう理由でやってきた異世界人を暖かく迎えて下さった旦那様の信頼には応えたいと思う。
よく分からない人を雇って、屋敷の居心地を悪くしては妻失格だろう……
「とりあえず……今日は一部屋用意して泊めてあげて? 雇うかどうかは本人とお話して決めるわ」
「承知いたしました。そのように……」
使用人を面接するのも、雇い主たる奥様の大事な仕事……うぅ、胃が痛い……
とりもとりあえず、3人が退出したところで、馬車の見積もり書を開きつつ、窓の外を眺める。
屋敷からほど近い森からは、濃厚な秋の匂いがする。
風の音、揺れる木の音、トントントンとドアをノックする音……
「って、今度は誰!?」
「驚かせてしまいましたかメイさん? 私ですよ。ただ今戻りました」
文机の前で飛び上がった私の耳に流れてきたのは、一度聞いたら忘れないバリトン。
一気に意識が覚醒した私は、慌ててドアへ駆け寄った。
「っバーナードさん!? お帰りなさいませ……といいますか、お出迎え出来ず――」
「なんの問題もありません。お忙しかったのでしょう?」
「は、はい……」
バーナードさんは私より5つ歳上の30歳。肩ほどまでの栗色の髪と優しげな青い瞳が印象的な方だ。
この国の男性としては小柄だそうだけど、それでも私よりは頭1つ高い。当然のようにエスコートされれば、その手の大きさを意識せずにはいられなかった。
そして、いつの間にか私はバーナードさんの腕の中。この国の夫婦の間では常識らしい。
……まぁ、この世界ヨーロッパぽいしな〜
閑話休題。ちょっぴり気になったことがあった私は、抱きしめられたまま、視線を上に向けた。
「それにしても……お早いお帰りですね? まさか何かトラブルとか? もしくは……?」
私、まさかお家のことでなんかしくじった? もしくは私が屋敷を回せているか心配で……
「いえ、トラブルというほどではないのですが、予定が1つ消えたのです。あと、メイさんに早くお見せしたいものもあったり……ただ、その前にメイさん? 何か困ってます?」
「……」
急に「困ってます?」と聞かれドキッとする私。
そりゃあ……現在進行系で困ってますが……だからといって、神官としての仕事で充分お忙しいバーナードさんをわずらわせるほどではない。
かなり広いこの伯爵領で、次期神官長となることがほぼ決まっているバーナードさんは、毎日領内をかけずりまわっていらっしゃるのだ。
屋敷の維持は私の仕事! 目指せ、一人前の若奥様!
そう心に言い聞かせ、コンマ1秒。
「大丈夫です! 問題ありませんわ、バーナードさん!」
と言い切った私。ところがそういった直後私の体がフワッと浮く。
姫抱きにされた! と気づいてアワアワしていると、そのまま部屋に置かれた小さなソファにそっと降ろされた。そして、コツンと額を合わせれ、バーナードさんが微笑む。
「あなたは昔から抱え込む癖がありますからね。隠し事はだめですよ?」
そして、深い青色の瞳で促すように見つめられる。
もちろん、私に抵抗の術はなかった……
「紹介状を持たない侍女志望の子ですか?」
「はい。本当なら可哀想ですが……雇ってもらえる場所がなく、わざわざ王都からここまでやってきたと……」
そうして私は聞かれるままに、さっきのメイド長との話をする。ちなみにいつの間にか私はバーナードさんのお膝の上。これもこの世界では常識なんだとか……
「分かりました。でしたら王都にいる知り合いの神官に聞いてみましょう。紹介状すら書かないようなひどい雇い主は簡単に噂になりますからね」
「そんな……でもバーナードさんのお手をわずらわせ……」
「わずらわせてません。なんのためにわざわざ王都の中央神殿で何年も働いたと思ってるのですか?」
……いやそれは神官としての修行と、あと伯爵家と中央神殿のパイプづくりのためじゃ……
「あと、よろしければその面接、私もご一緒しましょう。神官はたくさんの人と接する仕事ですから、人の内面を伺うのは得意なほうなのですよ」
「え……! で、でもっ!」
「当家で働くかもしれない人のことです。それに困ったら2人で助け合うのが夫婦でしょう?」
「は、はい……では、お願いします……」
結局バーナードさんを煩わせてしまった。そもそもせっかくの早帰りなのに、こうして時間を使わせてしまっている。
……そもそも、いつまで私はバーナードさんを椅子にしてるの?
そう気づいて重い腰を上げようとした私は、突然拘束がギュッと強まったことに気づいて、後ろを振り返った。
「駄目ですよ、メイさん? せっかくの早帰りなのに……」
「いや、だから、ゆっくり……」
ゆっくりして……と言おうとした私の言葉は、視線だけで封じられる。
バーナードさんは片手は私の腰に回したまま、もう片方の手で私の黒髪をゆっくりと撫でた。
「申し訳ないのはこちらのほうですよ。『スローライフ』がご希望だったのに、貴族夫人なんて厄介な仕事を押し付けてしまって……」
「え? いや、押し付けられたのはバーナードさんの方……」
「違いますよ。私の一目惚れが先です。あなたの願いを聞いて、恐れながら陛下に申し上げたのです。『私との婚姻で彼女の願いは叶う』と……」
それは初耳だ。目をパチクリさせる私の髪をバーナードさんは弄ぶ。
「慣れない魔法を懸命に練習する姿に……聖女として皆さんに優しく接する姿に……聖女様方のリーダーとして奮闘する姿に私はどうしようもなく心惹かれたのです。同時に、あなたを休ませて差し上げたい、とも思いました」
「あっ……だから、王都に戻る度に……」
旅の途中、王都に戻ると必ず神殿のお使いとしてバーナードさんが現れて、何かしら神殿からの仕事を頼まれていた。
ただ、その仕事というのが本当に些細なもので、しかも余った時間は自由にして良いと言われていたから不思議だったのだ……お陰で一人の時間が作れたから感謝しているけど……
今になってその謎がとけ、私は思わずポカンとする。
「魔王も無事封印されましたし、これからはあなたにのんびり暮らしていただきたいと思っていたのですが……ままならないものですね……」
私の田舎暮らしを実現させるべく、伯爵領に戻ったバーナードさんだけど、急すぎてお屋敷の状態を整えるまでは間に合わず……
その上、魔王封印への貢献で聖女を下賜された(と周りからは見えるらしい)バーナードさんは伯爵領中から引張りだこ。
それが、私達2人の忙しさの原因だったらしい。
「もう少しすれば仕事は落ち着きますし、あなたならすぐにお屋敷の差配にも慣れるでしょう。そしたら一緒に庭で薬草を育てたり、クッキーを焼いたりしましょうね」
「バーナードさんも一緒にですか!?」
「私もあなたの言う『スローライフ』には興味があるのです。一緒に森を散策して、木の実を拾ったりリスを追いかけてみたり……なんかもスローライフですか?」
「ええもう! 素敵です!」
さっきまであんなに落ち込んでいたのに、バーナードさんの提案で一気に私の心は晴れ渡る。
なんとも現金なものだけど、彼の優しい微笑みは旅をしていた頃から薬みたいによく効くのだ。
「よしっ! じゃあそれまでもう一踏ん張りですね。あっ――でもその前にこれを渡さないと。そもそもの早帰りの理由です」
そう言うと、不意にバーナードさんが長い手を伸ばし、ソファの傍に置かれていたカバンを手に取る。
バーナードさんはそこから綺麗なリボンのかかった包みを取り出した。
「異国生まれの菓子です。現状薬としての流通が大半ですが……以前お話されていたショコラに似ているなぁと……」
バーナードさんが仰々しく開けた包みに入っていたのは、甘い香りのする黒い板状のもの。
促されるままに、一口それを口ににした私は、思わず飛び上がりそうになった。
「ショコラです! チョコです! どうしてこれを!?」
「ハハッ……それは良かった。魔王の封印で我が領を通る街道の通行止めが解除されたでしょう? それでそこを通る商人から異国の産物を買い、我が領で加工して名物にしようという計画があるのです。」
「では……もしかしてショコラを使ったお菓子が?」
「すでに街の菓子屋の皆さんと打ち合わせを始めてます。いろんなアイデアが出されてますよ」
「本当ですか!?」
農業が盛んで、食事も美味しいこの国だけど、唯一残念だったのが大好きだったチョコレートが食べられないこと。
異国にそれっぽいものがあるものの、魔王復活で貿易が滞り、超希少品になってるとは聞いていたけど、まさか再会出来るとは……
さっきまでの落ち込みは本当にどこへやら。なんだかとってもウキウキとしてきた私。
そんな私の頭をポンポンっと撫でてから、バーナードさんはさらに楽しそうなお話を続ける。
「それで、菓子屋の皆さんが明後日のお昼過ぎに会合を開くので、そこでメイさんに試作品を食べていただきたいと……」
「まあ! とっても楽しみ……」
ってあれ? 明後日は大事な用事があるような……
「バーナードさん! 明後日は大旦那様がいらっしゃる日ですよ!?」
「え? 父上?」
「はい、お伝え……しませんでしたっけ?」
「あっ……聞いたような……気もします……」
二人して固まるバーナードさんと私。
「申し訳ない! メイさん。さすがに今から会合の日は変えられませんし……父上に日取りを変えてもらいましょうか?」
「いや! そんな訳にはさすがに……」
嫁いできていきなりそれは避けたい。
私はなんとかならないか、と慌てて頭をフル回転させる。
お昼すぎ、ということは多分お茶の時間……この国の晩餐は割と遅めだから……
「分かりました! ハシゴしましょう、バーナードさん!」
「メイさん?」
少ーしばかり大旦那様の到着を遅らせていただければ、きっと帰って来れるはず。
聖女時代は、歓迎会3件はしごとかザラだったのだ
当日の差配はセバスが出来るようにあらかじめ詰めておいて、あと、私とバーナードさんの料理はこっそり少なめに……
あーしてこーして、と拳を握りしめつつバーナードさんに訴えれば、彼は「分かりました」と大きく頷いてくれた。
「さすがはメイさんです。では……私は早速父上へ時間変更の手紙と、あと侍女志望の子について至急王都へ問い合わせましょう」
あっ! 忘れてた……とは言わない。
「ありがとうございます、バーナードさん。では私はセバスとジョーにお話を……」
「奥様! 明後日の使うアクセサリーの件でご相談が……」
「奥様! 薔薇が綺麗に咲きましたよ。明後日の晩餐でテーブルに飾るのはどうかと思うのですが?」
そんな話をしていたら、どこからか私を呼ぶ声が聞こえる。侍女のネリーと庭師のバッツだ。
「大人気ですね、メイさん、頼もしい限りです」
「ま、お上手ですね、バーナードさん」
そのつもりではあったけど、本当に休憩時間は終わりらしい。思わず2人で顔を見合わせる。
のんびりした田舎町。優秀な使用人たち。そして優しい旦那様。
とっても幸せな私だけど、でもやっぱり1つだけ言わせて欲しい。
なんか……想像していたスローライフと違います!




