29:デジタル箱庭
「プロジェクト・アーク…」
カイウスが、その言葉を忌々しげに繰り返しました。
その言葉が持つおぞましい意味を前に、わたくしたちは、しばらく言葉を失っていました。
隠れ家に戻ったわたくしたちは、禁書庫からコピーした膨大な歴史データと、過去の「プロジェクト・アーク」実行ログを照合していきます。やがて、カイウスがある恐ろしいパターンを発見しました。
「…イザベラ、分かったぞ。この“間引き”が実行されるタイミングには、必ず共通のトリガーがある」
彼が指し示したデータは、世界の「総人口」「資源消費量」「技術レベルの進歩度」といったパラメータでした。これらの数値が、システムの定めた一定の閾値を超えそうになるたびに、「プロジェクト・アーク」は発動していたのです。
「つまり、これは…」
わたくしは、カイウスの分析結果から、この世界の存在理由そのものについての、最もおぞましい結論にたどり着きます。
「…“調整”ですわね。まるで、水槽の水が汚れすぎないように、定期的に魚を間引くかのように」
「ああ、その通りだ」
カイウスが、わたくしの言葉を肯定します。
「この世界は、俺たちが思っていたような仮想現実じゃねえ。これは、何者かが“人類”という種がどう発展し、どう滅ぶのかを観測するための、閉鎖環境シミュレーション…神の視点から眺める、デジタルな蟻の巣なんだよ」
「プロジェクト・アーク」は、バグ修正プログラムなどではない。シミュレーションが、予測不能な進化(技術的特異点など)や、資源枯渇による早期終了といった、観測者にとって「望まない結果」に至るのを防ぐための、強制的なリセット&パラメータ調整機能だったのです。
わたくしたち人間は、ただの実験動物に過ぎませんでした。
すべてを理解したわたくしたちに、カイウスがさらなる絶望的な事実を突きつけます。彼が、システムの深層ログを解析した結果、次回の「プロジェクト・アーク」の実行条件が算出されたのです。
「今回の“幻影”騒動による社会不安、そしてあんたという規格外のバグの出現…。あらゆるパラメータが、急激に危険水域に近づいている」
カイウスは、震える指で、算出された予測日時を指し示しました。
「次の“間引き”まで…もう一月も残されていねえ…!」
わたくしたちの戦いは、もう一刻の猶予もない、人類の存続を賭けた戦いとなりました。わたくしは、カイウスが示した「審判の日」までの残り日数を見つめ、静かに、しかし鋼のような決意を固めます。
「結構ですわ、カイウス」
わたくしは、これから始まる本当の戦争を前に、静かに立ち上がりました。
「“神”の実験が、これ以上続くと思うなら大間違いですわ。――この歪んだ水槽は、わたくしたちが内側から叩き割ってさしあげます」
「…カイウス、もし、わたくしたちが失敗したら、この世界の誰も、わたくしたちが存在したことすら知らずに消えていくのですわね」
わたくしの口から、珍しく弱音とも諦めともつかない言葉が漏れました。
カイウスは一瞬驚いたような顔をしましたが、すぐにいつもの皮肉な笑みを浮かべます。
「バーカ、俺が覚えてる。あんたっていう最悪で最高の悪役令嬢が、神に喧嘩を売ったって事実だけはな。そいつは、どんなクソみたいな世界でも、記憶する価値がある」




