1:クソゲーの始まり
「――公爵令嬢イザベラ・フォン・ヴァルハイト! 貴様との婚約は、ただ今をもって破棄する!」
玉座の前、高らかに響き渡る声。わたくしの婚約者であるはずの、アルフレッド王太子のものですわ。
ああ、やはりこうなりましたか。
きらびやかなシャンデリアも、壁を飾る豪奢な絵画も、今はすべてが色褪せて見える。ここは王立魔導学院の卒業記念パーティー会場。わたくしの人生における、晴れの舞台となるはずでした。それが今や、断罪の場と化している。
壇上から見下ろすアルフレッド様の隣には、聖女アリアが儚げに寄り添っている。庇護欲をそそるその姿に、周囲の貴族たちは同情的な視線を送っているのでしょう。そして、そのすべての非難の視線が、今わたくし一人に突き刺さる。
痛い。物理的な痛みよりもなお、プライドを抉るその視線が、痛い。
「イザベラ! 貴様は聖女アリアに嫉妬し、彼女の魔力を暴走させようと企んだ! その罪、万死に値する!」
聞こえてくる罪状は、どれもこれも聞き覚えのないものばかり。アリアの、その人形のように完璧な微笑み。ただ一度だけ、その瞳の奥にガラス玉のような無機質な光を見たことがあるのを、わたくしは忘れていない。
すべては仕組まれた茶番。まるで、この世界そのものが時折見せる“歪み”のよう。幼い頃に見上げた空に走った、あり得ない“亀裂”のように。
抗弁は無意味。反論は火に油。この物語の「悪役令嬢」には、ただ破滅するという結末しか用意されていないのでしょう。
アルフレッド様が、冷酷に最後の言葉を紡ぐ。
「よって貴様には――死罪を申し渡す!」
死。その一言が、会場の喧騒を嘘のように塗り潰した。衛兵が二人、わたくしの両腕を掴む。ひやりとした鎧の感触が、現実を突きつけてくる。
ええ、結構ですわ。この茶番の結末がわたくしの死であるならば、それもまた良いでしょう。
静かに目を閉じ、最期を受け入れようとした、その瞬間。
キィン、と。
耳鳴りとは違う、無機質な音が頭蓋の内側に直接響いた。
目を開く。何? いまのは……。
そして、見てしまった。
視界の隅、シャンデリアの光を遮って、半透明の文字が明滅していた。
《ERROR:シナリオからの逸脱を検知。対象個体[イザベラ]の感情パラメータが規定値を超過》
幻覚?
……いいえ、違う。これは、これは“情報”だ。
脳が、そして魂の芯が、この異常事態を「理解」していく。この世界は、何かがおかしい。わたくしが感じていた違和感の正体は、これだ。
「刑を執行せよ!」
王太子の号令で、衛兵長が大剣を抜き放ち、わたくしの前に立つ。磨き上げられた刃が、絶望を映して鈍く光る。
大剣が、振り上げられる。
(あのエラーに、意識を…!)
心の中で叫ぶ。
(この理不尽な強制力を――壊せ!)
甲高いノイズ。
大剣はわたくしの首筋に触れる寸前、青白い光の多角形と化して砕け散った。
「なっ……!?」
衛兵長が、柄しか残っていない剣の残骸に呆然と視線を落としている。会場が、悲鳴と混乱に包まれた。
「な、なんだ今の…魔法か!? いや、魔力の流れはなかったぞ!」
アルフレッド様の狼狽した声が響く。
未知の現象への恐怖が、彼の顔を歪めていた。その表情を見て、わたくしは確信する。ああ、この世界の住人は、誰も気づいていないのだ。自分たちが、いかに不確かで、脆い舞台の上に立っているのかを。
「……判決を変更する! 死罪は免除! 貴様は北の辺境領へ永久追放とする! 今すぐ連れて行け!」
衛兵たちが、怯えながらもわたくしを乱暴に引きずる。
連行されながら、一度だけ振り返った。恐怖に染まる王太子と、そして、ほんの一瞬だけ、人形の瞳を冷たく眇めた聖女アリアの顔を、しかとこの目に焼き付けて。
ええ、結構ですわ。
その程度のクソゲー、わたくしがハッピーエンドに作り替えてさしあげますわ。




