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伯顔:南宋征服者の物語②

〇凍てつくような冬の風が、大元だいげんの都、大都だいとに吹き荒れていた。しかし、フビライ・ハンの宮廷は、熱気に満ちていた。1264年、フビライは伯顔バヤンの才能を高く評価し、彼を中書左丞相ちゅうしょさじょうしょうという重要な役職に抜擢ばってきしたのだ。中書省ちゅうしょしょうは、当時の元朝げんちょうで最も大切な政治の中心であり、左丞相はその実務じつむを取り仕切る、まさに国の心臓しんぞうともいえる地位だった。


伯顔バヤンは、かつてイランの地で身につけた異文化を理解する力と、モンゴル人らしい迷いのない決断力を、存分に発揮し始めた。元朝の宮廷は、モンゴル人、漢人かんじん、そして中央アジアや西アジア出身の色目人しきもくじんが入り混じり、それぞれが違う文化や習慣を持つ、とても複雑な場所だった。


ある日のこと、宮廷で激しい議論が巻き起こっていた。漢人の役人が、新しい税の制度について強く反対の意見を述べ、色目人の役人は、自分たちの商売に不利だとして猛烈もうれつに反発していた。意見は平行線をたどり、誰もが頭を抱えていた。


「皆の者、静まれ!」


伯顔バヤンの声が、張り詰めた空気を切り裂いた。彼の瞳には、冷静れいせいさと同時に、揺るぎない決意が宿っていた。


「漢人の意見も、色目人の意見も、どちらもこの国の未来を考えてのものだ。しかし、このままでは何も決まらない」


伯顔バヤンは、一歩前に進み出た。


「私は、両方の意見を尊重そんちょうする。だが、フビライ陛下が目指すは、すべての民が豊かに暮らせる国だ。そのために、我々はどうすればよいか、知恵ちえを出し合おうではないか!」


彼の言葉は、まるで魔法のように、場の雰囲気を変えた。伯顔は、それぞれの文化背景はいけいを理解しているからこそ、双方の言い分に耳を傾け、公平な視点から解決策を探ることができたのだ。彼の雄弁ゆうべんな話し方と、物事の本質ほんしつを見抜く鋭い洞察力どうさつりょくは、さまざまな対立をスムーズに解決し、フビライが目指す多民族国家の基礎きそを築く上で、なくてはならない存在となっていった。


彼は単なる武将ぶしょうではなく、この頃から、その政治家としての優れた手腕しゅわんも高く評価されるようになったのだ。冬の風が吹き荒れる大都で、伯顔バヤンの新たな挑戦ちょうせんは、力強くその第一歩を踏み出していた。



まだ冷たい風が吹き抜ける、大都だいとの冬。1262年、フビライ・ハンが皇帝カアンになって間もない大元だいげんは、まだ落ち着かない様子だった。その中でも特に大きな問題が、李璮り たんという男が起こした反乱だった。李璮は、モンゴルに降伏こうふくした漢人かんじんの有力な武将だったが、フビライが中国風のやり方で国を治めようとすることに反対し、山東さんとうという場所で大きな反乱を起こしたのだ。


若き伯顔バヤンは、この時、まだ年若かったにもかかわらず、フビライからの深い信頼を得て、反乱をしずめるための軍隊の一員として戦場に向かった。


伯顔バヤンよ、李璮り たんの反乱は、決して軽んじてはならぬ。奴はかつての味方、地の利も知る手強い相手だ」


フビライは、伯顔に直接そう言い渡した。伯顔のひとみには、フビライの期待に応えようとする強い決意が宿っていた。


戦場は、砂塵さじんが舞い、剣戟けんげきの音が響き渡る苛酷かこくな場所だった。伯顔は、同じく漢人の将軍である史天沢してんたくと共に、李璮の反乱軍と激しく戦った。


ある日のこと、敵のとりでを攻めあぐねていた時、史天沢してんたくあせった声で言った。


伯顔バヤン殿、このままでは攻め落とせぬ! いっそ、力攻めで行くべきか?」


伯顔バヤンは冷静に周囲を見渡した。


「史将軍、落ち着かれよ。敵は地の利を得ている。我々が焦れば、かえって深手ふかでを負うことになろう」


彼は地図を広げ、指で一点を指し示した。


「見てください。この場所から迂回うかいし、敵の背後はいごを突くのです。奴らは我々が正面から攻めるとばかり思っているはず。奇襲きしゅうをかければ、必ずや動揺するでしょう」


史天沢してんたく伯顔バヤンの言葉にハッとした。


「なるほど! それは良い策だ!」


伯顔バヤンの指示通り、軍は動き、見事な奇襲きしゅうが成功した。李璮の軍は混乱し、最終的に反乱は鎮圧された。この激しい戦いを通じて、伯顔は漢人の土地の様子や、多くの兵を率いて城を攻めたり囲んだりする、実践的な戦いの経験を積むことができた。


李璮り たんの乱を鎮めることは、フビライの政治まつりごとが安定するためにとても重要だった。これによって、漢人の地域でのモンゴル帝国の支配が、さらに強いものになったのだ。伯顔バヤンは、この初期の困難こんなんを乗り越える中で、フビライからの信頼をさらに確かなものにし、これから行われる南宋なんそう征服せいふくするという大きな仕事に向けて、しっかりと準備を進めていった。彼の名は、フビライ政権のいしずえを築く者として、歴史に刻まれていくことになる。



草原の風が、南の湿った空気を押し流すように吹き抜ける。げん皇帝こうてい、クビライ・ハンは、巨大な地図の前に立っていた。その指が示すのは、豊かな緑に覆われた大地、南宋なんそう。そして、長江ちょうこうという大いなる川が、まるで生き物のようにうねりながら中国を東西に分けていた。


「バヤンよ」


クビライの声に、その場に控えていた一人の若者が深く頭を下げた。彼の名は、バヤン。まだ三十代前半の若き将軍しょうぐんだが、その瞳にはすでに百戦錬磨の戦士の輝きが宿っていた。


「南宋は、我らの前に立ちはだかる最後の壁だ。特に、長江にそびえ立つ襄陽じょうよう樊城はんじょうは、奴らの喉元にある匕首あいくち同然。ここを奪わねば、長江を越えることはできぬ」


クビライの言葉には、中国全土を統一するという強い意志が込められていた。バヤンは静かに頷いた。


「承知しております、陛下へいか。しかし、襄陽と樊城はこれまで幾度となく攻められ、その度に我らの軍を退けてきた難攻不落なんこうふらくの城。生半可な攻めでは、勝利は得られぬでしょう」


「その通りだ。だからこそ、お前にはこの難攻不落の城を攻略してもらいたい」


クビライの目が、バヤンをまっすぐに射抜いた。その言葉に、バヤンの胸に熱いものがこみ上げる。


1268年、元軍はついに襄陽と樊城を包囲した。しかし、南宋の守将、呂文煥りょぶんかんは、まさに鬼神きじんのごとく城を守り抜いた。元軍の猛攻は、まるで鉄壁に跳ね返されるかのように、ことごとく失敗に終わる。


「くそっ、またか!」


樊城の城壁じょうへきの下で、バヤンは歯噛みした。もう五年だ。五年もの間、この二つの城を落とせずにいる。兵士たちの間にも、疲労の色が濃く見え始めていた。


ある日のこと、バヤンは兵士たちを鼓舞するため、城壁に近づいた。その時、城壁の上から呂文煥の声が響いた。


「モンゴルの犬どもめ!いくら攻め立てようと、この城は落ちん!長江は我らの盾であり、この城は我らのたましいだ!」


その言葉に、元軍の兵士たちはざわめいた。屈辱と焦りが、彼らの心をむしばんでいく。しかし、バヤンの心は違った。彼の心には、新たな決意が芽生えていた。


その夜、バヤンはクビライのもとへ向かった。


「陛下、このままでは攻城戦は膠着こうちゃく状態のままです。新たな力が必要です」


バヤンの言葉に、クビライは静かに頷いた。


「うむ。私もそう考えていた。そこで、西域さいいきから新たな兵器を導入することにした。『回回砲フイフイほう』だ。この砲は、これまでのどの砲よりも強力な破壊力を持つ」


その言葉に、バヤンの目に希望の光が宿った。


「回回砲、ですか!それは心強い」


しばらくしてからの事


「お久しぶりです。伯顔ばやん殿!回回砲フイフイほうをお持ちしましたぞ!」


「これは、郭侃かくかん殿!なんと心強い!」


郭侃かくかんは、伯顔ばやんが西域で戦っていた頃の同僚だった。


歳は離れていますが、気の合う戦友だったのだ。


そして、郭侃かくかん回回砲フイフイほうの名手でもあった。


そして、1273年。ついに回回砲が火を噴いた。巨大な石弾が、轟音ごうおんとともに樊城の城壁に叩きつけられる。土煙つちけむりが舞い上がり、城壁の一部が崩れ落ちた。


「今だ!突撃とつげき!」


バヤンの声が、全軍に響き渡る。兵士たちは、その声に導かれるように一斉に城へと殺到さっとうした。回回砲の威力は、呂文煥の想像をはるかに超えていた。鉄壁を誇った樊城の守りも、この強力な兵器の前には無力だった。


激しい攻防の末、ついに樊城が陥落した。その直後、襄陽も降伏。長きにわたる攻防戦は、ついに元の勝利で幕を閉じた。


バヤンは、襄陽の城壁の上に立っていた。長江の雄大な流れが、彼の目の前を悠然と流れている。


「陛下、ついに長江を越える道が開かれました」


彼の言葉には、達成感と、そして新たな戦いへの静かな決意が込められていた。南宋統一への道は、今、まさにひらかれたのだ。

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