23話 学院襲撃②
「敵は獣魔族が十、内二体が鳥型だ! 鳥の方は屋上の対空部隊がどうにかする! お前たちは正門から裏門にかけ全ての塀と柵を固め、くまなく警戒、迎撃に当たれ!」
「了解!」
男性教官の指示が校舎の壁に反響し辺りに響き渡る。
指示を受けた伝令役の生徒たちが四方に散り、配置に待機する隊員に向けて伝達した。
万が一にもアドブレインの不備がある場合や、情報を敵に操作、傍受されることを想定し、こうして口頭でのやり取りも行われる。
「おい、貴様ら! そこで何をしている!」
中庭の植栽に入ったところでカイムを見失った志崎、武徳院の両名は、校庭から東側の塀の警備を指揮する宮藤教官の目に付いてしまった。
「あの、私たちは決して、逸脱行為を企図していた訳ではなくですね――! 志崎くんっ、どこへ行くんだ!? ずるいぞ!」
教官の一喝を受け馬鹿正直に姿を現わした武徳院は、己を身代わりに先へと向かった志崎を羨んだ。
「武徳院、クラスはどうした? お前がそんなことでは示しがつかんだろうが」
「……申し訳ありません、宮藤教官。これには、その、のっぴきならない事情がありまして……」
「ほう。委員長の役割を捨て、あまつさえクラスの生徒たちを危険に晒してまで規範を逸する事情があると。説明してみろ」
「……は、い、いえ! 申し訳ありませんでしたぁ!」
先に離脱した二人を連れ戻すという名目は立つものの、やはり正直な武徳院は、単に「厨くんを追い駆けたかった」という余りに利己的な衝動に駆られてしまった罪悪感に苛まれ、教官に対し素直に謝ることしかできなかった。
宮藤は深々と頭を垂れる武徳院の肩を抱き、少し離れた部隊に背を向けそっと囁く。
「厨、志崎が逸脱するのは目に見えていたが、まさかお前まで出てくるとは想定外だったよ武徳院。この際、規則を破ったことについては不問とする――。代わりと言っては難だが、今から奴らがやらかすことを、ここでじっくり見ていくといい」
手近の隊員を呼び付けた宮藤は「怪我人だ」などと言い含め、固くなった武徳院を引き渡した。
目立った外傷がないため精神に異常を来したと判断された武徳院は、すぐさま校庭の隅にある仮説救護所へと誘導される。
「正門へ二体向かって来ます!」
一〇メートルの高さはある塀の物見台から海岸線側を見張っていた生徒が声を上げた。
「『他六体は市街地を南北に分かれた後、ロスト』――。よし、正門より二〇〇メートル圏内に入ったところを『火焔』で威嚇しろ。奴らは豆鉄砲では怯まんからな」
「了解!」
まだ三十に差し掛かったばかりかという若い男性教官の指示を受け、更に二人の隊員が鉄梯子を上って監視役の横につく。
「獣魔族二体、来ます!」
「よく引き付けて撃て! 威嚇だが、ここで仕留めても構わん! 目にもの見せてやれ!」
学院敷地内が高音の不快な電子音に満ちる。
見えない防壁が上空を含めた範囲全体を囲い始め、学院は外気以外の不純物を拒んだ。
「――てぇ!」
三人の生徒は空間に生み出した火の玉を接近する獣魔族に向けて一斉に放った。
『――縺舌=縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ▲窶ヲ窶ヲ!』
「一体やりました! 次、来ます!」
市街地を俊敏に駆け抜ける獣魔族の内一体は前方からの不意打ちを避け切れず炎をもろに食らった。
藻掻きながら焼け焦げていく一体をよそに、もう一体の脚は衰えることなくまっすぐに正門へと突進してくる。
「防壁を破られるまでに間がある! 槍で一気に制圧するぞ!」
すでに一〇〇メートルを切った段階で魔術での攻撃を中止させた教官は、槍を持った隊員に横隊を取らせた。
ガッ! グシャッ!
鼻面から防壁へと突っ込み仰け反った獣魔族だが、すぐに体勢を立て直し手にした脆い棍棒で防壁へ攻撃を始めた。
『邨カ蟇セ縺ォ繧?k縺輔↑縺!』
「全体進め! 奴を串刺しにしろ!」
不可視の壁をがむしゃらに攻撃する一体を前方から囲うように槍が接近する。
『菫。縺倥k縺ケ縺阪〒縺ッ縺ェ縺九▲縺!!』
「醜い魔族めっ! さっさとくたばりやがれ!」
罵声によって我が身を奮い立たせた生徒の槍先が防壁を越え、自分たちがまるで理解のできない叫びを上げる獣人の腹部を容易く突き刺した。
『……荳?譌上?縺九◆縺!』
「なに叫んでやがるんだ、このケダモノがぁ!」
「黙って死んどけやクソ!」
初めの一突きに背を押された生徒たちが一斉に槍を突き出し、視界に入る曖昧な黒い生物を滅多刺しにした。
『――縺斐a繧薙↑縺輔>縲らァ√?縺九o縺?>蟄蝉セ帙◆縺。……』
痛みに耐え兼ね倒れ伏した獣人の体からは執拗に刺された複数の穴が広がり、悍ましい量の血液が流れ出た。
いきり立った矛先を下ろした生徒たちは、血だまりに転がる忌々しい物体を見下ろす。
「きたねぇモン出しやがって……! 片付ける身にもなってみやがれ」
防壁を境にして横に広がっていく血だまりから距離を置いた生徒が悪態を吐いた。
「そう言ってやるな。この男にも大義があったのだろう。敵とはいえ骸にまで罪はない。丁重に扱ってやるのが礼儀というものだ」
槍を持った生徒の背後から現れたカイムは開口一番に説教を垂れた。
不意を突かれた生徒は、カイムを同じ学院の生徒とは気付かず咄嗟に身構えてしまった。
「――くそっ、驚かせるんじゃねぇ……! 見ない顔だが、どこに隠れていやがった。持ち場はどうした?」
「ずっとそこの草むらにいた。生憎と俺に持ち場はない」
理解不能な登場に加え、自身の役割すら分かっていないカイムを前にした生徒は呆気にとられた。
「お前たちが殺した妍狼の男女、目的はいったいなんだ? 相当な恨みを持っているように見えたんだが」
「あ、ああ? 奴らの目的なんて知ったことかよ。勝手に出てきて、勝手に攻撃してくるから、仕方なくぶっ殺してやってるんだよ」
「勝手に――? 話が読めんな」
先程の獣人の姿、叫びを直に見聞きしたカイムは、生徒たちの言動にどこか違和感を覚えていた。
「――鳥型が防壁を越えただと!? 対空部隊は何をやってるんだ!」
正門に転がる獣人の骸を確認していた教官が声を上げる。
アドブレインを介して正確な位置情報を伝えられた生徒たちは男性教官からの指示を待っている。
「先の魔術班は充填までの間後方で待機。前衛は北側の部隊に合流し、魔術班の『雷撃』準備が整うまで槍での牽制、鳥型の足止めに協力しろ!」
指示を受けた生徒たちが「了解」するより早く、カイムは校庭を突っ切り、校舎の北側へと急いだ。
「雷撃よーい! 槍を捨て後方へ退避せよ!」
その場に槍を立てた二十名近くの生徒たちが一斉に校舎へ向けて走っていく。
上空には校舎の五階よりも低い位置で小さく翼を広げ、全身を丸めた状態の獣人の姿があった。
先まで散々槍を受けていたのか、翼や体からは至る所から血が滴っているのが分かる。
「てぇ!」
「やめろ、撃つな!」
もはや間に合わないと見たカイムは即座に五人の術師が固まる列に突っ込んだ。
ピシャッ――――ズシャーン!!
術師の一人にカイムの指が触れるより速く、起動した術が上空に弱々しく羽ばたく少女を襲った。
『――――縺斐a繧薙↑縺輔>……』
翼が止まり落下する少女を、地面に叩きつけられる寸前に滑り込んだカイムが受け止める。
カイムの介入により術師三人の注意を逸らしたものの、残る二人の雷撃をまともに受けた少女は一溜まりもなかった。
鳥人族の少女の全身は硬直し、何度も浅く息を吐き続けている。
粗末な襤褸布から露わになった皮膚は赤く爛れ雷撃傷が目立つ。
誰が見ても一刻を争う状態だった。
「――おい、何をしているんだ!? 早くそこをどけ!」
少女を抱え上げたカイムに向けて、その場を指揮する教官が声を上げた。
居合わせた生徒たちは皆、各々に手に持った槍を彷徨わせ、只々カイムの奇行を丸くした目に映した。
「お前たちこそ何をしている! 術師がいるなら早く手当てをしてくれ!」
先の雷撃を放った生徒の元へ行こうと足を踏み出した瞬間、示し合わせたかのようにカイムの周りを長槍の集団が取り囲んだ。
「気でも狂ったのか貴様! その醜い魔族をそこに置け!」
刀を抜き放った教官が切っ先をカイムと少女、交互に向け顔を震わせた。
「……お前たちにどんな大義があるかは知らん。だが、力なき者を虐めぬくやり方を認める訳にはいかない」
少女の体をその場で横にしたカイムは、腰の得物に手を掛け、脱力した体を前方へと傾けた。
――ザッ、タタッ!
縮地により瞬時に距離を詰め、槍を持つ一人の生徒の下方から懐に入り、脛に一撃、振り抜きざまに逆手に持った包丁で手首を切り付けた。
「アツっ――!」
ようやく各部に異常を認めた生徒が顔を上げる頃には、その背を取ったカイムは片手を拘束し首筋に刃を押し当てている。
「この男の命が惜しいか。であれば、そこの術師を使い、早急に少女の手当てをすることだ」
「な、なにをバカなことをしている!? 退学どころでは済まされんぞ!」
動揺する教官に向け、更に生徒の首筋を持ち上げて見せる。
「知ったことか。お前の選択次第では、もはやここに用はない」
「貴様、舐めているのか!? その程度の刃物で傷付けられる訳がないだろう!」
「――ううっ……き、教官!」
教官をはじめとして、その場に居合わせた誰もがカイムの取った行動をただ無意味なものと捉え、生徒に至っては危機感を持つことはおろか理解すらしていなかった。
人質に取った生徒の首を一筋の血が流れ落ちる。
「早くしろ。こっちは急いでいるんだ」
「どうやって――!? 何故、傷が付いているんだ!」
事態が飲み込めず益々動揺する教官を前に、生徒たちは次第に事の異様さに気付き始めた。
――人はある一定の等速度、力を知覚することができない。正確には「できない」わけではなく、知覚することを放棄する――。何故か。
それはもはや知ったところで活かしようのない情報だと、脳が身勝手に切り捨ててしまう、云わば本能のようなものである。
動きにムラのある刀の軌道は捉えられても、動き出しの挙動もなく一定速度で振るわれる刀の動きは捉えられない。気付いた時にはすでに刃先が眼前を過ぎている。
掛かる力についても同様。
瞬間的に加えられた力、ムラのある力には、意識せずとも体は反応し抵抗を始める。
しかし、いつの間にか触れられた圧、そこから一定に掛けられる力には反射できない。
それが人間である。
そもそも人の恒常性を利用して、更に活性化させることを目的としたアドブレインは、その域を出ない。つまり、どこまで行っても人間の付属品でしかない。
修練によって人の知覚域を把握するカイムにとって、アドブレインが構築する防御壁など紙切れにも等しかった。
人の苦手を克服すべく開発されたアドブレインであるが、元が心身を含めた状態や身元把握、治癒力向上等の医療を目的としたために、戦闘時における脆弱性は未だに多くの課題を残している。
ここへ来てたったひと月にも満たないカイムでさえ、アドブレインに頼り切る人々の思想に疑念を抱いていた。
「いやぁ、遅くなってすまない! 和希くん、まぁ落ち着きたまえよ――」
異様な空気に張り詰めた集団を割って、颯爽と現れたツインテールが急ぎ足に踊る。
生徒に張り付いたカイムをそっと引き離した神野は白衣を翻し、倒れた少女の元へと寄った。




