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12話 疑似転生

 カイムは朦朧(もうろう)としていた意識が次第に鮮明となっていくのを感じていた。


 ある日の夜更けか、はたまた先王への報告を終えた朝か、曖昧な記憶を頼りに今自身が置かれている状況を逸早(いちはや)く察することに努める。


 しかし、そのどの記憶を(かえり)みようとも、まったく見覚えのない空間と合わせるだけの辻褄(つじつま)がなかった。

 おまけに、これまで見たこともない調度品の数々に驚きすら覚えていた。


 幸い拘束はされていない。

 空間に灯りはないものの、ある程度清潔かつ奥まった建造物の中であることが察せられた。


 部屋中を見渡す限り、夜目の利くカイムには城下における商人の屋敷の一部屋を思わせた。


「……マイアはいるか」


 考えにくいことではあるが、度重なる疲労と睡眠不足が祟り、任務の中途に居眠りをこいてしまった可能性もある。

 任務でもない限り、斯様(かよう)に良質な家具を取り揃えた空間とはまったくの無縁であったからだ。

 それ故、大半の任務に同行していたマイアがまだ近くにいるかもしれないと思い問いかけたのだった。


 案の定、返答はなかった。

 優秀な彼女ならば一も二もなく飛んでくる。

 ――たとえ屋敷の床に落とした針の音さえも聞き取り身構えていただろう。


 単独の任務であることが判明したところで、カイムは自身の未熟さに冷や汗を流した。


 高難度でありながら、確実に成果を出さねばならない危険任務の最中に意識を失うなど愚の骨頂でしかなかった。


 身を引き締めるかのように音もなくベッドから跳ね起き床へと着地する。


 ドスンッ!


 同時に凄まじい地響きが鳴り、思わずカイムは手近の机へと身を隠した。


 ――いったい、なんの音だ……?


 あまりの衝撃にそう疑わざるを得なかった。

 だが、分かってはいた。

 その音は自身が床へと着地した際に何らかの理由で発せられた音であること。

 実際、床を踏み締めた際に感じた確かな感触、床板からの反発には罠の形跡すらなかったことを。


 疑いたかった。

 しかし、意識が鮮明になりつつある今でも、体中を覆うように感じる違和感、慢性的な膨満感が、どうしようもない事実であることを突きつけてくる。


 ガンッ!


 ――なんだ!?


 もたれかかるように張り付いていた壁から、不意に衝撃音が発せられた。

 咄嗟に壁から離れ扉のノブへと手を掛ける。


 ゆっくりとドアノブを降ろし扉を開いていく。


 外は通路になっているらしく、今いる部屋と同様の床板が左奥へと続いている。

 カイムは迷わず音の発生源である隣室へと足を向けた。


 壁に半身を残した状態で扉のノブへ手を掛け、ゆっくりと扉を押し隙間を作る。


 部屋から漏れる光を開いた片目に数秒(さら)し、そのまま中の様子をそっと(うかが)う。


 中には黒髪の女が一人、机に向かって何やら書き物をしている。

 火月(ひのつき)だからか、女の装いは極端なまでに涼し気で、正直目のやり場に困るほどであった。


 いくら自室であるからと言って、見るからに年頃の娘が斯様な格好をするなどカイムには信じられなかった。


 部屋には女が一人のみ。

 部屋は先のものと同様で、さほど広くはない。


 呼吸を整え、意を決したカイムは扉を一気に押し開けると伴に、一足飛びで女の背後へと回り込んだ。


「騒ぐな」

「ひっ、なに!?」


 カイムの手には先の部屋で調達した鋭利なものがあり、それが女の首元へと押し当てられている。


「手荒な真似はしないつもりだ。が、騒げばこれで突く」


「は、あんたふざけてんの!? その棒がなに? それで殺せるとでも思ってるの?」


 予想していた以上に肉付きのいい自身の体を更に女の背部に密着させ、女の腕を取り自由を奪う。

 しかし同時に、ほぼ全裸に近い体は満遍(まんべん)なくしっとりと汗に濡れ、それを押し付けている(おのれ)が、今更ながら言い訳が利かないほどに変態的であることにカイムは気付いた。


 しかし、いずれにしても後には引けない。


「騒ぐな……! 棒だか何だか知らんが、無論殺せるとも。だが、お前が素直に俺の質問に応じるならば危害を加えるつもりはない」


「おい、デブ! さっさと離せよ! 気持ちわりぃんだよ!」


 忠告しても尚、抵抗を試みようとする女。

 よもや仕方あるまいと、シャープペンシルを持った腕を首へと回しかけた矢先、開いた扉の前にもう一人の女がやってきた。


「そこを動くな! この首をへし折るぞ!」


 カイムは咄嗟に薄着女を椅子から引き摺り出し、扉前に立った女に向けて突き出した。


「か、カズちゃん、乱暴なことはやめよう? ね? 加来ちゃんもびっくりしてるじゃない」


「母さん! こいつ、やっぱりおかしくなったんだよ! いつまでも甘やかすから!」


 扉を背にして立つ女を目にしたとき、思わずカイムは暗闇に備え閉じていたもう片方の目まで見開いてしまった。


「――そ、その(かぶ)り物はどうした?」

「ああ、これ? 今日のはお父さんが出張する前に買ってくれた帽子。紅白の縞々が素敵でしょ?」


「なぜ、お前がここにいるんだ……?」


「いいから、離せよ! デブッ!」


 絶えず抵抗を続けていた女は、力を緩めたカイムの腕からついに抜け出すことに成功した。


 薄着女は息を弾ませるも、不意に戦意をなくしたカイムの股間を思い切り蹴り上げた。


「うぐっ! ――……かはぁっ」


 蹴りをもろに受けたカイムは、情けなく両手で股間を押さえながら床へと崩れ落ちた。


 ――なんだ……!? この醜い姿は――?


 突っ伏すカイムの横眼に姿見が映る。

 そこには布一枚の肥え太った醜い男が一人、無様に股間を押さえたまま転がっている。


        *


「どう、落ち着いた?」

「あぁ……なんとか」


 薄着女の蹴りを受けてからしばらくの間、カイムは久しく感じていなかった股間への強烈な刺激に悶絶していた。


 陽子と名乗る女性の助けを借り、今は応接間と思わしき空間にある椅子に座している。


 痛みが引くにつれ、カイムは陽子の話す内容を断片的に理解した。

 陽子によると、この体はどうやら和希という少年のものであること、陽子は今その少年の母であること、見事に股間を蹴り上げた薄着女は加来と言い、和希の一つ下の妹であることを知った。


「突然でびっくりしちゃったけど、カズくん、部屋から出てきてくれて嬉しかったわぁ」


 心底安心したのか、陽子は目の端に涙を浮かべながら話した。

 カイムはそれについて尋ねると、陽子は和希がかれこれ半年近くあの部屋に籠り切りであったことを教えてくれた。


「学校にはしばらくお休みするように言ってたんだけど、先生たちも心配して見に来てくれたし、また行ってみる?」

「学校か……学校はいいところだ。是非とも行くべきだろう」


 すでに、カイムは今ある意識とこの身が本来あったはずのものとはまったくの別物であることを理解し、受け入れ始めていた。


 疑いようもないほどに異なる境遇に若干戸惑いつつも、何らかの理由によりこの「和希」の身を借り受けていることに申し訳なさを感じ、最大限に少年の今後のためになることをしておこうと心に決めた。


 ――いつかは離れることになるだろうがな。


「そうと決まれば、さっそくお祝いしなくっちゃ! 母さん、ちょっと買出しに出るけど、何かリクエストない?」

「リクエ――……? ところでヨウコ、その帽子を取ってみてくれないか」


「えぇっ!? カズくんたら、急にどうしたの?」


 指摘された陽子はあたふたと、両手に余るワッチ帽の端を押さえた。


「いや、『母さん』が俺のよく知る耳長族(エリン)に似ているような気がしてな。名はティナという」


「あらあら……えーっと、エリンなんて知らないわ。またお父さんからおかしなことでも聞いたのかしらね」

「――そうか。変なことを聞くようだが、父さんの名は何と言ったか」

恭司(きょうじ)さんよ。ほんとにどうしちゃったのかしら」


 癖なのか、陽子は耳元の髪をかきあげるような仕草を見せる。

 その拍子に帽子からブロンドの(ほつ)れ毛が一束(ほお)へと落ちる。


「変わらないな。ところで、肝心の父さんは今どこにいるんだ?」


「父さん――……お父さんは、どこか遠いところに出張しているわ」


 陽子が言い終えると、階段の途中から勢いよく駆け下りる音が響く。


「お前のせいでいなくなったんだろ、クズ!」


 加来はリビングに顔を出すなり和希に向けて罵声を浴びせた。

 通路を塞ぐように立っていたカイムに「どけよ、デブ!」と言い飛ばし、ゴミを払うような仕草で追い払った。


「加来ちゃん。今日はお兄ちゃんのお祝いだから、大好きなカツ鍋にしようと思うんだけど――」


「いらないっ! しかもカツ鍋じゃなくてカツ丼だしっ、好きなのはお父さんとお兄――このデブ! とにかく、いらないっ!」


 加来は肩で切り揃えた髪を振り乱して一頻り叫び、冷蔵庫から取り出した飲料を持ってそのままドカドカと二階へと行ってしまった。


「……なんか、ごめんねカズくん。ちょっと前まで『お兄ちゃん、お兄ちゃん』って、カズくんのこと大好きだったのにね――でも、きっと今でもそうだわ」


「かまわない。むしろ謝るべきはこちらの方であることは明白だ。時間をかけて謝罪するよう努める。母さんも、すまなかった」


 カイムは陽子に向けて深々と頭を下げ、謝罪の意を示した。


「カズくん……!? もうやめて、ね? そんなことより、他に何か食べたいものはある?」


 和希の肩を掴んだ陽子はすぐさま頭を上げさせ、努めて明るい話題へと逸らした。


「食べたいものか……。『ツァグ』の臓物。久しぶりにあれが食べたい気分だ」

「ああー、ツァグね。でも、あれはスーパーじゃ売ってないのよ。お父さんは熊のお肉に似てるって言うけど、クマさんもあまり見かけないわ」


「そうか。なら母さんに任せる。ところで」

「んー、なぁに?」

「カコの服装はどうにかならないのか? 見ちゃいられん」


「加来ちゃんの格好? 全然変じゃないと思うんだけど……?」

「いや、こう、腕やら足やらが、出過ぎてるんじゃないか?」

「でも、お家にいる女の子は『短パンシャツ』が当たり前って聞いたわ」


「あれが、当たり前……!?」


 カイムは自身が異なる文化圏に迷い込んだことを再認識した。

 ましてや年頃の女性でさえ腕や足を剥き出し、露出することをよしとする習慣など、寡聞にして聞いたこともなかった。


 今後についてどうにかなると高をくくっていたカイムは、己の考えがまったく甘かったと後悔した。


 今更ながら頭上の見慣れない箱から冷風が吹き出していることに気付き、先からパンツ一枚の体が大きく身震いした。




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