5話 自嘲
「ははははは!」
暗殺者が知らずの内に主人の意思に背き、あまつさえ国を破滅に追いやり、挙句の果てに同業者に出し抜かれ殺される。
傑作だ。俺は救いようのない馬鹿だ。
どの段階で踏み間違えたかなど些末な問題に過ぎない。
元々単独での任務の多い仕事だ。
よく知りもしない部下の出入りなどいつからか気にも止めなくなっていた。
情報源はどうか。
得られる情報は常に大方が確かで、疑う余地はなかった。
任務を信じ遂行するのが俺の仕事だからだ。
だがもし、その作戦や暗殺対象すら捏造されていたとすればどうか。
先の「謁見」の場で嫌というほど痛感した。
結局のところ、この腐り切った世界で信じられるのは自分自身、己が意志と肉体のみであると。
「おい、今すぐ俺を殺してくれ」
「冗談じゃねぇ! それだけはやめておけ――」
「貴様ら、そこで何をしている! それは俺のオモチャだぞ!」
陛下のお出ましだ。
新たな玩具を試したいのか、酷くご機嫌が良い。
なるほど、先の「なぶり殺し」宣言は滞りなく実行されるらしい。
「カイムぅ、殊勝なお前のことだ。大方のことは察しがついているんだろう? 余計なことは考えないことだ。精々俺を楽しませてくれよ」
手にした鞭をしならせ悠々と近付いてくる。
時折空を切って見せる動作につられ、体中の贅肉が揺れ動くさまが実に滑稽だ。
「お前はどこまで知っているんだ、レドリゲス」
手足の自由が利く今ならこいつを素手で殺すことなど造作もない。
故にレドリゲスは檻から数歩離れた位置から動こうとしないのだ。
それはこの男とてカイムとの徒手訓練で嫌というほど思い知っている。
「言葉は選んだ方がいいぞ下民――全部だ。もしもお前が俺を殺したとしても、俺の配下が必ずお前の妻を殺す。俺が機嫌を損ねれば殺す。お前が抵抗する度に痛めつけてやる」
更に一歩檻へと近付く。
お互いに踏み出せば手の届く範囲まできた。
「おっと、忠告したはずだ。俺はお前の妻ティナの居場所を知っている。お前が下手なことをすれば即刻あの女の命を奪うことになるんだぞ」
反射的に身構えるこちらに向かって再度言葉で牽制される。
だがカイムは男の言っていることが嘘であることを知っている。
レドリゲスが妻の居場所を知り得るはずがないのだ。
「苦労したんだぞぉ。なんでも、お前は家にも帰らず、小汚い兵舎にしか寄り付かなかったそうじゃないか。何でだろうなぁ……」
彼女の居場所はカイムにすら分からない。それはもしもの時のためでもある。
暗殺業を遂行するにあたって家族の命を狙われることも必然だ。
しかし、たった今の奴の言葉が嘘であったとして、今後本当にならないとは限らない。
組織を使い街中を虱潰しに探していったのなら、あるいは居場所を知る誰かに情報が売られたとしたら――
「くたばれカイムぅ!」
カイムが構えを解くや否や勢いよく鉄扉を開け放ち、手にした鞭が振り降ろされる。
「今までよくも俺を侮辱してくれたなぁ! 兵学校のときも、出た後も、いつもお前だけが賞賛された! 女も仲間も、みんなお前ばかりを追い駆ける! 俺を蔑ろにしたんだ! 詫びろっ、ひれ伏せ、跪け! お前がいなければ俺はとっくに王になっていたんだっ!」
鋭い痛みと共に至る箇所の皮膚が裂け血が噴き出る。
憐れな貪食人の嫉妬と憎悪にまみれた罵詈雑言は止まることはない。
「ひひひっ、お前がどんなに優れていようが結局はこのざまだ! 知ってるか? 薄汚れた小隊に推薦してやったのは俺だ! 悔しいか? あの時この俺を殴り飛ばしたことを死ぬまで後悔しろ!」
半時も経った頃、レドリゲスの鞭の勢いはもはや按摩程度のものになった。
蝋燭の灯り一つの薄暗い地下牢は狭く、その空間には絶えず男の喘ぐ声がこだまする。
「はぁ、はぁ……どうだ、思い知ったか……。まだまだ、痛めつけてやるからな……」
男は肩を上下させつつ乱暴に檻の鉄扉を閉めた。
外に控えた付き人に汗の滴る上着を持たせカイムに背を向けた途端、不意に醜い笑みを浮かべた顔を戻し口を開いた。
「ティナ――あいつはいい女だったなぁ。今度目の前で犯してやる」
「――この馬糞野郎ぉ! ぶち殺してやる!」
「おお怖い怖い。何も心配はいらん、あいつは元々俺のものになるはずだったんだ。すぐにでも気持ちよくしてやるさ」
勢い余って鉄扉の隙間から手を伸ばした瞬間、控えていた近衛兵の短剣が目前に向けられ、ようやく頭が冷めた。
ボロ雑巾のようになった体を扉から離し武骨な石の床に倒れながら、無い頭を巡らせる。
奴がティナを見つけ出す前に何としても手を打たなくてはならない。
それまでは何としても死ぬ訳にはいかなくなった。
*
鞭を散々食らった日からまた何日か置きにレドリゲスは牢を訪れた。
本格的な鞭打ちは初めの二回に終わり、後は彼なりに趣向を凝らした拷問が執り行われた。
針刺し、水責め、火責め、糞尿責め、抜歯、薬漬け、皮剥ぎ。
レドリゲスが自ら手を下したのは鞭までで、後は全てカイムの部下にやらせた。
手心加えた部下には容赦なく同じ罰が下された。
火責めによって失明したせいか聴覚はより鋭敏になり、彼らの悲痛な声を聞くのが最も辛い時間となった。
箍が外れたかのように日に日に拷問は苛烈さを増していく。
至る箇所の骨は折られ、取れるものは拷問の度に取られていった。
しかし一向に痛みに慣れることはなく、無意識に発せられる叫びが一層奴の嗜虐心を増幅させているようだった。
痛みと薬漬けによって睡眠はおろか気絶すらも儘ならない。




