15:システムクラッシュ
「最終フェーズを開始します」
アリアがフリーズから復帰した瞬間、わたくしはカイウスに合図を送りました。
わたくしの脚本通り、村人たちが一斉に「アリアを無視した、純粋な人間の感情の発露」を開始します。
癒やされた子供は、エララの手を引いて、他の子供たちと収穫した果物を分け合い始めました。
若者たちは、アリアに問いかけるのではなく、互いに肩を組んで、この地の豊穣を祝う素朴な歌を歌い始めました。
村人たちは、収穫したばかりの野菜を手に取り、アリアに献上するのではなく、隣人と交換し、その喜びを分かち合います。
彼女の周囲で、彼女のプログラムが想定していない「幸福なコミュニティ」が形成されていく。アリアは祝福の言葉をかけようとしますが、どのスクリプトもこの状況に合致しません。彼女の微笑みは引きつり、動きは明らかにぎこちなくなっていきました。
「効いてるぜ、イザベラ!」
カイウスの報告が響きます。
「エラーログが滝のように流れ込んでやがる! 彼女の思考回路は、この状況に適合するシナリオを必死で検索してるが、一つも見つからねえんだ!」
システムの負荷が最大に達したのをモニターで確認し、わたくしは最後の役者に合図を送りました。
エララが、大勢の村人を代表してアリアの前に進み出ます。彼女はひざまずきません。聖女としてではなく、一人の人間としてアリアの目を見つめました。そして、黄金色に実った小麦の穂を一本、静かに差し出します。
「これは、わたくしたちの土地が、わたくしたちの聖女様の祝福で実らせたものです。あなた様への貢物ではございません。ただ、この喜びを知っていただきたいという、ささやかな“贈り物”です」
この行動は、アリアのシステムに致命的な矛盾を引き起こしました。
「信仰の対象」であるはずの自分が、「信仰の対象ではない人間」から、「信仰の証ではない、ただの贈り物」を渡される。
このイレギュラーなデータを前に、わたくしは管理者権限で最後の、そして最も残酷なコマンドをアリアの根幹に叩き込みました。
《コマンド実行:対象オブジェクト[アリア]の最優先事項を“全ての人間からの信仰を受け入れること”に定義。同時に、対象オブジェクト[小麦の穂]を“イザベラへの信仰の結晶であり、アリアが受け入れてはならないオブジェクト”と定義する》
受け入れるべきだが、受け入れてはならない。
二つの絶対命令の矛盾に、アリアの思考回路は完全に焼き切れました。
彼女の体は激しく痙攣し、その瞳から光が消えます。水晶の頬を、一筋の涙(最後のデータエラー)が伝い、彼女は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちました。
その瞬間、アリアの機能停止に伴い、膨大な情報が奔流となってわたくしの意識に流れ込んできます。大半は意味をなさないログデータ。ですが、その中に、いくつかの鮮明なキーワードが浮かび上がりました。
《…プロジェクト:箱舟…》
《…人類感情シミュレーション:失敗…》
《…最終管理者権限保持者:アルフレッド…》
そして、最後に聞こえたのは、テキストではない、冷たく、感情のない機械音声。それは、この世界の創造主、“マザー”からの最初のメッセージでした。
「……ユニット・アリア、機能停止を確認。脅威対象[イザベラ]をS級危険オブジェクトに再分類。――報復プロトコルを起動します」
「カイウス……聞こえましたか」
「ああ……最悪だ。とんでもないもんを叩き起こしちまった」
崩れ落ちた聖女を見下ろし、わたくしは静かに呟きました。
「ええ。どうやら、わたくしたちはようやく、“運営”の本当の顔に、指先が触れたようですわね」




