18:蜘蛛の糸を渡るように
建国記念パレードの前夜。地下水道の隠れ家は、作戦決行を前にした静かな緊張感に満ちていました。わたくしは動きやすい黒衣を纏い、カイウスは魔道具の最終チェックを繰り返しています。
「ターゲットはここだ」
カイウスが、王都のシステム図を投影した光の地図を指し示しました。そこは、王城のすぐ隣にそびえ立つ、白亜の塔。
「“大儀式魔術管理塔”。パレードで使われる祝賀魔法は、この塔の最上階にある制御室から王都全域へと増幅、展開される。ハッキングするなら、ここしかない」
わたくしは、カイウスが改造した魔道具を装着しました。遠隔で彼の声を聞くための、黒曜石のようなイヤリング。そして、システムの構造を視覚化するための、片眼鏡。準備は万端でした。
深夜、わたくしたちは地下水道から管理塔の地下へと通じる、古いダストシュートを経由して侵入を果たしました。カイウスは隠れ家に残り、ここからはわたくし単独での潜入となります。
耳元の通信機から、彼の潜めた声が響きました。
『OK、侵入成功。そこから30秒直進、次の角を右だ。2分周期で巡回兵が来るぞ、急げ』
蜘蛛の糸を渡るような、息の詰まる潜入行。
カイウスのナビゲートに従い、影から影へと身を滑らせていきます。行く手を阻むのは、物理的な警備だけではありません。床に仕掛けられた警報術式、通路を走る魔法障壁のセンサー。
『その障壁、王家の血筋にのみ反応する認証システムだ。だが、あんたの権限はその更に上、『システム管理者』だろ』
彼の指示に従い、わたくしは認証システムに意識を集中させ、「このセキュリティ設定を“スリープモード”に移行せよ」と命令します。すると、赤い光を放っていた障壁が、音もなくその光を失いました。
最上階へ向かう昇降機の前で、最大の危機が訪れました。角を曲がった先、想定外の場所に近衛騎士が二人、談笑していたのです。
わたくしは一瞬で物陰に身を潜め、呼吸すらも殺しました。騎士たちの鎧が擦れる音、低い話し声が、すぐそばで聞こえる。心臓が、氷水に浸されたかのように冷えていくのを感じました。
永遠とも思える時間が過ぎ、騎士たちがようやくその場を離れていきます。
ついにたどり着いた制御室。その中央には、巨大な水晶球が設置され、明日の祝賀魔法のためであろう、複雑な術式が淡い光の帯となって待機状態で浮かび上がっていました。
『今だ、イザベラ!』
カイウスの声と共に、わたくしは待機術式にそっと手を触れます。モノクルが、術式のソースコードを青白い文字列として可視化しました。
カイウスが口頭で告げる、悪意に満ちた追加コードを、わたくしは管理者権限で術式の深層に、直接書き込んでいきます。
《追加コード:祝賀魔法[サンクチュアリ・ライト]発動時、システムのゴミ箱に保管されている全削除済みデータをランダムに“幻影”として実体化させる》
夜明け前、わたくしは隠れ家へと無事帰還を果たしました。
そして、運命の時間が訪れます。
カイウスが用意した潜望鏡のような魔道具を、わたくしたちは地下水道のマンホールの隙間から地上に向けました。遠くから、パレードの始まりを告げるファンファーレの音と、民衆の割れんばかりの歓声が聞こえてきます。
「時間ですわね」
潜望鏡の先に、パレードの先頭をゆく、純白の儀仗服に身を包んだアルフレッド殿下の姿が見えました。
「――さあ、始めましょうか。我らが王太子殿下の、公開処刑を」