33:そして、物語は始まる
どれほどの時間が経ったのか。
わたくしが再び目を開けた時、そこに制御室はありませんでした。王都も、空も、大地も。
ただ、どこまでも続く、真っ白な、何も書かれていない空間が広がっているだけ。
わたくしの目の前に、一つの半透明なウィンドウが、静かに浮かび上がっていました。
そこには、たった一行だけ、こう記されていました。
《――新規ワールドの構築を開始しますか? [Y/N]》
わたくしは、「Y」のボタンを押しませんでした。
代わりに、この世界の新しい創造主として、最初の、そして唯一の絶対的なルールを、自らの意志で宣言しました。
「構築を開始します。ただし、条件が一つだけあります」
かつての世界のすべて――そこで生き、喜び、苦しみ、そして“削除”されていったすべての生命を思い浮かべながら、わたくしは静かに、しかし力強く告げました。
「――この世界に、定められた“シナリオ”は存在しない。すべての生命に、“自由な意志”を」
《コマンド承認》
その表示と共に、真っ白な空間に、最初の光が生まれました。
光は星々となり、銀河となり、やがて一つの青い惑星が姿を現します。大陸が隆起し、海が生まれ、緑の息吹が大地を覆い、生命が芽吹いていく。わたくしは、そのすべてを、ただ静かに見守っていました。詳細な設定はしません。ただ、生命が自由に生きられる環境だけを用意し、あとは、彼らの選択に委ねるのです。
美しい世界が生まれていく中で、わたくしは、ただ一つのことに気づきました。
この広大で、完璧な宇宙で、わたくしは、たった一人でした。カイウスも、エララも、アルフレッド殿下さえも、もうどこにもいない。永遠の孤独。それが、神を殺したわたくしに与えられた、罰なのでしょうか。
いいえ、違いますわね。
わたくしは、“悪役令嬢”ですもの。与えられた結末を、ただ受け入れるのは性に合いません。
わたくしは、失われた旧世界の膨大なログデータ――もはや“ゴミ箱”ではない、尊い“記録”へと、そっと意識を接続しました。そして、その中から、一つの歪で、皮肉屋で、しかし誰よりも世界の真実を愛した、一つの魂のデータを、指先でそっと拾い上げます。
わたくしの隣の空間が、光の粒子となって集束し、見慣れた男の姿を形作っていきました。
カイウスは、状況が理解できずにきょとんとしています。
「…おい、イザベラか? 一体どうなってやがる。俺は確か、世界の崩壊に巻き込まれて…」
わたくしは、数えきれないほどの星々が輝く、新しい宇宙を彼に見せました。
「ええ、その通りですわ、カイウス。そして、すべてが終わったのです」
すべてを察した彼は、呆れたように、しかしどこか嬉しそうに笑いました。
「…マジかよ。あんた、本当に神になっちまったのか」
眼下では、生命を育み始めた青い惑星が、静かに回っています。
「いいえ、違いますわ」
わたくしは、隣に立つ、かけがえのない相棒に微笑みかけました。
「わたくしたちは、神ではありません。ただの、“観測者”です。この世界が、どんな物語を紡いでいくのかを、永遠に見守り続ける」
「そりゃ、退屈しねえな」
カイウスが、悪戯っぽく笑います。
ええ、きっと。
わたくしたちの戦いは終わりました。
そして、ここから、無数の新しい物語が、彼らの手で始まっていくのです。