33話 夜戦④
「くそっ! お前も手伝え! 誰のせいだと思ってやがる!」
石屋を背負った棚木は後ろから徐々に迫り来るカイムの姿に焦りを覚えたのか、どこぞに向かってまくし立てるように言った。
ビュッ
「ぐぅっ!」
カイムが投擲した石が正確に片足を捉え、男は苦悶の表情を浮かべる。
「お前のやり方はだいたい分かった。見苦しいあがきはやめろ」
「――っこの売女が! こんなクソガキ運ばせやがって――!」
「どうした、この期に及んで仲間割れか?」
包丁を構え更に距離を縮めるカイムに対し、棚木は地面に放った石屋の首根に刃先を立てて牽制する。
「ああ、そうだ。ご自慢の魔法が通用しないと分かったそばから尻尾を巻いて逃げやがった。興味を持ったオスには手当たり次第に唾を付けるような女だ。これだから劣等種は信用ならんのだ!」
「先から気になっていたんだが、お前もその『劣等種』とやらに当たるんじゃないか? 俺にはお前が新人種に見えるんだが」
「……ふざけるな! 我々は世界で最も優れた民なのだ! 真なる神から認められた我々は劣等種とは違うのだ!」
棚木は手に持つ刀をカイムに向け、その場で止まるよう指示した。
「私の言うことにだけ答えろ! 答えようによってはこのガキを斬る!」
カイムは構えた得物を地面に放り、両手を上げて抵抗の意思がないことを示した。
「あのバケモノはなんだ!? 貴様ら穏健派の差し金か!」
「信じられないかもしれんが、俺にもよく分からん――まぁ、聞け。正直なところ、お前の言う『穏健派』というのもまったく理解していない」
再び石屋に刃を向ける棚木だが、目の前の男の真意が分からず逡巡する。
人質が危険に晒されている状況下で、男が嘘を吐く可能性は極めて低い。
しかし、仮に男が「多層世界」という広い次元で思考するネクロシグネチャーであったなら、一人の人間の命など平然と切り捨てる選択肢すら持つ。
「……貴様がなんであるかなど、この際どうでもいい。あのバケモノさえいなければ貴様など如何様にも殺すことができるのだ――おっと、丁度いいところに」
棚木が立つ位置から程近い茂みから出てきた武徳院は、時折足をもつれさせながらゆっくりと棚木の元へと歩んだ。
俯きがちに虚ろな目を地面に彷徨わせる様から、洗脳状態にあることが容易に窺えた。
「そこに落ちているナイフを取ってあれを殺しなさい。あれは間違いなく『魔物』です。あれが学院の生徒たちを傷付ける元凶なのです」
指示を受けた武徳院の体が瞬時に反応しカイムの方へと足を向ける。
ダッ
勢いよく踏み出した武徳院は瞬く間に標的へと距離を縮める。
「――なっ!? そんな『上書き』をした覚えはないぞ!?」
棚木の指示の通り、地に落ちたナイフを手に取りカイムを刺しに行ったかと思われた武徳院は即座に踵を返し、慢心し切った棚木の両腕ごと正面から抱き止めに掛かっていた。
「先生……先生がやったんですか?」
「何を言っているんだ? いいから、離しなさい」
諭すように語りかけ武徳院が自ら離れることを期待した棚木は、いつまでも全力で腕を固め続ける武徳院に苛立ちを覚え、振り解こうと藻掻く体を彼女ごと乱暴に揺すり始めた。
「麻由里はどうなんですか? あの子を襲ったのも先生なんですか?」
「うるさいっ、さっさと離せ! そんなこと知ったことか!」
洗脳の影響で疲労困憊となった身を奮い懸命に食い下がる武徳院。
しかし力任せに振り切ろうとする棚木の抵抗が徐々に勝り、ついに足が地面から浮き片手がその体を離れてしまった。
「麻由里は、本気で先生のことを慕っていたんですよ! 全部嘘だったんですか!?」
「――面倒な女だな。ああ、そうだ。生徒に慕われる教員であること、道場の師範代となったことも嘘だ。ゴミクズ共から魔術を取り上げるために、でたらめな術式や魔法体系を生活圏中に流布したのも私だ。私は身の程を知らぬ劣等種共に地の這い方を教えてやっているのだ。ガキ共に手を出したのはほんの気紛れに過ぎない」
残ったもう一方の手を振り払った棚木は刀を下げたままうつ伏せに倒れ伏す武徳院に近付く。
「そうそう、マユリとか言ったか。あれは滑稽なメスだったな。私に尻尾を振るばかりか恥ずかし気もなく欲情まで振り撒く売女だった。気紛れに抱き捨ててやってもよかったんだが――」
「この下種が! お前のような輩にはきっと神罰が下るだろう!」
力を振り絞り立ち上がろうと試みる武徳院だが、それは叶わず只々伏せた全身を怒りで震わせた。
「その神が私を許したのだ! この世の劣等種を悉く排除するためならば、いかなる手段も容認しようと――。私の命令に背くことは、神意に逆らうも同然。神を愚弄した劣等種よ、のたうち回ってその罪を懺悔し死をもって償え」
ザッ
「かはっ」
「――カズ、先に少年を連れて行け!」
〈今は古き世界樹の蘖、地底にあらざる者、矮小なる者共にその力を示せ。地母神プリトよ、彼の者たちに大地の恵みを、活きる力を与え給え〉
刃が武徳院の胴体を貫くのと同時に、茂みに潜んでいた二人と、棚木に対峙しているカイムが一斉に動き出す。
カイムは迷わず棚木に突進してその身をなぎ倒し、その隙に、角折は即座に練った簡易の活性魔法を武徳院とカイムに掛ける。
志崎は倒れる石屋の元まで一直線に駆け、女子のように軽い彼を脇に抱えて再び茂みの方へと離脱した。
「早く行け!」
「分かってるよバカ! もう、怪我しても知らないからな!」
武徳院の傷が塞がるのを確認した角折は、先を急かすカイムから少しでも距離を置こうと彼女を引き摺る。
「すまない、厨くん……君は正しかった……いつも、君は見えない敵と戦っていたんだ」
「もう、喋るな! くっ、言い訳なら、あとでいくらでも聞いてやるっ!」
「――姐さん!」
離れた場所に石屋を置いて戻ってきた志崎と共に武徳院を担ぎ上げると、二人は脱兎のごとく森の奥へと駆けていった。
「薄情なお仲間だなぁ。貴様一人でどうする?」
棚木はカイムに抑えられたまま、手にした黒い板を翳してみせる。
「いや、あれでいい」
未だ和希の身に定着し切っていないカイムは、エーテルを取り込む性質を持ったその板によって再び全身の脱力と意識の乖離を覚えた。
「小うるさい老人共もたまには役に立つものだ。まさかこんなところで使うことになろうとはな」
棚木は刀を振り上げ、蹲るカイムの胴体に斬り掛かる。
が、薄れ行く意識を彷徨いながらも寸でのところで伸ばしたカイムの手が棚木の両腕を捉え、刀の動きを封じた。
「無駄な抵抗だ。貴様は無様に死ぬ運命なのだ」
「かもな。だが、死ぬのはここじゃない」
二の腕から先の動きを封じられた棚木は次第に力を失っていくカイムを徐々に押し始める。
――ドッ!
「なっ!?」
突如揺れを起こす地面に、否応なく二人は揺さ振られる。
勢いよく地中から飛び出してきた棒状の物が二人の眼前に晒された。
そして信じ難いことにそれはカイムらを中心にして無数に出現し、瞬く間に辺り一面を覆いつくすほどに繁茂していた。
「これはなんだ! 貴様の仕業か!?」
「……知らん」
木の根に似た謎の植物の増殖は留まることを知らず、次第に幹を露わにし、枝を広げ、葉を茂らせる。
「バカな、ここ一帯を覆い尽くすつもりか!」
現出し更に増え続ける木々によって押し上げられた二人は、十メートルはある高さから謎の現象を見下ろした。
構わずカイムは握った手に力を籠め、捉えた腕を締め付けた。
「ぐっ! 貴様、まだそんな余力があったのか!」
「……お前に、最後の質問だ――」




