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06 GratefulCrane




「つばき! つばきー! 起きな!」



――おかんの声や、なんやもう朝かいな。



寝ぼけたまなこを擦り、ねぐせで跳ねた髪のつばきはむくり、とベッドから起き上がった。



「早くしないと学校遅れるよー!」


重い足音を踵から階段に伝わせ、つばきは母親に対して恨めしい気持ちになりながら降りる。


「おはよー……」


「なによ、また寝ぼけてるの? まったく……いつも眠そうな目してるのに、寝起きはもっとひどいね」



溜息と笑みを混ぜた微妙な口元でつばきの母親は、遅い朝食のテーブルにつく娘に、ボウルに入ったサラダと一緒にパンを差し出した。



「目ぇ細い言わんといて。っちゅうかなんで標準語やねん……」


はむり、とパンを咥えるとバターの溶けた香ばしい香りに、起き抜けの胃袋が鼻を伝って刺激された。


「しょうがないでしょう。ママは元々大阪の生まれじゃないんだから」


「せやかて16年も住んでたらいい加減関西弁にでもなるんちゃうの」


出されたコーヒーに大量の牛乳を注ぎ、指で2,3度掻き混ぜたつばきは、指を舐めるとカップを手に取った。



「葵町はいいところだったから、あの土地で育ったママは関西弁には感化されないの!」


自らをママと呼ぶ母親と、そんな母親をおかんと呼ぶつばき。


標準語で話す母親と、関西弁で話すつばき。


確かに二人は親子のはずだったが、妙にアンバランスな二人であった。


せかせかとキッチンのあちこちを動き回る母を細い目の奥で追いながら、つばきは自らの事を考えながらバターの染みたトーストをもう一齧り。



「そない葵町がええとこやねんやったら、なんで大阪になんかに引っ越したん」


「パパの出張だって言ったじゃん」


両親とは違い、物心ついた時から大阪の地に慣れ親しんでいたつばきは、母親の放つ『語尾に《じゃん》』に苛立った。


「おとんの出張やって言っても、そのおとんは東京におるやん!? なんであーしらだけ大阪に留まるんよ」


「色々あったんだって、何回も言ったでしょ?」


はぐらかす母親の言葉には慣れていた。


だが同時に、苛立ちが更に増す。



母は、この話題を持ち出すといつも最終的には『色々あった』と言ってはぐらかすのだ。


つばきの父は、仕事で東京にいた。


東京は、葵町から近くはないが、だからといってそこまで遠くはない。


大阪よりもよっぽど根を張る場所としてはよかったはずだ。


それなのに、なぜ自分たちだけはずっと大阪にいるのか。いい加減つばきも母のお決まりの答えに嫌気がさしていたのだった。


「じゃあ、あーしらはいつか葵町に帰るってこと……」


「それはない」


喰い気味で母はつばきの質問に、感情の一切乗っていない短い言葉で刺す。


決まって母はこんなとき、つばきと目を合わせないのだった。



「なんでなん!? ほんまええ加減にしてや! 大した理由も言わんと、葵町の話になったらすぐになんも喋らんくなるやん!」


「大した理由もないからよ」


パリ、と食パンを齧る音。目を合わさない母に、つばきはなにを想えばいいか、わからなかった。


つばきが落ち着かないのは、なにも家の中だけではない。



彼女の通う高校もそうだ。


同じ歳のクラスメートや友達と話していても、遊んでいても、つばきは何故かそわそわすることが多かった。


楽しい話をしていても、おいしいかき氷を食べていても、例えようのない胸の鼓動。



自分が病気なのではないかと疑ったこともあった。


だがどうだろう、つばきは季節に一度ひく風邪を除いては、特に大きな病気もなく怪我もせずにここまで来た。


そうやってつばきは自分の中での病気説を削除すると、すぐに次の理由を探す。



特に、ここのところはその傾向が顕著に表れていた。



『なぁなぁ知ってる? 銀雪あるやん、あれって日本全国で降ってんねんけど、ある地域にだけやたら集中して降るらしいで』


放課後、友達と一緒に入ったファストフード店で、バナナシェイクを片手に、それぞれ自らが持つ雑学を持ち寄った席でのことだ。


「銀雪が集中する地域? 嘘くさあ!」


明らかに校則違反なパーマをあてたつばきの友人が、周りを気にしない大きな声で突っ込む。


「せやで、絶対盛ってるやろ? うちが師匠やったら、絶対あんたにはネタ書かせへんわ」


盛り上がる輪の中、つばきは中々減らないシェイクを啜り、《銀雪》と聞く度にざわつく胸を抑えた。



――銀雪……、なんやろ。なんでこの言葉聞いたらドキドキするんやろ。


当然、つばきはそんな自分に降りかかる異変の理由など知る由もない。


だが、次に友人が言った言葉で、その異変の理由……それの尾の端を掴むことになる。



「その地域って小さい街らしいんやけどさ、……《葵町》って言うらしいで」


つばきの鼓動は一度大きく鳴り、そしていつもより遅れて次の鼓動がやってくる。その鼓動もまた普段より早いテンポで鳴るのだった。


「葵町って……」


ドキドキと打ち付ける鼓動に視界が揺れるのではないかと心配しつつ、つばきは友人にその地名を尋ねる。


友人は自分の話に喰いついてきたのだと誤解したのか、つばきを見ると嬉しそうに「どないしよっかなー」と勿体付けると、他の皆に急かされて話し始めた。


「葵町ってさ、毎回銀雪予報の時にだけ出てくるねん。銀雪予報での出現率はめっちゃくちゃ高いのに、それ以外ではまるで聞いたこともない。しかも、都道府県もようわからん。神奈川っちゅう話が有力みたいやけど、ネットでもこれについてはあれこれ言われてんねん」


「神奈川……」


母親は言っていた。大阪に越してくる前は神奈川にいた、と。


そして、そこは【葵町】という……。





つばきが急いで帰ると、母はまだパートから帰ってきていなかった。自動で床を掃除するロボットが、ガチガチと壁に何度もぶつかっているのを横目に、つばきは寝室にあるクローゼットを開けた。


「……ここにあったはずやねんけど」


つばきはクローゼットの中に置かれた大きなプラスチック製の箱を開けると、中身を取り出してゆく。


「ちゃう、これちゃう、……これもちゃう……」


小学5年生の時だ。


古いけれど、黒い漆の木箱を見つけた。中を開けてみようと思ったけれど、母に怒られそうでやめたのだ。



なんの変哲もない些細な思い出。普通に生きていれば、そんな小さなことを思い出すはずもない。


だが、つばきは思い出したのだ。《葵町》の名前と、そこに銀雪が集中していると聞いた時に。


それが何故なのかは彼女自身も分からない。


しかし、つばきは帰ってすぐにそれを探したのだ。そこにヒントがあるかどうかも分からないはずなのに、……である。


「……あった!」


つばきの勘は実に正確にそれを引き当てた。


帰宅して捜索を始めてからたったの10分で、目当てのものを見つけたのだ。


黒く光る正方形の木箱。ソフトボールが一つまるまる入りそうなくらいの大きさだった。



「なに入ってんねやろ……これ」


立派なその箱は、外見の上品さとは裏腹に、ガムテープとビニールテープで何重も封印されている。


『もう二度と開けない』


その決意がないと、こんな風には封印できない。


それならば、捨ててしまえばいい。


当たり前の真理に着いたつばきは、それなのに捨てることをしなかった箱を見詰め、きっとここになにか秘密があるのだと悟った。



「開けて……ええんかな」


生唾が喉を通り、漫画のような音で「ごくり」、と鳴った。


自分の部屋からカッターナイフを持ってきたつばきは、箱をなるべく傷つけないように、何重も巻かれたそれに切り目を入れてゆく。


「……」


何度も切りつけ、剥がれそうなテープを剥がす。


そうしたことをどのくらいの時間続けただろうか。


つばきはなんとか箱をカッターの刃で傷つけることなくテープを取り除いた。



厳重に封印されていた木箱は、思いの他すんなりと音を立てることもなく開き、抹茶色の布に包まれたなにかが姿を現す。


つばきは包まれた抹茶色の布を広げ、どんな骨董品が出てくるのかと構えた。


木箱と封印されたテープ、そしてこの抹茶色の高価そうな布……。



イメージの中でつばきはそれが骨董品のなにかであると思い込んでいたのだ。


掌に感じるずっしりとした重み。


これは、茶碗か湯呑か……。どちらにせよつばきにはあまり興味はなかったが。



「……って、なんやこれ」


布から出たそれを目撃したつばきは、思わず誰もいない一人の部屋で呟いた。


所謂、一人ツッコミというやつである。


包まれた布の中から現れたのは、黄色いひよこのような置きもの。やけに質感があり、置きものにしてはよくできているとつばきは思った。


まん丸で、なんの突起もないつるつるさが特徴なようだ。


つばきの手の中で、それが突然もぞもぞと蠢き、つばきは声を上げ驚く。


「ひゃあっ!」


驚いたつばきはその手に持ったそれを思わず落としてしまった。



「……なんか、聞いたことのない言葉遣いダナ。葵町では最近流行っているんダナ?」



「へっ!?」


突然、どこからともなく聞こえた声につばきは誰もいないはずの部屋をきょろきょろと見渡す。



「ちょう、誰なん?! どこにおるん!?」


もしかしてドロボーかなにかかもしれないと、つばきの顔は強張った。


だがどこにも人影は見えない。



「なんだか新鮮な反応ダナ。……もしかして、クレインの伝承をされていないんダナ?」


「え、え、なになに?! めっちゃ怖い! どっから聞こえんのこれ……」


抹茶色の布がこんもりと丸く形どった《ソレ》は、つばきの視界の端で、動き始める。


「……え? ええぇ~え!」


視界の端で蠢くそれに目をやると、つばきは尻もちをついて後ずさりをした。


《それ》が動いていることが、目の錯覚だと思い、細い目を何度も擦る。



だが、擦っても目を固く瞑ってから開いても、目の前で起こっていることは変わらない。


「ボクが動けるってことは、オマエが【鶴賀のクレイン】だってことダナ。なのに、ボクを見て驚いてる。ううむむ、これは初めてのことダナ」


抹茶色の布から姿を現したのは、先ほどの黄色いひよこの置物だった。


「ぃぃぃい~!? ひよこぉおお!」


つばきは昆虫が逃げていくように、素早い後ずさりで背に壁がぶつかった。


そんなつばきを見ながらひよこは、自己紹介がてらにつばきを見詰める。



「こんな自己紹介なんて500年前以来ダナ……。ボクは遅松おそまつさんの魔具ダナ。これからオマエと一緒に戦うことになるんダナ。時に鶴賀のクレイン、オマエの名はなんだ?」


「戦う!? ……あ、あーしは【鶴賀 つばき】。それより500年前? 戦うって……」


遅松はつばきをじっと見詰めると、やれやれ……と言った様子で俯いた。



「なんにも聞いていない……んダナ。本当にこんなのは初めてダナ」


つばきは目の前でちょこちょこと動く遅松を見詰めながら、まだ自分の目に映っていることが信じられない。


置物が動いて、喋っている。


これがアニメや漫画なら納得も行くが、自分の住む世界はそんなものではない。


現実世界なのだ。


「説明してやるんダナ……つばき。【魔法少女】と【クレイン】の戦いについて」


「ま、魔法少女ぉっ?!」


余りのも突拍子もない単語に、つばきは叫んだ。





――500年余り前。



時は1400年代も後半に差し掛かる頃。室町時代末期であった。


山形のとある山村、とある年、とある厳冬の日。


毎日のように降り続く雪の中、青年が畑仕事に精を出していた。



土が凍ってしまわぬよう、作物が豊かに育つよう、この厳しい自然に負けない心で、鍬を振るう。


寒さには慣れたものだが、雪には困ったものだ。


雪に関して困っているのは、雪害だけではなかった。雪下ろしや、畑の掘り起しという話でなく……、全く意味不明な現象を引き起こしていたからである。



「お~ぅい、与作~! おめ、まぁだこげなとこで畑ば耕してっべか!」


「おう、太助かぁ。今日は大根ばでっけぇ葉ばつけてなぁ!」


鍬を土に刺した与作と呼ばれた青年は、同じ頃の青年・太助に向かって、手拭いで汗を拭きながら笑った。


「なにをこっだら時に畑さ耕しってべか! 村がこげんえらか時に!」


 ……とまぁ、方言にならって見たが、若干分かりにくいと思うので、ここからは現代の言葉に変換してお送りしようと思う。



太助は、『なにをこんな時に畑なんて耕してんだ。村がこんな大変な時に』と言った。


「こんな時だからこそ、だって。銀病のせいで生活が機能してないからこそ、誰かがこういうことをちゃんとしなくっちゃ」


「分かるけどよ……。外に出てちゃお前まで銀病にかかっちまうぜ」


与作は心配する太助の言葉に短く笑うと、再び畑仕事を始めた。


太助は「どうなってもしんねーからな!」と言い捨てると、家へと戻っていく。


与作はその後ももくもくと仕事を続けた。



太助の心配を無視したわけではない。本当は彼自身も家に戻ったほうがいいことは分かっていた。


だが与作が太助に言ったことが彼の行動原理の全てだったのだ。


【誰かがやらなければならない】


誰も出来ないのならば、自分がやる。若い与作はそのように考えていた。病気も怖いが、食べられずに苦しむのも同じくらいに怖い。


病気が治っても、食糧がなければ生きていけないのだ。


与作や太助が住む葵村では、原因不明の病気が流行していた。


この時代、疫病が蔓延することはままあることだが、葵村で流行るこの病はそれらとは、違った。



――【銀病しろがね



村人たちが名付けたその病にかかった者は、身体が硬直し意識を失う。その状態が2週間ほど続いた後に死に至るのだ。


だが、妙なのはその後にあった。


銀病で死に至った人間は、その後皮膚のいたるところに白い羽根が現れ、まるで鳥のようになってしまう。


葵村は山村の小さな村だ。


他の村や町と断絶している……所謂『陸の孤島』と思ってもらっていい。


それ故、その病の存在は外に知られることはなかった。



この村になんの手も入らなかったのはそう言う訳もあった。


しかも、一面真っ白な銀世界。



雪のせいで陸の孤島は更に外界から孤立しているのだ。


村人は当然、銀病を恐れて家から出ない生活が続いていたので、与作が心配されるのは無理がなかった。


「ウォン! ウォン!」


畑の外から一匹の犬が与作に向けて吠える。


与作は、犬の方を見やると「遅松、どうしたー?」と声をかけてやった。


犬は相変わらず「ウォン! ウォン!」と吠え、与作を呼んでいるようだ。



「なんだ、どうかしたのか?」


与作が遅松に近づいてゆくと、遅松は与作の裾を噛み、しきりにどこかへ連れていこうとしている。


「……?」


畑の側に立った柿の木に鍬を立てかけ、与作は遅松に着いていった。


遅松はずんずんと進んでゆき、なにもない雪平原の真ん中まで走っていく。



「遅松―、どこまでいくんだ!?」



遅松は与作を置いて真ん中まで行き止まると、尻尾を振りながら「ウォン! ウォン!」と鳴いた。


「なんだよ……」


遅松がしきりに鳴いている位置まで近寄ると、遅松の足元で雪が膨らんでいるに与作は気付いた。



「これは……!」


そのふくらみが【人】ではないかと思った与作は、急いで雪を掘った。


冷たい雪が指先の感覚を失くしている中、埋もれているそれに触れた。



「人だ、遅松も手伝え!」


遅松と与作は慌てて雪をかきわけ、真っ白な雪の中から、雪の色と同化しているような美しい白い肌を見つけ、それが人の腕だと直感した。


そして、その腕を掴み引くと雪を割って少女が現れたのだ。


「おい! お前さん、大丈夫か!? 生きてるか、しっかりしろ!」


真っ白な雪から現れた真っ白な少女は、春の桜を思わせる雪国では見慣れない、綺麗な桜色の長い髪をしていた。


「ウォン! ウォン!」


「遅松、村の奴を呼んで来い!」



白い肌の少女は、裸だった。こんな寒い地に雪に埋もれた裸の少女。


生きていることは絶望的に見えたが、与作の目には死んでいるようには見えなかった。


「おい! 生きてるか、おい!」


そう言って与作が背中を抱きかかえると、微かに鼓動を打つ振動が掌を伝った。


「生きてる!」


与作は自分が着ていた着物で少女をくるみ、遅松を先に村へ走らせると少女を背負って歩いた。


与作が歩みを重ねる度に二人分の重みを乗せた足元が熊が唸るような音で雪に窪みを作る。


最初に作った窪みに新しい雪が積もり、与作が家に着く頃にはまた吹雪が強くなっていた。




パチパチ、と乾いた音で少女は目を覚ました。


彼女は瞳だけを動かし、自分の置かれている状況の変化を確かめるが、どうも理解ができないらしい。


温かい部屋。温かい布団。そして、薪が火で割れる音と、……匂い。


嗅いだことのないその匂いの正体は、鍋で炊かれた野菜汁の匂いだったが、少女はそれを知らなかった。



「……」


上半身を起こすと、かけられていた布団がめくれ落ち、継ぎ接ぎだらけの汚れた着物を着ているのに気付く。



見たことのない衣服に、布の肌触りを確かめたり匂いを嗅いだりしながら、少女は部屋の中をうかがった。



「お、起きたかい?」


囲炉裏で薪をくべながら鍋の様子を見ていた与作が、衣擦れの音から少女が起きたことに気付き、声をかける。


「あ……、あう、あ」


少女はなにかを喋ろうとするが、言葉にならない。


与作は少女のその様子を見ると驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑顔で彼女を見詰めると、


「喋られないのか。無理になにか言わなくていいぞ」


そう言った。


「あ、ア……」


与作の言った言葉に反応せず、少女はぐつぐつと煮える鍋を指差す。


指先の方向から、鍋のことを言っているのだと悟った与作が鍋の蓋を取り、具合を確かめると柄杓で掬った汁の味を確かめた。


「ん、よし。ちょっと待ってろ」


ところどころ縁の欠けた茶碗に野菜汁を注ぎ、与作は少女の布団のところまで持って行ってやった。


「食べな」


そういって箸を渡す。少女は箸を握るように持ち、しばらくじっと見詰めると、意を決したようにそれを芋に突き刺した。


「はは、なんだお前箸使うの下手かよ」


不器用に箸で突き刺した芋を口の中にいれた少女は、ハフハフと熱そうに頬を膨らませ、目に涙を溜めた。


「熱いだろ、急いで食うな」


「ハフッ、ハフッ、……んぐ、んぐ」


「いけるか? はっはっ、そうかよかった!」


一心不乱に野菜汁にがっつく少女を見て、与作は満足そうに笑った。


一層激しく降り積もった雪がやんだ、晴れた日。


雪の少女を与作が連れ帰った2日後。


村は、雪で機能が止まったことよりも別の事で一段と騒がしかった。



与作は美しい雪の少女を皆に紹介しようと、家の外に出たが様子がおかしかった。


太助に権三が叫びながら他の村人の家の戸を叩いて回っている。見慣れない状況に与作は、血相を変えてそれに一心不乱になっている太助に声をかけた。


「どうした? なにかあったのか?」


太助は目の色を変えて与作に向くと、「おおっ!」と声を上げる。


「与作! た……田吾のとことなぁ、次郎のとこが銀病にかかったんじゃ!」


「なんだと!? 銀病に!?」


「だからわしと権三が他に銀病にかかったのがおらんかと回っておるんじゃが……、どうやらお前は大丈夫みたいだな、与作」


「ああ、俺は大丈夫だ」


与作は小走りに戸まで走ると、中で寝ていた雪の少女に「ちょっと用ができたから、そのまま寝て待ってろ」と言って太助の手伝いに向かったのだった。






「結局、銀病にかかって死んでしもうた……。この葵村で銀病にかからずにまだ元気なんは、わしら含めたたったの9家族とはのう」


銀病にかかり絶命した村人を集め、藁を被せたそれらを見詰めながら太助が悔しそうに言った。


「しかし、これほどに危ない銀病……、都ではさぞ恐ろしいことになってるんじゃろうな」


権三が顔を青くして呟き、与作らもそれに無言で頷く他なかった。



――葵村は、元々人の多い村ではない。


それでも30ほどの家族が生活を営んでおり、豊かではないものの、平穏な毎日を送っていたのである。



それを銀病が奪って行った。


今では元々の村人の数より、3分の1になり、畑仕事や雪どけ作業など、圧倒的に人手が足りない。


その上、与作も太助も嫁をもらっておらず、村は更に困窮を余儀なくされた。


銀病……。この未知の病に村が滅んでしまうのは、時間の問題かと思われた。


「……よ、さく?」


太助らと話している最中、聞き慣れない声が与作を呼んだ。


誰が呼んだのかと、3人は辺りを見渡すと与作の家にいたはずの、雪の少女が立っていた。



「なんじゃぁ? えろうべっぴんさんじゃのう」


「お前さん! 寝とけって言っただろう」


桜色の髪をなびかせて、雪の少女は彼らを見詰めた。


「どうした? 腹でも減ったか?」


「にん……げん……?」


雪の少女はそう言うと、聞いたことのない言葉でなにかを呟いた。


『マギ・キアンティ』


雪の少女の両耳の辺りに光る魔法陣が出現し、彼女の耳の中に吸い込まれていった。



「な、なんじゃあ!?」


「お前さん……」


雪の少女は、「ん……あ……あ、ああ」と自らの声を確かめるように発声すると、与作たちを見た。


「初めまして……、私はクレインといいます。あの、助けて頂いてありがとうございます……」


「お前さん、話せたのかい?!」


「ええ、最近覚えた魔法で言語を変換するものがあったので」


「おおそうか、最近覚えたのかい」


少し曲解しているようだが、ここが議論の軸にならないで済んだようだ。



「おう……与作、このべっぴんさんは誰じゃ?」


「ああ、うちの遅松がやけに吠えるから着いていってみたら、雪に埋もれていたんだ」


「おお、そうかそうか! それは大変じゃったのう!」



太助は、なんの疑いもなくクレインを歓迎し、満面の笑みで応えた。


「それにしても《くるあん》だったか? なんだか難しい名前だなぁ」


「そうだな、でも綺麗な名前だ」


クレインは、不思議そうな瞳で二人を交互に見ながら、「あ……そうですか、それでは私のことは《鶴》と呼んでください」と言った。



「鶴……、なるほどそりゃあ覚えやすいわい! じゃあ、《お鶴》じゃな!」


初めて会うはずの彼女に、太助も与作も家族のように温かく迎えたのだった。


「あの……、なにか困ったことがあったのでしょうか?」


お鶴が与作に尋ねると、与作はなんとも言えない渋い顔で首の裏側を掻きながら、「そうなんだ」とため息を吐いた。



「この村に銀病という病気が流行っていてな。ほとんどの村人がこれに侵されて死んでしまった。このままでは俺たちも銀病でしんでしまうのは時間の問題かもしれない」


「銀病……?」


「ああ、銀病にかかるとな……。丁度いい、お鶴ついておいで」


与作に手を引かれ、お鶴はとある家に入った。


二つ並んだ布団に、真っ白な顔色をした人影。


どちらも羽根のような何かを顔から噴き出し、目を見開いたまま眠っているようだった。


「亀六んとこは去年夫婦になったばかりでな。村では一番幸せだったんじゃないかな……。

 けれど、二人とも銀病に掛かってしまい、今ではぴくりとも動きやせん」


横たわる二つの身体は、今も生きているとは到底思わないような無機質さで、ただただ目の前にある天井を眺めていた。


「羽根化……」


「うん? はね、か?」


「いえ……」


お鶴はそれ以上の言葉を濁したが、彼女は彼らの病状を見てそれがなんなのか、知っていた。


「……こんなむごいこと。病気だから仕方ないがな……。これが俺達人間に課せられた大自然の罰だって思うしかないとは思ってはいる、が。でも、こんな真っ白になって固まって、ただただ死んでいくだけなんて……むごいな」


「……」


お鶴は黙っていた。


いや、黙っていたというより、言葉が出なかったというべきか。



ともかくとして、お鶴は無言で見詰めるだけだった。



「このままだと俺達の村は滅んでしまう。仕方ないこととは思うが、……お鶴、お前さんも出来るだけ早くこの村を離れたほうがいい。雪が溶けたらすぐに出るがいいさ」



与作は優しく笑い、お鶴に言った。



「滅ぶ……」



お鶴は呟き、なにか思い詰めたような表情を浮かべ、羽根化してしまった夫婦を見つめていた。


それから数日の時が過ぎ、雪も随分と落ち着いてきた。


与作は、今の空ならば大丈夫だとお鶴を送り出そうとするが、何故かその度にお鶴はなにかと言い訳を付けて村を出ていこうとしない。



お鶴を想ってのことだったが、本人が出たがらないのでは仕方がないので、与作はお鶴を家に住まわし続けた。


「与作さん」


「おお、お鶴。お前の作る野菜汁は本当に美味い」


お鶴から受け取った野菜汁を掻き込むと、与作は純粋に感動の声を上げた。


「見よう見まねで作ったのです。味に自信はありません」


そう言いながら照れ臭そうに笑うお鶴に、いつしか与作も惹かれていった。



お鶴は、与作が留守の間家の仕事を一手に引き受けた。


冷たい川に洗濯にも行き、食事の仕度、家まわりのことは全てこなした。



そんなお鶴に、いつしか誰もがこう言うようになる。



「与作んとこの嫁になれぇや!」



からかうように村人の誰もがお鶴を与作の嫁のように言った。


太助や権三たちも、「べっぴんさんを嫁にもらえてええのう!」と囃し立てる。



人の少なくなった葵村だったが、それでも笑顔の絶えない活気ある村だった。


お鶴も、そんな葵村のことを次第に愛していくようになり、そして純朴で真面目な与作にも……。



「そういえば……、最近は銀病も収まってきたのう」


ある夜、与作の家で酒盛りをしていた太助が思い出したように言った。


畑の作物や、時々取れる猪肉以外の食糧はすべて貴重品だったこの村で、酒が呑めるということは奇跡にも近い。


なのにも関わらず、何故に太助たちは酒盛りをしているのか。それは……


「お鶴が酒を持っておったとはのう! ……しっかし、わしらが呑んでもええんじゃろか」


「いいんです。私は飲めませんから」


お鶴はそうとだけ言うとにっこりと笑って見せた。


与作はお鶴が酒を持っていたはずなどないと分かっていた。


なぜなら、お鶴を雪の中から助けたあの日、お鶴は酒どころか衣服すら身に付けていなかったのである。


どこから持ってきたのか分からない酒、だった。



「まぁ、与作も呑めぇや」


「ああ、もらう」



だが、与作はそんなことを気にかけるような男ではなかった。


お鶴が勧めるのだから、悪いもののはずがない。そのように信じ切ってしまうほどのお人よし。


だが、程度はあるもののこの葵村は与作だけに限らず、誰もがそのような性格の者ばかりだった。


疑うことも知らない、純朴な人間達。


簡単に誰のことも信じ、誰と出会っても家族のように接する。


お鶴には、どうしようもなくこの優しい村の居心地がよかったのだ。だからこそ、お鶴は村人に酒を振る舞った。



その酒は、無くなることなく毎晩のように振る舞われ、その度にお鶴は幸せそうな表情で与作や他の村人を見つめていたのだった。



――更に数か月の時が経った。



季節は、すっかり雪どけの時期に差し掛かり山々に緑が蘇りつつあったある日。


夫婦となった与作とお鶴との間に赤ん坊が出来た。村人たちは、久しぶりのめでたい出来事に温かい雰囲気に包まれ、今か今かと赤子の誕生を待ち望んだ。



「与作、お前んところの赤ん坊はいつ生まれるんじゃ」


「よしてくれよ、そんなにすぐ生まれる訳ないじゃないか」


そう権三の言葉を交わしながら、その表情は幸せそのものであった。


「それにしても、お鶴が来てから誰も銀病にかからなくなったなぁ」


権三が茄子を丸かじりながら呟いたのに、与作も太助も頷いた。


「なんだかお鶴が来てからこの村はいいことばかり起こるようになった。飲めないと思っていた酒も飲めるようになり、銀病もなくなり、そして子供まで生まれる。もしかすると、お鶴は観音様かもしらん」


真剣な顔で与作がそのように言うと、太助が「自分のことをようもそこまで言えるもんじゃのう」と大声で笑う。


「なんだ、笑うなよ」


真面目な与作はそんな太助の笑いにも釣られずに、また真面目に言い返すのみだった。


「太助! なにをしてんさ!」


「わ、牡丹!」


葵村に済む少ない若い娘、牡丹は太助のところについ数日前に嫁いだばかりだ。


だが与作夫婦とは対照的に、かかあ天下を地で行く家庭なようだ。


「ははは、太助。お前さんのところも幸せそうじゃないか」


「よく言う! 痛た! やめぇっちゅうとんじゃ!」


「あんたは与作をちったぁ見習いな! 椿にもお仕置きしてもらうよ!」


「ひぇえ!? 椿は勘弁だ!」


耳を摘ままれ、太助は涙目になりながら牡丹に連れられていってしまった。


それを楽しげに見守ると、与作は畑仕事へと向かうのだった。



「ウォン! ウォン!」


「おお、遅松。今日も頼む」


先に畑で待っていた遅松は、与作の話し掛けにもう一度「ウォン!」と返事をすると、畑の外に向けて座った。


まるで外敵から畑を守っているようだ。


――その時だった。



「ん、なんだ……雪、か?」


一片の雪が与作の持つ鍬の柄に落ちた。


耕す手を止め、空を見上げると一つ、また一つと雪が降り始めていく。


「ウォン! ウォン!」


遅松が空に向かって吠える。


「どうした遅松! ……それにしても、この季節に雪なんて、珍しいこともあったもんだな」


雪足は次第に強くなってゆく。その中でも与作は、畑仕事をやめなかった。


「それにしても少しも寒くない。この雪もまるで冷たさを感じないな……。おかしな雪だ」


ザク、と鍬が土にめり込む音を立てて、土を盛り上げる。そして、もう一度リズムを刻むように、ザク。


土に鍬を刺す度に雪を巻き込んでゆく。


与作はそんな光景を見たことがなかった。なぜなら、与作の知っている雪は溶けるからである。


「おかし天気だな」


しかし、そんな少しいつもと違うことでも気に留めない与作は、仕事をなにもなかったかのように続けた。


「ウォン! ウォン!」


遅松は相変わらず空に吠えている。


「与作さん!!」


その時、与作を呼ぶ大声に思わず振り返り、与作は自分を呼んだ方向に向く。


「与作さん! 早く家に入って!」


「お鶴……?」


顔面蒼白で、お鶴が畑にいる与作を呼びに来たのだ。


「どうしたんだ、お鶴。赤ん坊を身ごもった体でこんなところに来ちゃだめだろう」


「そんなことはどうでもいいんです! 早く家に帰ってください!」


「おっかしな奴だぁ……」


与作はそんなお鶴に笑って手を振り、「じゃあもうちょっとだけしたら帰る」と言った。



「今すぐ!」


更に一段大きなトーンでお鶴は叫んだ。


自分の叫び声が響いたのか、お鶴は「うっ……」と短いうめき声を上げ、お腹を押える。


「お鶴!」


流石にこれは与作も焦り、お鶴の元へと駆け寄ると、「大丈夫か?!」と声をかけた。


「私は大丈夫……、それよりも与作さん、私と家に帰りましょう……お願い」


余りにもお鶴がそのように懇願するので、与作は力強く頷くとお鶴を抱き抱えて家へと走った。


「早く……早くしないと、プルンネーヴェが……」


「ぷぐ……、なんだ?」


お鶴の言った言葉が聞き取れなかった与作が聞きなおすも、お鶴がそれを言い直すことはなかった。


ただ、与作の抱き抱える妻・お鶴の身体は、自分が思っているよりも遥かに軽い……ということだけ、妙に身体が覚えたのだった――。


家の軒先で、千切れてしまった草履の紐を直していた権三は、視界にひらりと落ちたそれを見て怪訝に思った。


そうして、千切れた草履を片手に空を見上げると、思わぬ光景に短く感嘆の声が出た。



「おお……、こりゃあ季節はずれじゃ」


権三が家の中を覗くと、家の中では権三の年上女房である桔梗が、つぎはぎで着物を縫いながら「どうしたんですか?」と尋ねる。


「おお、それがのう……雪が降ってきよった」


「雪? なにを酔狂なことを。もう春を過ぎているのですよ。雪が降るわけ……」


桔梗はくすり、と権三を一笑するが縫い物の手は止めなかった。



「いや、本当なんじゃ。こんな春に雪が降るとはぁ、不思議なもんじゃのう」


雪は次々と葵村に降り続き、みるみる内に地面や家屋の屋根に積もってゆく。


一方でその光景を眺めていた太助夫婦も、権三と同じ思いを抱いていた。


「こんな季節に降る雪はあまりないが、それ以上に……」


「寒くないさね。それもそうと、地面に落ちても溶けないんよ」


その降り続ける雪は、積りはするが溶ける気配がない。


それゆえに、普通の雪よりも積もってゆくのが早く感じられた。


葵村の村人たちは、この得体の知れない雪を不思議に思いながらも、ただ見詰めるばかりであった。



「おーい! みんなぁ、すぐに家の中に入れぇ!」


その声の主は誰であろう与作である。


お鶴を抱き抱え、村中をそう叫びながら走った。


「与作ぅ、どうしたんじゃあ!? なぜ家に入らねばならん?」


「わからん! わからんが、お鶴がいうんだ」


与作が答えると、良く解ってはいないが素直な葵村の村人たちは、お鶴の言うことならば、とそれに従い家に帰っていった。


「お鶴、これでいいんだな」


「ええ、与作さん。……ありがとう」


「なに、例には及ばんよ」


一番最後に与作は家に帰り、ぐったりとしているお鶴を布団に寝かせた。


「この雪が止むまで、《なにがあっても》絶対に外に出ないでくださいね……」


「なにがあっても? よくわからんが、お鶴の言うことなら聞くよ」


与作がそう答えてやると、お鶴は安心したように細い寝息を立てて眠った。



「ウォン! ウォン!」



外で遅松がなにかに向けて吠える。


なにごとかと思い、与作は小窓から外の様子を伺うと「遅松ー、どうした?」と声をかけた。


「ウォン! ウォン!」


外はすっかり大雪で、積雪も2センチほどになっていた。与作や葵村の村人たちでさえ、ここまで早く雪が積もるのは経験がない。


「な、なんだ……」


雪の降るスピードに驚きつつ、与作は更に訪れる不可思議な出来事に、それ以上の言葉を詰まらせた。


空から紫色の光が差し、それが舞い降る雪に反射しまるで紫の雪が降っている錯覚を与えたのだ。


「ウォン! ウォン!」


遅松が吠える。その吠え方は、外敵が訪れたときに発する、警戒と敵意の咆哮。



「遅松! どうした! なにが居る!?」


遅松が吠える先になにかがいることは明らかだった。


だが与作の目からは、軒のさんに阻まれ、空が見えない。空を見ようと思えば、外にでるしかないのだ。


「確かめてやる……」


与作は、外で起こっている異常な出来事を確かめようと、戸に手をかけた。


「ダメです与作さん! おやめください!」


咄嗟にそれをお鶴が呼びかけて止めた。


「お鶴……」


お鶴に止められ、与作は思い留まり遅松を見守る。振り返った与作を、お鶴が強い眼差しで見つめていたからだ。







うるさい、犬ダネ」


顎をたるませ、丸みを帯びたフォルムが特徴的な、肥満体系の魔法少女が空中から葵村を見下ろしていた。


紫の光の正体は、この魔法少女が現れた時に出現した魔法陣だったらしい。


太った魔法少女が自分に向けて吠え続ける遅松を見ながら、呟く。


「それにしてもプルンネーヴェを降らせてるっていうのに、外にいるのが犬だけとはネ。なぜ人間が出てきていないのかしらネ」


不思議、というよりも不機嫌な表情で見渡す。


「それにしてもそろそろ人間を喰わなければ飢え死にしちゃうってところなのに、クレイン様はどこにいるのかしらネ」


ゆっくりと空中を動き回り、魔法少女が小さな葵村を上空から観察した。


「ウォン! ウォン!」


相変わらず吠える遅松に構わず、魔法少女は人間を探すが、お鶴に外へ出るなと言われた村人たちは、誰一人として外を出歩かなかった。


「それにしてもいないわネ。クレイン様がいなければ人間を喰うことも許されない。困ったわネ……」


魔力を探知しようと目を瞑った魔法少女は、両手を腰の位置で開き、静かにクレインを探る。


「……微かに感じる。だけど、これがクレイン様だとしたら、余りにも魔力が少なすぎるのよネ。それにしても、腹が減った」


充分にせり出した腹をさすり、魔法少女は大きく息を吸うと、村……いや、山全体に響くような声で叫んだ。


「大魔女クレイン様! 私はナハティガルのアウルでございますネ! この人間どもに捉えられているのならば、すぐに魔力で示して頂きたく思いますネ!」



魔法少女アウルの声は、村中の人間に突風のように駆け抜けた。


その声は、屋根の藁を震わし、地面の小石を飛ばし、空気中の音を全て奪って行くような凄まじいものであった。


「な、なんじゃあ! や、山の神様が怒っとるんか!?」


太助が腰を抜かし、牡丹は唇を震わせる。


「ひゃああっ! 権三さん! お助けくださいまし……!」


権三の家でも、桔梗が取乱し、権三は手の平をこすり合わせてナンマンダブナンマンダブと繰り返した。


「大魔女クレイン様! お返事がないようならば、……ここの人間を食糧として持って帰りますネ?」


大きく威圧的に言い放った前半と、ゆらりと物を含んだような後半との口調のギャップに、与作は言い知れない恐怖感が全身を駆け抜けた。


「人間、を……食糧にだと?」


「外に出てはいけません! 与作さん!」


アウルの言うことに辛抱ならないと外に飛び出そうとした与作をお鶴は制止した。


「耐えてください……、お願いです、どうか」


「し、しかしお鶴……」



葵村の上空では、アウルが相変わらず村を見下ろしながら村人が誰か出てこないかを見張った。


「それにしても出てこないネ。これだけやって誰も人間が出てこないなんて……。もしかして、我らナハティガルが【屋内に入ることが出来ない】ということを知っているとかネ? ……まさかそんなこと」


独り言を呟くアウルは、自分の言ったことに笑った。


「ウォン! ウォン!」


「それにしても、それにしても煩い犬。食えもしない、役にも立たないんだから死ね」


あごのたるんだアウルは眉間に皺を寄せ、不快感をあらわにすると遅松に手をかざした。


「焦げて無くなれ。マギ・テルミドール」



「!? なんだ?!」


ボンッ、というなにかが破裂した音に驚いた与作は、再び窓外に喰いつくようにして見た。


窓の外、与作宅の前には真っ赤な血が螺旋を描き向かいの家にまで、ぶちまけたように付着している。


「な……っ!? お、遅松! 遅松ぅー!」


一目で与作は、遅松が殺されたのだと分かった。


「ダメです……、与……作さ……」


「お鶴!」


お鶴を振り返ると、お腹を押えながら脂汗をかきながら必死に与作を止めていた。


「お鶴、大丈夫か! つわりか!?」


外の異常な出来事と、お鶴の陣痛に与作はどうすればいいのか途方に暮れた。


「どうか、どうか……ここに居てください」



お鶴のすがるような瞳に、与作は黙って頷くと手を握ってやった。


「……わかった。俺はずっとここにいる」


「ありがとう……与作さん……」


お鶴は弱々しく笑った。


だが額から噴き出す脂汗が、それを無理に作った笑顔だと教えるようだ。



「この村から出ていけー! バケモンがぁ~!」


突然、外から威勢のいい叫び声が響いた。


「この声は、八平のとこの菊か!」


「おりょー! あたしの目の黒い内は絶対好きなようにさせないかんねぇ!」


「よせ! 菊! 戻れ!」


竹槍を持った菊は空に向かって竹を振り回し、アウルに向けて奇声を上げ続ける。


「これまでだって銀病にさんざ怯えてやってきたんだぁ! もうなにも怖いもんなんてない、自分の村は自分で守るんだよぉ!」


「姉ちゃん! 姉ちゃん! 私も戦う!」


菊に続く幼い声。その声を聞いて、与作は顔を青くした。


「バカな! 向日葵まで!」


居てもたってもいられなくなった与作は、戸に向かって駆け出そうとするが、やはりお鶴に腕を掴まれた。


「……!」


必死に首を横に振るお鶴に、与作は複雑な表情を浮かべる。



「っひょォ! やっと現れたな人間! いや……『ゴハン』」


溶けない雪は地面を埋め尽くし、かさを増してゆく。


綺麗に足跡をつけながら、向日葵と菊は空に向かって竹の槍を構えた。


得体の知れない魔法少女を、射抜くように睨んだ。


「それにしても美味そうなゴハンだネ~!」


アウルが両手を広げると、雪は更に勢いを増しまるで吹雪の様相となった。


渦巻くように雪に襲われる菊と向日葵は、次第に動きを奪われ、白くなってゆく。


「羽根化してゆく……」


霞んだ瞳でお鶴は呻くように言った。与作はそれを見詰めるしかできない自分の無力さに、思わず涙を浮かべる。


「くそぉ……くそぉっ!」


悔しさを滲ませるその声に、お鶴の心は痛んだ。自分が、与作を悲しませているのだと。


「なんてことをすんだてめえ!」


「や、やめろ藤ぃ!」


白くなってゆく二人に向かって全力でかけてゆく人影。その背を男の声が「藤」と呼んだ。


「この子ら連れて帰るだけだよ! あんたはそこにいてな!」


「そんなわけいくかぁ!」


藤と呼ばれたやや太った中年の女性が、固まってしまった菊と向日葵の元へ走り寄っていくと、脇に抱えて走ろうとアウルに背を向けたその時。


「藤ぃ!」



藤も一瞬で真っ白に羽根化し、泣き叫びながら遅れて夫らしき初老の男が走り寄った。


『マギ・キッシュ』


空から聞こえる非情な言葉と共に、男が正方形の塊になった。


「が、ぎ……!?」


もはやそのうめき声ですら、どこから聞こえるのか分からない。


「おお、つい間違えて一人殺しちゃったネ。貴重なゴハンだというのに。しまったしまった」


紫の魔法陣がアウルの手の周りに出現する。アウルは気持ちよさそうに笑いながら、『マギ・フラン』と唱えた。


風が更に渦巻き、家屋を巻き込んでゆく。


「それにしても風の魔法は便利ネ。家屋に入れない我らを救う救済的な魔法ネ」


そう、アウルが唱えた魔法は竜巻の魔法であった。


空から強烈な引力に引っ張られ、家屋は地面に必死で掴まっているように、フルフルと屋根を震わせている。


「う、うう……、菊、向日葵、藤、朔太郎……」


与作が泣きながら呼んだ名前は、全てこの一瞬で死んでしまった村人の名だった。


ガチガチと震えながら必死でお鶴を庇うように抱く与作は、悼む隙も与えずに殺された彼らを想う。自らの家でさえ、今にも吹き飛ばされそうだというのに。


「与作さん……」


与作の人間的な魅力とは、こういうところにあった。


誰にでも優しく、平等に接し、誰の事も愛している。


お鶴はこんな与作だからこそ、……愛したのだ。



「うわあああっ!」


遠くで叫び声が聞こえたのは、太助の声だ。どうやら太助の家の屋根が吹き飛ばされた……。与作は、音の感じと太助の悲鳴でそれを悟った。


「ぃひいいい!」


次は権三だ。与作はもはや生きた心地がしなかった。


次々と悲鳴を上げて死んでゆく仲間たち。


天変地異でも、飢饉でもない。得体の知れない化け物が村を襲い、皆を殺してゆく。


果たして自分は、生き延びられるのだろうか。生き延びてもいいのだろうか。


心の葛藤を抱えながら、震える唇で与作はお鶴を見詰めると心とは真逆のことを言った。



「大丈夫だお鶴。お前はな、俺が守るから」



その温かい言葉、温かい声、温かい心に触れたお鶴は、この危機の中でさえ、安堵に目を閉じることが出来た。


「そろそろ、いただきますしようかネ。1,2,3……6。6体もいるネ。お土産持って帰りたいけど、持って帰ると大魔女にバレるからネ……勿体ないけど我慢するネ」


ゆっくりと降りてくるアウルは吹き飛ばされた家々を見渡し、数軒形を留めた家屋については、満足しているのか特に気に留めることも無かった。


その中に、与作の家もあった。


そして、与作の家の中では、与作が気を失って倒れている。そこに、お鶴の姿はなかった。



アウルが地面に降り立つと、丁度遅松の血が作った赤い水溜りの上で、ぴちゃりと音が鳴った。


「それにしても汚い血ネ。まぁ、犬は食えもしないから死ぬしかないのだけれどネ」


一歩一歩と重そうな体を支える足で歩みを重ねる。


真っ白に羽根化してしまった、藤や菊、向日葵をよだれを滴らせながら見詰めると、大きくを開けた。


外見からは予想出来ないほどに、無数の牙を剥き出しにカバさながらに口を全開に開けたアウルが、藤らを一齧りしようとしたその時だった。



「……アウル」



アウルを呼ぶ声。


この場に、彼女の名を知る人物などいるはずはない。


アウルは、自らの名を呼ぶ者を探した。


「アウル」


もう一度呼んだ語気は、強い感情を孕み、次こそはアウルを迷わせなかった。


「あ、あなた、は……!」


アウルを呼んだ人影は、半壊した村の中心でアウルを真っ直ぐ睨みつけている。


「大魔女……クレイン、様!」


そうである。そこに立ち、アウルを睨みつけていたのはお鶴であった。


「なぜこのような所に! ナハティガルはみんな貴方を探していたのですよ!」


「知っています」


「ならばなぜ!」


「心配しなくとも私は帰ります。私はナハティガルの大魔女なのですから」


「今すぐ帰るのです! ナハティガルが今、どういう状況下ご存知ないのですかネ!」


「それも、わかっています……。ですが、今はまだ帰ることはできません」


「なぜネ!」


お鶴は、音もなく宙に浮き、アウルを睨みつけたまま瞳の色を紅く変えた。


「葵村を護らねばならないからです!」


空が割れるような、凄まじい轟音が鳴り、空は雲に覆われ、光という光は全て灰色の雲の奥へと奪われた。



「ま、護る……?! な、なに……を」


黒い炎に包まれた魔法陣がお鶴の背に現れ、最初はお鶴の肩幅ほどの大きさだったそれは、みるみる巨大になり、直径20メートルほどの魔法陣となった。



「アウル、貴方はこの大魔女クレインの許可も得ず、人間を襲い食べようとしましたね? 大魔女の法によって貴方を裁きます」


「そ、そんな……、それよりも人間ども……を」


『マギ・オーダー・ケルベロス』


 魔法陣から巨大な三つ頭の獣が飛び出し、アウルを一飲みすると、バリバリと音を立てて体内に流し込んだ。


「戻りなさい」


喉元からマグマが沸きだすような、邪悪な鳴き声を回しながら、召喚獣ケルベロスは静かに魔法陣へと帰った。



「与作さん……みんな……」


全てが終わった葵村を見下ろし、変わり果てた光景にお鶴は悲しげな顔をするのだった。





「山さんとこの椿も銀病にやられとった」


与作の元へやってきたのは、権三だった。与作が「ほかのみんなは?」と尋ねると、無言で首を横に振る。



「散々な状況じゃ、誰が生きていて誰が死んだのかもうわからんわい」


「……とにかく、生きている者を探そう。それと、銀病に侵された娘たちをわしの家へ」


与作と権三が白く羽根化し固まったままの娘たちを運ぼうとするのを、傍から見ていたお鶴も手伝おうとした。


「お鶴、お前は子供がいる身だ。おとなしくしていればいい」


お鶴は一度与作を見詰めるが、すぐに与作に従い羽根化した彼女らから離れた。



――アウルを葬ったのがお鶴であるとは、生きている誰もが知るところではなかった。


それもそのはず。権三はずっと拝み続けていたし、与作も気を失っていた。


ただでさえ少ない村人が更に少なくなった状況だ、誰もお鶴が戦ったことを知らないのは当然とも言える。



「椿に菊、向日葵、藤、牡丹……桔梗。女ばかりが銀病に侵されちまったぁ……。村の女はこれでみんなだ。これでいよいよ葵村もおしまいじゃ」


生気を失った権三は独り言のように呟き、羽根化した6人と、死んでしまった太助や喜八を思った。



「お鶴、それに与作。お前達が生き残ったことは、不幸中の幸いじゃ。この先子供も生まれるんじゃろう? じゃったら、この村を離れた方がいい。お前達は町へ行け。それがええ」


「なにを言う! 俺達はまだこれからだ。娘たちも銀病にかかったが、まだ生きているじゃないか!」


与作が血相を変えて権三に食い下がるが、権三は横たわる6人の娘たちを見て、「これを生きているというんじゃろうか」と呟く。


「生きてる! 心臓も動いているし体も温かい、耳を口元まで持っていけばちゃんと息だってしている! 生きてる……治せるさ!」


「本当にお前は、夢みたいなことを真顔で言うんじゃのう。ほれ、見てみろ。白い羽根みたいな吹き出物が体中から吹き出て、雪が積もったように真っ白。生きてるのかもしれんが、誰一人として指先をぴくりとも動かさん。

 確かにな、お前の言う通りこいつらは生きているといえば生きているのかもしれん。だが、死人と同じなんじゃ。銀病にかかって生き永らえた人間なんて、これまでおらんじゃろう」


「だが権三!」


「もう勘弁してくれや! 桔梗もおるんじゃあ! 女房の顔くらい落ち着いて拝ませろやぁ」


権三の悲しさと虚しさに包まれた言葉に、与作は口を紡ぐほか無かった。


無力さだけが、ぬかるみの土のように与作の足を取り、ずぶずぶと自由を奪ってゆく。


必死に抜け出そうとするのに、もがけばもがくほど沼の如く沈んでゆくのだ。



抗えない無力感。


このまま、葵村は滅んでしまうのだろうか。




「与作さん……」


その日の晩のことだった。一人で倒壊した家屋を片付けていた与作の元に、神妙な面持ちでお鶴がやってきたのだ。


「お鶴。すまんな、お前の住みやすい、いい村になるはずだったんだが」


すっかり暗くなった村で一人、作業をしている与作を見て、お鶴は「こんな暗い夜中に、とても危ないです」と心配の声をかけた。


「分かってる。分かってるが……じっとしていられなくてな。太助も死んだ。喜八も死んだ。おじいもおばあも生きている奴なんてほとんどいない。

 それなのにな、死んじまったのにたった一人で家の木材に潰されたままいるんじゃないかって思うと、……俺達は家族みたいなものだから」


「家族……」


「そうだ。お鶴と、お鶴のお腹にいる赤ん坊。それもな、家族さ」


「……はい」


お鶴の思い詰めた顔に、与作は悟った。


きっと、お鶴は悲しんでいる。どうすればいいのかわからないのだ、と。


それは自分も同じだったから、痛いほどに気持ちが分かった。


「こんなときにあれだが……、赤ん坊の名前な」


「名前?」


お鶴は不思議そうな顔で与作の横顔を見た。


与作は、家屋の折れた梁に腰を掛けどこか遠くを見詰めながら続ける。



「さくら。さくらがいい」


「……さくら?」


「ああ、さくらだ。お鶴がどこの出身かは知らないが、きっと見たことがあるだろう。ここらはな年中寒いから中々桜が咲かない。だけど、俺が小さい時に一度だけ満開になった年があったんだ。吹雪かと見間違うほどに、淡い春の色がなぁ、一面に舞って……。それはもうこの世のものとは思えないほどの美しさでな。だから、お腹の子には春を象徴する花の名をつけたい」


「素敵……ですね」


「君は見たことがあるか? 満開の桜を」


「いいえ。見てみたいです」


「そうか……ならばいつか見よう。三人でな」


「ええ……」


遠くを見詰める二人には、夜空を桃色に染める、満開の桜が見えていたのかもしれない。




「与作さん。すみませんが、これより先は絶対に覗かないでいただきたいのです」


奥の間を締め切り、お鶴は強い眼差しで与作に言った。


「なんだ? 一体どうしたお鶴」


「約束をしてほしいのです。どんなことがあろうとも、私がこの奥へと入り、戸を締めたら……絶対に開けないこと。覗かないこと」


「なんで……」


訳が分からず詰め寄ろうとする与作に掌を見せて、抑えるとお鶴は強い表情を崩さずに言った。


「これから私は、銀病を治すために必要なものを造ります。集中力を必要としますし、とても危ないことをします。ですので、与作さんの理解を……」


「危ない!? お鶴に危ないことなんてさせられるわけがないだろう! よし、俺も手伝う! なにをするのかはわからないが、俺にも手伝わせてくれ!」


簡単に与作がお鶴の申し出を受け入れるはずがなかった。


だがお鶴とて一歩も引かない。


「結構です。これは、危ないことではありますが【私にしかできない】重要なことなのです。……私は大丈夫。お腹の……さくらも。

 ですから、どうか……どうか私の言うことを聞いてくださいまし」


真剣なお鶴の願いに、与作はしばらく無言にて考えたが、ここまで真剣なお鶴を見たことがなかった与作は、やがて首を縦に振った。


与作は、お鶴の強い意思を打ち崩すことは出来なかった。


そして、同時に与作は思い出したのだ。


何故自分が、行きずりの女性を愛したのか。どこから来たかもわからない、得体の知れない女性を。



お鶴の常人離れした強い眼差しである。


与作は、お鶴ほど強く美しい瞳を持つ女性を見たこともなければ、出会ったこともなかった。


優しく、思いやりのある彼女の持つ、誰にも引けを取らない気高い瞳。その奥に見え隠れする、品格。


目に視えなくとも、与作はお鶴のそんな未知の部分に心底惚れたのだ。


そんなお鶴が、村を救うためとはいえ、与作に対してこれまでになく強く言い張ったのだ。


それを与作が無理に跳ね除けるわけがない。


それこそが与作のお鶴に対する想い……、すなわち【愛】なのである。



お鶴は、奥の部屋に閉じこもるとそれから一昼夜出てこなかった。時折聞こえる金属がぶつかるような音、激しくなにかが擦れるような音。


開けてお鶴が無事た確かめたい衝動を抑え、与作はお鶴が出てくるのを待った。


与作もまた、ただ待つという試練を課されていたのだ。


お鶴が部屋に閉じこもってから丸一日。


与作もお鶴に付き合い、部屋の外で眠らずに彼女を待った。


一つの闇が空け、夜を割り、光が爪先で引っ掻いたような朝がやってくる。



やがてひっかき傷のような朝が、空を明るく引き裂き、真っ青な空が宇宙のように広がった頃。


「与作さん……」


お鶴は部屋から出てきた。


「お鶴……」


目の下に疲れを表す窪み。


与作が一睡もしていないことを察したお鶴は、手に持った布を与作に手渡す。



「これは……?」


「番傘です」


「番傘?」


「ええ、だけどただの番傘ではありません。雪から護ることは出来ますが、雨からは護ってくれません。これを誰でもいいので、銀病に侵された女性の誰かに……」


立派な番傘だった。赤い光沢と、骨組に塗られた漆がそれに品格を与えている。


「しかし、なぜ番傘……」


「ひとまず、私を信用してください。与作さん」


お鶴にそのように言われた与作は、それ以上を聞くことはしなかった。ただ、力強く頷き、銀病で寝たきりになっている村の娘のところへと走る。


「……あと、5つ」


与作の背を見送ったお鶴は、再び部屋に消えると次のナニカを作り始めた……。



「なんじゃあ?! 番傘じゃとぉ!」


与作の持ち寄った番傘に流石の権三も難色を示した。


銀病を治すきっかけに、番傘が為るとは到底思えないからである。


薬や丸薬ならまだしも、番傘である。


権三が眉をしかめるのも仕方がないといえた。



「お鶴が一晩かけて作ったんだ。きっとなにかあるはず……桔梗に抱かせるか?」


「いや、悪いがの……お鶴が作ったって言っても番傘がなにかの役に立つとは思えん。とりあえず他の奴にしてくれや」


権三の言葉に頷いた与作は、他の娘たちを見渡すと一番年の若い娘、椿に番傘を抱かせた。


(しかし……お鶴はなんで傘なんて。俺はお前さんを信じておるが、番傘でどうやって銀病がよくなるのか……)



イメージがつかないといった様子の与作は、番傘を抱かせた椿をただ見詰めた。


「だがなにもしなければ、ただみんな死ぬだけだ。馬鹿げていても俺にはお鶴を信じてやることしかできない」


そう言って与作は、布団からはみ出した椿の手を握る。


「どうか、どうかよくなってくれ……頼む」


与作の掌に、わずかに感触があった。


それは、ただ単に椿の手の感触……というわけではなく、手の中で椿の手が動いた気がしたのだ。



「椿? ……おい、椿」


今のは何かの間違いだったのかもしれない、と与作は椿に呼びかけてみた。もしも、彼女が動いたとするならば、銀病から回復している可能性が高かったからだ。


なぜならば、銀病にかかった人間は、ぴくりとも動かないまま、死に至ってきた。特別な例は一度もない。


とん、


与作の手の中、手の平の腹を中指か人差し指が叩く感触。


「お、おい! 権三! 動いた……っ! 動いたぞ、椿が動いたぞぉ!」


興奮した与作が桔梗の顔を拭いている権三に叫び、権三もまた目を見開いた。


「なんじゃと!?」


権三は椿に駆け寄り、顔を覗き込む。


すると、与作と権三が見ている前で椿の顔に纏わりついていた白い羽根がボロボロと落ちてゆく。


「ちょ、ちょっと貸せぇや!」


その様子に慌てた権三が椿から番傘を取ると、桔梗に抱かせる。


「な……なにも起こらんぞ」


番傘を抱かせた桔梗にはなんの変化も見られない。


だが、一度番傘を手放している椿はみるみる内に回復していっている。



「よ、与作ぅ! お、お鶴は……次の奴はいつじゃあ!」


「わからんよ! しかしこの番傘を作り終えるまでに一昼夜を超えていた……」


「なら明日の朝かえ!?」


与作は曖昧なジェスチャーで、『多分』と表現した。権三は番傘を椿に返すと桔梗の顔に近づき、「頑張れよ桔梗! あと一晩したら次の……魔具、魔具はおめぇにやるからよ!」


と必死の表情で囁きかけた。


お鶴は翌日の朝、【キセル】を作った。そのキセルを桔梗に抱かせ、桔梗は椿同様に生体反応を示し、即ち回復の兆しを見せたのだ。


更に翌日、お鶴は【帯】、その翌日には【扇】を作った。


銀病に侵された六人のうち、もれなくこの魔具によって回復を辿り、僅かに生き残った権三や与作たちを驚かせたのだった。



だが、魔具を作り上げる度に、お鶴の体力は目に視えて衰えていっている。そのことを知るのは、与作だけだ。


与作は、権三や他の村人にそれを相談したが、だからといって、お鶴に頼らざるを得ない状況に、休ませてやれとも言えない。


お鶴が自らの体力を削って作り上げる魔具。


お鶴が魔具を作り上げて部屋から出てくる度に、与作はねぎらいの言葉と、体を気遣う言葉をかけるが決まって彼女は「大丈夫です。あともう少し、私にやらせてください……」と、お腹をさすっては「さくらと一緒に頑張りますから」というのだった。



「お鶴……、俺はお前が一番の宝だ。頼むから無理だけはしてくれるな。さくらもお前さんも、絶対に失いたくない」


与作の言葉を聞いたお鶴は嬉しそうに笑い、一度噛み締めるようにゆっくりと、しかし力強く頷く。


「あと三つ、もうひと頑張りです。どうか信じて待っていてください」


葵村に起こる奇跡は、日を重ねて増えてゆく。


【下駄】が出来、次に【かんざし】が出来上がった。


やせ細り、白い肌より一層真っ白になっているお鶴に与作は心底心配し、様々な言葉をかける。


「大丈夫です。与作さん……」


だが相変わらずお鶴は与作にそう言うのみであった。あと一晩だけの辛抱ですから……。そういって笑うお鶴の笑顔に、与作は彼女の手を掴み、外へ誘った。


「よ、与作さん……!」


「お前さんに見せたいものがあるんだ」


ふらふらと足元がをよろめかせるお鶴を、与作は抱き抱え、外に出た。


村は壊滅状態なのは変わらないが、確かに人の息遣いと息吹を感じられた。



復興……とまではいかないが、少しずつ日々の人々の生活が回復しつつある……。その光景にお鶴は心を撃たれ、思わず柔らかい表情になる。


「すごい……人とは、生きる力に満ちたものなのですね」


「なにを今更。だがな、村がこんなに生き返ろうとしてるのは、お前さんのおかげだ。お鶴」


「そんな、私など……」


お鶴が謙遜の言葉を言いつつ、幸せそうな顔で村を見ながら言葉の尻尾を切った。



「ここだ。お鶴、見てみな」


抱き抱えたお鶴をゆっくりと下すと、与作は得意げな顔で一本の桜を指差した。


「……綺麗」


ぽつん、と立った一本の桜は、満開とは言えないものの綺麗に花をつけていた。健気に寒さにも負けず、花をつけた桜の木。


お鶴は、その桜に瞳を奪われ、真っ白だった頬を桜と同じ色にさせて笑う。



「昨日、畑仕事をしている時に見つけた。どうしてもな、これをお前さんに見せたくて……」


「ありがとう。与作さん……、ありがとう」


与作は照れ臭そうに笑うと、お鶴の肩を抱いた。


「共に生きていこう。小さな村だが、お前さんのおかげでもう一度、蘇ることができるはずだ。家族三人で、な」



幸せそうな桜色の表情でお鶴は桜を見詰めていたが、与作の言葉には頷かなった。





――そして、運命の夜が訪れた。



「ゆ、雪じゃあ! 雪が……!」


血相を変えた権三が村中を走り回りながら叫んだ。当然、与作の耳にもそれは入り、即座に小窓から外を確認する。


黒い光。


夜の闇の中で、黒い光が差すというアンバランスな状況。闇の中で光る【黒いそれ】を見た与作は、即座にあの悪夢の日を思い出した。


「た、大変だ……!」


奥の部屋に駆けると、部屋の中にいるお鶴に与作は叫んだ。


「お鶴! またあのバケモノだ! どこかに逃げよう!」


毎夜奏でる妙な音を一旦止め、お鶴は部屋越しに「バケモノ……」と呟いた。


「そうだ! この状況じゃ全滅は免れん、だから出来るだけ遠くに……」


そう言って部屋の戸を開けようとする与作に「ダメです!」とお鶴は制した。


「な、なぜだ!」


「決して覗いては、見てはいけないと申したはずです……」


お鶴の言葉に与作は思わず耳を疑った。


確かに、決して覗くな、見るなと言われた。言われたが、今はそうも言っていられる状況ではない。


それを承知で言っているのだろうか。


少なくとも与作には、そんな余裕はない。このままじっとしていたら、間違いなくお鶴は死んでしまう。それだけは確かなのだ。


と、すれば救える……助かるのは今しかない。


「お前さんはもう充分に俺たちを救ってくれた! だから次は俺に救わせてくれ!」


「開けてはダメ! ダメです!」


お鶴が止める言葉に、与作は歯ぎしりをした。


『ここで私達の同胞の魔力が途絶えているのですが、ここに住む人間ども、なにかご存知ではありませんか?』


やけに丁寧な言葉で黒い光の主は言った。


静かな口調なのにも関わらず、村の誰もが聞こえる。叫んでいる訳でも荒い口調でもない、まるで囁くような声なのに、だ。



『もしも私という存在を畏れているのでしたら、お教え致しましょう。私はナハティガル、第三魔女のガルと申します。此度は、人間どもを回収しにきたのではありません。偉大なる大魔女が帰らない間は禁じられていますからね……。ですからご安心ください。

 きちんとした対応を頂ければ、命を取ることはありませんので、どうぞお話を聞かせてくださいませんでしょうか?』


「ガル……? そんな、まさか……」


部屋の奥で、お鶴が呟いた。


「お鶴! 行こう! 頼む!」


「まだです……まだお待ちください」


「待ってる内にあのよく喋るバケモノに殺されちまう!」


必死で訴えるも、お鶴は頑として部屋を開けてはならないというばかりだった。


だがやがて小窓からも分かるほどに、黒い光が村中を照らし、すぐにでも凄まじい力で村ごと消し去られるのではないかと、与作は噴き出した嫌な汗を拭うこともできない。


『やれやれ……困りましたね。私は命の安全は保障すると言っているつもりなのですが。不本意ではありますが、私が本気であると同時に絶対であると理解して頂かないとならないようです』


また耳元で声が聞こえた。


与作は両耳を手で塞ぐが、それも虚しく鮮明に聴こえるガルの声を呪うように呻く。



「ひ、ひゃあああ~!」



外から聞こえる男の悲鳴。聞き覚えのある声に与作は思わず声に出した。


「ご、権三!?」


『私の魔法で、一人の人間を家から取り出しました。私達は貴方がた人間の家屋内に入ることが出来ませんので、家を破壊するか……もしくはこのように一匹ずつ取り出すしかないのです。魔法を持たない人間を不憫に思っていましたが、このような制約を鑑みた際に私どもも余り変わらないのかもしれませんね』


丁寧な口調ではあるが、そこには人らしい感情は一切入っていなかった。


まるで、昆虫が話しているような印象を誰もに植え付ける。


「ひぃい……桔梗ぉ~……桔梗ぉ~……!」


権三の悲痛な悲鳴。なにも出来ない自分を呪いながら与作は必死にお鶴を呼びかけた。


「お鶴! 権三が捕まった! 次は俺かも知れない、もしかしたらお前さんかも……! 頼むよお鶴、出てきてくれ!」


「できません……。与作さん、私に構わず与作さんだけでも逃げてください」


「そんなことできっかよ!」


与作が叫んだとほぼ同時に、ぶちぶちぶち、という肉が裂けるような嫌な音が空から木霊した。


直後、どんっとなにか重いものが与作の家の屋根を叩き、そのまま転がって落ちた。


丁度、それは小窓の外に落ちたようだったので与作はなにが落ちたのかと、確認しにいく。


「わあっ!」


地面に落ちていたのは、人間の腕。


そして、血が雨のように降り注いで、村を紅く染めていた。


『人間一匹の血液の量は中々馬鹿になりませんね。さぁ、出てこなければもう一匹……次は雌で検証してみましょうか』




「お鶴!」


たまらず与作は部屋の戸を勢いよく開けてしまった。


「……お鶴?」


部屋の中は無数の白い羽根が舞う、まるで別世界のようだった。


見たことのない、機械と綺麗な曲線を描く道具。


その中心に、いたのは与作の知るお鶴ではなかった。



「……見てしまいましたね」



お鶴ではない……どころか、それは人間ですらない。


一匹の鳥。――鶴だ。


鶴の表情など分かるはずもないが、その顔は辛そうで悲しそうだった。


「まさ、か……、お前さん……お鶴なのか」


「ごめんなさい。与作さん……。私は、人間ではありません」



与作は膝から崩れ、目で見えるものを無表情で見つめていた。


「完全ではありませんが、なんとか【金の魔法陣】を張ることが出来ました。6つの魔具でナハティガルと戦う力も。私にできるのはここまでです……。与作さん、ごめんなさい。私は貴方を騙すつもりではなかったの。貴方の優しさと温かさを本当に愛してしまった」


鶴の姿をしたお鶴は、話を続けるが与作は放心状態のままだ。



「私が生きている間は、金の魔法陣によって世界は護られるはずです。ですが、唯一この日本だけは最後の魔法陣が間に合わなかった……。貴方と貴方の愛したこの国を……」



『では次の人間を……』


ガルが次の村人を殺そうと、サーチする。


お鶴の正体を見てしまった与作は、ガルの言葉も耳に入らず口をパクパクとさせるのみで、その場から動けずにいた。


お鶴は鶴の姿のまま、与作を横切ってゆくと一言こう残し、外へと向かっていく。


「与作さん、いままでありがとう」


『さきほどは雄を殺しましたから、お次は雌がいいかもしれませんね』


ガルは変わらず、抑揚などない淡々とした機械的な口調で繰り返し、村人の恐怖心を扇ぐ。


そんな中で、与作は出ていこうとするお鶴を後ろから抱きしめていた。



「与作……さん」


鶴の姿のお鶴は、涙声で言った。


「すまない、お鶴。少しばかり驚いてしまって。お前さんは俺の女房だっていうのに、ボケッとしちまって。お前さんが何者でも、どんな姿でもいいんだ。ここにいてくれ……お鶴」


「与作さん」


お鶴は笑った。幸せそうに笑った。


「このお腹の子……さくらは、恐ろしいほどの魔力を持ち、そして人間の持つ思いやりも持つ、運命の子になるでしょう。この子は私が絶対に守ります。ですが……」


「俺が覗いてしまったから」


「……ごめんなさい。もっと早くに自分の正体を与作さんに話すことが出来ていれば、こんなことにはならなかったのに。

 私達ナハティガルは、この姿を人間に見られると全ての魔力を失い、等級の低い下級ナハティガルなら魔力だけでなく命も落とすでしょう。魔力を無くすということは、もう人間の姿を保てないことを意味します。私は、ナハティガルで次の王位に就く大魔女……」


「今出ていったら、お前さんに魔力がないとあのバケモノに気付かれてしまうのだな」


「……はい。そうなれば、いえ……なんでもありません」


お鶴の言いかけたこと。それを言葉の調子で読み取った与作は、「お前さんは、奴らの世界で居場所を無くすというわけか」と言い、お鶴は無言で頷いた。


「どうすればいい?」


与作は尋ねた。お鶴は、話そうとはしない。


「私が出ていけば、もう誰も死ななくて済みます」


「あるんだろう? 魔力を取り戻す方法が」


「…………ありません」


それが嘘であると、与作は気付いていた。


そして、その嘘の正体がもっともお鶴を苦しめていることも。



「よく聞け、お鶴。俺があのバケモノに怖れていたのは、自分が殺されるのが嫌だったんだ。訳の分からないもんにいきなり殺されるのは絶対に嫌だ。

 だがな、家族のためならば俺はいつだって死ねる。お前と、これから生まれる【さくら】のためなら」


お鶴の瞳から、次から次へと涙が溢れだし、それは止めようとすればするほど、溢れる。


「私には出来ません……私には」


「分かってほしい。俺にはお前さんとさくらが死んじまうほうが、死ぬことよりよっぽど辛い」


「う、うう……」


嗚咽が与作の家全体を揺らしているかと思うほど、外の緊張感と、この中との温度差は対極的であった。


それでも、この空間の時が止まってしまったかのように、ただお鶴の嗚咽と、お鶴の頭を撫でる与作のあふれ出る温もりでいっぱいになっていた。


「お前さんらが死んでしまったら、俺もどうせ自分で死んじまう。だから、俺の命を無価値なもんにしないでほしい」


与作は分かっていた。先の魔法少女が人間のことを【食糧】と言っていたこと。そして、【大魔女が帰ってこなければ無断でそれを食せない】と。


つまり……、お鶴が今、【食糧】を食せば魔力を取り戻せるのでは、と。


他の魔法少女ならば、一度鳥化した姿を目撃された時点で、魔力を取り戻すことなど不可能だ。


だが、それには二つの例外がある。


一つは、鳥化を無効化できる魔法薬を飲むこと。


もう一つは、大魔女クラスに限っては鳥化状態で人間を喰らえば、微力ではあるものの魔法力が取り戻すことが出来る……というもの。



つまり、与作が自身から提案したのは……。



「頭からパクっとやってくれ。お鶴、幸せをな……ありがとうな」


――それが与作の最期の言葉となった。


黒い魔法陣を複数浮かべ、ガルは無表情で村中を見渡し、自分の宣言に対してなんの動きも無さそうな様子に、魔法による大攻撃に移ろうとした時。


「およしなさい。ガル」


お鶴の声がそれを止めた。


「その御声はまさか……」


ガルはその声がお鶴のものであるとすぐに悟ったが、こんな辺鄙な村に自らが探す大魔女がいるはずがないと目を疑った。


「私の命に逆らおうはずは、ありませんね?」


それは、目の錯覚でも幻聴でもなく、間違いなく大魔女クレインのものだ。


「大魔女! なぜこのような場所に貴方が! 私たちがここまでどれほど飢えていたか、ご存知でないはず……」


「それ以上言うでありません」


強い眼差しでガルを刺すと、ガルはそれ以上は言わず「承知致しました」と魔法陣を消した。


ガルは気付かなかった。


お鶴の瞳が、激しく泣いた跡に為る赤い瞳であったことを。そして、与作の家からは誰の姿も無くなってしまったことを。


しかし、ガルはそれには気付きはしなかったものの、お鶴に於けるもう一つの変化には気付いた。


「大魔女クレイン……。なぜそんなにも魔力が弱いのですか」


「一時的なものです」


その解答に納得できたようには見えないガルの無表情さは、更に凍りつくようにお鶴を刺した。


「一つ、実験を行っていました」


「……実験?」


「ええ、人間と同じものを食し、人間を喰らわずにどこまで我々ナハティガルは生き永らえるものか。いずれ我らは人間を喰い尽くし、その後残ったこの世界をどう生きればいいのか。そう思っていました」


「なるほど。興味深いですね」


ガルは腕を組みそう言うと「ですがそれを我々下位のナハティガルに一切告げずに至ったのはなぜでしょう?」、そのように尋ねる。


「私は大魔女クレイン。そのように一言でも言えば、私を一人でいかせましたか?」


ふむ、とガルは小さく相槌を打つ。しかしすぐにお鶴を見詰め、ゆっくりと地上に降りながら言った。


「理由と理屈は理解致しました。そのような姿も人間どもと同じ生活をしたから弱まった魔法力ということも。ですが、人間の世界に降りたち、この世界を調査するという責務があり、貴方は旅立ったはず。

その実験は今でなくとも良かったのでは」


これは疑いではなく、ガルの単純な疑問であった。お鶴の言っていることも理解した上で、何故それを今やらねばならなかったのか。それを聞いたのだ。


「餌場を見つけた際、私達ナハティガルはその地に永く滞在します。【餌を喰い尽くすまで】

 ですがその世界がどれほど私達との相性がいいのか調べなくてはならない……。そのために、最初に世界を見て調べるのが、大魔力を持つ大魔女の務め。ですが、その務めを一度終えてしまえばもう二度とこの世界に直接来ることはなくなる。

 そうなれば、私は人間というものを観察できなくなります。それゆえ、貴方がた下位のナハティガルには申し訳ありませんが、此度独断での実験に及びました。

 悪いことをしましたね、ガル」


最後に謝罪を含めたお鶴の言葉にガルは思わず「いえ……」と返事をした。


「それならば、もう充分にお調べになられたでしょう」


「そうですね……」


お鶴は自分が初めて来たときと、すっかり風景が変わってしまった村を見渡した。


(与作さん……)


与作との思い出。葵村との思い出。


いくつもの思いがお鶴を駆け巡り、色々な感情が込み上げた。


『お前さんと俺は、ずっとずっと一緒だ』


風に乗って、与作の声が聞こえた気がした。


「では、僅か6体しか反応がありませんが、人間を持ち帰りましょう」


ガルが餌として人間を持ち帰ろうと言ったのを、お鶴は制した。


「クレイン……なにを?」


「実験、と言ったはずです。私が人間と同じ暮らしができるかどうかの実験だけを本当にしていたとでも思っているのですか?」


お鶴の言葉に、頭のいいガルは考えを巡らせると、お鶴のいいたいことを理解した。


「わざと、残している……と?」


「ええ。人間の内部にプルンネーヴェの種を植え、プルンネーヴェを降らせなくとも人間を羽根化させられるように」


「どうやら私は貴方を見くびっていたようですね。大魔女クレイン。……分かりました、ではこのまま残して今日は帰りましょう。さぁ、どうぞクレイン」


大きな魔法陣の扉を出現させたガルは、その向こうにお鶴を促した。


「ひとつ」


お鶴が扉をくぐる寸前で、ガルは言った。


「ひとつだけ分からないことがあります」


「……」


「貴方の実験だというのは理解できました。ですが、なぜ貴方はプルンネーヴェの影響下でないこの世界で、こんなにも長時間生き永らえたのですか」


お鶴は魔法で外見を眩ました自らのお腹を一瞬、見た。


(さくら……)


人間との間に身籠った子供。


これを体内に宿しているから、お鶴はこの世界の耐性がついていたのだ。


当然、それをガルが知るわけはない。


大魔女は、他のナハティガルを圧倒するほどの魔力を持つ存在。


耐性のない世界に於いてもしばらくは生きていけるほどの力を持つ。だがそれは永遠ではない。


世界によって差はあるものの、ほかのナハティガルよりも永く耐えられるが、必ず一定の期間で死に至るのだ。


それが死に至っていないことに、ガルは疑問を覚えた。


「魔力……」


「魔力?」


「あなたも感じているでしょう。私の著しい魔力の低下を。これが答えです」


「なるほど……。確かに、死に至る前かと間違うほどに弱い魔力ですね。ですが……」


「ガル、貴方だけには告白しておきます。これは貴方以外の下位ナハティガルには決して口外無用です」


お鶴は、ガルにそう釘を刺すと自らを殺しかねない重要なことを言い放った。


先に言っておこう、これは彼女が咄嗟に吐いた嘘ではない。


「魔力が弱まっただけならば、城に帰ればいずれ癒えて戻ります。ですが、私がこの世界に長時間滞在したことで及ぼした影響……」


「まさか!」


「そう、これが私の限界魔力。これ以上はどれだけ癒そうとも強くなることはないでしょう」


「そんな……」


そう、これは真実だった。


鳥化し、魔力が無力化したお鶴は与作を喰うことで再び人化する程度の魔力を得た。だが、そこまでなのである。


最下層下位に属する魔法少女よりも、お鶴は魔力の弱い魔女となってしまったのだ。


「大魔女は寿命が訪れるまでは唯一無二の存在。魔力の強さは関係ありません。ですが、最下級の者よりも魔力がないと分かってしまえば、次の大魔女選出にも支障がでるでしょう。

 なぜ、これを貴方に話したか分かりますね……ガル」


お鶴は暗に『次の大魔女』というワードをちらつかせ、ガルをけん制した。


「承知いたしました。このことは決して誰にも口外しません」


この時のガルがどのように思ったのかはわからない。


わからないが、少なくとも彼女はもう一度お鶴を大魔女として受け入れるのだった。






最初に目を覚ましたのは、椿だった。


周りには5人、女性が横たわっているだけで、どういうわけか村には人の気配がしない。


「なにが……あったんだぁ? 確かあーしは、村に来たバケモンに……」


上半身を起こすと、しばらく寝たきりだったせいか、ギシギシと体が痛んだ。


「やあ、人間。いや、お前はもう人間とはちょっと違うかな?」


声がする。女性か男性か判別のつかない高い声だった。


「ど、どこだぁ!? 村の衆かぁ?」


あちこち見渡す椿のすぐ近くで聞こえる声の主を探すが、横たわる5人の女性以外に人影は見えない。


もしかして女性の誰かがしゃべっているのかと見つめてみるが、微動だにしない。


「ここだよここ」


もぞもぞと胸元に違和感を感じ、自らの着物を広げるとそこには見たこともない、ひよこのような生き物が椿を覗き込んでいた。


「ボクは遅松。クレインがおいらの命をこっちに移してくれたんダナ。へへ」


――それが、魔具とクレインの誕生の瞬間だった。





「そうしてボクは魔具となったんだな。唯一、『記憶のある魔具』として、ダナ」


 遅松は、つばきの太ももの上にちょこん、と座るとそう自分を解説した。


「記憶のある魔具……? ということは、あーしのほかにもあんたみたいなんを持ってるのんがおるっちゅうこと?」


「ダナ」


 つばきは遅松が語った昔話を聞いて、心に来るものはあったものの、どうも信憑性に欠けると思っていた。



 目の前で不思議に蠢く、この未知の生き物も充分不思議ではあるが、自分は母親から、父親から、誰からもそんなことは聞いていない。


 しかも、この遅松が話した話というのは、すごい話だとは思ったが、つばきが昔からよく知るとある話に酷似していたのだ。


 それは、鶴の恩返し。


 そう、昔から日本で語られるお伽噺である。



「鶴の恩返し……? なるほど、それはきっと葵村の与作とお鶴の話が、湾曲して伝わったのダナ」


「まさか、んなあほなこと……」


 つばきは苦笑いを浮かべるしかなかった。


「ともかく、お前はどうするんダナ。戦うのか、それとも戦わないのか」


「戦う? なんで今の話の流れでそんなことになんねん」


「お鶴が城に戻った後、魔法少女がこっちに来るようになったんダナ。お鶴に変わってそれらと戦ってきたのが、六鶴。つまりお前達ダナ」


「お前……《達》?」


 遅松は呆れたように尻餅をつき、短い腕を組みつばきを見上げる。


「状況が飲み込めなかったけど、ようやく分かったんダナ。どうやらここは葵町じゃないみたいダナ」


「ちょ、待ってや! あーしの他にもあんたみたいなん持ってる連中がおって、そんで……戦ってるってことなんか!?」


「さっきからそう言ってるつもりダナ。お前が葵町にいないということは、多分……今がきっと【約束の世代】なんだろうナ。ということは、鶴賀の先代が取った行動の理由も分かる。愚かとも思うけどナ。

 ほかの5人には持っていない選択肢をお前は持っているんダナ。ここで戦わずに死ぬか、それとも葵町で仲間と戦って死ぬか。どちらにせよ死ぬんダナ、要はどうやって死ぬかの問題ダナ」


【死】というおぞましいワードに思わず、つばきは息を呑んだ。だが、その細く凝縮してしまった喉から言葉をギリギリ、絞り出した。


「仲……間……?」


「六鶴の名を持つお前達が仲間と呼べるのは、5人しかいないんダナ。これは、宿命。宿命に逆らおうとしたという意味では、お前の母親もある意味で大胆ダナ」


つばきは震える下唇を押え、徐々に自分がどんな立場で、本来どこにいなければならないのか、分かりはじめてきた。


少なくとも、自分は大阪の地にいてはならない。それだけは確信に形づくり、つばきの心を堅く纏ってゆく。



「つばき!」



発狂したかと思うような、尖った叫び声。鎧をまといかけたつばきの心臓を貫くかと思うほど、それはあらゆる感情で研がれた声であった。


「おかん!?」



振り向いたつばきの目に、わなわなと震え持っていたバッグを床に落としたまま茫然としている、母が映る。


全てを悔やみ、全てが手遅れなのだと悟った母の瞳。


母は、つばきを見ていたのではなく、遅松を見つめていた。


「久しぶりダナ。すみれ」


「遅松……」



母すみれとお粗末は、見つめ合いそして、言葉無き会話を交わした。


「……やはり、お前が住む地を渡ったか。気持ちは分かるけど、大それたことをしたもんダナ。ボクを封印してまで、娘を戦わせたくなかったというわけダナ」


「なぜ……なぜなの……」



床に吸いつくように、ぺたり、とすみれは膝をつき、その場にへたり込んだ。


「運命だと諦めるんダナ、すみれ。六鶴の絆と縁がたかだか葵村から出たくらいで切れるわけがないだろう。それがこうやって証明されたナ」


遅松が話している途中で、つばきは肩を落としているすみれに近寄り、その肩を揺する。


「おかん! なんでなん、なんであーしだけ……」


つばきはそこまで言うと、次の言葉を詰まらせた。


なんと声をかければ、なんと続ければ、なにを言っても母をさらに追い詰めてしまいそうで、つばきは黙ってしまう。


その沈黙を破ったのは、意外にもすみれであった。



「鶴賀の魔具はね、唯一全てを【記憶】している魔具。葵村で最初に殺された犬の遅松の魂を落とし込んだのがその理由。だから、鶴賀の一族はほかのクレインよりも、知ってしまうのよ。約束の世代になにが起こるのか、魔具が存在する理由も……」


すみれはそう言うと、少し顔を上げつばきに向け「聞いてしまったのね?」と尋ね、つばきは少し間を空けてゆっくりと一度、肯いた。


「……そう。けど、つばき。貴方は葵町へは行かせない! 貴方を魔法少女との戦いに巻き込むわけにいかないわ!」


つばきが肩にかけた手を掴み、すみれは我が娘を力一杯に抱き締め、涙声で叫んだ。


「絶対に、行かせない。行かないわよね? つばき」


「おかん……」


つばきが感じていた違和感の正体。


それこそが、自分の使命と自分が何者であるかという答え。


つばきは、クレインというものは知らない。知らないが、きっと細胞レベルで知っていたのだ。待って、いたのだ……。


だが、彼女は知らない。


葵町で戦う仲間の事も、魔法のことも、クレインとしての自分のことも。



「おかん、あーしに全部話してぇや。あーしは、全部受け入れて、そしてそれから決めたい。

 あーしはな、ずっと自分が何者なんか……ざっくりやけど、気になっとってん。なんかようわからんけど、いつもそわそわして……落ち着かへん。その理由が多分、ここにある。おかん、あーしのことを想ってくれてたって分かった。分かったけど、あーしはあーしが何者なんか、そんでなにをすべきか知りたいねん!」


力強く話すつばきの顔を見て、すみれは一筋の涙を流し、「やっぱり鶴賀の子なのね」と呟いた。


「わかったわ、話してあげる……全て」


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