31:帰らずの路
「プロジェクト・アーク」実行まで、残り数日。
わたくしは、アルフレッド殿下の静養室を訪れていました。彼は、わたくしの指導のもと、自らの力を完全に制御できるようになった(と、信じ込んでいる)自信から、かつての王子としての輝きをすっかり取り戻しています。
その彼に、わたくしは悲壮な、しかし希望に満ちた表情で告げました。
「殿下、わたくしには“神託”がございました。この世界の歪みの根源、すべての悲劇を生み出す“悪意の源”が、『大儀式魔術管理塔』の最深部に巣食っています」
わたくしは続けます。その声は、預言者のように荘厳に。
「それを浄化できるのは、この世界でただ一人、聖なる“上書き”の力を持つあなた様だけです。それは、あなたの贖罪の旅の、最後の終着点。あなたの手で、この世界に真の平穏をもたらすのです」
アルフレッド殿下は、わたくしの言葉を微塵も疑いません。彼は、自らが救世主となる運命を告げられた英雄のように、厳かに、そして力強く頷きました。
「分かった。君がそう言うのなら、それが私の使命なのだろう。行こう、君と共に」
彼の部屋を辞した後、隠れ家に戻る途中で、耳元の通信機からカイウスの重い声が響きました。
『…イザベラ、例のもの、完成したぜ』
彼が作り上げたものの恐ろしさに、吐き捨てるように説明しました。
「過去の“間引き”の実行ログを、ただ繋げただけじゃねえ。被害者たちの断末魔の音声データ、恐怖で振り切れた感情パラメータ、そして、愛する者が目の前で塵に変わる瞬間の視覚データ…それらすべてを再構築し、まるで自分が“削除”される側を体験しているかのような、一人称視点のVR映像に仕立て上げといたぜ」
その地獄のような光景の合間に、ほんの一瞬だけ、黄金色の畑で幸せそうに笑うエララの幻影が混じっているのを、わたくしは見逃しませんでした。
その言葉に、わたくしは一瞬だけ目を閉じました。人の精神を破壊するためだけに作り上げられた、純粋な悪意の結晶。わたくしは、その引き金を引く覚悟を、改めて固めます。
『…ご苦労様、カイウス。最高の出来ですわ』
そして、運命の日が訪れました。「プロジェクト・アーク」実行まで、残り数時間。
わたくしは純白の聖女のドレスを、アルフレッド殿下は王太子の正装である純白の儀仗服を纏っています。まるで、神聖な儀式に臨むかのように、二人は誰にも告げることなく、静かに王城の廊下を歩いていきました。向かう先は、「大儀式魔術管理塔」。
長い廊下を抜け、わたくしたちは、かつて一度だけ忍び込んだ、あの制御室の扉の前に立ちます。扉の向こうからは、巨大な水晶球が発する、低く、重い駆動音が響いてきました。
わたくしは、アルフレッド殿下に向き直り、完璧な聖女の微笑みを浮かべました。
「さあ、始めましょう、殿下。あなたの手で、この世界に真の“創生”をもたらすのです」
その言葉の裏で、わたくしは心の中で、冷たく、そして静かに呟きました。
(――そして、この世界のすべてを巻き込んで、神の喉元に刃を突き立てるのです)




