1話 プロメザラ城下
静まり返った夜の街には時折不規則な嬌声が上がる。
人々の営みを随所に、淫靡な空気をまとった方々の瞬きが絶え間なく揺れている。
日中商人や旅人を騒がせた露店街も、今ではひたすら肉を打つ音を響かせる。
事を終えたらしい一角の灯火がまた一つ消えた。
家屋の一部屋、女体をつぶさに見ずにはいられない好き者の閨。
いつになく陶酔した主人は、いきり立った一物と肥え太らせた醜い体を躍らせ、気まぐれに迎え入れた女を覆った。
しかし果てるが早いか、甲斐甲斐しく恥じて見せた女が灯りを摘まむのと同じくして、男は激しく体を震わせる。
伴って這い出た悍ましいほどの横溢が散々愛でた艶を汚した。
やがて体毛に覆われた腹部は虚しく布に沈んだ。
生気を失った一物がだらしなく垂れ下がり、僅かばかりに先端を濡らしている。
「――あとの処理は任せろ。下で水を張っておいた」
「感謝いたします」
仕事とは言え不覚にも汚れてしまった部下に清潔なシーツを手渡しながら、脂ぎった血の付いた粗末なナイフを男の首に添え力を込める。
吹き出るはずのものはすぐに流れ、背部からほとんど抜け切っていただけにさほどの勢いはなかった。
「お前にはこいつがお似合いだ」
そのまま露店で買ったごくありふれたナイフを男の横に投げ捨てた。
蛇足とは思いながらも、ついでに寝台の周囲を満遍なく散乱させ奥にある窓を開け放つ。
「お待たせいたしました」
予想以上に早く戻った部下は、雑に束ねた漆黒の髪を月明かりに揺らす。
先に見せた美しく均整のとれた肢体は、着古し、くたびれた装束に納められた。
そして次の瞬間には、既に踵を返し一足飛びに屋根に出た上官の後を追った。
城下に向かって群がる家屋の上を夜闇に紛れた二つの影が颯爽と行く。
火月の盛りとは言え夜の空気は冷える。
女の魅力を保ちつつ極限まで削ぎ落された一方の頬は尋常ならざる速度に冷気をまとった。
少し先を淡々と行く男は元より全てが冷め切っている。
殊に仕事において男は無の境地にあるのだ。
二人の後には只々怪しい光と不可解な臭気に霞んだ夜の街並みが残った。
路地に響く肉を打つ音。どこからともなく上がる嬌声。
方々で立ち込める糞尿の臭いを胡麻化す、噎せ返るほどの芳香。
それらがこの城下街として形を成し、醸成されている。
ここは正に、数え切れないほどの欺瞞の上に築かれた幻想の城だ。
城下にあっても人々は生き、愉悦を享受する自由を持っている。
また、「王」に迎合するのも自由である。
王は民草に囁く。
『もっと働け。もっと励め。そして落として朽ちて行け』
付き従い、対価として与えられた糧によって人々は刹那の快楽を得る。
奔放な者たちは所構わず打ち鳴らす。
人々は削った命と与えられた糧とを秤に掛けるまでもなく、気付かぬままに痩せ衰えていく。
『何もするな。何も考えるな。腰だけ振って金を落とせ』
偽りの王は尚も囁く。
憐れな無辜の民草は、自らが主の御立派な肥しをこさえるためだけに生かされていることを知らない。
知っても尚腰を振り、子を成し、憐れな奴隷に成り下がる。
ただ支配されているのではない。それを望み、迎合しているのだ。
暗殺者の男は道中、女に別れを告げ、城下街北西部にある兵舎裏に立ち寄った。
心許ない街灯を頼りに向かう先には井戸がある。
汚れ仕事を終えた後はそこで身を清めるのが男の常だ。
しかし今は先客がある。
「おい、おやっさん。こんなところで寝るんじゃない」
恐らく酔いに任せて情事に耽ったのだろう、だらしなく下半身を露出したまま滑車の傍にもたれた老兵に向けて言った。
このままでは風邪を引くばかりか、井戸に落ちるか、輩に襲われ死ぬ。
放って置くのも自由だが、律儀な男は今宵寝付きが悪くなるのを恐れ、疲弊した体に鞭打ち伸び切った元同僚の体を引き摺った。
「――ん。おお、カイムか。ふへへ。お疲れさん」
黒装束の男カイムは肩越しに吹きかかる酒気を帯びた吐息から顔を背け、誰もが口を揃える二枚目を若干顰めた。
「少しは自分で歩け」とぼやきながらも、日中を伴に齷齪働いた憐れな同胞を決して見捨てはしなかった。
「マイアはどうした? あの別嬪さんはよ」
「今日はもう仕舞いだ。それに彼女がここに来る必要はない」
兵舎内にある急患用の簡易ベッドまで男を運んだカイムは、先まで行動を共にしていた女性の名が出るなり少々乱暴に男の身を落とした。
それについて文句を垂れた男は、次の瞬間には憎たらしい笑みを浮かべてみせる。
「あいつ、お前に惚れてるぜ」
「無駄口を叩けるだけの元気があるなら夜警に戻ればどうだ?」
身を横たえた衛兵は辛辣な返答に身震いするが、戸口から去ろうとする男の背に向けて尚も言葉を投げ掛ける。
「な、あまり怖い顔すんなって。お前が妻子を大事にするのはよぉく解ってる。けどよ、あの娘はお前とティナがくっつく前からお前のことを」
「断ったと言ったはずだ。それで彼女がどう思おうが勝手だ。俺にはどうすることもできん。話は終わりだ」
「あんまりだぜ、なぁ! いつまで知らん顔するつもりなんだ! よぉ、おい!」
一方的に話を打ち切った男は既に後ろ手にした扉を乱暴に送った。
それからすぐに家路に着くかと思われたカイムの足は再び夜の街を疾走する。
その手には先と同様の粗末なナイフがある。
どこもかしこも臭気の漂う霞んだ街には、詩人が歌う以上に多くの仕事が残されているのだ。
どこからか夜泣きが聞こえる。
真夜中の合奏は軽快な打音や絶頂のビブラートばかりではない。
石造りの家屋、夜の街路には不思議とそれがよく響く。
その声は何を訴えているのか、一向に止む気配の無いまま地を駆ける男の耳に絶えず囁き続けた。




