4:最初の遠隔デバッグ
あれから数日。辺境領は、活気を取り戻し始めていました。
わたくしが屋敷の窓から村を眺めていると、村人たちが【始まりの揺り籠】から持ち出した農具で畑を耕し、種を蒔いているのが見えます。希望に満ちた声が、ここまで聞こえてくるようでした。
そこへ、世話役のエララが、敬意のこもった態度で食事を運んできました。
「聖女様…。村の者たちが、あなた様のことをそう呼んでおります。我々をお救いくださった、本物の聖女様だと」
「好きに呼ばせなさい」
わたくしはそれを聞き流し、冷静に分析します。(生存環境の安定化は第一フェーズ完了、といったところですわね)。わたくしの興味は、すでに次の段階へと移っていました。
エララが持ってきた荷物の中に、王都から届いたという古い貴族名簿が紛れ込んでいるのを見つけます。その名簿の一人の名が、わたくしの記憶を刺激しました。
――デリング伯爵。
断罪イベントの際、最も卑劣な言葉でわたくしを嘲笑い、王太子殿下に取り入っていた男。彼の武器は、人を魅了し、嘘を真実であるかのように誤認させる特殊なスキル【魅了の声】。
「生存が安定した今、次はこちらの番ですわね」
わたくしは冷たく微笑みます。意識を集中させ、自らの記憶ログ――断罪イベントの記録にアクセスし、イベント参加者リストの中からデリング伯爵のステータス情報を検索しました。
目の前に、彼のステータスウィンドウが表示されます。
《保有スキル:魅了の声 (Rank:B)》
「スキルそのものを削除しては芸がありませんわ」
わたくしは、彼の最大の武器を、最大の弱点に変えることを思いつきました。【魅了の声】のスキル情報にアクセスし、そのソースコードに、悪意に満ちた新たな一行を“追加”します。
《隠し効果:効果発動時、対象者の本心を強制的に開示する》
システムのイベントログを遠隔で監視すると、ちょうどその時、王城で開かれている夜会で、デリング伯爵が有力な公爵に媚びへつらっている様子が、ログとしてテキストベースで流れてきました。
彼が【魅了の声】を発動した瞬間、その台詞が書き換わります。
「公爵様、あなた様のその地位、いずれ私が奪ってさしあげますよ。愚鈍なあなた様にはもったいない」
彼の本心が、美しい声に乗って会場に響き渡りました。ログには、会場が凍りつき、伯爵が顔面蒼白で衛兵に連行されていく様子が、淡々と記録されていきます。
やがて、目の前に《イベントログ:デリング伯爵が社交界から追放されました》という通知が表示されました。
わたくしは紅茶を一口飲み、静かに微笑みます。
「まずは一人。システムの脆弱性監査は、思ったよりも楽しめそうですわね。…さて、次はどなたを“修正”してさしあげましょうか」




