26:制御された“上書き”
「治療」という名のセッションが日常と化して数日後。わたくしはアルフレッド殿下に告げました。
「殿下、もうご自身の力を恐れるのはおやめなさい。今日からは、その力を“理解する”ための訓練を始めます」
最初の課題は、テーブルの上のグラスから、一滴の水を掬い上げ、空中で静止させること。
ティーカップの惨劇を思い出し、アルフレッド殿下は恐怖に顔を強張らせます。案の定、最初の試みは失敗し、水滴はただ床に落ちるだけでした。
『カイウス、権限行使の兆候なし。完全に恐怖で心がロックされているわ』
わたくしは彼を叱責せず、優しく声をかけます。
「大丈夫。失敗したのではありません。あなたの心が、力を出すことを拒んだだけ。深呼吸して…わたくしを信じて」
前回のセッションで植え付けた“依存”のアンカーを起動させるのです。
わたくしの言葉に、アルフレッド殿下はこくりと頷き、再び水滴に集中します。彼は、力の制御ではなく、ただ「わたくしを信じる」ことだけに意識を向けました。
すると、水滴はふわりと宙に浮かび、彼の目の前で水晶のように輝きながら静止します。それは、世界を書き換える力のごくごく小さな、しかし完璧な発露でした。
『成功だ! イザベラ! “上書き”コマンドが、世界の法則に最小限の負荷で実行された! 彼の精神状態と、あんたへの信頼度が完全にリンクしている!』
カイウスの興奮した報告が響きます。
わたくしは、その成功を大げさに褒め称え、彼の自信を深めさせました。そして、次の課題を出します。
「素晴らしいですわ、殿下。では、その水滴を、美しい氷の結晶に変えてごらんなさい」
アルフレッド殿下は、今度は迷いなく力を振るい、水滴は美しい六花の結晶へと姿を変えました。
自分の力が、初めて制御できた。その事実に、アルフレッド殿下は安堵と喜びから涙を流します。「できた…私にも、できた…!」
わたくしは、彼の功績を称えつつ、その罪悪感を巧みに利用し、次なる目標を提示しました。
「ええ、できましたわ。あなたの力は、穏やかな心で使えば、このように美しい奇跡を起こすのです。…殿下、今、王都はあなたが作り出してしまった“幻影”に苦められています」
「この制御できるようになった力で、あの悪夢を消し去り、民に平穏を取り戻すことこそ、王太子であるあなたの“責務”ではございませんか?」
「贖罪」という、彼が最も望むであろう言葉。アルフレッド殿下は、涙ながらに、しかし力強く頷きました。
わたくしは、窓の外に広がる混沌とした王都を見やり、心の中でカイウスに告げます。
『カイウス、“デバッグツール”の初期設定は完了しましたわ』
『ああ、最悪の兵器が完成しちまったな』
『ええ。これから、この国で最も偉大な“お掃除”を始めましょう。――システムのゴミ箱を空にすれば、きっと面白い“削除ログ”が見つかりますわよ』




