07 サクラ・サク
――さくら?
つばきの脳裏に過ったのは、知りもしないはずのさくらの名前。
だが、つばきは思い出した。
自分は、さくらという名前の少女を知らない。だが、そのよくある名前に心当たりがあることを。
遅松が語った、六鶴の歴史。鶴の恩返し……、クレイン、大魔女。
「さぁ、苦しんでもがいて死ぬっち」
クックーの邪悪な笑みと、赤い魔法陣。歪んだ口元はスローモーションで動き、マギ……まで言ったところまでは聞こえた。
「大魔女クレインの子が死んでもええんか!」
この状況で一致した。
つばきの中で、遅松が話した【鶴の恩返し】と、【鶴賀を名乗ったさくら】が一致したのだ。
「なに……!?」
クックーの手が止まり、呪文の最後まで言えずに止まった。
「しゅしゅしゅ、なにを言っているしゅ。このクレインは……、命恋しさに無茶なことを言っていしゅな」
つばきは強い表情で、カナリーを向き、そしてクックーを睨んだ。
「あほな! 自分らこそ考えたことないんか!? あーしらがなんで『クレイン』と名乗っとんのか。なんで、あんたらしか使えんはずの魔法を使えるんか、魔具はなんなんか、そして」
不機嫌そうに眉をしかめながら黙って聴いているクックーを睨みつけながら、つばきはこれこそが決めてになるだろう言葉を投げつけた。
「金の魔法陣が存在する理由」
明らかにクックーの表情が変わった。
「金の魔法陣……何故それを貴様が知ってるっち!」
「は! あーしらは【約束の世代】や! しくじったらこの世界は終わる、今更出し惜しみしてもしゃーないわな。うちの《鶴賀家》にだけ伝わっとんねん、全ての歴史が! 500年前に金の魔法陣を作ったんは誰か? 【七人目のクレイン】さくらが何者か! あーしは全部知っとる! せやから葵町から離れるしかなかったんや!」
歯を食いしばり、滲みだすような悔し気な声でクックーは「よく喋るっち……」と呟く。
「デタラメを信じるしゅか? クックー。お前は単純しゅからね、ひとまずこのクレインを殺してから真偽を考えればいいしゅ」
「大魔女の子……」
クックーの表情が固まり、色白な顔色がさらに白くなってゆく。
「あたち達ナハティガルが何体死んだ……? 人間しか食うことのできないあたち達が、人間を食えずに飢え、次第に数が減り滅びようとしていたのは……大魔女のせいっちか。そして、あたち達に立ちはだかるあの圧倒的な強さを持つクレイン……『さくら』が、大魔女の子……」
固まっていたクックーの表情が次第に鳥のように獣に変わってゆく。
「クックー! 落ち着くっしゅ! 鳥化してるしゅ!」
「許さん、許さん、許さんっち、クレイン!!」
怒りに我を忘れたクックーが、両手を空に掲げ球体の魔法陣が出現した。
それはまるで太陽のように熱く、全てを焼き尽くすような熱を放つ。
「や、やめるしゅ! カナリーもいるんしゅよ!」
我を忘れて強力魔法を放とうとしているクックーに、思わずカナリーが声を上ずらせて叫んだ。
「なにもかも、塵も残さずに焼き払ってやるっち……!」
この圧倒的に不利な状況で、つばきはクックーを睨むのをやめなかった。それは、死を覚悟したからではない。たった一つの魔法を切り札に持った心の強さからだ。
『マギ・ティアボラ!』
灼熱の球体がつばきに襲い掛かる。迫るスピードは速くはないものの、その巨大さからとても避ける余裕はない。
「クックー!」
カナリーが悔しさでパンパンに膨らませた断末魔を上げる中、つばきは閉じた傘を正面に突き出し大きく息を吸う。
「おかん……ほんまおおきにやで。死んだらごめんやけど、あーしは死ぬつもりないから!」
ザン、と鳥が羽ばたくような音にも聞こえるそれは、傘を広げた音だった。
――たった一つの魔法。
葵町に来ることを決めたつばきに、母すみれは傘の魔具を使った魔法を一つだけ、教えた。
その魔法はとても難易度が高く、時間がかかったが【鶴賀】であるつばきには元々素質があり、なんとかそのたった一つの魔法を覚えたのだ。
それがこの魔法である。
「猩々緋」
それを詠ったつばきの傘はなにも起こらない。それどこか、魔法陣すらも出現しなかった。
「え……」
一瞬にしてつばきの表情が絶望に変わる。
このタイミングで、不発だとはなんという悲劇だろうか。戦う覚悟を決意に変えた矢先の出来事であった。
「そんな……!」
「つばき! この魔法は猩々緋じゃないんダナ!」
突然、傘姿の遅松がつばきに話しかけてきた。
「え、なんで?! あーしはこれが猩々緋やと……」
「バカ! これは猩々緋じゃない、この魔法は……」
その魔法の名を、遅松はつばきに告げる。
「そ、それって」
「早く詠うんダナ!」
今にも直撃しそうな灼熱ボールに向け、もう一度傘を畳、広げなおした。
球体とその向こうにいるクックーを真っ直ぐな眼差しで睨みつけるつばきは、その魔法をこう詠い直すのだった。
『鶴賀家奥義 椿!』
それは一瞬だった。
つばきに灼熱の球体がまさに直撃するその瞬間、弾けるように真っ赤な光が、つばきの花を象りその灼熱の球体はもう一度形を成すとクックーを飲み込んだ。
鼻先まで迫り、回避不可の自らの灼熱魔法にクックーは驚愕する間もなく「な、にぃ!?」としか言えずに、飲み込まれてゆく。
「クックー!」
灼熱球体に飲み込まれたクックーに対し、カナリーは悲痛な叫びを上げた。
その叫びは、クックーが死んでしまったかもしれないという悲しみではなく、クックーが持っていたはずの【それ】が一緒に消失してしまったのでは、という叫びだったのだ。
奥義でクックーに一撃を見舞ったつばきは、放心状態ながら母すみれとのとあるやりとりを思い出していた。
――いい? つばき。この魔法はピンチの時にしか使ってはダメ。
――は? んなあほな、ピンチの時しか使ったらあかんねやったら戦われへんやん!
――そこは仲間を信じなさい。六鶴の戦士は必ずあなたを護り、そしてあなたの力を必要とするから。
――けど、そもそも跳ね返す魔法やなんて、使いどころ決まってるし……
――使いどころが決まっているから、確実にそこで成功させるの。いいからいうことを聞きなさい。
――そんなん、おかんも一緒に葵町にくればええやん! 引退した言うてもまだまだ魔法は使えるんやろ
――もう駄目よ。クレインは伝承する子が14歳を超えた時点で、強制的に魔具から魔力を引き出すことが出来なくなるから。
――嘘やん……
――だから、この魔法をつばきに託すわ。窮地を脱すれば、遅松が色々な魔法を教えてくれる。
――猩々緋?
――……ええ、猩々緋。だけど、その魔法はきっと形を変えるはずよ。
――なんのこっちゃ
つばきは今になって母との会話を思い出し、最初から母は猩々緋ではなく、椿を伝授したのだ。
奥義だと知ってしまえば、きっとつばきは「もっと別の使えるやつを」と強いるだろう。わが娘の性格を知る母親だからこそ、すみれは魔法の名を隠してつばきに教えたのだった。
そして、そのギミックは必ず遅松が解くと信じた。
結果、『ありとあらゆるものを例外なく弾き飛ばす【跳ね返し】の魔法』、【椿】は圧倒的な魔力を内包したクックーの魔球体を跳ね返したのだ。
激しい衝撃が、なにか分厚い金属に衝突したような甲高く強烈な余韻を残す音。
右の鼓膜から左の鼓膜を突き抜けてゆくような強烈な音の強襲に、一瞬ききょうの視界は閃光が過ったように瞬いた。
パラキートの一撃に、自らの終幕を覚悟したはずのききょうは閃光が晴れたと同時に我に返る。
「痛ったぁ~!」
黄色い人影が、パラキートの一撃を大きな簪で防いだが、その片手と片足は包帯でぐるぐる巻きにされたギブスに覆われており、実に痛々しい。
「き……きくさん!」
「ありゃりゃ、もっしかしてききょうちん、今死のうかなーとか思ってた?」
振り返りざまに、嫌味たらしく満面の笑みでそういうきくは、受け止めたパラキートを振り払い、慣性で自由を一瞬失ったパラキートに簪の宝珠部分を突き出した。
『蜂蜜!』
簪の宝珠が液状化し、パラキートを捉えるとパラキートを捉えたまま元の球体に戻る。
「おりょりょ、ごめんにぇ~。怪我人なもんで、加減する余裕ないみたいな感じでぇ」
そう告げるきくの顔からは、痛みからか汗が噴き出していた。
「ききょうちん、怪我人にここまでさせちゃだめだめだって!」
「わたくしとしたことが、見苦しいところをお見せしましたわね……!」
パラキートが「き、貴様ら……」と悔しさを滲ませるが、全く身動きが取れない。
『暗紅!』
真っ黒な煙がキセルの先から現れ、パラキート目がけて先を尖らせたそれが喉を貫いた。
「爆!」
ききょうがキセルをぐるりと廻し、払うようにするとパラキートに刺さった黒煙が紫の炎と電撃を放出しながら爆発した。
「……煙に巻かれた気分はいかがですか?」
「やるねぇ~……ききょうちん、そうでなくちゃ……」
きくがききょうに労うが、声は弱弱しく今にも地上に落ちてしまいそうなほどふらついている。
「きくさん! こんなご無理をして……なぜ来たのです」
「ききょうちんが死にそうだったからだよー……、なんつって」
ききょうはきくの肩を抱きかかえると、つばきのことを思い出し、眼下に視界を振った。
「つばきさん!」
ききょうの瞳には、正面に傘を突き出し開いたまま固まっているつばきと、クックーの居たところに爆炎がもうもうと燃えさかっている光景が映った。
「ありゃりゃ……もしかして新人さん、1人で魔女をやっつけたの? こりゃ有望ですねぇ」
ききょうがつばきに向けもう一度「つばきさん!」と呼ぶと、つばきはゆっくりとききょうを見て弱く笑った。
「どうやら……本当に、魔女を倒したようですね」
信じられないといった表情のききょうだったが、そもそも能力が未知数だったつばきが、クックーを迎撃したのだと、納得せざるを得ないような状況だ。
「それよりも、きくさん……。わたくしを奮い立たせて頂いたのは感謝いたしますが、なぜ……」
「きくりんだけじゃないよん」
「なんですって?」
きくがアゴ先で示す先に、さくらを背中に背負ったひまわりがいた。
「ひまわりさん! それに……さくらさん!! なぜ来たのですか!」
ひまわりは、必死の形相でさくらを背負い涙を浮かべて叫ぶ。
「さくらちゃんが! さくらちゃんの魔力がもうなくなっちゃう!」
ひまわりの悲痛な叫び。
その叫びにききょうが目を凝らすと、さくらからほとんど魔力を感じることが出来なかった。
意識を失い、死の淵にいたとは言え、クックーから奪った強力な魔力がこんなにもすぐ消えようとするとは思わなかったのだ。
それだけに、ききょうはひまわりの表情が物語る危機的状況を理解した。理解はしたが、どうすればいいのかききょうの脳裏をぐるぐると駆け巡る。
そう、パラキートとクックーの脅威をなんとか脱したが、根底にある危機的状況はなにも変わっていない。いや、むしろ悪化していたのだ。
ききょうは、ふじらが戦っている先に目を移すと、戦局は変わらない様子であった。
とても助力を頼める状況ではなさそうだ。
「一体わたくしはどうすれば……」
時間が許さないはずの状況で、ききょうは立ち尽くすしかなかった――。
ききょうが立ち尽くし、思考を巡らせている頃、つばきは信じられないものを目にしていた。
「あ……あほな、いくらなんでもあれを受けて……」
最後まで言葉を言い終わらないほどの衝撃を胸に受けたつばきは、晴れてゆく爆煙の中から現れるクックーの影を見つめていた。
「あ……が、が……ぁ!」
苦悶と殺意、怒りと敵意、あらゆる攻撃的な感情を一つに混ぜ合わせ、その眼差しはつばきを貫きそうなほどに尖らせていた。
「ゆ、……るさんっち!!」
眼差しこそこれまでで一番の狂気を放っていたが、反してその姿は実に痛々しい姿であった。
右肩から脇にかけ腕ごと抉られたように無くなり、下半身もまるごと吹き飛ばされ、顔も半分以上が焼け焦げていた。
そして狂気の眼差しを除く顔は、ダメージからか、それとも怒りの感情からか、先ほどよりも鳥化が進んでいる。
「おお、クックー……生きていたしゅか!」
つばきがなにか言うよりも早く、カナリーが嬉々とした声色で叫ぶ。
直後、つばきの指先に鋭い痛みが走り、なにごとかと手元に目をやると、カナリーがカゴごとクックーに向かっているところだった。
「しもた!」
この時の為に力を蓄えていたのか、つばきが手を伸ばした時にはもうそれ以上の距離を離していた。
「クックー! 悔しいしゅ!? すぐに治してやるしゅ、しゅからカナリーの魔力を戻すしゅ!」
カナリーの言葉に苦しみながらクックーは辛うじて無事だった片方の手で、なにかを取り出した。
「ぐ……、さっさと治すっちィ! ィイ!」
クックーが出したのは、緑色の鈍く光る手のひら大の水晶だった。
「再びカナリーの魔力を戻すっち! マギ・コン・ゼルツッ!」
水晶が光を放ち、霧化するとカゴの中のカナリーを覆った。
「な、なんや!?」
緑の霧はやがて人の形を象り、徐々に姿をはっきりと取り戻してゆく。その過程を成す術もなく見つめるしかなかったつばきは、なにが起ころうとしているのか、直感的に悟る。
「あかん! それはやばいって!」
つばきの叫び声にききょうが反応し、再び視界を戻しつばきが見たそのままの光景を目にした。
「あれは……魔女がまだ死んでいなかったのですか!?」
巡らせていた思考を一旦止めて、ききょうはつばきの元へと急ぐ。
その中でききょうは見た。
鳥カゴのカナリーが姿を戻そうとしているところを。
「鳥化した魔女が再生……? そんなもの、聞いたことありませんわ!」
ききょうが血相を変えて向かった先をきくもまた見詰め、「ありゃりゃ……」と息を呑んだ。
だが、きくはすぐにとある違和感に気付き、ききょうの背中に向かって声を飛ばす。
「ききょうちん!」
「申し訳ありませんがあとにしてくださいますか!」
ききょうは一刻も早くつばきの元へ辿り着くために、きくの言葉に構わず急いだ。
「カナリーに纏わりついてるあの煙……もしかして」
きくの目に映っていたのはカナリーにうっすらと纏わりついた煙であった。
「つばきさん!」
つばきの元へ辿り着いたききょうは、名前を呼ぶと目の前で起ころうとしている光景を見詰めた。
「ききょうはん! ごめん、あーしがカナリーを……」
「なにを仰っておられるのですか、初めての戦いで魔女を戦闘不能しただけ大活躍ですわ。それより……」
再生し始めたカナリーの姿はほとんど完了しかけていた。もっと早くにこの状況に辿り着けていれば、魔法による攻撃で妨害できたかもしれない。
だがそれは、魔法をたった一つしか扱えないつばきに期待するのは酷というものだ。それだけに判断が遅れてしまったことをききょうは悔いた。
「次から次へと問題が山積みですわ……。それに、時間もないときていますし……」
いつ完了し魔法をしかけてくるかわからないカナリーに対し、迂闊に手出しができない。
なぜならばカナリーは魔女クラスの魔法少女である、万が一攻撃をしたところにカウンター系魔法を受けた場合、致命傷になりかねないのだ。
「ききょうちん!」
よろよろと力を振り絞ってきくが追いついてきた。
「きくさん! ここは危険ですわ!」
ききょうが叫ぶときくはいつのニヘラ笑いを浮かべて、「だよねぇ」と言った。
「けど、ききょうちん。きくりんにはきになることがあるんだよね」
カナリーの状況を注視しつつ、ききょうはきくの話を聞く。
「なんですって……」
きくの話にききょうはあきらかに表情が変わるのが分かった。それは、これまで巡りに巡りまわった思考が全て一本のレールにハマり、そこに高速の列車が通るような、視界が晴れた感覚。
そして、思い返すのだった。
「そういえば……そうでしたね」
そのやりとりを一歩引いていたところで見ていたつばきが追急した様子で「どないしたらええん!? あれあのまま放っといてええんかいな!」と喚く。
「つばきさん、いいのです。カナリーはあのまま復活させましょう」
つばきが「せやけど……!」となにか反論しようとしたところをききょうが制し、なにかを呟いた。
「……え? ほんまにそないなことが……」
「よろしくお願い致しましたわよ。つばきさん」
ききょうがそう言った後、つばきときくは互いに目を合わせると、意を決したように一度、深く頷いた。
「しゅしゅしゅしゅしゅっ!」
つばきときくが頷き合った直後、カナリーの独特な笑い声が空に霧のように撒かれた。
細かい粒子が、服に纏わりつくような不快さを持つカナリーの声に目を移すと、カナリーの姿はすでに鳥の姿ではなく、魔法少女の姿に戻っていた。
「鳥化したナハティガルの魔女クラスよりも上にだけ使用を許された魔力の水晶【マギ・コン・ゼルツ】。たった一度だけしゅが、鳥化をリセットすることが出来る奇跡の魔具しゅ! 畏れ慄く(おそれおののく)がいいしゅ、クレイン!」
すっかり姿を戻した黄色い魔女カナリーは、魔力を溢れさせながら自らの復活を喜んだ。
「くっ……!」
ききょうの口からは悔しさを滲ませた声が漏れ、それが更にカナリーの気分を良くさせる。
「馬鹿しゅ! 阿呆しゅ! 愚鈍しゅ! お前達人間はいつだって爪が甘くて笑えるっしゅ! さっさとこのカナリーを殺しておけば、ここまでの悪夢にならずに済んだはずっしゅ!」
得意げに大声でそう言いながら、カナリーはしゅしゅしゅ、と独特な笑い声を高鳴らせた。
「カ……ナ、リィ……」
苦しそうな声でクックーが呻くと、カナリーはクックーに向き合うと、意地の悪そうに片方の口角を釣り上げ笑う。
「そうでしゅたね、クックー。ここまでご苦労でしゅた。正直、クックーを治すのは気は進まないしゅが、カナリーを鳥化から救った借りは返さなきゃでしゅね……と、言っても何度かクックーの怪我を治癒してきたはずしゅが」
「いいから早くあたちを治すっち! そして、クレイン共を今ここで皆殺しにするっち……!」
「そうっしゅな、せっかくここにクレインが全員お目見得っしゅ。ここで皆殺しにしなくちゃ一体いつするんだって話しゅものね……」
身体の半分を失くしたクックーがカナリーの治癒魔法を待っている頃、ふじとぼたんも辛うじて魔法少女を撃退したところであった。
ただし、ふじもぼたんも連戦に次ぐ連戦ですでに満身創痍。むしろここに生きて立てていることですら不思議なぐらいだ。
そんな満身創痍の彼女らも、そんな状態なのにも関わらず、すぐにききょうやつばきの元へ行かなければ、という使命感が身体を襲う。
「さすがに……キツイ、さ」
「それでも目を潰された時に比べたら、マシ……さ」
どこを見ても傷だらけ。むしろ無傷な場所を探す方が難しいほどボロボロの身体。
ききょう、つばきにスポットが当たっていたため、戦いの激しさは分からないが、彼女らほどのクレインがここまでボロボロになるまで追い込まれるとは、その過酷な戦局がうかがい知れるのではないだろうか。
「ぼたん、ききょうたちのところまで運べる?」
「無理っちゃ無理だけど、やれるっちゃやれるさ……多分」
「じゃあ、悪いけど頼むわ」
フラフラの足取りでなんとかぼたんの肩を抱くと、ぼたんはふじの手が触れた途端に「痛たっ!」と叫ぶ。
「それもこれも、魔女をぶっ倒して、さくらを助けるため……」
「……さね」
豆粒ほどの大きさにしか見えないききょうたちに向かって、ぼたんは下駄型の魔具・十四松になけなしの力を込めた。
「いつもよりちょっち遅いかもだけど……いくさ!」
「よっしゃこい!」
『今様』
弱々しくも細く頼もしい光を放射し、ぼたんたちは向かって行った。
――「待って!」
さくらの夢の中、自分がいなくとも日常は変わりなく回る。
いや、むしろ自分がいないほうがきっと、幸せな毎日を送れるのではないか。
さくらは、その中に少しでも自分が存在したことが嬉しかった。
だから、さくらはその夢から去ろうとしたのだ。
そのさくらの腕を掴む手に、さくらは立ち止った。
「待って! さくらちゃん!」
さくらの腕を掴んでいたのはひまわりだった。
その後ろには玉木きゅんはいない。
「ひまわり? なんで、玉木君と一緒にいれて楽しかったんじゃないの?」
さきほどまで、夢の中でのひまわりは玉木きゅんと一緒にいたはずだった。
なのに、ひまわりの周りにはそれらしき人間はいない。
「どこ行くんさ。うちをひとりにしないって言っておいて先においとまするつもりじゃないんよね?」
「ぼたん!」
ぼたんは照れ臭そうにチョコホームランを一齧りすると、新品のチョコホームランをさくらに手渡す。
「このチョコホームラン、離すんじゃないさ」
さくらは驚いた顔つきで、ぼたんを見詰めるとさくらの肩に手を乗せる感触。
肩に乗せた掌は力強くさくらの肩を掴むと、不機嫌そうな声が耳の近くで聞こえた。
「勝手に助けて、勝手に死ぬなんて、やっぱあんたのこと気に入らないね」
それはふじの声。
ふじも、恋人の朔と幸せそうにベンチに腰をかけていたはずだった。
そこにはさくらの入り込む隙間などないくらいに、二人だけの幸福な時間があったはずだ。
でも、ここにふじはいた。
「ふじ……」
「あ~りゃりゃぁ? この展開はきくりんはあんまり必要ない感じぃ?」
「きく!」
ひまわりと同じ場所を掴み、きくはいつもと同じ飄々とした様子で笑った。
「さくらちーん、きくりんはこう見えてもさくらちんと遊ぶのは大好きなんですよぉ」
そう言って鼻の下を指で擦るきくに、さくらは嬉しくて涙が溢れそうになるのに気付く。
「今は、貴方に頼るしかないみたいですわ。さくらさん……」
ふじが置いた手とは逆の肩。ききょうの手がさくらの肩を掴んだ。
「ききょう……」
さくらの周りに、ひまわり、きく、ぼたん、ふじ、ききょう……全員が揃っていた。
「贅沢な夢だなぁ……」
いつの間にか、さくらはこれが夢なのだと自覚していた。
自分がこんなにもみんなに必要とされているだなんて、考えたことも無かったからだ。
突然現れ、身分を偽り、身勝手に振る舞ってきた。
それを自覚していたわけではなかったが、さくらはとにかく六鶴のみんなといるのが嬉しかった。
一緒に戦えるのが。
だから、さくらはふじの目のためになら命も高くない。
誰かが笑ってくれるなら、自分のことなどどうでもよかったのだ。
それが、さくらの『恩返し』だったからだ。
だが、そのさくらが今、こんなにも大好きな友達に囲まれて、「行くな」と止めてくれている。
「ねぇ、さくら……ここにいてもいいの?」
すぅっ、と五人は息を吸うと同時に言った。
『あったりまえじゃん!』
「みんなぁ……ありがとう、さくら……もいっかい、みんなと戦いたい! 遊びたい!」
さくらの笑顔が戻ってくる、瞬間だった。
「なっ!?」
カナリーが治癒魔法を放った瞬間、クックーの姿が消え目の前にさくらが現れたのだ。
だが、時すでに遅し、治癒魔法はさくらに放たれ、みるみる内にさくらの胸の穴が塞がってゆく。
「ど……どういうことっしゅかぁ!?」
状況が理解出来ず、右左と首を振って確認すると頭上斜め上にクックーと対峙するひまわりが映った。
「なにが起こったっしゅ!」
思考をフル回転させて物理的な状況と、考えうる状態を次々と当てはめては外しを高速で繰り返す。
「ま、さか……《入れ替えた》っしゅか! カナリーと帯のクレインを!」
「ご名答、ですわ」
ききょうがカナリーを見下ろしながら言う。ききょうも戦いの傷でボロボロだが、その表情は明らかに勝算をみたという様子だ。
「今回ばかりは、わたくしとしたことが数度も心を折られましたわ。しかし、終わりよければ全て良しという言葉もありますし、これはこれで良しとしましょう」
顔中脂汗でぐっしょりと濡らし、カナリーは黙った。
その瞳はいつもの敵意と殺意、蔑みとそれに加えて焦り、不安、そして……恐怖が読み取れた。
カナリーは自分がしてしまったことが、この戦局を大きく覆すものだと分かっていたからだ。
「貴方に『鳶』の魔法をかけていたことを失念しておりましたの。……正直に申せば、かけていたというより巻き添え的に《かけてしまった》といったほうが正しいのですが」
キセルをぐるりと回し、ききょうは魔法陣を出現させ、魔法の準備をしながら続けた。
「『鳶』は煙をかけた相手を、わたくしが肉眼で確認できる半径20メートル以内の物体・生体の位置を入れ替える魔法ですわ。これを使って、貴方とひまわりさんの位置を入れ替えましたの。治癒魔法を放つのを見計らって」
ききょうの解説で自らの仮説を確信に変えたカナリーは更に顔を青くした。
カナリーは分かっていたからだ。
それがどういうことか、を。自分が、なにをしてしまったのか……を。
恐る恐るゆっくりと治癒魔法を放った先を向くカナリーには、予想していた悪夢が予想していたままの形で具現化していた。
「……ぶっ飛びぃ」
寝起きの第一声は、実にさくららしい言葉。そして、その一言は六鶴の士気を一気に最頂点へ押し上げる。
「さくらぁ!」
ぼたん。
「さくらーー!」
ふじ。
「さくらちぃーん!」
きく。
「さくらさん!」
ききょう。
「さくらぁああああああああ!」
……クックー。
「あなたはこっちだよ!」
その声に目を戻したクックーは、ひまわりの拳に魔力が集中しているのに気付く。
『金糸雀!』
「クレインどもっ、貴様らはあたちが……ァ!」
その言葉を最後にクックーは、無数の光の塵になって消えた。
「ク、クックー……!?」
宙に舞ったクックーのステッキを受け取り、カナリーは全員揃ってしまった【7人の六鶴】を前に、魔法陣を展開した。
「このような屈辱、カナリーは初めてしゅ! 必ず人間どもは……カナリーたちナハティガルが亡ぼしてやるっしゅ!」
「ちょ、逃げるで!」
つばきの慌てた言葉に、ふじは「いいんだよ」と一言で返す。
「なんでやねん! こんなチャンスやのに」
つばきの言葉も虚しく、カナリーは魔法陣の外へと消えていった。
銀雪も次第に緩やかになっていく。
「本調子の魔女一匹。確かに全員でいけばもしかしたら倒せたかもしれないな。けど、きっとただじゃ終わらない。誰か犠牲になったかもしれないんだ。
そう考えたら、さくらが復活しただけでも上等だろ」
そう言って、満身創痍の面々を見渡してつばきを見た。
「う……」
「最終的に全員揃ったけど、満足に戦えるのは一人もいないんだよねぇ」
きくがはにかみながら言った。
「さくらさんも復活したとはいえ、魔力は戻っていませんしね」
ききょうがなんとか脱した窮地に安堵した様子で呟く。
「ちゅうか、うちは最初からこんな割に合わない戦いやりたくなかったんよね」
シャク、とチョコホームランが鳴る音。
「さくらちゃん……」
ひまわり。
「ひまわり、みんな……」
さくら。
ボロボロの恰好の六鶴たちを見てさくらは嬉しそうに笑った。
「さくら、死ななかった! それってぶっ飛んでラッキーだよね! えっへへー」
「ラッキーって」
相変わらずのさくらの様子にひまわりもつられて笑い、他の面々も笑みがこぼれる。
こんな風に笑い合えるのは、実に久しぶりな気すらした。
ただ一人を除いては。
「さくら!」
怒気を孕んだその声は、怒鳴り声といってよかった。
この六鶴の中でそんな乱暴な言葉遣いをするのは、ただ一人しかいない。
「ふじ!」
嬉しそうにさくらがその名を呼んだ先に、ふじはいた。
他の面々とは違い、ふじの表情は険しい。
止みそうな銀雪の中で、ふじは険しい表情のままさくらとの距離を詰めると、ニコニコとふじを見詰めるさくらの左頬に目がけ、思い切り平手打ちを見舞った。
団欒とした雰囲気だった空気が、さくらの頬を打った破裂音で張り詰める。
なにが起こったか分からず、衝撃に任せて首を振ったさくらはふじに向き直ると、「もう一発!」と逆の頬を打たれた。
小気味のいい乾いた破裂音が二度も続けて鳴った空、二度目の平手でひまわりやききょうがふじを止めに入った。
「ちょっと、ふじ! なにするの!」
「ふじさん! どうされたのですか!」
ふたりに肩を抑えつけられながら、ふじは誰よりも大きく怒った怒声で、「うるさい!」と叫ぶ。
「勝手なことすんな!」
「ふじ……」
きょとんと打たれた頬を押えて、さくらは激昂しているふじをながめた。
「誰があたしの目を治せって言った! 誰があたしのために戦えって言った! 誰があたしのために死ねって言ったんだ! あんたはいっつもいっつも勝手なんだよ! あんたが死んで戻った目なんか、世界なんてこっちゃ嬉しくないんだ! あたしだって……、あたしだってクレインなんだよ!!
いつだって死ぬ覚悟は出来てるんだ、目が見えなくたって戦う気だったんだよ!
なのに、誰がそこまでしろって言ったよ! 誰が、誰が……誰が!」
ふじはさくらの胸元をぐいぐいと揺らしながら、「誰が……誰が……」と繰り返す。
さくらはどうしていいか分からずふじの手に触れていた。
「あんたのせいで、あたしは必死になった。絶対にあんたを復活させるために。絶対に、復活したら思いっきりぶん殴ってやるんだって……! おもいっきり、おもいっきりぶん殴ってやるって!
そんで……そんでさぁ」
ふじの腕の力は無くなり、さくらを揺らすこともしなくなった。顔は俯き頭の重さに負けたようにさくらの胸に額を落とす。
「そんで、絶対に言ってやろうって思ったんだ……絶対にこれだけは……」
「なあに?」
さくらがそう聞き返してやると、ふじは顔を上げた。
ふじの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、子供が大好きなおもちゃを取り上げられたような、無邪気で悲しさの満ちた泣き顔で一杯になっていた。
「ありがとう、さくら」
ふじの温もりと思いやりの篭った、そのたった一言の言葉に、さくらの顔ははみ出んばかりの笑顔に染まり、瞳からはボロボロと大粒の涙がこぼれる。
「うん!」
さくらの周りにはひまわりと、きく、ききょうにぼたん、つばきが居た。
さくらが求めた、仲間。さくらが大事な、仲間。
大好きな仲間たちが彼女を囲んでいた。
彼女が生きてきた中で、これ以上の幸福は存在しないし、有り得ないものだ
さくらが復活したのを誰もが求めていた。そう、六鶴はさくらを必要としていたのだ。
最初のわだかまりが、嘘のように。
「あ、あれ……? なんで嬉しいのに涙、出るんだろ」
さくらの言葉にひまわりが笑いながら言った。
「さくらちゃん、人は嬉しい時にも涙が出るんだよ」
「そっか! 人間は、嬉しくても涙が……えへへ」
さくらは目の前で目を腫らすふじに向かってひとつ気になっていたことを尋ねた。
「あのね、ふじ。なんで二回もさくらのほっぺた叩いたの?」
ふじは少しバツの悪そうな表情で、口を尖らせるとわざとさくらから視線を外し、「勢いでつい二回……やっちゃったんだよ」と何故か偉そうに腕組みをする。
「勢い? そっかぁ、ぶっ飛び!」
「じゃあ、そろそろみなさん宴もたけなわですが……銀雪も止みそうだから、帰りますかぁ」
きくの声に7人のクレインたちは頷くと、それぞれ地上に降りた。
こうして、クレイン達の長い一日は終わったのだった――。
「みぃ~んな、だぁい好きっ!」
――指令室内は静まり返っていた。
葵町、銀雪中に現れた熱反応に向けて放つ寸前だった【雪撃静雷砲 大和】は、砲撃することはなかった。
モニターに突然現れた空を飛ぶ少女たちの姿を捉え、空中を飛び周り戦う彼女たちを、誰も信じられなかったからである。
空中に人がいることなど有り得ない。それだけでも有り得ないが、銀雪に晒されても平気な人間など聞いたこともない。
それだけに【対銀雪澄天機関ミリオン】の指令室内の誰もが言葉を失くしていた。
これまで衛星や、記録画像などで銀雪が降る空はいくらでも撮られたことはある。
ミリオンでもそうだ。
銀雪を調査するために何千何万もの映像資料が存在する。
にも関わらず、だ。
突如として現れた、どこからどう見ても人間の少女たち。人数までははっきりと認識出来なかったものの、その数は恐らく4~6人だと思われた。
もちろん、ミリオンの面々はクレインの存在も、魔法少女の存在も知らない。認知していないのだ。
なぜ今まで映らなかったクレインや魔法少女たちが急に映りこんだのか。
それは謎のままだが、とにかく事実としてクレイン達が映像として残ってしまった。
そして、彼女らが人知を遥かに超えた運動能力で飛び回り、誰も想像に出来ないような超常的な力……魔法で戦っているのである。
少なくともミリオンの面子には、どちらがなにで、なにがどちらなのか、知る由もなかった。
「藤崎司令……」
「……なんだ」
「出ました。あの、人間の少女のような物体の主エネルギーが」
藤崎は数度、目をこすると「言ってみろ」とスタッフを促す。
「はい、信じられませんが……物体乙と物体甲は、どちらもエネルギーの正体は、銀雪です」
「なんだと!?」
「どちらも高濃度の銀雪で、……例えば今回降雪した銀雪が葵町全体で一分間に10のエネルギーだとすると、物体乙は一体あたりおよそその7千倍、物体甲に至っては10万倍と出ています」
藤崎が受け取った資料には、物体乙が2~3体確認されたカラフルな個体……つまりクレイン。
物体甲が魔法少女だと記していた。
「甲と乙ではやけに銀雪濃度の違いがあるな」
「はい。ですが、物体乙は銀雪濃度だけではなく……その」
「なんだ、隠すな」
藤崎の言葉に意を決した男は、額に汗をかいたまま藤崎を見詰めるとはっきりと聞こえるように告げる。
「物体乙は、人間です」
指令室内がざわつく中、ミリオンをトータスと揶揄する半知佳音は、ひとりとある映像に釘づけになっていた。
「あれって、KICK―KICK……?」
佳音は、聞き馴染みのない名前を呟き、映像の中の黄色い影を穴が空くほど見詰め続け、何度も一瞬だけ映ったその影が横切るのをリピート再生していた。
佳音の周りでは慌ただしく職員たちが右往左往し、現状の把握に走り回っており、上層部の局員も現れパニックに近いほど慌ただしい。
雪撃静雷砲 大和が砲撃されなかったことと、未知の反応の発見。これは、後に日本全体を揺るがす大事件に発展するのだった。
「ほんで? わざわざあーしの名前騙ってクレインやってたわけや」
つばきの迫力は凄まじかった。
というのも、クレインの誰も葵町の言葉しか使わないため、つばきの関西弁が異常に新鮮だったからだ。
そのつばきがさくらを正座させて問い詰めている絵が、どうにも他のクレイン達からすれば面白かったのである。
「あ、なんかクレインひとり足りないから足りない人の借りちゃえばいいかなーって」
微塵も悪びれることもなく、さくらは笑顔でつばきに答えた。
「借りちゃえばいいかなーって……やあるかぁああ!」
「ひゃぶっ!」
つばきの怒りに満ちた声は大きく、空気を震わせるほどの迫力だ。
病院に戻ったひまわりときく、そして席を外しているふじを除く面々が、さくらとつばきのコントのようなやりとりを見守っては笑いをこらえている。
「大体なぁ! 一人足らんからって名字借りるとかある? ないやろ、普通。いや、ないね! っちゅうか、グローブが魔具って、誰も怪しまんかったんかいな!」
さくらが「グローブ……誰も怪しまなかったよね?」とまん丸い瞳でききょうやふじ、ぼたんを見るが誰も目を合わせなかった。
「うそやん! マジで!? っちゅうかそれは連帯責任的なやつやで! ちょっとききょうはん、あんたどう考えてもこん中やったらカシコ(賢い人)の立ち位置やんな? これおかしいって思わんかったん!?」
「い、いえ……わたくしは、そもそもさくらさんの全てが疑わしいとですね……」
つばきがききょうの解答の途中で「ぎにゃーあ!」と叫び、話を途中で遮った。
「別にさくらはんを追放するとかって話してんちゃうねん! 普通、鶴賀のクレインの魔具が傘やって知ってるもんちゃうん!?」
「そこなんさ」
興奮して若干喚いているつばきにぼたんが割って入った。
チョコホームランを頬張り、つばきとさくらの間に膝を立ててしゃがむ。
「鶴賀のクレインは、先代……つまりうちらの親の世代からほぼ戦いに参加してないさ。これはひまわりのお母さんとかききょうんちの母さんとかに確認済みさ。
けど、最初からいなかったわけじゃない。それでもなぜ魔具が傘だってわかんなかったか?
聞いたところによると、戦いに参加しているときもほとんど魔法を使ってなかったらしいんさね」
つばきは思わぬところで自分の家の名が出てきたので、さっきまでの威勢が減速した。
さらにぼたんは続ける。
「ここらはうちの推測さね、あんまり前のめりで聞かんで欲しいけど」
そう前置きした上で、つばき、さくらと顔を交互に見る。
「鶴賀のクレインは多分、魔具で魔法をほぼ使わないために前線にほぼ立たなかったんじゃないかって思うんよ。多分、魔具を封眠させるため。最初から自分の子に戦わせる気がなかったんだと思うんさね」
つばきは、ぼたんの話を聞いてどんどんと顔を暗くしていった。母の愚かさに打ちひしがれているのである。
「あーしのオカンが……全部あかんねんな」
「まぁ、つばきの母さんがいいか悪いかはひとまず置いておいて。ともかく、先代のクレイン達はほとんど傘を見てないんよ。視覚の情報としてほとんど認識していない」
「しかし……ぼたんさん、そうだからといって傘の魔具の情報を先代のクレイン達が忘れるものでしょうか」
ききょうの尤もな質問に、ぼたんは持論を更に展開する。
「鶴賀の魔具と、ききょうの下鶴の魔具は系統が似てるさね。どちらも攪乱と催眠を誘発するタイプの魔法を得意とする魔具。でも大別するなら、下鶴の魔具……煙の魔具は攪乱に寄った魔具。一方で傘の魔具は催眠系さね」
ぼたんの話を感心しながら聞いているつばきは、「ぼたんはん、すっごいなぁ!」と驚いて見せた。
「ああ、まぁ……うちは先代のクレインの時からクレインやってるさね。なにかと詳しくなるさ」
頭を掻きながら、首まで上げたジャージの首元を少し開く。
「それで催眠系はある意味で人の記憶とかそういうものを操作できるさね。いつも戦いに参加はしているものの、後方で戦わないクレイン。仲間の記憶を催眠でどうにかするっていうのも割と余裕でできたんじゃないかって思うんよ。結果、誰も傘の魔具を認知しない。
先代が知らないんだから、うちらの世代に下りなくて当然さ」
それに反論するものはいなかったものの、つばきは感心しながらそれでも「でも、ちょっとおかしいと思うねん」と言った。
「おかしい? なにがよ?」
ぼたんが尋ねると、つばきは自分のふとももの上で寝そべる遅松をつつきながら、
「だって、魔具に聞けばええやん。鶴賀のクレインの情報とか、あと魔具のこととか」
つばきが言ったことに、ぼたんとききょうは目を丸くしてつばきを見詰める。
「な、なんなん……? なんかあーし変なこと言うた?」
つばきの言葉に、今度はぼたんではなくききょうが割って入ってきた。
「魔具はデータベースではありませんわ。会話は出来ますが基本的に大した自我は持っておりませんし、クレインの代が変わればそのクレインに応じてリセットされます。だから、魔具にこれまでの情報を聞くなんてことは有り得ませんわ」
そうききょうが言うものの、当然つばきはピンと来ない。
「え? なんで? あーしんとこの遅松はめっちゃ物知りやけど……」
つばきが言うと、遅松に注目が集まった。
「……そりゃそうダナ。おいらは魔具のモデルになった謂わば【オリジナル】ダナ。だから、他の魔具と違うんダナ」
「オリジナル?」
誰からか聞き返された言葉に、遅松は短い手を前に組み、「そうダナ」と頷く。
「元々おいらは、葵村にいた犬だったナ。最初に創られた魔具は記憶素体が必要だったんダナ。だから、まだ殺されてすぐのおいらには残留した魂があったからなんダナ」
ききょうが驚いた表情で遅松を見た。
「そんなことが……?」
その場にいたつばき以外の誰も、初めて聞くといった様子で空気を張りつめさせる。
その空気を裂いて、遅松は少し面倒そうに続ける。
「クレインはみんな力の種類は違えど、そのレベル自体は同じダナ。鶴賀のクレインが特別なのはおいらの存在だけアナ。だから鶴賀の先代クレインは、全てを知っておいらを封印し、つばきを戦いから遠ざけようとしたんダナ」
これにはつばきも含む全員が息を呑んだ。
つまり、遅松がいうことはもう一つの意味を持っている。
「……ってことは、遅松はわたくしたち【約束の世代】でなにが起こるか知ってるというように聞こえますが」
「約束の世代……」
遅松が呟き、その次に続く言葉を全員が固唾を飲んで待った。
「そんなことは知らないんダナ」
分かりやすく全員がずこーっ、な感じになるがつばきだけはこけそうになるのを耐えている。
「うちは笑いの都から来た女やで……こないなもんでコケたりせん、コケたりせぇへんで!」
なんのこだわりかは分からないが、とにかくポリシーがあるらしい。
「……何が起こるのかはわからないけど、大体の予想はつくんだな」
ちょこん、と立ち上がり遅松がテーブルの上をうろちょろと歩きまわり、つばきたちが飲んでいたジュースの缶や、転がっているペンを避けながら話し続ける。
「大体の予想?」
「そうダナ」
ぼたんの問いに相槌を打った遅松は、正座したままのさくらを指し、「この魔法少女の存在ダナ」と言った。
「さくら?」
唐突に指された自分の顔を自分の指で指しながら、疑問符を尾に付けた。
遅松はもう一度頷くと、転がっていたペンを懸命に持ち上げて近くのメモに書き始めた。
「鶴賀の名ではないクレイン……、つまりここにいる【さくら】は、クレインではないということになるんダナ」
誰もが一番聞かなくてはならない問題を、遅松の口から出てしまったことに、ききょうやぼたんは安堵した気持ちと、聞かなくてはならなかったのは自分だったのでは、という罪悪感に挟まれ口を噤んだ。
「さくらは……クレインだもん」
遅松の話に、さくらは口を尖らせてすねたように言う。
そんなさくらに対して、遅松はメモに『クレイン』と描き、次々に各人の名前を書き進めながら淡々と答えた。
「そうか、クレインなんダナ。でも、おいらはお前を『知らない』」
「さくらも遅松のことなんて知らないもんっ!」
「どこまで【さくら】が、事情を理解しているのかはわからないけど、さっきも言った通りおいらは魔具の中で唯一の【記憶】と【記録】を持っている個体なんダナ。だから、クレインのことは解っている。今のクレインがどうなってるかまでは知らないけど、これまでの歴史なら誰よりも知っているんダナ。
その中で、『七人目のクレイン』なんて聞いたことがないナ。それに……吸収した魔力で延命できるクレインなんて聞いたことがないナ、魔力で傷やダメージをある程度回復できるのは……魔法少女しかおいらは知らないんダナ」
さくらは口を尖らせたままだった。
「わたくしもずっと気になっておりました。放置し続けられる問題ではないので、丁度いい機会ですわ。さくらさん、教えてください。あなたのことを」
ききょうの言葉の尻を取るようにぼたんが「いまさらうちらはおたくのことを敵だとは思わないさ」と続く。
ぼたんが言い終わり、ふたりがつばきを見やるとつばきはなぜか少し気まずそうにしてうなずいた。
「さくらさん?」
「ぷーん」
どうやらさくらはまだ拗ねている。
自分がクレインではないと言われたことに相当腹を立てているようだった。
三人は顔を見合わせる中、ぼたんがポケットから例のものを取り出す。
「ほれ、さくら。これあげるさ」
チョコホームラン。
「ぶっ飛びぃ! ビリビリバリバリもぐもぐ……幸せぇ」
さくらは口の中いっぱいに頬張ると幸せそうに笑った。それで機嫌が直ったということは誰の目から見ても、確かだ。
というか、彼女の無邪気な反応に張りつめていた空気はどこか優しく見守るような空気に変わった。
「……不思議な人ですわ」
遅松は、気付くとメモに『ひまわり、きく、ききょう、ふじ、ぼたん、つばき』と書き終えていて、最後に『さくら』の名を連ねる。
「……だけど、心当たりがないわけではないんダナ。それはきっとつばきも一緒だな」
ききょうはつばきを見やると、「しかし、つばきさんは当初さくらさんのことなど知らない、と」と尋ねた。
ききょうの問いにつばきは眉を片方下げながら、赤いリボンの辺りを掻く。
「あー……それな。確かにあんときはそうやったんやで。全く知りもせんやつや、って」
バリバリムシャムシャとチョコホームランにがっつくさくらを横目に、つばきは遅松と目を合わせ下唇を尖らせた。
「遅松が言う通り、あーしと遅松には心当たりがあんねん。っちゅうか、鶴賀家はこの心当たりと共に生きてきたっちゅうても、今となっては過言やあらへんのちゃうかな」
三角座りで窓の外を見ながら話を聞いていたぼたんが、「前置きが長いさね」と突っ込みを入れると、つばきは途中でひとつ、咳払いをする。
「そない言われたら単刀直入に言うわ。あーしらの心当たりっちゅうのはずばり、『さくらはお鶴の娘』ちゃうかって話」
――お鶴。
葵町の前身である葵村を救ったとされる、謎の美女。
だが、その名すらききょうらは知らなかった。
「お鶴……ですか?」
「せや。……そうか、ここからあんたら知らんねんな」
ぼたんとききょうを見渡し、「長くなるで」と前置きをする。
つばきの前置きに、ききょうとぼたんは一度だけ頷く。
「まぁ、そのまえに……やね」
つばきが鋭い眼光でさくらを睨む。
睨む先のさくらは涎を垂らして、首を重さでかくかくさせながら気持ちよさそうに眠っていた。
そんなさくらのがら空きな喉を、つばきは手刀で一突きすると、少し鈍い音と共に突き刺さる。
「チェストォ!」
「げふっ! がふっごふっ!」
「起きんかいワリャア!」
「ごほっごほっ……、こないだ死にかけたときより苦しいよぉ……」
涙目で苦しむさくらの胸倉を掴み、つばきはさくらの瞳をしっかりと見詰める。
そして、意思を確かめるように強く、はっきりとさくらに尋ねた。
「さくらはん、あんたはお鶴の子かいな?!」
「お鶴?」
きょとん、とさくらはただ丸い瞳でつばきを見た。
「なにしらばっくれとんねん!」
「うう~さくらはほんとにそんなの知らないよぉだ!」
これまでつばきを除く六鶴とは仲良く友好的に接してきたさくらだったが、どうやらつばきは少し苦手らしい。
「証拠は挙がっとんねん、吐け、吐けコルァア!」
ぐわんぐわん、と揺さぶられるさくらの目は渦を巻いて、されるがままだ。
「ぶ……っとびぃ~……!」
さくらのその様子が可哀想だと思いつつ、いつも好き勝手暴れてばっかりのさくらがそのようにされている絵が面白くて、ききょうとぼたんはついつい止めに入る手を引っ込めてしまう。
要はこの状況を割と楽しんでいるのだ。酷い話である。
「お鶴、でわからなければ、こっちの名前ならピンと来るかもしれないんダナ」
目を回して背に頭を垂らしているさくらを除いた三人が、「えっ」と声を出して遅松に注目する。
「お前達クレインの名の由来ダナ。その名は、【大魔女クレイン】」
「母さま!」
遅松が【大魔女クレイン】の名を言うと、跳ねるようにさくらが反応した。
「大魔女クレイン……ですって」
「そうダナ。大魔女クレイン……またの名を【お鶴】。この世界に現れた最初の魔法少女であり、現在のナハティガルの絶対女王ダナ」
一同は静まり返った。
つまり、さくらは魔法少女側のボスの娘だというのだ。
「……それにしたって、大魔女クレインの子ならなんでうちらと同じような外見なんさ。500年前が事の発端ってのはうちも知ってるけど、どう見てもさくらは17歳にしか見えないさ」
遅松はもう一度自分の身の丈より大きなボールペンを走らせると、『魔法少女=ナハティガル』と書き足した。
「魔法少女には寿命と年齢の概念がないんダナ。そもそも個体はメスしかいない。食糧さえあれば永久に生きていられるんダナ。
つまり、魔法少女に死が訪れるのは2パターンダナ。
飢えるか、殺されるか。これまでのクレインたちのおかげでなんとか減らすことはできているけどナ」
遅松の言葉に、ききょうとぼたんは顔を見合わせるとこれまで戦った魔法少女を想った。
確かに、どれもが少女の姿をしていた。
魔法少女が新しく生まれていないことを考えると、どの魔法少女も裕に数百年生きていることになる。
それでもあの外見を保てるというのは、つまりそういうことなのだろうか。
「しかし、そもそもあの姿は魔法による仮初のものではないのですか?」
「さぁ、そこまでは知らないんダナ。だけど、魔法少女に年齢とか寿命の概念はない、というのは事実なんダナ」
再びさくらに注目が集まる。さくらはききょうと目が合うといつもと同じ笑顔でニコリと微笑んだ。
「……なるほど。では、さくらさんは魔法少女の中ではまだ子供だということなのですね。400歳以上であっても」
「そうダナ。あくまで人間の単位だとえらく生きているように思えるんだけどナ。魔法少女の単位で言うならそういうことダナ。そもそも人間の世界でも鳥は長生きだろう?」
全てに当てはまるわけではないが、確かにオウムなどは人間と同じだけ生きると、ききょうは思った。
「……じゃあ、さくらはんは魔法少女で間違いないってことで」
つばきの宣言に、今度はさくらがつばきの肩を掴むとぐわんぐわんする。
「にゃあああ~! や、やめれぇ~! あーしこういうのすぐ酔うん……うぷ」
「違うもん! さくらはナハティガルだけどクレインだもん!」
つばきが泡を噴いてその場に卒倒れた。
ぼたんがそんなつばきの亡骸に手を合わせると「成仏するさ」と唱える。
「し、死んで……ないわぁ、あほ……ぉ」
「なるほど、魔法少女でありクレインでもある……と。そうおっしゃりたいわけですね? さくらさん」
「うん!」
どうすればいいのか、正直なところぼたんもききょうも分からなかった。
少なくとも、今この場でさくらが魔法少女であるということだけははっきりした。
だが、魔法少女といえば、クレイン達六鶴がこれまで長い間戦って来た宿敵である。
それが七人目のクレインとして仲間に加入して、一体なにがどうなるのだろうか。
少なくとも、自分たちが『約束の世代』であることだけは分かっていた。
そして、この約束の世代で起こる【強大ななにか】とは、このさくらがトリガーになるのでは……という予感も。
「では、根本的なことを聞きましょう。なぜ、さくらさんはわたくしたちクレイン……つまり、人間側につくのですか? 今までは魔法少女側にいたのでは?」
遅松を指でつついたり、摘まんだりして遊んでいるさくらはニコニコと笑いながら「そーだよ!」と元気よく返事をする。
「魔法少女からすればわたくしたちは敵なのでは?」
「ううん。違う。さくらはね、生まれた時からクレインとして戦うことを約束したんだよ! 母さまとの約束!」
「母さま……大魔女クレインのことでしょうか」
「腑に落ちんことがあるんよ。大魔女クレインの娘であるさくらのことを、なんで《魔法少女の連中は誰も知らなかった》んさ」
話に入ったぼたんの投げかけに、一同の時間が止まる。
「……確かに、そうですわね」
無言の空気の中で、これまでの戦いで魔法少女の誰一人として《さくらを知っている》者はいなかった。
それだけにクックーを始めとした魔法少女たちは、さくらが【マギ呪文】を使うことに驚いていたのだ。
「もしかして、魔法少女たちの中で《さくらさんの存在は隠されていた》のではないでしょうか」
「……そう考えるのが自然さね。そもそも、こんなにもうちらクレインのことを仲間として想うさくらが、同じ仲間のはずの魔法少女たちをこんなに躊躇なく倒せるはずないんさね」
さくらは自身の身を賭して、ふじやぼたん、ひまわりたちクレインを救って来た。
そんな、自分よりも仲間のことを優先するさくらが、自分と同族の魔法少女たちを次々となぎ倒せるはずがない。
それはその場にいたききょう、ぼたん、つばきだけにのみならず、他のクレインたちの総意でもある。
「えっと、さくらはね。他のナハティガルと会ったことも喋ったこともないよ。母さまから魔女クラスの話は聞いてたけど、会ったのは戦った時が初めて!」
さくらの告白は、失神していたつばきの瞼をこじ開けるほどの衝撃を走らせる。
おもわずぼたんの口から「ぶっ飛び……」と出てしまうほどだ。
「えっと、なんやつまり……どういうこと?」
起きたばかりのつばきが、さくらの言葉の意味を分かるような分からないような、それとも分かりたくないような……というぼやけた気持ちの答えを、その場の誰かに求める。
「さくらさんは、【約束の世代】に起こる《何か》のために存在自体を隠されてきた……というわけですわ」
さくらの孤独。
人間でいうところの数百年は、遅松が言うように魔法少女からすれば短いものなのかもしれない。
だが、数百年間さくらは母以外の誰とも関わらず、ここまで生きてきたのだ。
さくらの突飛な言動や、世間知らずすぎる振る舞い。
そして、異常とも思える仲間への想い……。
それらは、全て誰とも接することもなく、ずっとまだ見ぬ仲間を夢見続けたからだったなのだ。
にこにこと幸せそうな笑顔を絶やさないさくらを見詰める意味が、彼女らの中で変わりつつあった。
《さくらは魔法少女だから敵》
その図式は、余りにも容易で単純過ぎる結論だった。
さくらはもっとも複雑で、もっとも純粋なところで、たった一人でこの時を待ち続けていたのだ。
笑うさくらとは対照的に、その場にいるメンバーは誰も笑っていない。
同情なのかもしれない。
自分たちも、クレインという運命を受け入れざるを得なかった。
常に死と隣り合わせの自分たちの運命を呪うも逃げられない。
『なぜ自分だけがこんな目に』
クレイン達でそう思ったことのない少女などいるはずもなかった。
だが、さくらはそんな自分たちよりも過酷な場所で生きてきたのだ。
孤独の中で、ただただこの時を待ち続けた。
それゆえに自分の命をも簡単に投げうつさくらに、自分たちよりも深いなにかを見たのだ。
それなのに、何も疑わずただ幸せそうに笑うさくら。
だから、ききょうたちはそんなさくらにしてやれるのは、些細だがたったひとつだった。
――笑う。
たったこれだけのこと。
つばき、ききょう、ぼたんがさくらに笑ってやると、さくらはさらに満面の笑みで返した。
「さくらはね、とってもとっても幸せなんだよ!」
さくらがいることで、なにかとてつもないことが起こるかもしれない。
だが、どんなことが起こったとしても、受け入れよう……。
この日、六鶴は七鶴となったのだ。
「よく帰りました。カナリー」
ガルの表情は穏やかなものだった。
カナリーはそんなガルの表情を見て、彼女にしては珍しく怒りを露わにし、ガルに向けて叫ぶ。
「よく帰りました、じゃないっしゅ! クックーが死んだっしゅ!!」
もちろん、この怒りはクックーが死んだという悲しみからくる怒りではない。
クレインごときに、3大魔女であるクックーが葬られたことに怒りを露わにしているのだ。
「見苦しいですよ。クックー。慎みなさい」
「これが落ち着いていられるっしゅか! カナリーが鳥化するまで無力化され、クックーが死んだっしゅ! このままでは本当にナハティガルは全滅するっしゅよ!」
怒りの根本的な部分。
そう、それは『危機感』に他ならなかった。
「慎みなさい、と言ったのです。カナリー」
ティーカップの底を鳴らし、ガルはカナリーを睨む。
ガルの瞳からは、強大な闇と威圧、そうして圧倒的な支配力に満ちたオーラが放出されていた。
そのオーラはカナリーの正面に浴びせかかり、カナリーはたまらずに後ずさりをするしかなかった。
「わ、わかったしゅ……ガル! わかったしゅから、やめるっしゅ……!」
「……わかればよいのです」
再び瞳を閉じたガルは、「それに……」と続けカナリーの持っているステッキを指差した。
「それがあるのなら大丈夫です。カナリー、貴方はとてもよい仕事をしましたね」
カナリーは「はっ?」と間抜けな声を出し、手に持ったステッキを見た。
「これは……クックーのステッキしゅが、これがどうかしたしゅか」
「カナリー、貴方が知らないのも無理はありませんね。それさえあれば、クックーは『再び復活』が出来るのです」
「復活!? なんしゅか、それは! カナリーは知らないっしゅ!」
ガルは立ち上がり、暗闇に稲妻の走る外を眺めながら語る。
「魔女は死なず……。それを思い知らせて差し上げましょう。クレイン方たち」
緑々の隙間をぬって卵色の光が、S字に曲がったレンガの目に当たり、キャンパスの上に描く景色よりも現実の景色が綺麗なのだと、優しく諭す。
敷き詰められたS字のレンガの上の道を歩くふじと朔は、この世の時間がゆっくりと、彼らの歩く速度よりもゆっくりと流れているような錯覚をもたらしていた。
第三者が見てそれを錯覚とするならば、当の彼女らはそれこそが現実。本当の時間の流れだった。
ゆっくりと、永遠に続くような。そんな温かい日を過ごしていたのだ。
「どうしたんだよ、ふじ」
「ん~~?」
いつもはあまりベタベタとくっつかないふじだったが、今日のふじは違った。
朔の左腕に掴まり、ずっと密着したままニタニタと朔を見詰めながら歩いていたのだ。
「なんかいいことあった?」
「毎日がいいことだらけだって!」
「へ? ……おかしなふじだなぁ」
朔は呆れた顔でそう言うが、嫌な気分ではなさそうだ。明らかにふじが密着していることで歩きづらそうなのにも関わらず、その調子のまま歩き続ける。
『生きていることが嬉しい』
『一緒にいることが嬉しい』
『明日があるのが嬉しい』
ここのところ連続で襲った色々な出来事を経て、ふじは今あるこの時に感謝をするようになっていた。
――あの時、さくらいなければ朔の笑顔をもう見られなかったのかもしれない。
――あの時、諦めていたらさくらは死んでいたかもしれない。
――さくらがいなければ、自分は死んでいたかもしれない。
『かもしれない』の可能性。
だが、『かもしれない』を取った言葉の可能性のほうが絶望的に高かった一連の出来事。
でも、自分は今生きている。
こうして、朔と一緒に歩いている。それだけで幸福を噛み締めることができた。
見えなくなった時の絶望。さくらが再起不能に陥ったときの失望。
だけども、何度も何度もその消えかけた《望》をひっくり返して来た。
そうして今ある自分に、どうしようもない幸せを感じていたのだ。
「朔ぅ~」
「なんか気味が悪いなぁ」
「ええっ、そんなこと普通言う!? ……でも、許しちゃう~」
これらの出来事で、ふじは改めて知った。
自分はいつ死ぬかわからない。
それ自体は元々知っていたが、考え方が変わったのだ。
『いつ死ぬか分からないからできることはやっておかなければ』
から
『いつ死んでもいいように思い切り生きる』
にシフトした。つまり……だ。
「朔、大好き!」
「え!? あ、ああ……ぼ、ぼくも……」
今のふじは、最強だということである。
「ぼくも、大好きさ。ふじ」
とある病室の一室で、間抜けな歌声が響いていた。
「……ん、なんか今間抜けって聞こえたような……」
(口チャック)
「まあいいや、あしたのぉ~わたしはプラチナハ~トぉ~ バッチリ! チャッカリ! 貴方にドッきゅん! 癒しのエンジェルぅ~キックキックぅ~」
隣のベッドで読書をしていたひまわりはその歌を聴きながら苦笑いをするしかなかった。
「な……なに? その歌」
と、まぁこう聞かざるを得ない訳だ。
「おりょりょ? あれあれひまっち、聴いていたすかぁ? こりはこりは不謹慎ですなぁ」
とニッコリ笑うきくにひまわりはほんの少しだがイラッとした。
「うにゅにゅ~ん、きくりんは入院してたからなまっちゃったら困るのでねぇん」
「なまっちゃったら……って。なにが?」
「聞きたい?」
じとっ、とした瞳でひまわりを見詰め口元を押えて「うしし」と笑うきくのテンションに、やはりほんの少しだがひまわりはイラッとした。
「き、聞きたい……かな」
と、まぁこう答えざるを得ない訳だが。
「ええ~! どうしましょっかねぇ!」
イラッ
「言いたくなかったら、無理に言わなくても……大丈夫だけど?」
「聞きたいと言ってくれなきゃ嫌」
きくはひまわりを確実におちょくっていた。
「じゃあいいもん! 聞かない!」
「ありゃっ!? ひまっちってば真面目ぇ!」
拗ねてしまったひまわりを見て危機を感じたのか、きくが「いいますよぉ!」と慌てた時だった。
「来たよー」
勢いよくドアが開き、勢いでドアがクシャッと潰れ、さくらがきく目がけて飛びかかった。
「きくーーー!」
「えっ! ちょ、それはご冗……」
ごきょっ、という音と共にさくらの突進にきくの身体が綺麗な【く】の字に曲がった!
俗に言うぶっ飛びさくらロケットである。
「わああっ! きくが死んだぁああ!」
ふじが叫びながら病室に入った時にはもう、きくは白目を剥いて泡と共に魂を漏らしていた。
「ひまにきく、元気さね?」
続いてぼたんが入ってくると、ききょうが続いた。
「きくなら今死んだ……」
ふじが手を合わせて持っていたハンカチをきくの顔に被せると、ききょうが「縁起でもありませんから冗談はおやめなさい」とふじを叱る。
その様子を見てひまわりがおかしそうに笑うと、さくらも含めて全員が笑った。
「……生きて、全員がこうして再び集まれるとは思っても見ませんでしたわね」
ききょうがゆっくりと全員の姿を眺めてしみじみと言う。
その瞳には、これまでの危機を乗り越えた強さと、これからの戦いに向けた力強さが伺えた。
それに同調するように、各自が静かに頷き「きっとずっとこれが続くよ」とひまわりが笑う。
「新しい仲間も増えたことですし」
ききょうが促すように目を配せると、恥ずかしそうにつばきが姿を見せた。
「改めて自己紹介するさ」
ぼたんがチョコホームランをかじりながら、つばきの背を叩き、つばきは「え? あーしの!?」と少し後ずさる。
「ちょっと待って」
ひまわりがそのやりとりを割ると、ベッドから上半身をきちんと起こした。
窓からの光が差し込む姿は名の通り、向日葵のように眩しい。
「この葵町に帰ってきてくれたんだから、私から自己紹介するね! 私は御鶴木ひまわり!」
きょとん、目を丸くするつばきを差し置き、さくらがつばきの元へ飛んでいく。
「さくらはね、さくらだよ! えっと、偽物の鶴賀でえっと、さくらの上の名前はぁ……わかんないけど、さくらだよ!」
とつばきの手を掴みぶんぶんと振り回した。
「いたただただた! 分かった、分かったって! よろしゅうに!!」
「……大鶴ぼたんさね。ゲームなら何でも教えるからなんでも聞くさ」
少し離れたところでぼたんが小さな声でそう自己紹介する。
「鶴丸ふじ。なんか今更感ハンパねーけど、これからもバシバシいこーぜ!」
ふじがきくを抱き抱えながら少年のように笑った。
「アリャリャァ~、アチキハ下鶴きくリンナリヨォ~」
腹話術の人形のようにふじが裏声で失神しているきくを演じる。
「なんだか妙な気分がしますが、ここまでお疲れ様でした。初めての戦いであんな修羅場だったので大変だったでしょう。ですが、これから本番ですよ。
どうかわたくしたちの力になってくださいませ、つばきさん。鶴野ききょうが最善のお手伝いをさせていただきます」
ききょうがつばきに握手を求め、手を差し出した。
つばきは、あたふたと手足をパタパタとしながら何を言ったらいいのか分からない様子だ。
とりあえずききょうの手を握ると、顔を真っ赤にして声を上ずらせてこう言う。
「あ、あーしは鶴賀つばき! 好きな食べ物はマイチュウのピーチ味! よ、よろしゅう頼んます……!」
「なんだ、たこ焼きじゃねーのかよ」
ふじの思わぬ返事に、つばきは「ナイスツッコミ! 抉ってくるねぇ!」と親指を立てた。
「ええ~! なにそれぇ! 超オカしいんだけど!」
病室に居た(きくを除く)全員が大笑いし、七人が揃ったクレイン達は、温かな空気に包まれた。
その空気とは、つばきを新たな仲間として迎え入れるという彼女らの決意と、団結の現れであった――。
「ええ、そう。来たわ、貴方の娘……最後のクレイン鶴賀つばきが」
御鶴木ひまわりの母、やまぶきの電話する相手は鶴賀すみれ……つばきの母だ。
『ごめんなさい。本当に……ごめんなさい。私、どうしてもつばきだけは戦いに……』
「わかるわ。だから誰も貴方を責めない。私達の誰だって、自分の大事な子供を戦いになんか行かせたくない。自分が戦ってきたから、強く思うわよね。貴方は悪くないわ」
『でも、つばきは行ってしまったわ。なんにも教えてないのに、クレインとして戦うって……』
受話器を抱くように持つやまぶきは、それでも優しくすみれに言った。
「約束の世代。言い伝えられたこの時が来てしまった以上、避けられないことなのかもしれないわ。けれど、私達は戦うしかないの。クレインを退いた私達も子供たちと一緒に、この戦いを受け入れて精一杯サポートしなくちゃ。つばきが戦うことを決めたのなら……次は貴方よ、すみれ」
『やまぶき……』
電話の向こうで啜り泣く声が漏れ、それに誘われるようにやまぶきも泣いた。
「辛い……辛いよね。でも、子供たちと一緒に……戦おう、六鶴として」
『……うん』
母たちのこんなやりとりも知らず、七人になった新生クレインたちは、来るべき運命を受け入れながら……それでも、笑いあう。
「どんな魔女が来たってこの七人なら絶対に……」
「勝ぁあつ!」