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9話 カノ

「お疲れ様ウーちゃん。彼はその上に乗せておいて。――はい、ご褒美の果物だよ」


 袋から取り出されたカイムは弾力のある革張りのような材質の平地に置かれた。


「うえぇっ。くっ、く、カノ、おで、ごで、ぎらぃ」

「好き嫌いはよくないぞウーちゃん。君は死肉なんかより、よっぽどこういう物の方が体に合っているんだ。見てみなよこの果実の(つや)を。これは異界で『檸檬』と呼ばれる果物らしい。栄養も豊富だし、お肌にもいい。何より食べると頭も良くなる優れものだ」


「うぅ……あだま、よぐ、なりだぃ。でも、ごれ、めぢゃまずぅ」


 食べれば頭が良くなる果物などあるはずがない。

 このウーちゃんはいいように男に騙されているのだとカイムは疑った。


魔素(エーテル)が枯れかけたこの世界じゃ想像もつかないだろうけど、僕らの知る異界では有り余るほどに溢れ返っているんだ。そこら中に漂い放題の魔素を存分に取り込んだ木々の果実は、それはもう魔素の結晶と言ってもいい。君ら死肉喰は人に自身の核を植え付けて増えるそうだが、だからこそ、魔素からの影響というのは君にとっては計り知れないものとなるだろう」

 

 逡巡の末、意を決したらしいウーちゃんから僅かな咀嚼音が発せられる。


「うえぇ……こで、ぐっだら、おがあざんみたいに?」


「ああ、ヒュームだったらしい君のお母さんのようにだって、あるいはもっと別の種にだってなり得る」


 男の言葉を受け、果実をグチャグチャと噛み潰す音が激しくなった。


 それほどまでに不味い物なのか、時折洞窟内にウーちゃんの(うめ)きがこだまする。


「さて、そろそろ本題に入ろうか。――少し我慢してほしい。ただの麻酔だよ」


 カノはカイムの乗った台を移動させ、カイムの胴体にいくつか針状のものを刺し込んだ。


「これから僕は君にとある術を施すつもりだ。理解は難しいだろうけど聞いてほしい。そうだな、取り敢えず僕が言うことに同意ならうなずくか、そうでないなら無反応でいこう」

 

 抵抗らしい抵抗もできないカイムは、一方的に告げられる男の言葉にただうなずくことしかできなかった。


「……」

「――え、なんだって? なんだ君、喋れるじゃないか!」


 カノは「ちょっと待って」と言い残し奥の方へと走っていった。

 数分間、物という物がぶつかり合う音がこだまし、やがてカノが息を切らして帰ってきた。


「これは『マイク』。簡単に言えば声を大きくする機械だ」


 穴の開いたカイムの喉元に小型の何かを取り付けたカノは、満足そうに「話してみて」とカイムに(ささや)いた。


『話そうにも、声がまともに出ないんだが』

「ああ、大丈夫だいじょうぶ。よく聞こえてるよ」


 適当に相槌を打つカノに苛立ちを覚えたカイムは、置かれた台に思い切り頭突きをした。


『ずいぶんといい耳をしているんだな』


「まぁそう怒らないで。これはインカムといって拡声器とはまた別物なんだ。君の声は僕の耳にある物を通して聞こえている。試しに何でも質問してみてほしい」


『……お前たちは一体、何者なんだ』


「僕やウーちゃんのことだったら、ただの研究者だという認識でかまわない。単に僕や僕の属する組織のことを言うなら、<忘れられた遺物(ネクロシグネチャー)>というのが正しい。世界の安寧を守りたい集団だと思ってほしい」


『聞いたこともない組織だ。『世界』とはまた大きくでたな。何に従っている』


「何者にも従っていないよ。僕らはそれぞれ個々が自発的に、意志を持って世界を守ろうとしているんだ。<忘れられた遺物>なんて呼ばれているのは、ネクロと呼ばれている僕らが、危機に瀕した世界でしか目立った活動をしていないところからきている。僕はその中でも<穏健派(ミッド)>として多層世界間の平和を望む者だよ」

 

 余りに突拍子もない話だけにカイムは呆気にとられた。

 この国の、城下街の治安を維持するだけでも手を焼いていただけに、どうしても更に広い世界の先のことまで考えることなどできなかった。


『よくは分からないが、敵じゃないことだけは理解した。色々疑ってすまなかった』


「かまわないよ。僕はただ僕のやりたいようにやっているだけなんだから。大層なことを言ったようだけど、結局のところ僕が興味をそそられる研究が、たまたま集団の意志に合致しているだけかもしれない」


『……そうか。ところで先からウーチャンの声がしないようだが?』


「ああ。っはは。彼女ならそこで悶絶してる」


 カノの状況説明によると、ウーちゃんは檸檬なる果物を一気に平らげたことで、その実特有の強い酸味によってうつ伏せに倒れ込んでいるらしい。


『女だったのか……』


「さて、君に施す術のことなんだけど。えーっと君は――」


『カイムだ。プロメザラの城下で衛兵をしていたが、訳あってお払い箱になった』


「あ、うん、そのようだね。っよし、カイムくん。今の眠気はどのくらいだい?」


『気を抜けばすぐにでも眠れそうだ』


「よし、では手短に話そう。カイムくんには最終的に<転生>してもらう。今から、僕が開発した『魔素を抽出する装置(エーテルリムーバー)』に君を入れる。開始してしばらくすると君は意識の境をさまよって、眠るように意識がなくなる。その後一晩かけて君の中にある<固有魔素(オリジナル)>を抽出する。ここまではいいかい?」


『まったく分からん。続けてくれ』


「うん。まぁ、転生は僕らネクロにとっては当たり前のことだから何ともないけど、それを自然に任せるといくら年月を要するか分からないという欠点がある。個体が持つ固有の魔素は、その肉体が朽ちると伴に徐々に大気に霧散していくんだ。それが長い時間をかけて木々や川、多層世界を行き交い、様々な個体に集積し、やがてまた元の一つの個体へと収束する。それが本来の転生なんだ」


『――っすまん。意識が飛びそうだ』


「ああっと、つまり、その時間を克服するために僕は意図的に転生を促すための装置を作った。君から取り出した固有の魔素は別の提供者(ドナー)に取り込ませる。提供者については、こちらで厳正に探し出すので何も心配しなくていい。――が、ここで問題になるのが、残された肉体、カイムくん本来の肉体に僅かながらも魔素が残留してしまうという点だ。固有魔素はやはり、元々在留していた肉体を好むらしい。しかし、肉体の分解にかまけている時間が惜しい。そこで、死肉喰であるウーちゃんの出番だ」


「うぅ……ぐっで、いぃん?」


「まだ食べちゃダメだよ。いいかい、死肉喰は単に腹を満たすために死肉を喰らっている訳ではなかったんだ! 彼らは死肉を体内に取り込むことで、死肉内の魔素を効率よく抽出し、自身の魔力に変換する能力を持っていた。つまりだ――僕の装置で抽出し切れなかった魔素を一時的に貯蔵することができるんだ! それでは固有の魔素量が不完全になってしまうではないかって? 実は、転生するのに必要な固有魔素は必ずしもすべて揃わなくても成立することが分かったんだ」


『……』

「っく、く、カノ! もう、ねでるぅ!」


「あぁっ! 異界の麻酔はどうも利き過ぎるね! ――カイムくん、君の不安はもっともだとは思うけど、ウーちゃんが取り込んだ魔素も、やがては放出され君が宿る個体へと収束されるから問題ない。適合者が持つ魔素とも問題なく共存し――って、さすがにもう聞いてないね」

 

 研究者は(はだ)けた白衣を軽く整え、死肉喰と共にカイムを硬質な金属で鋳造された堅固な装置の中へと丁重に納めた。


「『父ヘルナム王と元宮廷使用人ウルカを母とし、プロメザラ城下貧民街にて生まれる。王との関係を隠ぺいするため、母ウルカは宮廷メイド長の命で解雇され、後、貧民街で給仕や娼婦として生計を立てるも病に倒れ、五歳のカイムを残し他界する。十三歳まで貧民街で物乞いや窃盗、賭場の仕込みにより食いつなぎ、後、衛兵シヴルトの伝手で兵学校に入学。十八歳、兵学校を首席で卒業し、プロメザラ城近衛兵団に入団。二十三歳、ヘルナム王の退位に伴い城下衛兵団小隊長に任命される』――。その後の活躍はよく知っているよ、カイムくん。君は本当によくやってくれた」

 

 カノは電子媒体に記録された内容を空で暗唱し、末尾に現状までをキーで書き加える。


「君のはたらきに、君の生に、最大限の敬意を表する。必ずや君を生かすことを誓おう。我々<忘れられた遺物(ネクロシグネチャー)>は全力で君を応援するよ」

 

 カノは武骨な機械にそっと手を置き祈りを捧げた。


 ウーちゃんもそれを真似、咀嚼に備えて口元から溢れ出る(よだれ)を流れ落ちるに任せた。


 機械は駆動音と伴に徐々に開いた蓋を密閉させ、やがてカイムの体は見えなくなり完全に外界との接触が遮断される。

 

 ――なるほど、すべてお見通しだったという訳か。ネクロシグネチャー。正体がつかめない以上信じることはできないが、元より動くことすら儘ならないこの身。委ねてみるのも悪くないかもしれない……――

 

 カイムは豪胆とも取れる意思を持ちながら、久方振りに我が身を賭けに投じることの清々しさを感じずにはいられなかった。

 


 それから、生まれて初めて抗いがたい眠気に全身を委ね、深く温かい泥の沼へと沈んでいった。



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