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14話 達人見習い

「厨くん、よければ私と組んでくれないか」


 朝礼で号令を掛けていた女生徒。


 学内では「剣聖」と称され、生徒や教師からも一目置かれる存在の武徳院(ぶとくいん)みさおが、楽し気な周囲の様子から明らかに浮いた男に向かって誘いを申し入れた。


 石屋との一件もあり、見事に大遅刻をかましたカイムは先の教官からの指示で校庭を走り終え、倒れ込むようにしてその場に伏している。

 当然遅れた石屋も巻き添えを食い、未だ炎天下を走り続けていた。


 カイムは尋常でない量の汗が滴るシャツを絞りながら、武徳院を見上げた。


「どうだろう?」


 真っ直ぐに差し出された手と彼女の言葉には一切の嫌味も打算もなかった。


「ああ。よろしく頼む」


 何の躊躇もなくその手を取り、カイムは模擬戦の申し入れを承諾した。


 その瞬間、二人の様子を見ていた取り巻きがざわめいた。


「では場所取りに行ってくる!」


 まさか世辞にも整っているとは言えない肥満体の根暗男に、才色兼備の剣聖が自ら望んで接触することなどあろうはずがない。誰もがそう思った。


「あいつに気ぃ遣ってんだろ」

「委員長やっさしー」

「あのデブ戦えんのか? そもそも動けないだろ」

「っつか誰だっけあれ」


 生徒たちの喧騒とは裏腹に、カイムは何食わぬ顔で教官が指定した防具(アナログ)を身につける。


 この国は魔術、()いては魔道具に頼り過ぎる節がある――例えば電子レンジやエアコン、掃除機などの家電もカイムは魔道具だと思っている。

 いかなる任務においても魔法を好まなかったカイムにとって、アナログという手段は最も肌に馴染んだ。


 模擬戦に際して、魔術によって活性化された体細胞付加型微細機(アドブレイン)が体表に高密度の振動力場(プロテクト)を構築しているとは言え、万が一にも防具の装備は義務付けられている。


「おい、そこのデブ」


「ほぉ、こいつは凄いな。是非小隊に導入したいものだ」


 どの体格の生徒にも対応できるよう設計された最新の自律変形型防具に強い関心を示したカイムは、自身に近付く生徒に気付きながらも注意深く防具の確認に専念した。


「聞いてんのかデブ! お前だよ!」

「なめてんのかテメェ!」


「……ん? おい『デブ』、さっきから呼ばれているぞ」


 次第に口調の荒くなる二人の男子生徒を気遣い、カイムは親切心から近くにいるらしい例の「デブ」の名を呼んだ。


「お前、みさおちゃんに声掛けられたからって調子乗ってんじゃねぇぞ!」

「くそデブ! ――あ、もういいや。ボコろうぜこいつ」


 今にも掴み掛かろうと迫る二人を前に、当のカイムは仕込み甲斐のありそうな籠手(こて)の構造把握に夢中だった。


「――いっ! カズさん!?」


 新たな生徒が一人、カイムに向けて拳を振るった生徒を突き飛ばす形で間に割って入ってきた。


 オールバックに固めた髪、厨と同等の背丈の男。

 引き締まった体と鋭い目付きが並々ならぬ威圧感を漂わせる。


「ダセェことしてんじゃねぇ。いくぞ」


「でもカズさん! こいつ絶対調子こいてますって!」


 ガラの悪いもう一人が、割って入った生徒に抗議した。


「こいつにも事情があるんだろ」

「でもよ――」


「あぁ? 誰に文句つけてんだ?」


 更に睨みをきかせた「カズ」と呼ばれる男に恐れをなした二人は、訓練場を後にするその背を追った。

 去り際には恨みがましくチラチラとカイムを顧みていた。


「ごめん厨くん……」


 ある程度距離を置き、(おび)えながらも一部始終を見守っていた石屋がおずおずとカイムに歩み寄った。

 カイムほどではないが、石屋も体操着からむき出た細い腕や足にまで汗を(したた)らせている。


「なぜ石屋が謝る。しかし、カズとは一体どんな男なんだ?」


「……彼は生活圏(パブリック)内の不良の間でも特に有名な人だよ。学校ではほとんど見ないし、外で危ないことしてるって噂もあるみたい」


「ほう。子供にしては見事な動きだったな」

「子供? あ、うん確かに。生徒間の喧嘩を仲裁するところは僕も前に見たことあるよ。あと、もう一つ謎があって」


「謎?」

「うん。あまり学校に来てないのになぜか難なく座学と実技のテストをパスしてるらしいんだ。だから、みんなは彼の身内が学院関係者なんじゃないかって話してる。でも、彼はみんなが言うほど悪い生徒ではない、と僕は思う」


 石屋はすでに姿の見えなくなった三人の方を気にしながら、今度は与えられた武具を手に取るカイムに言った。


「そうか。いいやつなんだなカズは」

 カイムはそっと石屋の肩を叩く。


 数ある武具から選んだ刀とナイフを数回素振りし、納得した得物をベルトに差す。

 それから模擬戦の場所待ちをする武徳院の元へと向かった。


「そろそろ空きそうだ。では、お互いに防具のチェックをしよう」


 模擬戦においては生徒個人のアドブレインに加え、それに立ち会う教官が常に監視しているため、防具の必要性は極めて低い。

 しかし、いずれイレギュラーの付き(まと)う戦場へと駆り出される生徒にとって、互いの装備を確認する行為は重要な位置を占める。


 日常的に危険に晒されてきたカイムはその点を体で理解していた。


 先ず、武徳院がカイムの防具を頭から確認する。


「うん、大丈夫そうだね。しっかり体に合っている」


 同じ要領でカイムも武徳院の防具に傷やズレがないかを確認する。


 続いて武徳院は刃を落とした模造刀を鞘ごと腰から抜き、軽くカイムの腕に向けて振るった。


 直後、カイムの体は反射的に微動し、振るわれた鞘は腕に触れる寸前にふわりと(くう)(かす)めた。


「プロテクトもよし。武具の方はその刀とナイフでいいかな?」


「カタナ……そうか、これがカタナか」


 その挙動があまりにも微細であったために武徳院はカイムの動きに気付くことなく、アドブレインの活性に伴うプロテクトが正常に稼働していると見なした。


 カイムは腰にあるナイフに手を当て頷いて見せる。


「見ての通り、私はこの一本だけだよ。『常陸神東流(ひたちしんとうりゅう)』という流派なんだ。――ちなみに、模擬戦の経験はあるかな?」

「ああ、それなりに」

「それはよかった。お互い健闘しよう」


 武徳院、厨両名の前に模擬戦を終えた女生徒たちが、見えない壁に仕切られた枠線から外に出てきた。


「武徳院さん、お待たせ」

「いえ。とても良い試合でしたよ」


 枠の中には防具をまとった宮藤教官が中央で待機している。


「二人とも、後が押している! 早く入ってこい!」


 プロテクトと同等の構造をした見えない壁に興味を示したカイムは、宮藤教官の怒声と武徳院に押される形で枠へと収まった。


 訓練場には他に三つの枠が設けられているが、模擬戦を終えた生徒や後に控えた生徒の大半が武徳院のいる枠外に集まり注目した。


「模擬戦のルールは分かるな。致命傷となり得る一撃を入れた時点で一本、同士討ちは両者に一本、三本先取で勝ちとする。ないとは思うが、引き分けた場合はそこで終了だ。厨が初戦のため、今回の一戦は両者の戦績に加味しない。それでいいな武徳院」


「はい、異存ありません」


「他には?」

「他、そうだな。お前に限って『参った』は無しだ。じっくりと(しご)かれることだ」


 ルールの確認を終えた両者は距離を置き、教官が二人の間合いを見極め手を挙げる。


「始め!」


 教官の合図で両者は腰の得物を抜き、一定の距離を置いたまま円形に動き始める。


「あいつバカか!? ナイフを抜いてやがるぞ!」


 外野の生徒たちは中段に刀を構える武徳院に対して、両手に収まる程度の刃渡りしかないナイフを正面片手に構えるカイムのことを嘲笑(あざわら)った。


 刀とコンバットナイフとでは明らかにリーチの差が生じる。

 訓練場において考えるならば、長物の方が有利である場面が多く、ある意味では外野の判断は正しかった。


 周囲が予測した通り、武徳院はジリジリとカイムとの間合いを詰め、今にも斬り付けられる距離に迫る。


「――!」


 床板が衝撃に激しく鳴った瞬間、武徳院の刀はすでにカイムの鳩尾を貫いていた。


「一本!」


 教官の声が響いた途端、外野たちはようやく状況を察した。


 ――やはり、無謀だったのだ。


 一同は呆気なく先取されるカイムに侮蔑(ぶべつ)の念を抱いた。


「……え? なんで?」


 そして誰もがその場を去ろうとした時、一人の女生徒が異変に気付く。


 どういう訳か、教官の手が男の方へと挙げられている。


 ――ゴッ……


 武徳院の体を伝い、ある程度重みのある硬い物が床へと落ちる。


「何、あれ?」


「――クナイ、苦無だよアレ!」


 生徒の一人がその異物を指して叫ぶと、次第に他の生徒たちもざわつき始めた。


 宮藤教官は床に転がる無骨な鉄の塊を拾い上げ、一言カイムに告げる。


「次からこれは無しとする」


 武徳院の脇腹を狙いほぼゼロ距離から突き出された苦無は、教官の無慈悲な指導の下に没収された。

 もう一方の籠手に忍ばせた苦無も例外ではない。


「あいつ! 籠手に仕込んでやがったのか!」

「卑怯者ぉ! 正々堂々と戦いやがれ!」

「武徳院さんに謝れ!」


 生徒たちは一連の出来事に理解が及ぶべくもなかった。

 そのためか、得体の知れないカイムに対して罵声を浴びせることで精一杯だった。


 しかし、当の武徳院はその一瞬の絶技に心底感嘆した。


 気、剣、(たい)、三つの完全な一致により、踏み込みと同時に全てが完結する一撃必殺の突き「一の太刀(いちのたち)」。


 当人ですら確実に捉えたと思われたその一撃が、紙一重の内に(かわ)され、更には致命傷すら与えられたのだ。


 間合いは完璧であった。

 故に、外野はその鳩尾を『貫いた』と錯覚した。


 プロテクトにより飽くまで腹の寸前に突き立つはずのそれが躱され、完璧な間合い、完成された技であるが故に突き抜けたと思わせたのだ。


 ――面白い!


 武徳院は自身の脇腹に苦無が突き立ったことすら遅れて認識するに至った。


 悔しさはある。だがそれ以上に向上心が勝った。


 学院内においてすでに頂点にいるつもりでいた武徳院にとって、鼻を折ってくれる存在は何よりも有り難かった。


『私はまだまだ強くなれる!』


 (たゆ)まず己を律する者がこんなにも近くにいたのだ。


 カイムは徐に先のナイフを腰に収める。


 その様を前に、武徳院は思わず武者震いした。


「始め!」


 対峙するカイムはようやく刀を抜いた。


 腰にはまだ一つナイフが残っている。また、どこかに何かを残していないとも限らない。


 ――彼はまだ私を楽しませてくれるのか。


 武徳院はこれまでの月並みによって麻痺した全身が、ジワリジワリと脈打ち出すのを感じた。


 先と同様に両者は互いの動きを探るようにゆっくりと円を描き始める。


 すると、カイムが更に一歩間合いを取り、腰へと左手を伸ばした。


 ――投擲(とうてき)がくるか。


 直前のこともあり、武徳院は一瞬、ナイフの投擲を警戒した。

 しかし、ふと先程厨が教官から「武具は見える位置に肌身離さず持つように」と指導されているのを思い返した。


 そして武徳院は戦闘時にそのような打算的な考えがよぎったことを即座に後悔した。


 カイムの左手が前方に戻った時、右にある刀は蟀谷(こめかみ)に、つまり八相の位置へと動いた。


『二天!?』


 二天一流。かつて剣豪と謳われた宮本武蔵が晩年に完成させた兵法。


 古い書物で何度か目にした程度の体勢が今、目の前にある。


 武徳院はこれまで一度も二天一流と手合わせをしたことがない。

 よって取れる手段は限られる。


 ドッ!


 上段構えに対する手段の一つ。

 武徳院は先と同様の動きを選んだ。ただし踏み込みは先より甘い。


 喉元を狙った一撃はカイムの足捌きによって一足分外れた。

 反撃を誘う思惑に反して剣は微動だにしない。


『小手は――ダメか』


 手首を狙い打ち込んだところで前方のナイフに阻まれる。

 カイムの動きであれば、この際、得物の長短など誤差でしかない。


「武徳院さん、どうしたんだろ?」

「さっきからずっとあのままだけど」

「頑張れー! そんなやつ相手じゃないよ!」


 いつまでも一定の距離を保ったままの両者を見兼ね、生徒たちが見当違いの声援を送り始める。


 ――全く、隙がない。


 武徳院にとって、踏み込むことを躊躇い次の手を探る僅かな逡巡の時間すら永遠のように感じられた。


「もう、いいのか?」


 突然、厨が口を開いた。

 それと同時に一気に間合いを詰め、上段の刀が武徳院の蟀谷を狙った。


「くっ!」


 左に振るわれる刃を刀身で横にいなして受ける。


 さすがに重い。が、どういう訳か。


 武徳院はこれまで繰り出した技を機敏に躱して見せた厨に違和感を覚えた。


 厨の(はな)った刀は確かに速い。

 しかしそれは初速で終わり、蟀谷に到達する頃には目で追えるほどに減速し後は重さだけが残る。


 ――まさか……


 その目が厨の体、特に一際(ひときわ)視線を引く腹部へと止まった。


「そんなデブ、早くやっちゃってよ!」

「根暗デブ! さっさと引っ込め!」


『すまん!』


 活路を見出した武徳院は、最も得意とする突きを厨の正中線へと向けた。


「『多段突き』だよ、アレ! 武殿で見たことある!」

「すげぇ! 俺初めて見た!」


 正眼に構えた武徳院の突きが幾度も厨の胴体を切り裂く。


 先の力強い踏み込みに加え、突いては目にも止まらぬ速さで引くと同時に突くことを繰り返す。

 正中線を中心に、変則的に喉や胴体の動脈を狙い突く「多段突き」は、武徳院が奥の手に持つ技である。


 無論、稽古用の人型にのみ使用されるのみであり、かつて対人に使われることはなかった。


「――ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」


 目で追えぬ程の連撃に外野が大いに盛り上がる中、場内には激しく床を蹴る音と肥満体の発する息遣いがこだました。


「ははっ、見ろよ。あいつ腹に当たってるぜ」

「あれで躱してるつもりかよ! バカか! 遊んでやってるんだよ!」

「武徳院さーん! もう倒しちゃってよ!」


 一向に変わらない二人の攻防を見ていた生徒たちの沈黙は、次第に先の嘲笑へと戻った。


 一先ずは「武徳院さんが冗談で厨を(もてあそ)んでいる」という構図で腑に落としたらしい。


 ただし、数度に亘り連撃を続ける武徳院は焦りを見せ始めた。


 確かに外野が見るように、武徳院の刀は所々で厨の胴体を捉えている。


『手応えが、まるでない……』


 当たっているのは刀の切先、それも先端の数ミリのみ。致命傷には程遠い。


「ふっ、ふっ、ふっ」


 多段突きに合わせて微動する見事な足捌き。

 それにつられて前へとせり出した腹部が小さく揺れる。


 つまり、時折切先が胴体に当たるのは、有り余った腹回りの贅肉(ぜいにく)が紙一重で躱すカイムの挙動に加味されていないことが原因であった。


 そのことを確信した武徳院は、やはりカイムの絶技に感嘆するも、当たれどもまるで手応えのない、眼前に揺れる贅肉に苛立ちを覚えた。


 そこで武徳院は間合いを広げ、厨の全体像を視野に入れつつ深く呼吸を整える。


 焦りと苛立ちを払拭(ふっしょく)するため息を入れたのだ。


『――ナイフがない!?』


 冷静になった瞬間、多段突きと同時に感じていた微細な違和感の正体に気付いた。


 突きを躱す際に、刀と共に下段に留まっていたはずのナイフが消えていたのだ。


「おい! ナイフが落ちてくるぞ!」

「危ないっ!」


 もはや投擲されることはないと高を括っていただけに、上空に放り投げることなど到底思いも寄らなかった。


 不覚にも外野の声によってナイフの所在を察知した武徳院は、対峙する厨の次なる動きを読み取った。


『落下するナイフを避ければそこを斬られる。かと言って刀で受ければ防御に遅れが生じる――ならば』


 刹那の逡巡の内に武徳院の体は脱力し、その場に大きく沈み込んだ。


 ――ダンッ!


 床が鳴ると同時に、その体は斬りつけようと構える厨の懐に踏み込んだ。


 間合いに入る武徳院の袈裟をカイムの刀が狙う。


 ――きた!


 一見無防備に見える武徳院は脇に構えた刀を、直近に伸びた二つの首へと差し向ける。


 ゼロ距離であってもカイムはほぼ間違いなく攻撃を回避する。

 回避の(かなめ)となる脚部への攻撃は論外、全身の軸となる正中線とその延長にある頭部への攻撃も愚行。


 ならば最も動きの遅れる末端を狙う。

 それも確実に動き出してからの刹那、取り返しの付かない絶妙なタイミングで。


 見極めが甘ければ躱され、致命的な反撃を受ける。

 しかし此度の武徳院には絶対の自信があった。


 踏み込む速度、間合い、反撃のタイミング、どれを取っても十数年に及ぶこれまでの武道人生において最高の瞬間と言えた。


『取った!』


 自身の動きに思考が追い付いた時、武徳院はそう確信した。


 武徳院の鎖骨から胴体にかけて動くカイムの刀。


 その柄にある手首を、今にも刃が斬りつける。


 ――タッ


「……」


 ドタッ。


 武徳院の体を()るようにして、厨が不自然に正面へと倒れた。


 対する武徳院は先の踏み込んだ姿勢のまま動かない。


「ぷっ。あのデブ、コケやがったぞ」

「うわぁ、ダッセェ」


 手に持つ刀と共に床に突っ伏した厨を、生徒たちは口々に(ののし)った。


「あいつ、気絶してね?」


 即座に駆け寄る宮藤教官の呼び掛けにも反応がない。

 その様子が生徒たちのツボを更に刺激する。


「お前たち、隣の教官を呼んでこい! 担架もだ! 急げ!」


 馬鹿騒ぎする生徒に向けて教官が怒鳴った。


 その怒声によってようやく我に帰った武徳院は、ふと、未だに手足が震えていることに気付いた。

 手に持つ刀は痙攣し固まった手から容易に離れようとしない。


「……『影抜き』」


 己が身に致命傷を与えた絶技。その名が口からついて出る。


「まぁ結果はわかってたけど、気絶はないよな!」

「あーあ、時間の無駄。武徳院さんも気の毒にな」


 外野に溜まった生徒たちは口々に好き放題の陰口を叩きながら他所(よそ)に散って行った。


『そんな訳があるか!』


 担架に載せられる厨を前に、武徳院は事の顛末(てんまつ)を理解した。


 間合いに入る武徳院を狙った厨の一撃。

 あれは間違いなく、確実に斬り付ける動きであった。


 それに合わせ小手を斬る武徳院の動きもまた完璧であった。


 だが、そこで収束するかと思われた厨の一撃はまだ終わっていなかったのだ。


「――素人目には『つまづいた』程度の動きに見えただろうな」


 運ばれて行く厨を他の教官に引き継いだ宮藤が、立ち尽くす武徳院にそっと呟いた。


「斬り込みに伴う足が着地すると同時に更に膝を抜き、再び踏み込みと引き付けの微動を生み出すことで刀の軌道を変え、反撃の裏をかく技だ。武徳院、奴の手の動きは分かったか?」


「……いえ。視界に入った時にはすでに切先が首元を(かす)めていました。私には持ち手の位置が少し変わったようにしか見えませんでした」


 更には、踏み込んだ低姿勢の武徳院の位置に倒れ込むようにして合わせたという事実。


「私の、完敗です」


 恐れ(おのの)く膝に手を着き、武徳院は自身が清々しいまでに完全な敗北を喫したことを噛み締めた。


「――それより! 厨くんは、無事なんでしょうか!?」

「問題ない。ただの酸欠だ。あの馬鹿者、慣れない体で妙な呼吸を使うからああなるのだ」


 実質的に厨が倒れる原因を作ってしまった罪悪感に(さいな)まれる武徳院に対し、宮藤は呆れるように言ってのけた。


「気に病む必要はないぞ武徳院」


「……教官は、彼について何かご存知なんですか?」

「知らん。だが、このことは今後一切口外無用だ。私たちは何も見なかった、分かるな?」


「教官、それはどういう――」

「すまんな武徳院。厨は『コケて自滅した』。お前は『久々に登校した可哀想な生徒に情けをかけてやった』。そういうことだ」


 宮藤教官は立ち尽くす武徳院の肩を叩き、模擬戦を終えた生徒に向けて場外に集まるように指示した。


 授業終わりの鐘が鳴る。

 生徒たちは何事もなかったように訓練場を後にし、昼食や何気ない会話に興じ、日常へと戻って行った。


 程なくして場内には号令を済ませた武徳院だけが残った。



「――よし!」


 両手で頬を打ち、気合を入れた武徳院の足は自然と厨の運ばれた先、保健室へと向けられていた。



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