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28話 武殿

 杉の巨木が立ち並ぶ砂利の参道を抜け、『祈祷殿』『社務所』の立て札のある巨大な木造建築の前に出る。


 以前の大嵐の際に立ち寄ったことのあるそこは衛兵として城に仕えていたカイムでさえ異質に感じるほど広く、どこか(おごそ)かな雰囲気を感じずにはいられなかった。


「よくこれだけのものを建てたものだ」

「ああ、うちの中で最も新しい建物だが、この国きっての宮大工が腕によりをかけて建てた傑作だよ。ここで仕事ができる私たち神職も鼻が高い。中には神殿もあるんだ」


 制服のままの武徳院は社務所内にいる巫女に会釈をして、更にその先にある建物へとカイムを案内した。


 重厚な木の門戸を潜ると、少し奥まったところに巨木の森を背にして立派な構えの建物がある。

 大きく前に出た破風(はふ)と横に広くどっしりとした造りが鎮守の森と相まって訪れる者の気を引き締めるようだった。


「ここが『武殿(ぶでん)』、私たちの道場だ。厨くんには是非とも見てもらいたかった」


 表の鳥居を潜って以来、妙に上機嫌な武徳院はここ一番の笑みを浮かべて武殿の中へとカイムを招き入れた。


 ひと月前にカイムとの模擬戦を経験してからというもの、武徳院は厨の顔を見るなり何かと理由をつけては道場への勧誘を繰り返してきた。

 その度に断り続けたカイムが、どういう訳か今日になって突然自ら武徳院に声を掛けたのだ。


 何にせよ願ってもない申し入れを受けた武徳院は快く道場の「見学」を承諾し今に至るという訳だった。


 道場に入るなり、武徳院は上座に向けて平伏した。


「ブトキン、今何をしたんだ?」


「……? 礼をしたんだけど、何かおかしかったかな」


 顔を上げるなりカイムから礼の所作について問われた武徳院は、即座に自身に何か落ち度があるのではないかと思い至り慌てて動作を顧みた。


「いや、礼だな、うん。まったく問題ない」

 礼の所作に少々驚きを隠せないカイムは躊躇い、ぎこちない動きで武徳院の真似をした。


「今日は見学ということだったが、もちろん稽古もしていくだろう?」

「いや、見るだけでいい。何も構わず、いつも通りで頼む」

「そ、そうか……。では、少しの間ここで待っていてくれ」


 カイムの返答によって明らかに元気を失った武徳院は肩を落としたまま、早足に上座まで向かい引き戸で仕切られた部屋へと入っていった。


 広大な板の間に取り残されたカイムは道場内をざっと見渡してみる。


 外観から想像していた以上に年季の入った場内だが隅々まで掃除が行き届いており、かび臭いような嫌な古さは全く感じさせず、どこか趣のある骨董品を眺めているような心持にさせた。


 出ている物と言えば、面と胴を付けた打ち込み台が見えるのみ。

 五台ある内の一台の胴は正確に正中線を捉えられているせいか、正面は縦にラインのような打痕が無数にあり、今にも穴が空きそうなほどボロボロになっている。


 以前「多段突き」を受けたことのあるカイムには、これが武徳院の仕業であることがすぐに分かった。加えて、ひと月前に模擬戦で打ち込んだものよりも細かく、突きの精度が若干上がっているらしいことが察せられた。


「エイッ、ヤー!」


 場内にはカイムと武徳院の他に、四人の男女が稽古に励んでいる。

 歳は武徳院よりもいくつか下で、学院で言うところの中等部の生徒と同年代のようだった。


「厨くんから見て、彼らはどうかな?」


 道着に着替えて戻るなり、武徳院は四人の稽古を眺めるカイムに意見を求めた。


「十代の子供にしては随分と気合が入っているな。動きもいい」


 武徳院はある日を境に毎朝見せるようになった姿でカイムの横に立った。内心ではカイムとの稽古を強く期待しているため、愛用の木刀に加え大小の木刀を余計に携えている。


「ところで――」

「まったく問題ないぞ! いつ君が来てもいいように、こうして小さい方もいくつか用意してある! 君が望むなら、本来持ち込みできない武具も蔵から運んでこよう! 必要なものがあるなら何でも言ってほしい!」


 再戦を望むばかりに前のめりになった武徳院はそこでようやくハッと息を飲んだ。


 壁へと追いやられ苦笑する厨を前に、己の余りの強引さを恥じた。

 謝罪しつつ咄嗟に後退した足はもつれ、なんとか踏み止まることはできたものの頬は紅潮し呼吸は乱れ、どうにも格好がつかなかった。


『どうしても彼とまた語り合いたい』。カイムとの模擬戦以来、その一心で厳しい修練を重ねてきた。


 しかし、いざ彼を前にした武徳院は明らかに動揺していた。


 厨の強さを刻み付けた体が「まだその時ではない」と判断し、怖気づいているのかもしれない――これまで多くの強者を前にしても感じたことのなかった感覚に、武徳院は更に焦りを募らせた。


「タナキは来ていないのか?」

「タナ――え、ああ! 棚木先生は多忙だからな。時々教えに来てくれるんだ」


「ほう。師範代とは、その程度でいいものなんだな」


 カイムはここへ来た当初の目的を果たそうとしていた。


 学院の屋上で「棚木」と名乗った不審人物が武徳院の道場に出入りしている、という話を武徳院本人から聞いた。

 いつも通り道場への勧誘を切り出した武徳院に対し、適当な相槌と伴に棚木について尋ねてみたところ、まさかの「師範代」の肩書が出てきたのだった。

 そこから二つ返事で道場行きが決まり今に至る。


 カイムとしては棚木について一つでも多くの情報を引き出したいところである。


 だが、カイムの動機など露とも知らない彼女は訳も分からず舞い上がっていた。


「棚木先生と手合わせしたかったのだろうが、今は生憎といらっしゃらない。見ての通り道場には中等部の門下生しかいない。そこで、私と試合をするのはどうだろうか。模擬戦ほど本格的にとはいかないが、厨くんの暇潰しくらいにはなるんじゃないだろうか?」


「それは別の機会にしよう。実際、ブトキンから見てタナキはどの程度の手合なんだ?」

「くっ――……棚木先生は、強い。私などでは到底敵うような人ではなかった」

「ブトキンよりも強いのか。とすると、俺の見る限りではタナキがこの国で最強の戦士ということになるな。いったいどんな戦い方をするんだ?」


「戦い方? 棚木先生の戦い方か……えっと……あれ……? すまない、まったく思い出せない」


 目を閉じ首を捻るまで記憶を辿る武徳院だが、棚木に関する情報はそれ以上何も思い出せなかった。それどころか急に頭を抱え、その場に(うずくま)ってしまった。


「ただの眩暈(めまい)だ」と言ってカイムを制する武徳院の表情は硬く、明らかに苦悶に耐えているようだった。


 先から遠巻きに二人の様子を窺っていた中等部の四人も異変に気付き、女子二人は武徳院に駆け寄り、男子二人は急いで道場外へと分かれていった。


「みさお先輩、大丈夫ですか!?」


「ああ、ありがとう。少し眩暈がしただけだよ。――でも、そうだな。ちょっと控室まで肩を貸してほしい」


 二人の女子は武徳院の横に回り、両脇から抱え上げるようにしてゆっくりと体を起こした。


「厨くん、ごめん。せっかく来てくれたのに――」

「気にするな。とにかく今は休め」


 軽く頷き、項垂(うなだ)れた武徳院の額や首筋には汗が(にじ)んでいる。

 二人の門下生の力を借りてようやく歩を進められる程度まで衰弱した体。


 外見だけでも彼女が異常な状態にあることは明白である。


「――こちらです! お母様を呼んで参りました!」


 何よりも、武を重んじる武徳院が己と手合わせした相手のことを忘れることなどあろうはずがない。


 武徳院は何者かにより何らかの精神干渉を受けている。

 それも、十中八九で棚木に関する者の仕業だ。


 ――これは、罠か。


「みさおちゃんがいるのはあそこかしら? ――おや」


 この場の危険を瞬時に察したカイムだが、周囲に身を隠す場所もなく、格子窓を突き破って退避を試みようとした。

 しかし先の男子の一人が伴ってきた女性を目にするなり、カイムは意図して意識を途絶えさせる。


 覚醒時に自ら意識を絶つのは初めての試みだったが、連日の鍛錬による過労と睡眠不足も手伝い、これを難なく成功させた。


 カイムは意識の深層へと沈む最中、留まるもう一つの意識を表層へと押し出した。


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