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震えの意味

試合会場は、異常な静けさで沈んでいた。

貴族文化である蹴鞠。

そんな雰囲気はかけらもなく。


『戦場』


この二文字が連想される空気があった。


重苦しい。

ただ

重苦しい。


こういう雰囲気は現役時代に何度も味わった。


「あのよう。奴名彦……。

試合頑張りたいんだけどな。

ほら。

足と手を見てくれ。

冷たくなって、

震えてるんだ」

と猿彦は泣きそうな顔をして言った。


俺は猿彦の手を握る。

そして猿彦の目を見て言った。

「これはな。恐れからくる震えじゃない。

手の冷たさも、恐れからくるものじゃない。

戦おうとして、こうなっている勇敢な漢の姿なんだ。

ほら武者震いって聞いたことがあるだろう。

本当に強い男はな。大事な戦いの前に、こうなるんだ。

これはな。

いいか。

これが出てるお前は強い」



「おっ。そうか。そうか。俺は強い。そうか。これは武者震いか。

そう思ったら、ちょっと震えが止まってきた。

これは良いのか?」

と猿彦は言った。


「武者震いはな。大事な戦いだよって合図で出てるにすぎないからな。それを自覚して、よしやろうと思ったら、止まるよ」

と俺は言った。


「俺も止まった」

雉衛門と犬太郎は言った。



俺はJ時代。神と呼ばれる選手が、試合前に緊張して震えているのを何度も見た。

威圧感のある監督、オーナー、有名選手、緊張なんかなさそうな人たちが震えているのを何度も見た。


「緊張しますよね」

と声をかけると、


「あぁ。身体が調整してくれている」

そのような事をいう人が多かった。


緊張は悪い事ではない。

弓は張り詰めないと役にたたない。

太鼓も皮を張りつめないと役にたたない。


その事が実感できてからは、

緊張がダメなものという所から、

緊張は喜び。

勝つサインの一つに変わっていった。


震えと緊張に感謝するようになった日から俺のプレイは確実に変わった。


……


試合が始まった。

河貯家は選手全員がニヤニヤしている。


「お前ら、そんなにニヤニヤしてると、舌噛むぞ」

と俺は言った。


河貯家の選手の顔がヒクヒクしている。


開始直後、相手選手から俺に鞠が回ってきた。


あぁそう来たか。

まずは俺を潰そうという気だな。


俺はリフティングで鞠を操作し、敵陣地に蹴り入れた。

鞠はカーブを描き、敵陣地に吸い込まれるように入っていった。


審判より合図が出る。

まず1点。


河貯家の選手が集まり、なにか相談している。


こういう相談の時は、まずは俺を潰せだろうな。


試合が再開された。


始めの鞠は猿彦に渡る。

雉衛門がすかさず移動。

猿彦は雉衛門にパス。

俺は雉衛門がパスしやすいところに移動しパスを受ける。

リフティングで毬を操作していると、あの体格の大きいのが突っ込んできた。

俺は会場を俯瞰でイメージしながら、体格の大きいのを誘導。

ぶつかりを回転でよけ。

相手選手同士をぶつからせた。

(どーん)

と大きな音がたち、相手チームの小柄な方の選手が吹っ飛んでいる。

皆の視線がそちらに集中した瞬間。

俺は敵陣地に蹴り入れた。


審判より合図が出た。

これで2点目。


相手チームの小柄な男は、血まみれで歯がなくなっていた。

大柄な選手も、頭がざっくりと切れて、血まみれになっていた。



怪我発生したことで、試合は一時中止となった。



俺ら蹴鞠部の側に、紫色の狩衣を来た男がやってきた。



「いや。君たちの蹴鞠はずいぶん雅だったよ」

と男は言った。


「ありがとうございます」

と俺は言った。


「もうしおくれた。私は万茶家の者。私は河貯家のような蹴鞠が嫌いで嫌いで、君のあのかわしかた。実に雅で美しかった」

と万茶家の男は言った。


「そうですか。褒められるのはウレシイです」

と俺は言った。


「ではこれでいくよ」

と万茶家の男は言い去っていった。


あれはいったい何だったのか?


俺が腕を組みながら考えていると、

「万茶家は貴族の昔ながらの雅な蹴鞠。それに対して、河貯家は貴族でありながら、武人のような蹴鞠というので、対立があるからな」

と雉衛門は言った。


なるほど、そういう対立があるのか。

じゃあ今までは、けっこうそういう武人のような蹴鞠をする連中に当っていたのか。

と俺は思った。


試合再開の合図があった。

気を取り直して、がんばろう。


河貯家の選手は1人脱落した。

この世界の蹴鞠は、途中で選手の交代ができない。

退場すれば、戦力ダウンにつながる。


ただそれで河貯家の士気が下がったかというと、そうではない。

ますます殺気でみなぎっている。


「おいおい。あいつらの目をみろよ。今にも喧嘩しそうな雰囲気だぞ」

と猿彦は言った。

どうもビビっているようだ。

ムリもない。

あんな大きな男があんな形相で睨みつけてくるんだから。

普通は怖いだろう。


しかし、相変わらず圧は弱い。

まぁ有体に言えば雑魚だ。


俺はこんな瞬間を何度も見てきた。

そして、あの種の殺気を出した奴は、ほぼ確実に負ける。


理由はわからないが、サッカーの神はあの手の殺気が嫌いなのだろう。



「猿彦だいじょうぶだ。あいつらは弱い。そして蹴鞠が下手くそだ」

と俺は言った。


俺の発言はさらに河貯家をいらだたせる。


あの体のひときわ大きい男が俺のもとにズカズカとやってきた。


そして拳を振り上げる。


「やめろ。退場させるぞ」

と審判は叫んだ。


男は拳を握りしめ。

こう言った。

「あとで吠えずらかかせてやる」

と。


「そういった奴は逆に吠えずらかくことになるんだよ」

と俺は言った。


男は戻ったが、そのぴくぴくと動く背中は、確実になにかを物語っていた。

完全な逆三角形。分厚い広背筋。

そうとう鍛えないと、あの厚みは出せないだろう。


「だいじょうぶだ。筋肉には脳の代わりはできない。腕っぷしがいくら強くても蹴鞠には関係がない」

と俺は言った。


猿彦は笑ったが、目は笑っていなかった。

もうそれ以上言ってくれるな。

そんな風に訴えていた。


しかし、猿彦の恐れは完全に杞憂で終わった。


そこからは、俺らの圧勝だった。士気は高かったが、完全に冷静さを失い。

自爆への道へ進んでいった。


杞憂とは、古代中国の故事”杞人の憂い”に由来する。杞の国に住む人が、天地が崩れ落ちるのではないかと心配し、夜も眠れず食事も喉を通らなかったという話。


どんなものでも想像の時点が一番怖い。

実際に起こる時まで、何も考えない。

それが一番なのだ。

現実は人を殺さない。

ただ恐怖が人を殺すと。

俺は知っている。

それがプロの世界だった。


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