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4話 報復

 急な激痛と共に一気に覚醒する。


 朦朧とする視界にあるものが、次第に見覚えのある広間であることが分かり始めた。


 事の原因は不明。

 今分かるのは、縄で手足を縛られ先王と会う書斎とよく似た広間の床に這いつくばっているという状況だけだ。


 手足に痺れが残るのは床に放られた際の衝撃のせいばかりではない。

 不覚にもどこかで同業者の手によって遅効性の毒を盛られたのだ。


「無様だなカイム!」


 執拗なまでに彩られた広間に、心底不快な声が響き渡った。


 背丈はカイムと同等だが、有り余る贅肉と着飾った衣装も相まって、より醜さを際立たせている。

 こちらを見下ろす憎しみの目、嘲りに歪んだ顔。

 奇しくも兵学校の同期であった頃の面影が僅かながらに見て取れる。


 状況から察するにこの男が元凶と見て先ず間違いないだろう。


(こと)に小隊長という身でありながら、臣民のためと偽り、よもや国家の転覆を目論んでいたとはな――」


 先王の息子レドリゲスの命により数名が部屋へと招かれた。

 五人の民と鎖に繋がれた艶めかしい女が一人。

 昨晩見知った面々が勢揃いだ。広間には臣下の聴衆が(ひし)めいている。


 カイムは視界に映るそれらを前に、粗方の顛末(てんまつ)を悟った。


「さてお前たち、その男が何をしでかしたか言ってみろ」


 殿下に謁見を許された民たちは、今にも掴み掛らんとする憎々し気な表情でカイムを見据えている。


 比較的年長の女が一人、髭面の男が一人、やせ細った子供が三人。


「この男は、私の家族を殺しました! 行商の仲間もみんな殺されました!」


 女は泣きながら声を上げ、聴衆に向かって必死に倒れた男の罪状を告げている。


 要するに、嵌められたのだ。

 先王の息子という肩書だけで威張り散らす無能な王子によって、無様に。


 しかし結果的に殺したことは確かな事実であり、無辜の民を傷付けたことやその罪の重さは甘んじて受け入れよう。

 情報を見誤ったこちらに全ての責任がある。


「この城下に運ばれるはずの貴重な物資を燃やすばかりか、あろうことか商人すらも手に掛けようとは、非道にも程がある! そればかりではない!」


 近衛兵に連れられた女は後ろ手に鎖で繋がれ、王子の足元に倒される形で(ひざまず)いた。


「お前は昨晩この男と寝たそうだな? 証拠は上がっているぞ」


 女はレドリゲスの言葉に応じず、垂れた髪で表情の見えない顔をただ(うつむ)かせた。


 そこでまた一人、よく見知った男が広間に招かれた。ネリルという名の部下だ。


「この男が昨晩、そこの獣人(ベネル)の女と寝ていたというのは確かなのか?」

「はい、間違いありません」


 実際、隣室で女を抱いていたのはこの若者だった。

 返答に満足気な顔で頷いた男とは対照的に、ネリルの表情は硬く(おび)え切っていた。


「その女は我ら王族に反逆を企てたのだ。お前に関係がないとは言わせないぞ」


 もはや不要とされたネリルは鎖につながれた女と共に広間を退場した。

 男は目を伏せながら小さな声で(しき)りに「すまねぇ」と呟いていた。


 一方、国家に反旗を翻したはずの女の顔や()き出た手足には一切傷はなく、去る足取りは来た時よりも軽かった。


「さて臣下の諸君。この男の罪は紛れもなく赦され難いもの、厳に罰せられるべきものであることが分かっただろう」


 騒めく臣下に異議などあるわけもなく、まことしやかに「死罪は免れない」ことが囁かれた。


 しかし次第に騒めきの色は変わり、その対象が広間の外にあることが分かった。


「――隊長!」


 騒めきの合間から一瞬だけ聞こえた叫びは紛れもなくマイアの声だった。


 今ほど彼女の存在が誇らしいと思ったことはない。

 だが、この状況において彼女の取った行動は余りに愚行というより他はない。

 死罪となった人間を擁護するなど死地へ赴くに等しい行為だと何故分からないのか。


「なにやら騒がしいな。まぁいい。ふへへ、喜べ。お前の寝床は今日から臭い檻の中だ」


 反応を窺うようにその醜く腫れあがった顔を近付けてくる。

 しかし相変わらずの無表情に、期待通りとはいかなかったからか「ふん」と鼻息を上げたかと思うと、散々顔を踏み付けた挙句、腹部を力任せに蹴り上げた。


 鼻が折れ、目の周りは内出血を起こし、まともに視界を保っていない。口も至る所が切れた。


「――止まれ!」

 広間の出入口を固めていた近衛兵の一人が叫んだ。


 続いて聞こえてきたのは、呂律の回らない老人の罵声だった。


「お前は何に従っているんだ!? 腹の中から出直してこい!」


 程なくして地に伏すカイムの眼前に現れたのは、こともあろうか、元同僚の老兵シヴルトだった。


 カイムが孤児として貧民街を彷徨っていた頃からよく知るその老人は、先までカイムを足蹴にしたレドリゲスのことなどまるで意に介さず歩み寄ってきた。


「おい、そこの老いぼれ! 誰の許可を得て私の前に立っている!」


「ったく不景気な(つら)しやがって」


 酒気を帯びたシヴルトはどこからか調達してきたらしい清潔な布を裂き、血の(したた)るカイムの傷へとあてがった。


「周りを頼らねぇからそういうことになるんだ。いつも言ってるだろ?」

「……面目ない」


「聞いているのか!? そこのお前! 早くこいつを始末しろ!」


 王子の命令によってカイムに付いていた兵が傷の手当てをするシヴルトを引き離す。


 虚仮(こけ)にされたレドリゲスは息を荒げ、捕らえられた老兵を力任せに蹴り飛ばした。


「はぁ、はぁ……この老いぼれが。お前もカイムの仲間だな? 俺を怒らせたことを後悔させてやる」


 レドリゲスはシヴルトの首根を掴んだ衛兵に向かって、首の辺りを手でなぞる仕草をして見せた。

 これを受けた近衛兵は一瞬躊躇ったが、すぐさま腰の剣を抜いて応えた。


「諸君! この男が今、咎人(とがびと)に情けをかけたのを見たかね? 咎人に加担する者もまた咎人! 罪状を知って尚手を貸すともなればその罪は明白! よってこの男は即刻打ち首の刑に処す!」


「――待ってくれ! 俺はこんな老いぼれなど知らない!」


 王子の一声に若干遅れて拍手が沸き起こる。

 やがてカイムの叫びは次第に高まる騒音によってかき消された。


「冷てぇじゃねぇかよカイム。俺はお前が寝小便してるときから知ってるんだぜ?」

 広間の中央に引き摺られながらシヴルトは呟き、不敵な笑みを浮かべる。


「知らない! そんな男とは全くの無関係だ!」

「見苦しいぞカイム。お前はお前のせいで死んでいく者を眺めることしかできんのだ――おお、憐れな民草よ、このような男に関わってしまった不運を恨むがいい」


 後ろ手に縄をかけられた老兵は何一つ抵抗する素振りすら見せず、近衛兵に為されるままにその場に跪き、首をさらけ出した。


「なぁ、カイム」


 その場に居合わせた誰もが老人の死を確信した。

 処刑に際して周囲の熱気が高まり喧騒に包まれる中、不思議と老人の声だけがカイムの耳へと届いた。


「楽しかったか?」


 シヴルトは唐突にカイムに向かってそう質問を投げ掛けた。


 カイムはシヴルトと過ごしたこれまでを思い返した。


 シヴルトとの出会いは幼少期、夢や希望はおろかその日生きるのも(まま)ならず、ただ虚ろな目をして路地で物乞いの真似事をしていた時だった。

 酔いに任せて歩く男は、道端に転がる子供を前に突然説教を垂れた。

 「もっとマシなやり方でやれ」と。


 それからすぐに少年は男に言われた通り、この街では見掛けない身なりの良い通行人を狙うようになった。一度要領を得たカイムは日を追うごとに数を稼ぎ、骨と皮だけだった体にうっすらと肉が付き始めた。


 その様子を影から見ていたシヴルトは、助言を素直に受け取り見事に自身の技量に落とし込んだカイムの柔軟さと覚えの良さに感心し、いつしか仕事を与えることに決めた。

 仕事とは名ばかりで、シヴルトが兵士としての本業の傍らに行っていた賭博の仕込みだった。

 要するにシヴルトやその関係者が儲かるように賭場を操作するイカサマの手伝いをさせたのだ。


 分け前は微々たるものだったが、食べ物と住む場所があったのはカイムにとって何よりも有難かった。


 糞尿の臭気に時折血が混じる貧民街にいて、あれほど楽しかった時期はない。

 老人が集めた大勢の大人たちと共に遊戯に興じ、毎日のように食卓を囲んだ。


 思えば十年前、兵士としての生きる道を示したのもシヴルトだった。

 ある日を境にシヴルトは突然賭場から一切足を洗った。

 カイムを兵舎に連れ、当時の隊長に深々と頭を下げたのだった。


「……ああ」


 保護者として見るならば、シヴルトは間違いなく最低だった。

 だが、この最低の街において生きる術を伝える師としては申し分なかった。


 放って置いてもゴミ山の一部と成り果てるだけだったガキに、「ただ生きる」だけの素晴らしさをこの老人は教えてくれた。苦楽を共にした。


「この世界もまだ捨てたもんじゃねぇだろ?」


 シヴルトは呟くなり、奇声を上げて勢いよく立ち上がった。


 シヴルトの両腕に付いた縄を甘く引いていた兵は面喰い、縄ごと老人を放してしまった。


「シグラグ王万歳! カイム()()()()殿万歳! プロメザラに栄光あれ!」


 シヴルトはレドリゲス王子の面前で大手を振って狂ったようにそう繰り返した。


「でたらめなことを! さっさとその不届き者を殺さないか!」


「はははは! やってみろ下種(げす)野郎! 酒場の王を舐めるなよ!」


 騒然となった広間に王子の声が響くなり、のらりくらりと身をかわす老兵に向けて広間中の近衛兵が群がった。

 しかし兵の中には捕らえることを躊躇う者も少なからずあった。


「おやっさん! もういい! 早く逃げろ!」


 老躯のどこからそれだけの活力が湧き出るのか、シヴルトは傍観する臣下を巻き込み、広間中を飛んだり跳ねたりしながら叫んで回った。


 カイムの願いも虚しく、散々暴れた老人はついに複数人の近衛兵によって捕らえられた。


 捕まったシヴルトは先の大立ち回りが嘘のように、ただ静かに元の位置へと跪いた。


「やれ」


 縄の掛かった腕が引かれ、もう一人の兵が持ち上がった襟元から首を引き出す。


「……カイム……」


「おやっさん!」


 掲げられた剣が振るわれ、同時に鈍い音が続いて二度起こる。


 ――女神アニラよ。この憐れな男をどうかお導き下さい。


 シヴルトは落ちて尚辛うじて残った意識の中、カイムのために祈った。


 酒場の王が死んだ。

 同じくして広間を一陣の風が吹き抜けていった。


 幸運を司る女神として博徒からも愛されるアニラがその祈りに応えたかのようだった。


「思い知ったか? あの男はお前のせいで殺されたんだぞ?」


 シヴルトの遺体はまとめて粗末な麻袋に詰め込まれ一人の近衛兵に引き摺られていった。

 斬首された場所には深紅の絨毯に黒い染みが残されている。


「……老いぼれ一人殺すのに必死だな。満足か?」


「――く、この偽善者めが! すぐに死ねると思うなよ! なぶり殺してやる!」


 レドリゲスは喚くなり、先と同様に何度もカイムの顔面を踏み付けた。

 それから慣れない衝撃で(ひね)った足を(かば)いながら群衆を蹴散らし広間から去って行った。


 次いで近衛兵の手によって起こされたカイムはレドリゲスの宣言通りに地下牢へと向かう。


「すまないなカイム。俺たちにはもうどうすることもできないんだ」

「お前たちは正しい。気にするな」


 せめてもの情けなのか、兵はカイムを二人掛かりで丁重に地下まで抱え運び、牢の中ですぐに縄を解いた。


「こんな状態で言うのもなんだが、何か要り様ならいつでも俺たちを呼んでくれ」

「奴に見つかればお前たちもここにくることになるぞ。できるなら奴を殺してくれ」

「下手なことは言うもんじゃねぇよ。俺たちの中にも組織の内通者がいるって話だぜ」


 王子の悪い噂は以前から、元よりカイムが十年前に出会った当初から知っていた。

 それも今では国すら腐らせるほど膨れ上がっていたのだ。


 しかし彼には王ほどの権限を持つことができない。

 先王の意思で彼の兄シグラグ王子が王の位を継いだからだ。

 よってレドリゲスは大々的に悪事をはたらくことはできない――そのはずだった。


 良くも悪くも保守的なシグラグ王は革新的なことを嫌いタカ派の臣下の反感を買うものの、国を揺るがせる悪に対しては神経質であるという美徳を持ち合わせていた。


 これまで悪の腫瘍が決壊しなかったのは彼が唯一の抑止となっていたからに他ならない。


「殿下、いや陛下は息災か」


 二人の衛兵はカイムの言葉に一瞬だけ動揺した様子で顔を見合わせると、神妙な面持ちで口を開いた。

「これは極秘の情報なんだが、この際だから言うぜ」


 ――シグラグ王は既に殺されている。


 驚愕の事実だった。

 衛兵の話によると、十日前にここプロメザラから外交のため自ら隣国メツギルへと赴いた王は、その帰途で夜盗に襲われ命を落とした。

 外交後ということもあり、一部の臣下に知れれば国同士の問題に発展しかねないために、未だ公表されていないのだという。


 カイムの率いる小隊に幾重もの方法を経由して渡される悪の組織に関する情報は、元をたどれば全てシグラグ王の命に行き着く。

 何かと命を狙われやすい王のこと、身辺の情報は信頼できる家臣と先王のみが知るはずだった。

 それが公に身を晒した直後に殺害された。


 とすると、小隊に流された情報は一体誰の手によるものなのか。

 答えは明白である。


「先代は? クレイス様はご無事か? 」

「……わからねぇ。だが、表向きには国外に追放されたってことになっている」


 カイムは徐々に全身から力が抜けていくのを感じた。


 全てはレドリゲス陛下の意のままだったのだ。


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