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16話 級友

 

 入学式から約三か月ぶりの登校を果たした和希だったが、その後一週間もの間、学院で得た記憶はたった数分にも満たず、その数分ですら理解できずにいた。


 耐え難い筋疲労によって机に伏しているところへ、どこか見覚えのある美少年に顔を覗き込まれるという謎のシチュエーション。


 不安気に眉根を寄せ、上目のまま小さく「だいじょうぶ?」と囁く少年。

 いい匂いのするサラサラの髪をかき上げる仕草が、何故だが余計にドキドキさせた。


 無論、まったく大丈夫ではない状態の和希は返答はおろか身動き一つ取れないまま、意識を途絶えさせたのだった。


 意識や記憶が断続的になるのは、なにも学院だけに限った話ではない。


 学院外で和希が意識を戻すとき、決まって見慣れた朝の故郷の風景が視界に飛び込む。


 微睡(まどろ)みの中にある爽やかな朝のひと時ならよかった。


 そこにあるのは体が八つ裂きになるんじゃないかと思えるほどの疲労感。

 乾き切った喉に汗塩でじゃりじゃりになった半裸状態の体。

 裸足に響くアスファルト。両手にはいかついコンクリートブロック(ブレスレット)


 止まろうにも止まれない体は故郷の街を疾走し、慣性に動く足はふらふらと行きつけの公園へと向かう。


 止まれば死ぬ。止まらなくても疲労で死ぬ。取り敢えず、ヤバい。


 なんか――死ぬ。


 そんな予感が頭をよぎったところで、体は別の何かに衝き動かされるように独りでに、かつ軽快に動き出し、意識が途絶える。


 もうたくさんだった。


        *


「――ねぇ、厨くんっ! ……どうしよう、また気を失っちゃった」


 不意に途切れた意識が再び覚醒していく中、カイムはここ最近もう何度も聞いたその声を心地良く耳にしていた。


「『かわいい』な、お前は」

「起きてたの!?」


 薄目を開けるカイムの視界には、ぼんやりとしていた像から、今でははっきりと中性的な顔立ちの美少年の姿がある。


「向いていると思うんだがな、暗殺業」

「いやだよ! そんな物騒な仕事!」


「その容姿を活かさない手はないと思うんだがな――」


「いやっ! 好きでこうなったんじゃないし! お兄ちゃんは『もっと男らしく』って言うし、お姉ちゃんは変な目で見てくるし……! とにかく、いやっ!」


 両手の拳を握り、懸命にかぶりを振る石屋。


 カイムはすでに不要とは知りながら、提案したそばから必ず否定されるこのやり取りをどこか気に入っていた。


「他に、何かやりたいことでもあるのか?」


「……うん。絶対に笑わない?」


 カイムを確かめるように(ささや)いた石屋は、軽く頷いたのを認め、そっとカイムの耳元に近付いた。


「僕、お花屋さんになりたいんだ」


「――うっ。こそばゆいな」


「ぼ、僕だって本当はこんなことしたくないよっ! でも、厨くんと個人間通信(パーソナル)しても全然つながらないんだから、仕方ないじゃん……!」


「パ、なんだって?」


「個人間通信だよ。学内メッセにしても、この教室で接続されてないのって、志崎(しざき)くんと厨くんくらいじゃないかな」


「シザキ? 初めて聞く名だな」

志崎和(しざきかず)くんだよ。ほら、この前の模擬戦のときに来てた――」


「ああっ、カズのことか! シザキカズ。奴はそんなややこしい名前だったのか」


「いやいや、まったくややこしくないけどね。それより、厨くんの体細胞付加型微細機(アドブレイン)だけど。ちょっと調整してもらった方がいいかも知れないよ。場合によっては全替えかも」


「……前々から気になっていたんだが、そのアドなんとかってのは、そんなに重要なものなのか?」


 何気ないカイムの質問に石屋は唖然として答える。


「あの、いや、厨くん。アドブレが無いと、世の中生きていけないよ? 厨くんも五歳の頃に、投与されてるはずだよね?」


「生きて……そんなにもか? 投与されているのか、俺は?」


「――まずいよ、厨くん。アドブレがないと身分も証明できないし、学区外にも出られない。何より、買い物もできないんじゃ、これからどうやって生きていくの?」


 石屋の衝撃的な発言に、カイムはようやく事の重大さを理解した。


 だがそれ以上に石屋は、目の前にいる男がこれまでの十五、六年間もの間、全国民が保有を義務付けられている最先端必須技術を持ち合わせないばかりか、『もはや原始人並みの知識しかないのでは?』と思えるほどの無知ぶりに驚きを隠せずにいた。


 あまりのショックに、そもそも厨和希という一少年が、生体認証や身分証も無しに学院に侵入できてしまっている事実まで思考が回らなかった。


「おいっ、イシヤ! これは!? この腕輪でどうにかならんか!?」


「ちょ、厨く――ぷっ。ごめ、無理っ、はははっ! さすがにそれじゃ、無理だよっ! っていうか、なにその腕輪……!」


 苦し(まぎ)れにカイムの腕から飛び出した腕輪を前に、さすがの石屋も笑わずにはいられなかった。


「オリハルコン製なんだが!? イシヤ、どうにかしてくれっ!」


「はははっ! もう、やめて、笑い死んじゃう……! ――ふぅ。そんなアナログ知らないよぉ……。とにかく、神野先生に相談した方がいいかもね」


 生きることに必死なカイムに教室中を散々追い回された石屋は、込み上げる笑いの間隙(かんげき)に一先ず椅子へと落ち着いた。


「おーたろーくぅーん」


 廊下から下卑(げび)た笑い声が響いてきたかと思うと、石屋が座すのと同じくして、ガラの悪い三人組の内の一人が気色の悪い猫撫で声を出しながら歩み寄ってきた。


「ずいぶん楽しそーじゃん? 通信、無視しちゃダメでしょ?」


「――あ……ごめん、なさい」


「おい、桜太郎くん怖がってんだろ。いいって、いいって! たまにはそういうこともあるよな! 全然気にしてないから!」

「だよなぁ。俺たち、ダチっしょ?」


 見る見るうちに三人組に囲まれる石屋。

 外見からしてまったく釣り合っていない異色の「ダチ」を前に、石屋は明らかに委縮している。


 カイムの目には、心なしか周囲が距離を置いたように見えた。


「でさぁ、用件なんだけどぉ」

「ぎゃはははっ! おめぇ、焦りすぎだろっ」


「――はい。今、確認しました。指定されたファンドに加算しておきました」


 石屋が口を開いた瞬間、初めに声を掛けてきた男がズカズカと一気に距離を詰めてくる。


「ちょっ、困るよ桜太郎くーん。俺たち、友達じゃん? お話は、通信だけでオーケーっしょ?」


「ご、ごめんなさ――」


「おい、お前たち。いい加減にしたらどうだ? 石屋が嫌がってるだろ」


 座ったまま深々と頭を下げる石屋の前に、三人の包囲網をカイムが割り込む。


「んだ、このデブ。どっか行ってろ」


 一人の男が、立ちはだかるカイムの左肩辺りを手で軽く突いた。


「おっ――?」


 が、微動によって突きをいなしたカイムは、相変わらず毅然(きぜん)と男たちの前に立った。


「こいつ知ってるわ。この間の模擬戦で、みさおちゃんにボコボコにやられたザコだぜ」


「ああっ! あの、最後にずっこけたっていうデブ、こいつだったのか! ウケる!」


 男たちはカイムを囲いに取り込み、好き放題に罵声を浴びせ、嘲笑(あざわら)った。


「お前、魔術が使えないんだってな? そんな体で、しかも魔術も使えないんじゃ、戦力にならねぇじゃねぇか。学院にいる意味あるん?」


「魔術? なんのことか分からんが、話が終わったのなら、さっさと消えてくれないか? せっかくの小休止が無駄になる」


 息をするように言ってのけたカイムの態度に、男たちの表情が一変した。


「デブ、お前調子にのんなよ?」


「調子にのっているのはお前たちの方だろ。先からオス臭くて(かな)わん」


「テメェ――」


 激昂(げっこう)した男がカイムの胸倉を思い切り掴み上げる。


 しかし、尚もカイムに(ひる)む様子はなく、悠然と地に足を着けたまま男の目線に詰め寄った。


「おいっ――分かってんだろうな?」

「ってるよ、うるせぇな――」


 初めの男が、胸倉を掴む男に何事かを耳打ちする。


「デブ。お前、俺たちのこと殴りたくてしょうがねぇって(つら)してるな? おっと、胡麻化しても無駄だぜ。さっきから手がプルプルしてるじゃねぇかよ。えぇ?」


 言動では一見落ち着いているカイムだが、実際男の言ったように今か今かと動く機会を(うかが)う体は正直だった。


「殴ってほしいのか?」


「おお、いいぜ。掛かってこいよ」


 胸倉を掴んだ腕が緩んだ刹那、カイムの体が(こぶし)一個分その場に沈む。


「――厨くん、ダメ!」


 石屋の叫びに、ゼロ距離から(はな)たれたカイムの拳が男の胸部にピタリと止まる。


「学院内の『暴力行為』は、停学、もっと悪ければ退学処分にされる――。どうやっても、記録(ログ)に残るんだよ……」


 一歩離れた位置から一部始終を見ていた一人が、わざとらしく大きく頷いてみせる。


桜太郎(おうたろう)くんの言う通りだよなぁ――デブ。お前はもう終わりだぁ!」


 カイムと胸倉男とのやり取りを『暴力沙汰』と確信した二人の男は、いやらしい笑みを浮かべながら、立ち尽くすカイムを見下した。


「もう学院には来れねぇなぁ! なんせ俺たちに暴力を振るったんだからな!」


「――いや、待て――……てねぇ――」


「謝罪の言葉でも考えておけよ、デブ。帰ったらすぐに慰謝料請求してやっから――」


「当たってねぇんだよ! プロテクト寸前に止めやがったんだ!」


 胸倉男は、自身の視界に開かれたログにいつまで経っても人為的『衝撃(ダメージ)』はおろか、『接触』の表示すら表れないことから、ようやくカイムが紙一重でプロテクトに触れなかったことに気付いた。


 アドブレインによるプロテクト機構は、ある一定以上の衝撃でないと発動しない。

 プロテクトが発動しない程度の衝撃は『暴力』として記録されず、単なる『接触』程度に認識される。


 カイムの放った突きは、当たれば確かに人一人は(ゆう)に飛ばせるほどの威力があった。


 つまり、『接触』すらログに表示されなかったカイムの拳は、明らかに体表面すれすれに構築されるプロテクトの位置を把握していると言わざるを得なかった。


「今ので、お前たちが俺に吹っ掛けようとしたのが分かった。石屋にしていることも、おおよそ似たようなものなのだろう。恥ずかしくないのか?」


「くそっ、いい気になりやがって……! テメェが持ってるもの、全部メチャクチャにしてやるよ! 家も、家族も、全部ぶっ壊してやる!」


「盗人猛々しいとはまさにこのことだな――。おい、そこのお前! 目をそらすな! そう、お前だ。ブトキンは何をしている? 今こそ出番だろうが」


「――あ、あの、委員会に出てる、と思うよ――(ブトキン?)」

 渦中の人物から不意に言葉を投げられた女生徒は疑問符を浮かべつつ、恐る恐る答えた。


「そうか。ブトキンは多忙なんだな。休息時間さえも皆のために働くのは感心だが、少し心配になるな」


「なにブツブツ言ってやがるんだ、デブ! さっさと通信開かねぇと、もっとひでぇ目にあわせてやるからな!」


「ガタガタうるさい竿(さお)だ。イシヤ、やっぱりこいつら殴っていいか?」

「だ、ダメだよ!?」


 カイムの奇行を見ている内に、いつの間にかすくんでいた石屋の足に力が入り、無鉄砲な男のそばに駆け寄っていた。


「なら――そうだ! カズだ! お前たち、こんなことをしていると、俺たちのカズが黙っちゃいないんだからなっ!」


「はぁ、カズだと?」


「ぎゃはははっ! カズがおめぇみたいな根暗デブのために動くわけねぇだろ!」


 一頻(ひとしき)り笑い終えた三人は、太々(ふてぶて)しいカイムを憎々(にくにく)し気に睨みつける。


「まぁ、あんな時代遅れのサルが来たところで、どうにもならねぇけどな」

「調子こくわ、通信しねぇわ、言うこと聞かねぇわ――テメェ、覚えとけよ」


 男たちはカイムの近くまでジリジリ近付き、尚もガンを飛ばした。


「――時代遅れのサルで悪かったな。おい」


「あぁ――? おま、カズ――!?」


 カイムに触れそうな距離まで近付いた三人の男の間に、更にもう一つのガンが割って入る。


 二人と三人の距離は一瞬にして広がり、三人はズルズルと後退(あとずさ)りを始める。


「チッ! ずらかるぞ!」


 廊下に向けて歩き出す男の一声に従って、あとの二人も振り返ることもなく教室を後にした。


「助かったぞカズ。やっぱり頼りになるな、お前は」

「――!? いや。あまり無茶なことはしないでくれ」


 見事に不良三人を退(しりぞ)けたカズこと志崎和は、一度だけ眉を持ち上げた後、すぐに持ち前の威圧的な表情に戻り足早に教室から去って行った。


「……ありがとう、厨くん」


「ん? それにしてもイシヤ。お前はいつもあんな(がら)の悪い連中に絡まれているのか?」


 言葉に詰まった石屋は少しの間(うつむ)き、曖昧に頷いてみせた。


「でも、全部僕がいけないんだ。ちゃんと断らなかったから」


「俺にはそうは思えないけどな。で、どれだけ取られたんだ?」

「……ちょっと、言えないくらい」


「銀貨、いや、まさか金貨数枚くらいか?」


 あまりにしつこく問い詰めるカイムに、観念した石屋は小声でそっと呟く。


「……一〇〇〇万OPT円(オプティ)くらい。誰にも言わないでね」


「は? 今なんて?」


「誰にも言わないでって言ったの! お願いだから……!」


「いやいや、そうではなく。どれくらいなんだ、それは? 金貨一〇枚くらいか?」


 カイムの放った言葉に呆れを通り越し、諦めに似た溜息を吐く石屋。


「お金のことも忘れちゃったの? 今までどうやって生活圏(パブリック)で生きてきたの?」

「わ、忘れてなんかいないぞ! 少し、最近の相場が気になってみただけで――」


「はいはい。アドブレがないんじゃ、分からないのも仕方ない、かな。僕たちの買い物は、基本的にアドブレを介したネットワーク内で金銭のやり取りをするんだ」


 常陸(ひたち)国が保有する電脳型量子コンピュータ『フガクⅢ』に集約された、すべての物の原価や加工、輸送コスト等のビックデータを基に、逐一(ちくいち)市場に物の最適価格が弾き出される。

 ある程度余裕のある経済を維持するために計算された最適物価により、通貨価値、人々の収入も柔軟に変動する。


 物価と収入とにズレの見られた従来の不確かな通貨『円』を一新し、ネットワーク上の変動通貨『OPT円(オプティマムイェン)』通称オプティが生み出されたのだった。

 それを可能にしたのは海外や他地域との交易が遮断され、生活圏が限定化されたことが大きな要因となっている。


 石屋はカイムを一階の食堂横に設置された『購買部』へと案内する。


「今じゃ、生活に必要な物も大半が機械で自動生産されるし、不足した物は『フガク』が常に代替(だいたい)品を見繕(みつくろ)ってくれる。そもそも『不要な物』は、はっきりと除外してくれる。人がどうするべきか、アドブレを通していつでも導き出してくれるんだ」


「……ほう。それで、そのオプティとやらは、どんな形をしているんだ?」


「形なんてないよ? だってネット通貨だもん」

「形が……ない、だと? だまされてないか? ――まさか、バカにしているのか?」


 困惑するカイムを後目(しりめ)に、石屋はいくつもの商品棚が並ぶ窮屈な部屋に入った。


「なぁ、イシヤ。この中のどれが店主なんだ?」

「そんな人いないよ。みんなここの生徒」


 陳列された商品を見て回る生徒たち。

 観察してみると、生徒らは商品を選ぶなり、手に取ってさっさと部屋を去っていることにカイムは気付いてしまった。


「おい、お前たち――! イシヤ、お前もか!?」


 会計も済ませずに外へと商品を持ち出す行為に業を煮やしたカイムは、同様の行為に及ぶ石屋の腕を引き止めた。


「えっ、なに!?」


「なに、じゃない! 盗みはダメだろ!」


「……もう支払いは済ませたから、大丈夫だよ。信じられないかもしれないけど。――はい、アイス」


「信じられないに決まって――冷たいな、これ!?」


 その後しばらくの間、石屋は世の中の常識をまったく理解できていないカイムに、根気強く説明を続けたのだった。


 結局、委員会を終えたらしい品行方正な武徳院(ぶとくいん)が、こっそりと購買部から生菓子らしき物を持ち出すのを目撃したところで、ようやくカイムは納得した。


「なぜ、あんなにコソコソしているんだ? 金は支払ったのだろう?」


「うーん……。たぶん、周りからのイメージとかも気になるんじゃないかな。僕はむしろ、かわいらしいと思うんだけど」


「なるほど。たとえるならば、一国の宰相(さいしょう)閣下がお忍びで娼館に通うようなものか」


「そのたとえ、僕は好きじゃないなぁ……」


 素早く購買部の横を抜け中庭に向かったかと思われた武徳院は、再びピロティのベンチでくつろぐ二人の前に姿を現わした。

 購買部の出入口に置かれたセルフコーナーからスプーンを取った彼女は、脇目も振らずに中庭の植栽へと消えていった。


「声を掛けてみるか」

「やめなよ。そっとしておいてあげようよ」

「冗談だ。ブトキンも苦労しているんだな」


 カイムは石屋からもらったラムネ味のアイスバーを頬張りながら、遠い目をして中庭の方を眺めた。


「――厨くん……大変だ」


「んっ、いや、そこまででもないけどなっ」


 一点を見たまま硬直した石屋の背に一筋の冷や汗が流れる。


 一方の深刻さとは対照的に、冷たさにキーンとなった頭を抱えたカイムは、顔を(しか)めて少しだけ強がった。


「さっきの人たち、厨くんを屋上に連れて来いって」


「しつこい奴らだな。一発こらしめてやらんとな」

「暴力はダメだよ……。やっぱり、僕が行ってなんとかしてくる」


「いや、今回は俺だけで行こう。奴らは俺が目的なんだろ? それに、言いたいこともまだあるしな」


 校舎の影から外壁伝いに屋上の位置を確認したカイムは、外に()き出た階段に向けて駆け出す。


 が、咄嗟(とっさ)にカイムの腕に石屋が(すが)り付いて踏み(とど)めた。


「待って! 行ったら、今度こそ何されるかわからないよっ!」


「行かなければもっと酷いんだったな。家族にまで危害を加える、と。――俺が守ってきたものを、あんな若造共に傷付けさせてたまるか!」


 縋り付く石屋の腕をそっと押し返し、外階段へと走り出した。


 残された石屋は立ち尽くし、ただ遠退(とおの)くカイムの背を目で追った。


 梅雨明け間近にして、頭上にはどんよりした分厚い雲が垂れ込める。


「おっ。ランニングとは精が出るな――」


 どことなく満足気な武徳院と擦れ違うカイム。


 武徳院はいつになく真剣な面持ちのカイムを見て、即座に己が煩悩を恥じた。


 ――彼は、私が甘味を貪る最中にも鍛錬を続けていたのだ……!


 生プリンのカップを片手に、武徳院は強く(まぶた)を閉じた。


 再び目を開き、見上げる頃にはすでに彼は屋上付近まで昇り詰めていた。


「辿り着いてみせるぞ、私も。 ――その(いただき)にっ!」


 途端。休み時間の終わり、授業の再開を告げる予鈴(よれい)が鳴る。

 カイムの背を追うべく動き出した足はふと止まり、断腸の思いで踵を返す。


「くっ……!」


 学内の模範生徒たる武徳院は、一先(ひとま)ず次の授業の準備へと向かうのだった。




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