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21話 はまなすの精

        *


「――雨、弱くなってません?」

 外の変化に逸早く気付いた志崎が扉を開き、雨脚が遠退(とおの)いていることを確認する。


 誰の意思ともなく、津賀は高機動車のエンジンをかけ海の方へとハンドルを切った。


 ――タッ! タタタッ!


 住宅街の塀を銃声が伝ってくる。

 距離は近く、方向はおよそ先程カイムたちが騒がせた海岸線の付近のようだった。


 タァーン――! ガッ。


 すぐ近くで何かに銃弾が命中したらしく、少し先の方から複数の外殻が発する(なめ)らかな走行音が聞こえてくる。


『――イヤダ、イヤダ! イキタイ、シニタクナイ――!』


 一行の車両が海岸線への交差点に差し掛かったとき、ノイズ混じりの音声を発する人型が目の前をぎこちない動作で走り抜けるのが見えた。


「攻撃を受けているのか!?」

「安心しろ厨。あれはさっき射出した人型だ」


 臨戦態勢に入るカイムを沼尾が(なだ)め、志崎が席へと落ち着かせた。


 人型が行ってすぐに二機の外殻が過ぎ去り、次に聞こえた銃声はずっと遠くの方からだった。


 再び動き出す頃には、すでに車内の時計は四時を回っていた。

 車窓から見るどす黒い雲は沖の方へと流れ、雲間には所々空の青が垣間見える。


「津賀、あそこに向かってくれ」


 一行は水平線から覗く光を仰いだ。


 海岸線に折れた車は角折が意図する場所へと向かった。


 沖に向かってやや迫り出したところに広場が見える。

 台座に(たたず)む一体の銅像を除いて、そこには他に何もない。


 一行は路肩に止めた車から降り、角折を先頭に銅像へと歩み寄った。


 一端の嵐は過ぎ去ったとは言え、海風に吹かれる岸壁には絶えず波飛沫(しぶき)が舞う。

 片腕を上げ、陸地の方を見守る像が一身にその飛沫を受けている。


「――アニラ様……おおっ! アニラ様!」


 銅像を間近に目にしたカイムは思わず叫び、台座の下に(すが)り付いた。


 長い髪とまとったチュニックを風になびかせ、柔和な笑みを浮かべる女性の彫像。

 上げた右腕、その手には今にも飛び立たんする海鳥を伴っている。


「たとえ世界を違えようとも、こうして祈ることをお許し下さろうとは――」


「『はまなすの精』だ。我々『ハマナス会』が心の拠り所とする常陸国の誇りだよ」

「……なんだって? これは、間違いなく女神アニラ様の伝承を基に造られた彫像だろう。風になびく髪や衣服は容易に風神を想起させ、そばには必ず使いの鳥の姿がある」


 カイムの記憶には確かに、各地の街道や教会に置かれた女神像があった。

 しかし、角折は当然風神アニラの存在を知りながら、にべもなく首を振る。


 台座に手向(たむ)けられた花を一つ取り、納得のいかないカイムの手に持たせた。


「いいや、『はまなすの精』だ。異論は認めない――。見ての通りハマナスは海辺で生きる草花のことだが、潮風の吹く砂浜や枯れた土地でも育つことのできる強さを具えている。花は朝開き次の日には散る。美しくも儚い花だが必ず実を残す。実は生きる物の糧となり、残った種は芽吹き大地に根を下ろす。どんなに過酷な戦いだろうと浜に戻れば必ず迎えてくれるハマナスは、我々に『旅の楽しさ』を教えてくれたんだ」


 日の光を浴びる花の赤は周囲の淡い世界からくっきりと分かれ、照り映えている。


「俺たちはこちら側にきた目的を忘れないために、たまにこうして女神様を拝みに来るのさ」


「『はまなすの精』だ!」


「ヌマオも女神と言っているだろう?」

「……厨さん、姐さんは地母神プリトを崇拝しているので、僕たちが拝むこの像をアニラ様と認める訳にはいかないんです。かと言って、こちら側には元いた世界での習慣がまったくないので、どうしても心の奥底では、アニラ様を彷彿させる銅像から離れることもできません……」

 

 すかさず角折の事情について志崎が補足する。


 心に決めた主神がいることで表立っては(あが)めることはないが、内心では唯一の心の拠り所とする角折のいじらしさに、カイムはひどく心を打たれた。


挿絵(By みてみん)


「ったく、地母神とも在られるお方が、そんな小さなことで目くじら立てる訳もなかろうに。要は気の持ちようだろ」


「だからなんだよ。まぁ実際のところ、魔法に向けるモチベーションに変化があるのは事実だけどさ――っつか、お前たちまで女神とか認めてるんじゃねぇ! これは、はまなすの精だ!」


「素晴らしい……! 一度『これ』と決めたことを貫徹するその心意気、貴女こそこの魂を捧げるに相応しい女性だ」


「なっ――!?」


 角折のもとに跪いたカイムは、一も二もなくその小さな手を取り唇を近付けた。


「や、やめろぉ、バカ者! 孕ませる気かっ!」


 寸でのところでカイムの手を振り払った角折は全速力で車へと走り、懲りない男から過剰な距離を取った。


「シシリィ殿下ぁ! どちらへ行かれるのですか!?」


「こっちに来るな、変態っ! おい津賀、早く出してくれぇ!」


「やれやれ、おひい様の頼みとあれば応えなくちゃね」

 津賀は広場に立ち尽くすカイムの肩を二度軽く叩き、小走りで愛する車の元へと戻っていった。


「じゃ、僕もこれで。また学校で会いましょう」


「――カズ、学校でもこうして気軽に話してくれると助かるんだが」

「学校、では無理ですね。今の立ち位置が定着していますし、何より厨さんの立場を守るためにもなります。僕はこれと言って特別な能力もありませんので、一歩引いたところから厨さんをサポートしますよ」

 

 遠慮がちに手を振った志崎は先の二人の後に続いた。


「恭司の息子よ。今度会うときは是非とも手合わせを願いたい。それまでどうか息災で」

「ああ、お手柔らかに頼む――うっ……」


 差し出された手を打ち返そうと膝を緩めた瞬間、カイムの体が横に揺らいだ。


 沼尾の節くれ立った大きな手が伸び、そのままカイムの体を支える。


「――!? おい、なんだこの熱は!?」


「すまん、少し疲れが出ただけだ。ヌマオも早く行け、出遅れてしまうぞ」

「そういう訳にいくか! いつからだ、海を上がってすぐか?」


 カイムの脇から腕を回そうと巨体をかがめる沼尾に、カイムはその肩を押し「待った」をかける。


「ここに来て数週間、しばらくこの状態だ。まったく問題ない」


「どこからどう見ても問題ばかりなんだが――ん?」


「――くーん……! ――くーーん……!」

 海岸線から遠くに見える鎮守の森の方角から、何者かが大声を上げながら一行の方へと向かってくる。


 (まぶ)しい朝日と海や道路の照り返しを受けてぼんやりとした輪郭は、やがて道着を着こんだ女性らしき人影に変わり、それが一行に向けて(しき)りに手を振り上げている。


「お前の連れか? 彼女に任せても大丈夫そうか?」

「いや、もう平気だ――。しかし、ブトキンは妙なところで生真面目な女でな。ここで捕まると朝の鍛錬に支障が出そうだ。足止めをしておいてくれ」


 カイムは言うなり海岸線を武徳院とは逆の方へと走り出した。


「ちょ、おーーい!」


 沼尾の叫びが、すでに遥か先を疾走するカイムの背を追う。


 体に似合わぬ走力を目の当たりにした鬼人の男は、先の少年に対する心配などどこへやら、数十年ぶりに全身を(うず)かせた。


「はぁ、はぁ……この辺りに、厨くんが見えた気がしたんだが……」


「よぉ、嬢ちゃん。もしかして、あの坊主の愛人か?」

「おはようござ――愛人!? いえ、滅相もありません! 私はただ彼、厨くんが何をしているのか気になっているだけで――……決してやましい気持ちなどありません!」


「お、おう、そうか。あいつなら、もうずっと先に行っちまったぞ。追い駆けるんならケツ引き締めて行けよ。経験上、ああいう男は歳を食うまで散々女に迷惑掛けるもんだ」


「はい……? 教えていただきありがとうございます。ところで、あなたはいったい厨くんの――」


「伯父だ。ちょうど盆支度について相談しようと思ってな。あそこにいるのが和希の従兄弟たち。こっちにいる間、仲良くしてやってくれ」

「そうでしたか、もうそんな時期でしたね。ご挨拶が遅れました、私は武徳院と申します。厨くんとは学院のクラスメイトで――」


 何気なく路肩に停まる車を視野に入れた武徳院が、ふと車窓に目を留める。


「どうかしたか?」

「いえ、少し見知った顔が見えた気がしたもので。あ、やはり気のせいでした」


 窓越しに激しく手を振ってくる少女に向かって、武徳院は笑顔で振り返して応える。


「そんなことよりいいのか? もう見えなくなっちまったぞ」


「あ!」


 状況を理解した武徳院の足はすぐさま動き出す。


 かと思えば、二三歩で立ち止まり沼尾と少女らに深々と礼をしてからその場を後にした。


「おい、おっさん! 『警戒解除されました』ってさ!」


 固いウィンドウハンドルを途中で手放した角折は、中途半端に開いた窓から顔を覗かせ、沼尾にノートパソコンに入ったネクロからの情報を口頭で伝えた。


「取り敢えず現状、防壁周辺に(ひず)みはないんだと」


「おう、お疲れさん。しばらく寝られそうだな?」

「だといいんだけどね。で、カズは学校行くんだっけ? 最近ずいぶんと熱心だけど」


「はい、あと三時間後に登校するつもりです。一度家に戻って着替えたいと思います」

「『先生』が手回しするんだろ? 通う必要あんのか?」

「はぁ、ま、そうですけど――」


「仮に今のまま『先生』の助力があれば、何も労せず卒業することは容易だろう。しかし、内容の伴わない称号なぞにはなんの価値もない。そうでなくとも学問はしっかりと修めておくべきだ。訓練ばかりにかまけてきた俺だからこそ分かる――。カズはようやく学校で学ぶことの意義を見出したのだろう?」


「う、うん。だいたいそんな感じ……」


 珍しく沼尾からの真っ当な助言を受け、曖昧に頷いて応える志崎。


 志崎は心中、私的なわがままにも関わらず学校に通わせてくれるハマナス会の面々に感謝しつつ、その動機が勉学や訓練に向けられるものばかりでないことを苦しく思っていた。


 むしろ厨和希、学院内での彼の奇行を逐一監視しフォローすることこそ、現状志崎和が学院に通う主たる動機の一つとなっていたからだ。


「――んひぃいいいいっ!」


 近くの路地から物凄い勢いで奇声が接近する。


「あ、こらっ、厨くんっ! どうして逃げるんだ!?」


 車内に落ち着いた一行は、どこか聞き覚えのある二つの声に耳を傾ける。


「もっ、つらっ! 逃げ――って、あんたが、怖いからだろっ……!」


「怖いことなど、あるものかっ! だからっ、逃げるんじゃなーい!!」


 雨上がりの澄んだ空気、静謐な朝の町内を奇抜な二人が騒がせる。


 明らかに疲弊した様子の一方は舌をもつれさせながら先を行き、そのすぐ後を威勢のいい女が追った。


 やがて遠ざかっていく取り留めもない二人のやり取りを聴いたハマナス会は、満場一致で厨の監視の必要性を察し、そっと志崎の肩に手を置いた。





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