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13話 初めての登校

「ついて来んなよ!」


「まぁ、そう言わずにだな」


 昇り出した太陽が清々(すがすが)しいほどジリジリと視界を焦がす梅雨の朝。

 一組の似ても似つかない兄妹が、学院へと続く通学路で言い合った。


 割と早い時間帯にも関わらず、道には疎らながらに学生の姿もある。

 彼らからすれば、ただ兄妹が微笑ましくじゃれ合うこの光景も「学院中等部の女生徒が、高等部のしつこい巨漢に付きまとわれている図」にしか映らないだろう。


「ねぇ、加来。後ろの人、誰なの?」

「知らないっ! あんなキモデブなんか知らない!」


 偶然同行した同級生に心配される加来は、今では周囲の空気を察してか十メートルほど距離を置く兄との関係を全力で否定した。


 妹との()りを早く戻したいカイムとしては半年ぶりらしい登校を機に話すきっかけを作るつもりで言い寄ったのだが、思いの外拒絶反応が強いせいか逆効果となってしまっていた。


「やっぱり、通報した方が――」


 親切な女生徒が言うが早いか、一つの大きな門の前で更に前方を指差す妹。


「あんたはあっち!」


 ぶっきらぼうに言い捨てると、チラチラと顧みる女生徒の手を引いて門の奥へと足早に去って行った。


 ――思った以上に根は深いようだ。


 自身の言動にも問題があったとは言え、ここまで毛嫌いされようとは予想外のカイム。


 朝家を出るまでは母の要望もあり、「兄を学校まで案内する」という名目で同伴を許した妹も、スカート丈に対するカイムの発言により状況が一変したのだった。

 母の「二回折りの二三分は当たり前」の発言がどうにも信じられなかった。


 加来が差した方には、二人が向かった巨大な建物と同様のものがあった。


 やたらと横に長い門から、中にある広大な敷地を囲うようにして背の高い石塀が立っている。

 門横の塀には、いかつい文字で『常陸(ひたち)防衛学院(ぼうえいがくいん)』とある。


「ひたちぼうえい――……なぜ、読めるんだ?」


 カイムは見たこともない複雑な文字の羅列を難なく読めてしまっている自分に困惑した。

 しかし、その名称がこの敷地内に当てられているらしいこと以外の深い意味は理解できていないことに、若干の安らぎを覚えた。


「やぁ、カイムくん! 待っていたよ」


 門の裏にある詰所から白衣姿の女性が現れ、カップを片手に親し気にカイムの元にやってくる。


「ああ。待たせたようだな」


「んんー、見たところ特に異常はないようだね。生体反応も安定している――。昨日の今日でよくぞここまで足を向けてくれた。歓迎するよ」


 白衣の女は満面の笑みで右手を差し出した。


 パァーン!


 カイムはすかさずそれを右手で打ち、辺りの塀に小気味よい音が鳴り響く。


「よろしく頼む」


「ったぁ……『よろしく』って感じじゃないんだよなぁ。ま、それが異界の流儀ってやつだね。知ってたさ」


 女は衝撃に痛みを伴った手の平をヒラヒラさせ、校舎の方へとカイムを促した。


「ところでカイムくん。いや、ここでは和希くんと呼ぶことにしよう。昨日から今朝まで、何か気になることはあったかい?」


 『来賓』用の靴箱から取り出したスリッパをカイムに差し出し、女は脱いだ靴を棚の端へと寄せる。

 立ち尽くすカイムに向けて「土足禁止」の文化も付け加えた。


「気になることだが、正直なところ、すべてだ。まったく分からないことばかりだ。この国の美意識なのだろうが、その髪型も理解できん。触覚か何かを模しているのか?」

「そうだね。確かに、周囲との個別化を図るといった意味では『触覚』と言えるかもしれない。しかしね、君。もっと、ね、何かないのかい――? かわいいだろ?」


「――!? ああ。とても、美しい顔立ちをしているな。その髪もどこか……地人(ドワル)顎鬚(あごひげ)に似た勇猛さのようなものを感じないでもない」


「……いいさそんなもの感じなくて。喜ぶべきか、憤慨すべきか、実にきわどい答えだねぇ。この国の慣習については追々身に着けていくとして、体の方の具合はどうだい?」

「全体的に重いな。だが、鍛えがいがありそうだ。それと、先程見覚えのない文字が読めてしまったんだが、これはこの体と何か関係しているのか?」


 昇降口から廊下を歩いてすぐの場所に位置する『保健室』に入った二人は、書類や瓶が散乱した事務机を前に着席する。

 保健室が救護室と同様のものであることをどことなく理解したカイムは、それでも、その場にそぐわぬ異臭に顔をしかめた。


「ふむ。順調に元の意識との同期も始まっているようだね。お察しの通り、君の意識が提供者の中にある記憶と結びついたことでそれを可能にしている。現段階では、単なる表層に近い記憶を参照するくらいだろうけど、次第に意識の深層部へとつながり、果ては二つの意識そのものが共存することになるだろうね――或いはどちらの境界もなくなり、また新たな意識が生まれるか……」


「すまん、考えるのは苦手なんだ。分かるように説明してくれ」


「こっちの話だ、気にしないでくれ。心配せずとも、我々には<魔素(エーテル)粒子>の概念がある。固有魔素は見えないほどに極小だけど、そうそう消えるものではないからね。いいずれにしても、まだまだ先のことになるだろう」


 白衣の女は(いぶか)し気に首をひねるカイムに金属製の輪を二つ手渡す。


「万が一のためにこれを付けておいてほしい。投与した固有魔素を定着させる効果がある」

「よく分からんが、もらっておこう……。まるで奴隷だな」


 さっそく渡された赤銅色の腕輪を両手首につけたカイムは、かつて街道を行き交った奴隷の様を思い返していた。


「素直でよろしい。それはオリハルコン製の腕輪でね。そもそも世界で最も硬度を誇るものを、さらに特殊な多層網目構造に仕上げているため壊れることはないはずだ。もちろん魔素の伝導率も他の魔鉱石の比ではなく、仮に体内を循環する固有魔素が離れ出そうとも、その腕輪を介して体に留まるだろう」


「オリハルコンとやらは相当に値の張る物だと聞いたことがある。よく知りもしない男にくれてやる道理などないように思えるが」

「知っているとも。それに今後の君のはたらきを思えば、この程度の品などいくらあげても惜しくはないさ」

「つまり前金といったところか。しかし、これほどの量ともなれば馬が数十頭は買える。いったい何をさせるつもりだ?」


 話は終わりと言わんばかりに立ち上がったカイムは、すでに外された腕輪を白衣の女へと突き出す。

 女はそれを横目にじっとカイムを見詰める。


「何もさせはしないさ。ただ、君はいずれ自らの意思で為すべきことを為そうとするだろう。それは君の復活祝いだとでも思ってくれ。ちなみに、オリハルコンはこの国では扱われていない物質、つまり無価値だ。換金するのはおすすめしないよ」


 女は再び元のあるべき位置へと戻っていく腕輪を見て満足そうに微笑んだ。


「ところで、俺とはいったいどんな関係だったか。今更なんだが、名前を聞いてもいいか?」


「ああ――……そこからか」


 紺のプリーツスカートに白のブラウス、夏仕様の制服姿に白衣をまとった黒髪ツインテールの女「神野美景(かのみかげ)」。

 神野は三階にある一年生の教室へとカイムを案内しながら、自身が和希とは入学当初からクラスメイトであったこと、生徒の立場でありながら、本業は保健室にデスクを置く養護教諭であることを伝えた。


「なぜそんなややこしい身分なんだ。魔法師だけでは不満か?」

「話せば長くなるんだが、要するに、高校生ってやつをやってみたかったんだ。一応、ここでは『海外の一流大学を飛び級で卒業した帰国子女』っていう設定になっているからね」

「実際は違うといった口ぶりだな」

「痛いところを突くな。ま、言ってしまえば君も同じようなものだろ? お互い様さ」


 神野は白衣の袖に埋もれた両手をひらひらさせて胡麻化した。


「しかし、あれだな。カノのそれは見ていて落ち着くな」


「……君、私の(あし)に興味があるのかい?」


 カイムの視線を察した神野は、ひざ頭よりやや上に掛かったスカートを(ひるがえ)し、妙な笑みを浮かべながら肌色がうっすら浮かぶ薄手の黒タイツをチラリと見せびらかした。


「さて。今日からここが君のクラスだ」


 教室にはすでに大半の生徒たちが思い思いに朝のホームルーム前の時間を過ごしていた。


「あれ、誰――? 白衣の子――」


「――神野先生じゃない? 保健室の。初めて見た――」


 そこへ突然乱入した異質の二人は、(ざわ)めく生徒たちの間を何食わぬ顔で縫っていく。


「っと、ここが和希くんの机だ――。ちょっと、君。どいてくれるかな」


 窓際の最前列に置かれた一つの机を前に、神野はあからさまに不機嫌な声を出した。

 机には女生徒が二人腰掛け、後ろの生徒とじゃれ合っている。


「あ、うん、ちょっと借りてるわ――きゃははは!」


 神野は一向に退()く気配のない女生徒たちを凝視している。

 カイムは動かなくなった彼女をそっと一瞥(いちべつ)する。


 そこには無表情のまま、ただひたすらに女生徒たちの像を映す神野の姿があった。


「おい、カノ――」


「どけ、殺すぞ」

「ひっ、ごめんなさ――」


 (おび)えた女生徒が席を離れるのと同じくして、スーツ姿の女性がずかずかと教室に入ってきた。

 「席に着け」と有無を言わせぬ物言いと鋭い眼光からか、生徒たちは蜘蛛の子を散らしたようにいそいそと席へと向かった。


 後ろ一本にまとめた髪は窓から差し込む光に揺れ、引き締まった長身がパンツスーツによく映えている。


 壇上に立った女性は未だに着席しない二人を凛とした双眸で見据える。


「見事な立ち居振る舞いだ。差し詰め、ここの教官といったところか」


「うん。それじゃマナちゃん、あとはよろしくね」


 しんと静まり返った教室に気の抜けた神野の声が通る。

 神野は壇上に立つ女性宮藤麻奈美(くどうまなみ)太股(ふともも)あたりを手で軽く叩き、元来た方へと歩いて行った。


 残されたカイムは(おもむろ)に着席し、次なる手について思いを巡らせた。


「ホームルームをはじめる!」


 小隊顔負けの掛け声と伴に、廊下側最前列の女生徒から「起立!」の号令が掛かった。


「おはよう諸君。今日は嬉しい知らせがある。すでに知っている者もあると思うが、本クラスの(くりや)が学院に復帰することとなった。戸惑うこともあるだろうが、存分に我々を頼ってほしい。よろしくな、厨――」


 一見何でもない清々しい朝礼の風景。

 しかし、カイムはこれまでになく緊張感を持って臨んでいた。

 朝礼を終え「解散」が掛かるまでの間、カイムのいる角度から見える教卓下の宮藤教官の手が終始小刻みに揺れていたからだ。


 表情にこそ出さないが、あれは確実に「キレ」ていた。

 他人の感情の機微に疎いカイムではあるが、宮藤教官のそれは明らかだった。


「おはよう、厨くん。入学式以来だね」


 ホームルームを終え一限目の『実技』の授業のため生徒たちが準備へと向かう中、まったく状況を理解せず堂々と椅子に座すカイムの元に、一人の男子生徒が近付いてきた。


 女生徒かと見紛(みまが)うほどに華奢で小さな体。

 中性的な顔立ち。驚くほど(つや)やかな黒髪が目蓋にかかっている。


「おはよう。ところでお前、衛兵団に入ってみる気はないか?」

「エイへ……? あ、僕はイシヤね。何を言ってるか分からないんだけど、そろそろ準備しないと遅刻しちゃうよ?」


 謎の勧誘に捕まってしまった可哀そうな男石屋桜太郎(いしやおうたろう)は、未だ目の前に座すカイムを前にもじもじしている。

 体操着を持ったまま、チラチラとカイムの様子を窺う上目には、うっすらと涙まで浮かべている。


 石屋は、何故か日頃から準備に手間取る己を顧みず、無知な男に手を差し伸べられるだけの優しさを有していた。


 一方のカイムはすでに己が身が本来学生であることをすっかり忘れていた。


「まぁ、すぐにとは言わん。考えておいてくれ。――先から気になったんだが、お前たちは何をそんなに慌てているんだ?」


「『実技』の授業があるからだよ! もう、いいから一緒に来て!」


 細く繊細な指が強引に、しかし柔らかくカイムの手を引いた。

 目の前を行く小さな体、揺れる髪からは爽やかな洗髪剤の香りが漂ってくる。


「家族は、兄弟はいるのか?」

「お父さんもお母さんも健在! お兄ちゃんが二人とお姉ちゃんがいる!」


「末子か!? 末子なのかっ!?」


「そうだよ! ねぇ、さっきから何なの!?」


 そこでカイムは決心した。「必ずこの男を宮廷一の暗殺者(アサシン)にする」と。


「でかしたぞ、イシヤ!」

「えっ、わっ!」


 更衣室へと辿り着くなり、カイムは喜びの余りに石屋の腕を引き寄せ、男子にしては軽すぎる胴体を高々と抱え上げた。


 将来有望な若者を手に入れ喜び勇むカイムだが、この時、この国における末子が元いた世界の扱いとまったく異なることをまだ知らなかった。




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