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13 七鶴




桜の木が揺れ、春風がぬるく少女たちの頬を撫でた。


季節のことでいうのなら、こんな温かい春の日に雪など降るはずもない。



だが彼女らは知っていた。



もうすぐ、猛吹雪がやってくると。この桜さえすべて散らしてしまうほどの、激しい雪が。


それでも信じているものがある。


散らないさくらだってあるのだということを。


「……行こう、みんな」


散らないさくらは一歩、歩みを踏みしめさらにもう一歩進むごとに、誰よりも信じている仲間たちが続いた。


ここにいない仲間の魂、信念も連れて共に戦う。


憎らしいほどに晴れ渡った空と柔らかく世界をつつむ日差し。


5人……いや、7人の少女は今、戦士になろうとしていた。


ゆっくりと空を包む大きな魔法陣。


見たこともないほどの大きさだった。


「鴇兄ちゃん、さくらと一緒に戦って」


さくらの肩に乗った鴇は「だから俺は兄ではない」と言って、少女たちの見上げる空を見つめた。


「俺は一度死んでいる。今の俺はお前と共にある、ずっと一緒だ」


「うっしし! ひゃくにんりきぃ~!」



「ひま、ふじ……ごめんさ。おたくらに断りもなしに憎いこの力を使うことを。おたくらを悲しませた罪は全部、うちが……」


「ぼたんさん、それをいうのなら『わたくしたちが』……ですわ」


ききょうがぼたんに口を挟み、ぼたんは両肩の仲間たちを見た。


きくもつばきもさくらも強くうなずき、鴇は「これが終わったらもいっかい死んでやる」と言った。


ぼたんが笑うことは珍しいことだ。だが彼女はうれしそうに笑うと、直後に申し訳なさそうにも笑った。



「そうさね……。おたくらを悲しませた罪は、全部うちらが背負う。その代り」


少女たちは空を睨み付けた。そして魔法陣全体から強風を巻き起こしながら降る雪に向かって、誓うように言う。



「きっちりこの世界は救ってみせるさ!」



強烈な風と雪、それに巻き込まれるように桜の花びらが狂ったように吹き荒んだ。


真っ白い銀雪と淡い桜色が入り交じり、世界はアンバランスなほど美しいグラデーションを織り成した。


普段降る銀雪よりもとてつもない速さで、彼女らの視界はみるみるうちに白く淡く変貌してゆく。


まさに雪国の景色と言っていいだろう。


こんなにも吹雪いているのに寒さよりも春風の暖かさを感じるのもおかしな話だが、それよりもこの暖かさの中で感じる凄まじい悪寒が彼女たちの震えを誘った。


「ありゃぁ……おいでなすったって感じすなぁ……」


きくが空を見つめながらつぶやいた。


こんなにも視界を制限するような激しい雪の中でも、目を凝らさずともわかる凶悪な存在感。



――大魔女ガルの降臨である。




「ごきげんよう。クレインのみなさま」


黒と紫のドレス。つばの大きな帽子。真っ白な肌と青、赤、銀に変化し続ける瞳。


彼女の傍らに立つカナリーは、コミカルなステッキを片手に笑みを浮かべていた。


さらに彼女らの周りには蝙蝠の羽根を持つ無数の鳥たちが取り囲んでいる。


「我がナハティガルの歴史に残るであろうこの戦いに、すべての魔力を捧げ鳥化してしまった同胞たちに再び私が戦えるだけの魔力を与えました。

 彼女らは貴方たちクレインに一矢報いるためだけに存在し、この戦いで勝利したとしても彼女らは城に帰る力はありません。……お分かりですか? 彼らは死を賭してここに戦いにきたのです。この高貴であり崇高な志を果たして貴殿ら愚かな人間たちに理解ができましょうか」


大魔女ガルの言葉に蝙蝠たちは歓声をあげ、ガルを称えた。


「ぶわぁ~か! さくらたちはわざわざ死にに来てないもん! 大好きな人間……友達を守るって約束のためにここにいるんだもん! お前たちナハティガルになんか絶対負けないんだからぁ! ね、鴇兄ちゃん」


うむ、と一言だけ答えた鴇はさくらの肩から睨んだ。


「あれはナナシしゅ! やはり人間め、寝返ったしゅね!」


カナリーが怒気を孕んだ声色で叫ぶのを制止するように、ガルはパチパチと手をたたき拍手をしてみせた。


「ガル……?」


「ナナシ、貴方はついに自我を持ったのですね。おもちゃの体におもちゃの魂を入れただけの存在がよくそこまで昇華したものです。素直に祝ってさしあげましょう」


「悪いな、俺はもう《名無し》じゃあない」


鴇の言葉にガルは口元の笑みで返した。


「そうですか。ではこれ以上貴方を呼ぶことは控えましょう。愚かな傀儡さん」


「そろそろ頃合いやで! みんな、変身や!」


つばきの一声でクレイン達は構えた。そして声を重ねて高らかに言うのだ。



『百花繚乱!』



鴇が桜色の刀に姿を変え、それを握るさくらはガルを睨み付け、「ぜんぶぜんぶ、終わりにしちゃうから!」と強い意志を含み宣言した。



真っ白い雪景色の中で、最後の闘いが始まろうとしていた。


「こない見たら敵さんえらい多いな」


「さくらさん、正直なところいかがでしょう。あの魔女は」


余裕を見せているのか、それとも様子をうかがっているのか、ガルはすぐに攻撃を始めるではなく、クレイン達を見下ろしている。


それが気になったききょうがさくらに尋ねるとさくらは笑った。


「さくらさん……」


「わかんない!」


ききょう含め、ききょうとのやりとりを聞いていたほかのクレインたちもずこーーっとこけた。


「わ、わかんないっておたく……」


「笑ってる場合じゃないのに笑っちゃうじゃないっすかぁ~!」


「ほんまに関西人もびっくりするボケっぷりやな!」


各々がさくらの自信満々で宣言したわからない発言に反応する中、鴇だけがいつものトーンで語った。


「そうだな。わからない……が正しい。たださくらがこの魔具刀を手にしたことで少なくとも『前よりも勝てる見込みは増えた』と思ったほうがいい」


「うん! 鴇兄ちゃん!」


鴇の言葉に勇気づけられたのか、それとも気を取り直しただけか、クレイン達は無言でうなずく。


ガルとクレイン達、互いに睨み合う時間が続き、しびれを切らしたカナリーがガルに話しかけた。


「なにをしてるんしゅ大魔女ガル! 大量の魔力でカナリーたちの魔力に干渉せずプルンネーヴェを降らせているからといって、これは無限ではないしゅ! さっさと奴らを殺すにこしたことはないっしゅ!」


ガルは相変わらず表情も態度も何一つ動かさず、変えず、興奮気味に捲し立てるカナリーに答える。


「今はその時ではありません。どこで隙を突かれるかわかりませんので」


「隙? やつらは揃っていしゅしゅ! 一体誰に隙を突かれると……」


その時、なんの変化もないガルの瞳に微かな動きがあった。


「まさか……」


そう漏らしたのはガルではなく、カナリーの方だった。彼女にとってこの展開は予想しておらず、つい漏らした言葉に思わず自らの口を押える。


「まったく……人間というものは、計り知れない生き物です。もとより理解をするつもりはありませんが、ここまで予想外の行動を見させられると考えざるを得ませんね」


ガルとカナリーが見つめる先にあるものを、クレイン達はまだ誰も気づいていなかった。



「……それにしても不気味やな。こっちも敵さんの出方うかがっとんのに、向こうは向こうでなんもしてこーへんし」


「このまま帰ってくれればい~んすけどねぇ」


相手に動きがないことで動けないのクレイン達は、このまま後攻のスタンスでいくべきなのか迷った。


その迷いを与えるほどの時間が彼女らの間に流れていた。町に降り積もった銀雪がそれを物語っている。



「一体、何を見ているんさ」



異様とも思えるほどの静けさの中で、突然さくらの肩が震え、キョロキョロとあたりを見渡し始めた。


その姿にこの状況で敵から目を逸らすどころか関係のないことを行動をするさくらにクレイン達はなにか声をかけようとしたその時だ。


「みんな!」



さくらを除く、ぼたん、ききょう、きく、つばきはその声がさくらのものではないことに気付き、そして同時に誰の声であるかも悟った。


だが今この場でそれが聞けるはずもないと誰もが幻聴だと疑う。


「みんなぁ!」


だが幻聴だと疑ったその声は再び彼女らを呼んだ。



「……やれやれ、わざわざ全員揃うのを待ってやしゅとは」


呆れたようにカナリーがつぶやく言葉。


ガルはカナリーの言葉に反論せず、ただじっとそれを見つめた。



5人のクレイン達の前に現れたのは、ふじとひまわりだった。


顔色も悪くやつれていて、恐怖なのか不安なのか、それとも武者震いなのか、ふたりとも足を震わせていたが、瞳にはもう負を背負っている様子は見えない。


その顔は、これから戦うのだと決意がにじみ出ている。


クレイン達はふたりが駆け付けたことに喜びはあったが、戸惑いもあった。


理由のひとつは、玉木や朔のことだ。



「ひまちん……」


複雑な表情で駆け付けたひまわりの名を呼びかけるきく。


きくはひまわりとふじをもう戦いに戻したくないと強く唱えたひとりだ。


それだけに彼女らが駆け付けたことには複雑な心情だった。


きくがふたりについてそのようにしたことは知らずとも、ひまわりはそんなきくの顔を見ると力なくともいつもの笑顔を見せた。


「大丈夫、きくちゃん。私にも戦わせて?」


「ひまちん……ひまち~ん!」



子供のように泣きじゃくったのはきくの方だった。もう二度とみられないかもしれないと思ったひまわりの笑顔に涙をこらえきれなかったのだ。



「ふじ……」


ふじの名を呼びかけたのはぼたんだ。後ろにはききょうも不安げに見つめている。


「心配だったろ? あたしもここに立ててるのが不思議なくらい。でも……」


ふじはそこまでいうと小指に結んだ赤いなにかを見た。それはゴムのようななにかだった。


「病むのは全部終わってからにしようって思っただけさ。ここで死んだら朔との思い出を思い出すこともできねーし、それに」


ふじの言葉に誰も口を挟まず、じっと聞いた。


空には魔法少女が自分たちを見ているというのに、まるで時を止めたようにふじを見つめていた。


「朔は『ふじの戦いは、僕の戦いだ』って言って戦って死んだ。だったら……朔の戦いもあたしの戦いなんだ! 決着つけないと、朔は絶対あたしのこと許してくんないから!」


ふじの瞳には強い覚悟と意志が誰の目にも見てとれた。その瞳にはもう涙はない。


「それにあたしにはあんたら仲間がいる。あたしには……【朔】と、仲間が!」


そう強く発するとチョロ松を構えた。構える指に見える赤いゴムは、少女が自分を救ってくれた朔にとふじに渡した風船だった。


「玉木くんは私になにかを伝えようとしてた。それがなんだったかわからないけど、玉木くんが伝えたいなにかを聞けないまま玉木くんは死んじゃった。それは私もおんなじだったんだ……。

 私も玉木くんに伝えたい想いがあって、それを言えないまま、伝えられないまま……。だからね、私は決めたんだ。【大切な人に大切な想いを伝えられないような世界】は絶対にここで終わらせるんだって!

 私や玉木くんの家族、友達が味わったこの悲しみは、私がここで終わらせるんだ! そして、私はちゃんと玉木くんが死んだことを悲しみたい。ちゃんと、玉木くんがいなくなったことを後悔したいんだ!

 だからもうだれひとり殺させない! 私が……」


ひまわりが「私が……」と言ったところで彼女の両肩にふじときくが手を乗せた。


「うん、……私《達》が!」


『百花繚乱!』


ふじとひまわりが変身し、ついに七鶴がすべて揃った。


決戦の日、――約束の日にすべての鶴がここに揃い、魔法少女の脅威と人間のために集ったのだ。



「うっしし! さくらはわかってたもんね! ふじとひまわりは絶対に来るって!」


「調子のいいやつさね……。誰よりもブチギレてたくせに」


ぼたんの言葉にふじとひまわりを除くクレイン達がハッと鴇に注目した。


「……最後に責任はとるさ」


彼女らの視線に察したのか、鴇はすべて終わった後のケジメともとれる言葉を言った。


「あのね、ひまちん……ふじりん……」


きくが鴇のことを話そうとしたとき、それをふじが制止する。


「なんか色々あったんだろうけどそれも全部終わったあとに聞く。だからちゃんと本気で戦って、全員生き残ったうえで聞かせて。……鴇、だっけ」


刀の形状に変化している鴇の表情はわからないが、ふじの言葉はよほど意外だったらしく、すぐに返事を返せない様子だった。


「うん、私たちは復讐しにきたわけでも、泣きに来たわけでもない。戦いを終わらせにきたんだ!」


ひまわりがそう言ってガルたちを睨んだとき、ようやく鴇は言葉を発することができた。


「強いのだな。俺よりもよほどに……」



「あのぉ~せっかくみなさん揃い踏みしたことやし……」


全員がガルらを睨み付ける中、少し気まずそうにつばきが口を挟んだ。


「なにさ、さすがに魔女たちが攻めてくる頃さね」


ぼたんが少しだけイラッとした様子でつばきに言うと、つばきはひとつ咳ばらいをすると開き直ったように腰に手を当てて大きな声でクレイン達に言う。



「これでクレインとして戦うのが最後になるかもしらんからな、《アレ》しよう《アレ》! こう見えてもめっちゃ練習したし、遅松にもちゃんと口上聞いたし!」


つばきの『口上』という言葉にピンと来たぼたんは、以前につばきがその行為に対して強い憧れの発言をしていたことを思い出した。


「ああ……《アレ》ね。恥ずいから気は乗らんけど、もしするにしてもさくらに口上がないさ」


ハッとしたつばきだったが、すぐにさくらの肩を叩くと「さくらはんはノリで!」と実に勝手なことを言った。


「ほえ?」


当然、なんのことかわからないさくらは首を傾げるが、そんなことには構わずつばきはガルらを睨んだ。


手に持った傘を体ごとぐるんと回し、自らの姿を隠すように傘を開くと開いた傘に弾かれるように、魔力で形成された深紅の雨がつばきの周りに降る。



「降る雨矢の如き、雷鳴の傘の下……」



開いた傘の軸を肩に乗せ、歌舞伎さながらに開いた手のひらを前に出し、細い瞳の奥から睨みを効かせた。



さんのクレイン・鶴賀 つばき!」




ぴょんぴょんと飛び跳ね、跳ねた後の地面が水面の波紋のように螺旋を描くと白・黄色・紫・橙の菊の花が咲く。


うさぎのように両手を頭に乗せにっこりと笑って見せると、髪に刺した簪を手に取り胸の前で交差させた。



「花の盛りを超え晩菊こそ本領、眼前立つ者針千本呑ます……」



交差させた腕を大きく開くと、屈むような前傾姿勢になりまるでネコ科の獣が威嚇するような体勢をとる。



「針のクレイン・下鶴 きく!」




巨大なキセルを軽々しく、まるでバトントワレのように鮮やかに左腕から首、首から右腕へと回転させびたりと静止させる。


止まったキセルの口が丁度ききょうの口元にあり、それを一度深く吸ったききょうは勢いよく煙を吐いた。



「紫艶の星は瞬く刻を問わず……」



吐いた煙が青くぼんやりと光り、ききょうの髪に飾った星形(桔梗の形)の髪飾りに吸い込まれると全身を青く薄く輝かせ、足を組むようなモデル立ちをする。



「煙のクレイン・鶴野 ききょう!」




空を裂くように鋭い音を奏で、ふたつに踊る長い髪を振り乱して宙返りをし、ダンッと高い下駄でしっかりと着地をする。


ツインテールの頭を大きく後ろに振って整えると、新体操選手のように片足を高く垂直に持ち上げ、ゆっくり降ろした。



「鈴鳴の紅燕、下駄にて参上……」



羽根の付いた高下駄をカンカン、と二度鳴らすとエンジ色の風が吹き、膝を上げ一本足で立つ。



「飛のクレイン・大鶴 ぼたん」



ババッ……とこちらも激しい音を鳴らし、顔よりも大きな扇子を開き舞子のように華麗にその場で舞ってみせる。


その舞いに合わせるように藤色の花びらが舞い上がりながらふじの周りを踊った。



「舞うは蒼獅の如き旋風……」



ゆらゆらと舞い上がっていた藤の花びらが扇子の一振りで垂直に掃け、後ろ手に扇子を構え片方の手の甲を頬にピタリとつける。



せんのクレイン・鶴丸 ふじ!」




太くて強そうな向日葵の茎に巻き付く帯の布。


それを強く引くとひまわりが回転しながら爛漫に咲く向日葵の足元へと着地した。



「太陽を吸い、影を裂く大輪の正義……」



地に片手の手のひらをつき、まばゆく黄色い光が頭上の向日葵から放出し種状になって弾けるとひまわりはしゃがみこんだまま顔だけをこちらに向ける。



「帯のクレイン・御鶴木 ひまわり!」




6人のそれを見てさくらは感動したように「おおーー!」と叫んだ。


そんなさくらにひまわりは、「次はさくらちゃんだよ」と笑う。


「えっ……さくら?」


きょとんしたさくらにふじが「トリは頼むぜ」と強いまなざしで笑った。



元々クレインは六鶴。存在するはずではなかった七人目のクレインのさくらに名乗り口上などあるはずがない。


だが、さくらはひまわりとふじの言葉に迷わなかった。



空手の正拳突きのように左手、右手と拳を前に撃つと大きく足を開き、天に一撃拳を放った。



「みんな元気! 毎日元気! おなか減った!」



さくらの口上に笑ってしまいそうになりながら、6人は次にさくらがなんというのかを待った。


さくらが一体、『〇のクレイン』というのか。さくらは自分をなんのクレインだと認識しているのか、注目していたのだ。


そして、さくらは6人と魔女たちのまえで高らかに名乗る。



「絆のクレイン! クレインさくら!」



6人のクレイン達は、さくらの口上を聞いて安心した。


さくらは間違いなく自分たちの仲間なのだ。そして、このさくらの口上で六鶴は本当の意味で【七鶴】になった瞬間でもあった。



「さあ、みんなー! ぶっ飛ばすよぉおおお!」


さくらの言葉にすかさずぼたんが抱きつき、ふじが扇子をぼたんの下駄の底目がけてフルスイングした。


「ぶっ飛び……」


フルスイングした扇子に合わせて、ぼたんは下駄の底で扇子を蹴る。


「スーパーさくらロケット!!」


「withぼたんストームさね!!」


ぼたんの下駄、ふじの扇子の力を借りたぶっ飛びさくらロケットは通常のそれよりも怒涛の突進とスピードで魔女らに襲い掛る。


ただでさえさくらロケットだけでも強烈な攻撃だというのに、さくらロケットに便乗したブレイクダンスのような蹴りの嵐をぼたんが見舞った。


「があああーっ!」

「うぎいぃいい!!」

「ぐまあああああ!」


蝙蝠化した魔法少女たちの群れを薙ぎ払い、空に咲く花火さながらに雑魚たちを派手に蹴散らす。


「合体技……なるほど、魔法だけではないということですか」


冷静さを崩さずガルは、一瞬にして塵と化してゆく仲間たちを破片の風を浴びながら静かに言った。


「いっくよぉおお!」


遥か上空にいたガル達の元へ一瞬で詰めたさくらたちの開戦狼煙と、ガルに向けて二撃目の攻撃態勢に入るさくら。


「跳ね返りさくらロケットォ!」


空中でぼたんの下駄の底を蹴り、ガルに向けて猛スピードで突っ込んでゆくさくらに対し、ガルは反応がついていかなかったのか、それとも知っていて敢えてなのか、首先すら動かすこともしなかった。


「王を狙うのにチェックメイトを宣言しないとは、やっぱりお前は愚かな人間しゅ!」


ガルが微動だにしなかった理由はこれだった。


カナリーがさくらの前に立ちはだかり、スティックで正面に円を描いた。


『マギ・ジュ』


鋼の大きな楯が出現し、さくらロケットを阻む。


「そんなでさくらは止まらないもーーん!」


さくらの宣言通り、カナリーの魔法で作った鋼の楯はいとも簡単にぶち抜かれた。


『……コンポジション』


「いっ!?」


カナリーが追加で唱えた呪文で、たった今さくらがぶち抜いた同じ鋼の楯が何枚も表れ、さくらロケットはそれをぶち抜くたびに勢いを殺され、やがて止められてしまった。


「お前たちカナリーたちを誰だと思ってしゅ? ナハティガルの最高戦力がここに集結してしゅんしゅ。そう簡単にキングは獲らせないしゅ」


しゅしゅしゅ、と笑いながらカナリーはステッキを頭上に高く上げた。


『マギ・グラス』


カナリーの詠唱で塵になったはずの蝙蝠たちが再び形を取り戻し、さくらを睨んだ。


「ちっ、簡単じゃないことくらい知ってたけど、こんなにも圧倒的なんてせこいさ。調子よく特攻したけど状況悪化したさね」


カン、と下駄を鳴らし鼻緒の鈴が鳴る。


甚三紅じんざもみ


ぼたんが下駄を鳴らす度に、彼女の分身が次々と現れ、魔女たちを囲んだ。


「そういうことでしたら是非ともわたくしも仲間に入れてほしいですわ」


どこからともなくききょうの声が響いたかと思うと、ききょうもまた分身魔法で数十の姿で現れた。


「わあ~……! ぼたんとききょうでいっぱい!」


さくらが瞳を輝かせていると、「感動してる場合じゃないぞ、魔女たちも今回は本気だ。気を付けろさくら」と鴇が言った。


「……うん!」



芥子からし


ひまわりの後ろ腰にある帯の結び目から幾多の帯が伸び、帯の先端はヤリのように尖っている。


それらをすべて魔女たちに向け、合図のように両手を前に突き出した。


「いっけぇえ!」


分身たちの間を縫うようにしてカナリーとガルに襲い掛かる帯の槍。


同時に実態を持つ分身たちが一斉に攻撃を重ねた。


カナリーは当然の如く、軽々とそれを防いだが周りにいた蝙蝠たちはひとたまりもなく再び塵になってゆく。


この一瞬の畳みかけにより、ほとんどの蝙蝠が撃破され空には銀雪吹き荒ぶ中にガルとカナリーだけになった。


「まっだまだいくっすよ~!」


きくが『藍白あいじろ』を詠い、幾千の細い簪の槍をミサイルの一斉掃射の如くカナリーらに放ち、きくの背後からふじが高く飛び上がった。


「オラァ! それで終いと思うな!」


きくの放った幾千の針に扇子を煽いでは、返し煽ぎをし、さらに煽ぎを繰り返しながら詠う。


新橋しんばしィ!』



簪の槍はふじの発生させた風により勢いを増し、さらに威力を増す。


これにはカナリーも防御の体制を強く持たざるを得なかった。


「小癪しゅ……!」


クレイン達の猛攻にステッキを振れないカナリーはやや苦しそうに呟いた。


「なにかお手伝いさしあげましょうか?」


ガルの冷ややかな声にカナリーは笑いながら答えた。


「手伝い? いくらガルでもカナリーを馬鹿にしすぎしゅ。こんなもの……」


ステッキの上部、ハート型の宝石が光輝いたかと思うと、カナリーを襲っていた槍の雨が瞬く間に蒸発する。


「おりょっ!? なんすかそのチートっぽい魔法!」


簪の槍がやんだのと同時にききょうとぼたんの分身が次々を襲い掛かるが、それも弾き飛ばすように『マギ・ミルクラム・メダイヨン』と唱え、分身たちを溶かしてしまった。


「ずいぶんと好き勝手やってくれたしゅね。これはほんのお返ししゅ」


溶けた分身が細かい青い球体になり、きくとふじを襲った。


「ありゃりゃっ! これはまず……っ」


きくが言い切らない内に青い球体はきくとふじの全身に襲い掛かる。


ダダダダ、という散弾銃が金属にめり込んだような音を立て、その音にカナリーは薄笑みを浮かべた。


「手数は多かったしゅが、それを利用した一撃で死んでちゃ意味ないしゅ」


そう言いながら、他のクレインに目を移そうとした時、視界のすれすれでカナリーはなにか丸い何かが映り、思わずもう一度視線を戻す。


「ほんまに残念やわ、あーしの存在めっちゃ無視やん」


傘を正面に広げたつばきがゆっくりと傘を肩に運ぶ。


カナリーの攻撃はすべてつばきの傘に防がれたのだ。


その証拠に、つばきの後ろにいるきくとふじには傷一つついていない。


「おっひょぉー! つばたんく、めっちゃナイスフォローっすよぉ!」


「つばたんく!? なんやねんつばたんくって! ほかのクレインはさくらちんとかひまちんとかふじりんとかかわいく呼んではるのに、なんであーしだけつばたんくって呼ぶねん! 大体タンクの意味知ってんかいな!」


「戦車」


「うきーー!」


彼女らのやりとりを眺めつつ、カナリーはため息を吐いた。


「この状況で強がっても意味ないしゅね。カナリーは特殊魔法を得意とするナハティガル。純粋に戦闘だけでいうのならやっぱりクックーのほうが実力差は上しゅから、クレイン全員を相手にすれば後れを取るのは想定してましゅた。だからやっぱりカナリーはカナリーらしくやるしかないしゅ」


カナリーはそのように言いながらステッキを両手で持ち、胸の前に突き出す。


「ききょう」


「ええ、あのカナリーという魔女は回復魔法を操る魔女……。先にあの魔女を斃しておかないとあとあと不利になりますわ」


ぼたんはききょうの話にうなずくと、なにかをしようとしているカナリーに向けて分身を集中させた。


それに同調し、ききょうもまた煙で作った分身をカナリーに集中させる。


相変わらずガルはこの戦局に関わろうとしなかったが、今の七鶴にとってそれは好都合だった。


「分身魔法と……」


「合体魔法さね!」


青褐あおかち!』


二人で同時に詠うと十数体ずつ残った分身が分裂と消滅と出現を繰り返しながら、全く読むことのできない動きで次々とカナリーに突撃してゆく。


『マギ・ヌーヴェル・キュイジーヌ』


灰色と黄色の混ざった粒子状の魔力がカナリーの周囲を包み、周囲から黒い塵が集まってくる。


その塵はさきほどの『マギ・グラス』の魔法で甦らせた蝙蝠たちの塵。


三度彼らを復活させようとしているのだとふたりは思った。


「馬鹿にすんなし。なんべんそんな雑魚を復活させたところでうちらにとっちゃそんなもんはなんの役にも立たんさ!」


分身合体魔法がカナリーに襲い掛かる直前、カナリーの唱えた魔法は完成した。


その姿にぼたんは前言撤回を余儀なくされる。


「うそ……」


それを目にしたひまわりが思わず口に出して漏らした。


確かにカナリーは蝙蝠たちを復活させた。だが、その復活のさせ方はクレイン達の予想をはるかに上回っていたのだ。


ぼたんとききょうの放った合体分身魔法たちは、《それ》の一振りで羽虫の如く虚しく薙ぎ払われ、その使命を全うすることもなく消え去った。


「カナリーの魔法は、直接戦闘に関わるものは少ない上に使えても得意じゃないしゅ。カナリーが得意なのは、操作系の魔法……。特にネクロマンシー系の魔法は得意中の得意しゅ。さあ、不死の存在と化し最強となった我が同胞たちとどう戦うしゅか? しゅしゅしゅ……!」


七鶴の前に立ち塞がったのは、斃した百余りの蝙蝠たちの塵が一つに集まり形成された、巨大な黒いモンスター。


召喚魔法ではなく、死んでもカナリーがいるかぎり何度でも息を吹き返す不死のモンスターが彼女らの前に立ちはだかったのだ。


「どうしても強敵や窮地のときにはこういった巨大な敵が現れるのでしょう……。わたくし、少々トラウマになりつつありますわ」


青い顔でききょうが呟いた。


アーキオプタリスクにサイクロプス……。巨大な敵はこれで三度目。しかも不死である。


「不死って、要は死んでるからもう死なないって理屈だろ? だったらあの魔女やるしかねえじゃん」


ふじの言葉にうなずきはするが、七人はその余りにも巨大な蝙蝠の姿に全員でやらざるを得ない予感をしていた。


「よぉし……じゃあ、さくらがいっちょ巨大化……」


葵町駅の戦いのときのように、さくらがまた自らを巨大化しようとしたのを止めたのはききょうだった。


「さくらさん、あれはやめましょう。巨大化したらろくに空も飛べないでしょうし、なによりさくらさんの魔力を無駄遣いできませんわ」


「ええーー! ぶっ飛ばしたいーー!」


「ぶっ飛ばしてもすぐ生き返るさ、カナリーを叩かないと根本的な解決にはならんさね」


さくらはふくれつつも、ぼたんらに身を委ねた。


「るがあっ!」


そんなさくらたちを蝙蝠の翼を持った真黒な人型モンスターの腕が襲った。


間一髪で全員それを回避したものの、それぞれがちりぢりになってしまう。


「あんなバカでかいのを相手にしつつどうやってカナリーを叩くんだよ! 誰か考えろって!」


「ええー! そこ人任せするんや!?」


「ううーさくら、早くあいつらぶっ飛ばしたいー!」


ひまわりやきく、ぼたんが蝙蝠のモンスターに立ち向かうがその巨大さゆえ、彼女らひとりひとりの魔法が満足に効かず、物理攻撃もダメージを与えているとは思えない。


蝙蝠のモンスターは一度……いや、二度斃した下級魔法少女たちの集合体。


いくら巨大な体躯を持とうとも、これを斃すために魔力の無駄遣いはできない。


それはさくらだけでなく、他の6人に於いても同じだ。


それにクレイン達は全員、本能的に理解している。この蝙蝠のモンスターなどより、圧倒的で絶望的な魔力と強さをカナリーとガルは持っているのだと。


「そもそもありゃカナリーに操作されてるんだろ!? いくらこいつを攻撃してもしゃあないって!」


「でもっ、カナリーをやっつけるのにこの大きいのをやっつけないと……」


「おりょりょ……八方ふさがりな感じすかぁ?」


カナリーを守るようにして立ちはだかる蝙蝠のモンスターは、しきりにクレイン達に襲い掛かり、背後にいるカナリーまでたどり着かせようとしない。


もちろん、そのように操作されているからではあるが、単調な攻撃も大きさにものを言わせていて、簡単には対処できなかった。


「どうすんだよ! しょっぱな苦戦してたら意味ねーって!」


クレインの中にも焦りを持ち始める者がでてくる。至極当然のことだ。


「カナリーを斃せばいいのはわかってるのに、そのカナリーに辿り着けない……。なんかいい手はないんさね!」


「ひとつ、その『いい手』があるんだが」


開戦早々状況を打破する策を見失っていたクレインたちに口を挟んだのは桜刀の姿の鴇であった。


「俺の【魔具】としての能力は、【マギ魔法の無効化】だ。もしもあれがカナリーの魔法に依存するものだとすれば、さくらが俺を振るってあのデカブツを薙ぎ払えばいい」


「そうや、鴇の能力ならあいつを軽くいけるやん!」


つばきがパァッと明るい表情で鴇の出した案に賛同したが、ぼたんがすぐに「それはまずいさ」と非を唱えた。


「なんでやねん! っちゅうかこれしかないんちゃうん、ぼたんはん!」


ぼたんは桜刀を見ながら眉間にしわを寄せ、悔しそうに答える。


「確かにそれをすればあの蝙蝠のやつはブッ斃せるさ。だけどそれをすればガルとカナリーに鴇の能力を知られ、警戒してしまう。もしかすると戦略を立て直すために戻ってしまうかもしれんさ。そうなって鴇の対策を取られればうちらにはもう勝ち目なんてないさ。

 鴇の能力は切り札としてとっておかないと、あの圧倒的力を持つガルを斃せない……」


「そない……!」


なにかを言おうとしたのだろうつばきは、ぼたんの言うことに反論することもできず、口を強く結ぶしかできない。


「そこで、……だ」


ぼたんの話を聞いたうえで鴇が続けた。


彼の策案はまだ終わっていなかったのだ。





「ふむ、妙に大人しいですね。やはり魔力の圧倒的な差に怖気づいたのでしょうか」


「しゅしゅしゅ、今ごろ集まって逃げる相談でもしゅてるに違いないしゅ」


クレイン達が集まって話をする余裕があったのは、ガルとカナリーがあくまで【受け】の姿勢にあったからだった。


攻めに転じるのは簡単だが、人数的にクレイン達よりも少ない魔女らとしては、こちらから攻めて標的が七つに分散するよりも、待ち構えて七人が一斉にこちらに向かってきてくれたほうが迎撃しやすい上に、狙いもつけやすい。


彼女らが動かないのは七鶴たちを確実に滅ぼすため。


蝙蝠たちを多数引き連れてきたのも、ネクロマンシー系の魔法で不死性のモンスターを作り上げたのもそういう理由だった。


だから彼女らは動かない。


七鶴が戦いの最中にどんな算段をしようとも。



「ただし、ちょっかいは出しゅが……」


『マギ・ソルベ』


カナリーの周囲の空気が結晶化し、氷の槍になってゆく。その槍は七つ生成され、七鶴たちに向かって射出された。


「きた!」


七つの氷槍はそれぞれが彼女らの体より一回りほど大きく、それが直撃すれば無傷でいるのは難しい。


それどころか致命傷にあだってなりえる。


七人がそれを直感的に悟るとその場から散開し、氷槍を回避した。


「カナリーがそれを許すはずもないしゅ?」


カナリーはそういうと突き出したステッキを払うように大きく振り、それに呼応した氷槍が真っすぐ飛ぶ軌道を大きく変え七鶴それぞれのクレイン達を追った。


「追尾ミサイルかよ!」


不快そうにふじが叫ぶと扇子で払うがびくともしない。


「くっそ、風じゃ無理か!」


「それなら熱はどうだっ!」


ふじの放った風が無力であったのを見たひまわりは、腰に巻いた帯の魔具を勢いよく抜き、摩擦で炎を起こす。


『赤橙!』


帯の摩擦で起こった炎がひまわりの右手を伝い放出し、氷槍に降りかかった。


「氷には火……だよね!」


炎に包まれた氷槍は、まるで効かないとばかりに炎幕を突き破りひまわりに迫った。


「遠隔操作の魔法なのにこんなにも魔力が……!」


襲い掛かる氷槍をすれすれで躱したひまわりだったが、紙一重に避けた氷槍は魔装束の袖を斬り裂き、腕を浅く切った。


「氷には炎? 全く発想が貧困しゅ。魔力を固めた氷が単純な熱で溶けるはずもないっしゅ」


しゅしゅしゅ、とお馴染みの笑みを浮かべリラックスした様子で氷槍を回避し続けるクレイン達をカナリーは傍観した。


「クックーと違ってカナリーはこっちのほうが得意しゅ。例えばその氷槍、お前たちの目の前で爆発すれば無数に散った破片を避けきれしゅかね?」


愉快な様子でステッキに手を添え、追加呪文を唱えようとカナリーは唇を歪ませた。


「いくらなんでもそれをやられるとまずいさね」


「しゅっ!?」


今まさにカナリーが氷槍を爆発させる魔法を唱えようとしたその時、ぼたんがカナリーの至近距離に出現したのだ。


「甘く見ていたようですね、カナリー」


無詠唱魔法で闇色の楯をカナリーの正面に出現させたガルは、鼻先まで迫ったぼたんの蹴りを防いでいた。


「しゅ……、ガルの言った通りしゅ。クレインどもの不甲斐なさについ油断をしゅたしゅ」


あわや直撃寸前のカナリーは表情を邪悪に歪ませ、鼻先まで迫り楯に封じられたぼたんの下駄を睨んだ。


「ちぃっ! 惜しいさね!」


ぼたんの魔具は下駄で、瞬間移動すら容易い能力を持っている。


それゆえいくら槍がホーミングしてもぼたんにはほぼ無意味と言ってよかった。すぐ目の前で瞬間移動してしまえば氷槍は対象を見失うからである。


「今から殺してやるしゅ。喜ぶしゅね、この戦いで最初に死ねるということを!」


カナリーが動けないでいるぼたんにトドメを刺そうと魔力を込めたのとほぼ同時に、バァンという厚いガラスが粉々に粉砕されたような爆発音が響いた。


「ビャアアアアアッッ!」


直後、辺りに突き刺さったのは醜くくぐもった断末魔。その主は蝙蝠だ。


服についたシミが薬品で滲みながら消えてゆくように、巨大な蝙蝠は蒸発しながら端から消滅してゆく。


「な、なにが起こったしゅ!」


信じられないといった様子のカナリーの目がかろうじて捉えたのは、つばきの傘。


やがて晴れる視界の中で、傘を閉じた中にいるクレイン達がいた。


「この傘……超便利やっちゅうねんな」


「同胞たちは……っ?! 氷槍はどうなったしゅ!」


明らかにうろたえるカナリーの耳が次に、じじじ……となにかが燻るような音を捉えた。


「この音っ!?」


「ここを離れなさいカナリー!」


ガルの叫び声は次の瞬間に起こった爆発でかきけされ、彼女らがいたその場は爆煙と炎に包まれる。


爆発の直前、カナリーが見たのは闇の楯に突き刺さったままだったはずのぼたんの下駄が、どろりとした青黒いなにかにすり替わっていた様だ。


そしてそのどろりとした塊には水晶のついた簪が刺さっていた。それがじじじ、という音の正体だった。



そう、下駄とすり替わっていたのはききょうが生成した煙の塊でそれにきくの爆発型簪が突き刺さっていたのだ。


「ぎゃあああああっっ!」


絶叫を上げていたのはカナリーだった。


爆発した場所よりずいぶんと離れた場所へと瞬時に移動していたが、どうやら寸前で爆発に間に合わなかったらしく両手で顔を抑えている。



「なんとか成功したさね……」



呟いたぼたんの視界のはずれとはずれにカナリー、そしてガルが映っていた。


二人は爆発を回避するために場を飛びのき、瞬時にあそこまで距離を離した。


その瞬発力と機動力にも舌を巻くが、想像していた以上の収穫にぼたんは表情こそ動かさなかったが、わずかばかりの安堵をおろす。


状況を解説するとこうだ。


ぼたんが瞬間移動でカナリーの前に出現する前、ぼたんは七鶴たちの元へそれぞれ瞬間移動し、自らが回避した行為を繰り返した。つばきを除いて。


標的を見失った氷槍たちがつばきを狙うようにし、つばきの背に隠れるようにさくらが待機。


七つの氷槍がつばきに襲い掛かり、衝突の瞬間に傘を鉄壁にする魔法『薄鈍うすにび』を詠い砕いた。


それが先ほどの『バァン』という音の正体だ。


さらにその音に紛れてききょうが煙の塊を生成し、それに爆発簪を刺したものをふじの扇子で闇の楯まで飛ばすと、その衝撃と共にぼたんが離脱した。


一方で氷槍がつばきの傘によって粉砕された際、桜刀・鴇によって蝙蝠を攻撃。


蝙蝠を消滅させたのがさくらであることを眩ませることに成功したのだ。


その混乱に乗じてカナリーにダメージを負わせ、致命傷にはならなかったが、鴇が望んだ最も大きな狙いは成就できた。それは――


「あの二人を引き離したさ! カナリーが回復魔法で回復する前に叩くさね!」



「――そういうことですか」


ぼたんの指示を聞いたガルがすかさずカナリーの元へと駆け付けようとするが、目の前にぼたんが立ちはだかった。


「悪いなし、こっちも命がけなんよ!」


熨斗目花のしめはな


超高速での移動でガルの周囲に何百というぼたんの残像が出現し、ガルを包囲した。


(さっきんと違って実体のある分身じゃないけど、数秒の時間稼ぎには充分さね!)


そう、何百のぼたんはすべて残像。だがぼたん自身も常に高速移動し続けているため、このうちのどれかが本物……というものではない。


飛のクレインの名に恥じない、誰にも補足できないスピードで飛び続けるぼたんを何人たりとも捕まえることなどできはしないのだ。


「一筋縄ではいかないことくらいは想定していましたが……」


ぼたんの残像たちに囲まれながらガルは、静かに呟いた。


(独り言を言うなんてえらく余裕さね――! けどこっちはおたくを足止めできりゃそれでいいんさ、少しの間だけ付き合ってもらうさね)



「カナリー、そちらに行くのは後にします。しばらくは自分でどうにかするのです」


(カナリーの元へ行くのを諦めたなんし! こっちの思うつぼさね!)


ガルの声にぼたんはさらに飛ぶ速度を上げ、残像を増やしてゆく。


(このまま絶対に進めさせないさ! この下駄に追いつけるヤツなんて例えば魔女だろうと……)


「……私はこのハエを潰してから行きますので」


――瞬間、ぼたんとガルの目が合った。



「なっ……!」


刹那的な瞬間の中でぼたんはガルと目が合った理由を考え巡らせた。


常に高速で飛び、跳ね続け数百の残像を残すぼたんと目が合うはずなどない。


もしも目が合うことがあるとすれば、その可能性はたった一つ……。


それは、【ぼたんはガルに捕捉されている】というのに他ならない。


ぼたんの思考がそこに行きつくまで、瞬きするよりも短い時間であった。


本来ならばこんなにも刹那的な瞬間にそこまでの思考が追いつくはずもない。だが、高速で動き回っているはずのぼたんの視界の中の時間はゆっくりと過ぎていた。


そのゆっくりとした時間の中で、ガルとずっと目が合い続け、それがぼたんの杞憂でないことを思い知らせ、全身から汗を噴き出させる。



「……ずいぶんと飛ぶことに自信がおありのようで」


背に刃を走らせたような痛みと錯覚しそうな寒気。


ぼたんが感じた寒気のせいで、ほんの一瞬。


気が遠くなりそうなほど一瞬だった。


一瞬、ぼたんの体が強張ったのだ。


ガルはそれを見逃さなかった……というより、《最初からそうなることを知っていた》かのように、絶妙なタイミングで黒と紫の入り交じった糸を髪から発生させた。


それは広がったのと同時に広範囲をフォローする蜘蛛の巣状の網となり飛び回っていたぼたんをいとも簡単に封じ込めた。



「蜘蛛の巣……ッ」


纏わりつく糸にぼたんはすぐに悟った。


わかってはいるが、動けば動くほど締まりが強くなり自由を奪われる。


それでもぼたんが暴れようと体をよじったのは、ただひとつの危機感を感じていたからだ。



――殺される。



これまで死に直面した修羅場など幾らでも経験し、潜り抜けてきた。


今更ピンチに陥ったところで取り乱すようなぼたんではない。



にも拘わらずぼたんはその殺意から逃れようと必死に身をよじる。


ガルの瞳を直視したぼたんだから分かる、圧倒的な差。


もちろん、それは魔力や強さの差でもある。


だがぼたんが感じたのは、そういう意味での差ではない。



同じ人間の姿をしている魔女と自分は、根本的に全く違う生物であり、存在であるということ。


そう、まるで人食いサメの漆黒の目と見つめ合ったような、決してわかり合うことなど不可能な瞳。


一切の感情もない。


もはやそれだけではなく、敵意や殺意などという感情すらも皆無の瞳。


ガルのその瞳がぼたんに逃れようのない死を連想させた。


絶対的な終わり。無、だ。


ぼたんが身をよじり逃れようとしたのは、彼女の西部的な本能といってよかった。


本能が【その生き物から逃げろ】と全力で叫んだのだ。


「さようなら。ハエのクレイン」


「ぅぅうああああああーー!!」


ガルのスカートの裾の一部が盛り上がりドリル状にねじれたかと思うと先端が鋭利に尖ってゆく。


インパクトの瞬間、ガルはもうぼたんを見ていなかった。





「しゅぎゃばあああああ!!」


凄まじい絶叫をあげ、カナリーは痛みと苦しみ、そしてそれを上回る怒りと憎悪に身を震わせた。


「怯むな! いくぞ!」


ふじの檄にききょうときくが続く。



「おりょ~……! こりゃまたヒドイすなぁ」


カナリーに近づくにつれ、吹き飛ばされた顔面が露わになった。これが人間ならば間違いなく即死だ。


きくは心なしか自分がしたことながら悪い気になったものの、間髪入れずに攻勢にでるふじを見て自らを奮い立たせた。


「あっちはぼたんらに任せて、こっちはこっちでさきに決めるぞ! 回復魔法をかけるヒマ与えんな!」


「言われるまでもございませんわ!」


ききょうがキセルを吸い込み、ぷっと短くなにかを吹いた。


こき


小さく吐いたそれはききょうの声でガムのように膨れ、カナリーの顔と手に命中した。


それはそのままカナリーの手と顔を接着させたのだ。


「ぐもも……!」


息ができないのか、苦しみの声を漏らしながらぐるぐると上半身を回し、カナリーは力の限り暴れる。



「これで魔法とステッキを封じましたわ!」


ステッキを持ったままの手と、顔面ごと口を封じたためカナリーは魔法を使えない状態になった。


これこそ好機とふじ、ききょう、きくは一斉に攻撃魔法を詠おうとそれぞれが構えに入る。



「わあああっ!」


まさに三人が同時詠唱を行おうとしたその時、彼女らの前になにかが吹き飛んできた。


「つばき!」


ふじらの前に吹き飛んできたのはつばきだった。


傘でなにかを防いだらしいが、踏ん張りがきかず吹き飛ばされたらしい。


「大丈夫すかつばたんく!」


「……きく、は……ん」


きくの呼びかけにつばきはこちらを振り向いたが、彼女は何とも言えない複雑な表情をしていた。


今にも泣きだしそうな顔でもあり、叫びだしそうな顔でもある。


咄嗟に三人はつばきのその表情の意味するところがわからないでいた。


つばきは胸にぼたんを抱えていた。


つばきはぼたんを守って吹き飛ばされたのだと、三人は同時に理解したが数秒遅れてつばきの表情の理由わけを知る。



「ぼたん……お前」


ふじが信じがたいものを見る顔でぼたんの見下ろした。


ききょうが目を閉じ、きくはひざまずいて涙ぐんでいる。


「ごめん……ぼたんはん。間に合わんかった……」


「なに言ってるんさ、充分間に合ったさね……」


ぼたんはつばきに抱きかかえられながら笑った。


笑ったぼたんの足……左足が足りない。


「さんきゅーさね、つばき。足一本ありゃまだいけるなし」


誰が見てもぼたんが無理をして笑っているのが分かった。


七鶴一の機動力を誇る下駄の魔具を操るクレイン、大鶴ぼたん。


彼女の強靭で、美しい長い脚は無残にも引きちぎられ右足一本のみになってしまった。


「あーしが、もっと早く追いついてたら!」


「泣くなんし、まだ戦いの最中さね。……ききょう、悪いけど煙で傷口塞いでくんなし。貧血で立てなくなるさね」


ぼたんの「傷口」という言葉。


切断された左足の断面は、傷口というのには惨く、大きすぎる。


こんな目に合ってもまだ戦意を失っていないぼたんに、一同は言葉を飲み込んだ。


どんな言葉も、この状況にはきっと邪魔になる。


ぼたんにも、自分たちにも。だからすべてを今日、ここで終わらせるのだ。



ききょうの魔法で失った足の傷を覆い、止血をするとぼたんはつばきの肩に捕まりながら立った。


「足の一本くらいどうということないさ。……ここらでクレインの格の違いを見せてやるさね!」


つばきがぼたんを抱えて吹き飛ばされた直後、ひまわりとさくらがガルの目前に辿り着くところだった。


つばきと共に吹き飛ばされたぼたんになにが起こっていたのか知らないふたりは、ガルが持ち上げてまじまじと見る《それ》を見て血の気が引いた。


「あれって……足……? え、嘘だよね!」


ガルが持っている足。太ももの付け根の切断面からは血が滴り、よく知っているエンジ色の羽根下駄が目に飛びこぶ。


「ぼ、ぼたん……ちゃん」


信じられないという表情でひまわりは口元を押えた。怒りや悲しみよりも、動揺と狼狽に包まれているのは一目瞭然だ。


「さくら! 落ち着け!」


「ううー! あいつ……ぼたんの足ぃ……!」


さくらは今にも爆発してしまいそうに歯を食いしばり、瞳孔を開く。


それを鴇が必死で叫び落ち着かせようとしていた。


『マギ……』


「馬鹿野……この距離でマギ魔法を……」


鴇が叫んだが間に合わなかった。


さくらは怒りに任せてマギ呪文を唱えようとしたその時。


「助言は聞くものですよ、クレインさくら」


さくらの唇を読んだのだろう、さくらが呪文を完成させる前にガルが目の前に現れ、ぼたんの足でさくらを振り抜く。


「さくらちゃん!」


「さて、次は貴方ですか」


「……ッ!?」


吹き飛ばされたさくらに一瞬気を取られたひまわりの顔の前に、ガルの手のひら。


(――あ、この魔女って無詠唱で……)


「仕留め損ねたハエの代わりに死になさい」


瞬間、頭が弾け飛ばされるビジョンが目に浮かびひまわりは死を覚悟した。


黒い閃光と爆発が空に炸裂し、周囲の銀雪が黒く染まる。


「ひまわりーー!」


すでに体勢を立て直し元の場所へ向かっていたさくらだったが間に合わず叫んだ。


やがて爆煙が晴れ、ガルはひとつわかりやすく舌打ちをした。


「面倒な傘ですね……」


ぼたんを抱き、彼女の片方の下駄で危機一髪ひまわりの元に間に合ったつばきは、鉄壁の傘を広げ窮地をしのいだ。


「油断したらあかんでひまわりはん! ブランクあるかもしやんけど、甘くないから!」


「つばきちゃん……ぼたん……ちゃん」


涙を浮かべたひまわりは顔色の悪いぼたんを見つめて、カタカタと震えていた。


「なんさね、うちの取れた足みてテンション下げんなし。うちはほら、ここにいるさ」


ひまわりはぼたんとつばきに救われたのだと理解し、片足を失ったぼたんがまるで戦意を失っていない様子に涙を拭った。


「ごめん、助けてくれてありがとう!」


ひまわりは構え、『花葉はなば』と詠い腰に巻いた帯が周囲の空に広がり複雑な模様を作った。


「ぶちのめすさ、ひまわり!」


一面に張りめぐられた帯を足場にし、空中を全力疾走してゆくひまわりにガルはため息を吐いた。


「やれやれ、ちょこまかと攪乱するしか能がないのですか。学ばない生き物ですね」


じっと眺めていたぼたんの足を雑に投げ捨てると、ガルは「いえ、学んだのは私達のかもしれません」と訂正するように呟く。


「……こうして同胞の魔力をもっと早く使っていれば、人間など数で群れるだけの存在など、とうの昔に滅ぼしていたというのに。驕っていたのはナハティガルのほうでした。大魔女クレインを変えてしまう魔力が人間にあるとは、誰が思ったでしょう」


黒いもやがガルの正面に漂い、それは濃くなりながらなにかの形になってゆく。


ひまわりらの元へ向かっていたさくらはガルの出そうとしているものがなんなのかを悟り、反射的に叫んだ。


「ガルから離れてみんなぁあ!」


さくらの叫び声がクレインたちに届くころには、ガルの手元には禍々しい大きな鎌がガルの手に握られていた。


「……前に戦ったときに持ってた鎌!」


「これは……っ! つばき、今すぐ上に飛ぶさ!」


つばきが「え?」と声を返した次の瞬間、黒い突風が通り過ぎ遅れて衝撃が走った。


「はああああっ!」



片足だが跳んだのはぼたんが一瞬早かったが、つばきはワンテンポ遅れてしまった。


遅れてしまった代償というのにはあまりにも大きな傷。


つばきの背には右肩から左腰に抜ける裂傷とそこから噴き出す大量の血。


傘で正面を守っていたため直撃は免れたが、抜けていった衝撃波までは防ぎきれず背に抜けたのだ。


「つばきぃ!」


「めっちゃ痛ぁあああ! こんな、こんなもん……うぐぅ……くっそぉ!」


気を失いそうになる痛みに負けまいとつばきは吠え、なんとか気力を繋いだが、彼女が負った傷で戦えるとは思えない。


「音の……刃、といったところでしょうか。初めての経験でしょうクレインたち」


ひまわりは無事だったが、ガルの動きを止めるために張った帯の蜘蛛の巣は綺麗に斬り裂かれその意味を失った。


唖然とするひまわりの脳内に、敗北のイメージがまとわりつく。



(――たったひとりの魔女にここまで圧倒されるなんて……)


咄嗟にさくらを見やるが、さくらも今の斬撃を警戒して動けないでいるようだった。


「……クレインさくら。所詮人間とクレインなど共存ができるはずもないのです。わかるでしょう」


「わかるわけないもんね! お前たちナハティガルをやっつけて、みんなでパフェを食べるんだ!」


「それが大魔女クレインの教育……というわけですか。全く、あの方の考えることは理解に苦しみます。人間の【愛】などという毒に冒された挙句に人間との子を産み、そして自らもそのせいで死ぬるとは」


「それが人間のいいところさ」


鴇が答えてやると、ガルは表情こそ変えなかったが鎌を構えることで反応を示す。


「なるほど。私は貴方の名など呼びませんよ……ということはいつまでたっても【名無し】というわけですか。貴方は何者でもありません。何者でもない不確定な存在のまま、没することをお勧めしますよ」


さくららに敵意を向けたガルは静かにこちらを向いた。


「くるぞ、さくら」


「うん。鴇兄ちゃん、さくらはどうすればいい?」


「ガルが鎌を振り上げたときを狙え、振り下ろした後じゃ恐らく傷は浅い。それに……」


黒と紫の凶々しいオーラを放ちながらゆっくりとガルはさくらに向かう。


「チャンスは一度だ」


唾を飲み込み、ガルを睨み付けながらさくらは頷いた。


桜刀の能力を知られていない以上、警戒なしに攻撃をあてられるのは一度。


もしもそれが失敗した場合、さくらと鴇の思惑を知られてしまうかもしれなかった。


それはこの戦局に於いて致命的な失敗だといえる。


そうなった場合、クレインたちに降りかかる絶対的な敗北。


即ち死だ。


巨大な黒い鎌を持ち、さくらに近づくガルの背の方向にいるひまわり。


ひまわりと目を合わせると、互いの意思を確かめた。


ぼたんの機動力と、つばきの防御力を潰された今、このチャンスに賭けるしかない。


心でそう呟き、さくらは笑まずに強く睨んだ。


その時が来るのをじっと待つ。


ぼたんとつばきは、重傷を負ったが命を失ったわけではない。


そしてカナリーとはききょうときく、それにふじが戦っている。


遠隔魔法や、操作系や回復などの補助系を得意とするカナリーがガルと同レベルの戦力を有しているとは考えにくい。


そうすると至近距離で囲まれているカナリーにはかなり不利な状況なはず。


さくらは本能的にそれを瞬時に理解し掌握した。


つまり、自分がここでガルを討てば理想的にすべてが終わる。


この戦いが終わるのだ。


「いつものようにはしゃぎまわらないところを見ると、この戦いの意味と、私との魔力の差に気が付いているようですね」


ガルは間近までやってくると、氷よりももっと冷えた冷気を放ち周囲のものまで凍り付かせる鉄のような眼でさくらを見下ろす。


ここからガルが放つのは物理攻撃か、魔法攻撃か。


どちらが来るのか確証があったわけではない。


無詠唱魔法を操るガルが物理攻撃を放とうと、魔法攻撃を放とうと、インパクトの瞬間までそれはわからないのだ。



だがさくらは直感的にガルが鎌による物理攻撃が来ると感じていた。


なぜかはわからない。


わからないが、さくらは自分ならばそうすると思った。だから、鎌を大きく振りかぶったガルに対して躊躇なく桜刀を振り抜いたのだ。


胴と足を引き裂かんばかりに強烈な一閃。



「な……これ……は!」



ガルらしからぬ狼狽の声。


この声こそ鴇とさくらの作戦が成功したことを物語っていた。


マギ魔法を無力化する刃で、ガルを斬ることに成功した瞬間である。


「紅い……銀雪の力が残って……!?」


濃い紫色の血が夥しく噴き出し、再生が間に合わないガルに対し鴇はさくらにさらに叫んだ。


「トドメださくら! 奴を再起不能に……」




それは勝利。



クレイン達……いや、七鶴の勝利を意味する一撃。



そのはずだった。


「ぶっ飛べぇええええええ!」


頭上に振りかざした桜刀が、すべてを終わらせる一振りを振り下ろそうとしたその瞬間。


巨大な閃光がさくらを包んだ。



誰もかれもがなにが起こったのか理解ができなかった。


大けがを負ったぼたん、つばき。


さくらの補助を急ごうとしたひまわり。


カナリーを封じ、斃そうと魔法を行使する寸前だったふじとききょう、きく。



まず閃光に気付いたのはふじだった。


視力を失った一件以来、戦いに於いて過敏になっていたふじだからこそ気付いたのかもしれない。


「ききょう、きく! 離れろ!」


なにが来るのかはわからない。


わからないが、なにか危険ななにかがくる。一瞬背筋を斬りつけるように走った悪寒にふじは叫んだのだ。


なにかわからずともきくとききょうはふじの声の様子からすぐにカナリーから離れた。


同時にまばゆい光線のような閃光がカナリーの上半身を飲み込んだのだ。


「これ……は……?」


ききょうが突然の出来事に上手く言葉を出せないでいるのと同時に、カナリーから離れたさくらのところにも到達。


ガルにトドメをささんとするさくらを桜刀もろとも飲み込んだ。




――すべてが一瞬にて通り過ぎ、誰一人としてそれを理解することなど叶わなかった。


閃光の光線が過ぎたあと、カナリーは真黒に焦げた上半身をだらりとさせ、ゆっくりと地上に落ちていく。


そして墜落するカナリーをガルが追いかけるのが見えた。


「まずい! ガルが接触するのを阻止しないと」


ふじが状況を阻止する発言をし、カナリーを追おうとしたのを止めたのは、ひまわりの悲鳴だった。


「さくらちゃああああん!!」


桜刀から鳥状態に戻り動かなくなった鴇。


そして、目を見開いたまま全身から煙を上げて真黒な塊になってしまったさくら。


全員が目を疑った。


離れたところからぼたんやつばきも見守っている。動ける者はみんなさくらの元へ駆けつけた。


すべての切り札であるさくらと鴇。


その二人が見るからに戦闘不能な姿になってしまったのだ。


「さくらちん! ありゃあっ! 死んじゃったすかぁ!?」


きくが取り乱し、黒く焦げたさくらに向け叫ぶ。謎の閃光の正体も気になるが、それよりも直撃したさくらの安否が気がかりだ。


さくらを抱いたひまわりは自らの手を焦がしながらさくらを呼びかけている。


そんなさくらの腕を取り脈をとるききょうは「まだ生きてはいますが、かなり危ないですわ」と命の危機に瀕していることをクレイン達に伝えた。


「そんな……ッ?! さくらがそんなで、どうやって勝つんだよ! ぼたんもつばきも戦えねえんだぞ!」


『全員が揃っていたとしても勝てるかどうかわからない』誰かの脳裏に浮かぶ言葉。


黒焦げ姿のさくらから弱弱しい光が漏れ、パリパリと音を立てはじめた。


「え、なにこれ? さくらちゃんがひび割れ……」


ひまわりが狼狽え、クレイン達が見つめる中さくらは卵の殻がポロポロと崩れ落ちるように焦げた表面を落とす。


「あ……」


そして露わになったのは、鶴の姿。



――そう。鳥化である。



「鳥化したってことは魔力をすべて失っ……」


全員が、さくらが鳥化してしまったことの意味を知り愕然とした。


さくらは戦線に戻れないどころか、もう二度と魔法を行使できない。


魔力を失った【鳥】になってしまった。


つまり、さくらが目を覚ませたところでもう二度と戦うことなどできなくなってしまったのだ。



七鶴たちの中に様々な感情が渦巻いた。


悲しみや虚しさ、絶望と失望。だが不思議と恐怖はなかった。


おそらく、戦って死ぬ覚悟をもってここにいるからだろう。


さくらが鳥化してしまったのを見て、改めて自分たちがさくらを頼りにしていたかを知り、彼女たちはそれに愕然としていたのだ。


さくらがいなければなにもかも終わり。


自分たちの戦いはさくらを守ること。



いつのまにか彼女たちの使命はそのようにねじ曲がっていた。本質はそうではない。


【魔法少女・魔女たちを斃すこと】


それこそが使命。



それを忘れていたことに、やがて怒りが沸いた。


「さくら。ごめんな、ありがとう。あんたすっげーがんばったよ、あとは全部あたしらに任せな」


ふじは静かに。だが力強く、鶴の姿になったさくらに声をかけた。


ふじの言葉にきくやひまわりは涙を拭い、さくらと鴇を離れた場所に寝かせに行く。


「ぼたんさん、つばきさん。まだ戦えますわね?」


いつもならば大けがを覆っている二人に「まだ戦えるか」など聞くはずもないが、ききょうは強いまなざしで二人をみつめると問うた。


「当たり前さね、片足ないくらいじゃギブアップしないさ」


脂汗をかいた顔だが、目は生きている。


「あーしが怪我したんは背中やしな、正面はまだまだ守れるで。あーしはここに戦いにきたんや、死ぬ覚悟なんてとっくにできとるわ」


つばきもまたフラフラとした足取りで立ち上がって言う。


「みなさん、ただではわたくしたちはただでは死にませんわ。わたくしたちがこの世界を守り抜き、さくらさんが愛してくれたこの世界で生き続けるために……」


ダメージを負っているのはガルやカナリーも同じ。互いに無傷ではない。


この状況ならば、万に一つでも勝てる見込みがある。


ききょうはそう信じた。


そうして目を移したガルに、ききょうらは言葉を失った。


顔から巨大なクチバシを出現させたガルが、カナリーの亡骸を喰っていたからだ。



「仲間を……喰ってる?!」



ふじが空中でやや後ずさりをした。おそらくその光景のおぞましさに不快感を感じたのだろう。



「ぐじゅる……あぐっ、ばきっ……!」


骨を砕き、肉を咀嚼し、血をすする不快な音。仲間を想い、共にあることを根底から否定するその光景に彼女らは言葉を無くした。


――ごっくん。



ガルがカナリーの血肉を飲み干す音が、空気に直接伝わるようにはっきりと聞こえた。


さくらと鴇が戦闘から離脱したところで、現状はまだ六人のクレインがいる。


ガルが現れたときに連れていた蝙蝠たちはすべて薙ぎ払い、カナリーがなぞの光線にやられたということは、単純に客観視しても六対一の構図である。


それでもガルの魔力と強さを考えれば状況は五分以下だと思われたが、それよりもたった一人になったガルが、カナリーを喰ってなにが起こるのか。


決して見守ってはいけないはずなのに、誰もが固まってしまったのだ。


自分たちは違う存在……魔女たちと半分同じ存在であるさくらを仲間と認め、そして戦線から離れてもこれ以上傷つけまいとしたクレイン。


そんな人間らしい感情と所作を根底から否定するように、カナリーという仲間を喰い自らひとりになったガル。



究極の局面になり、対照的なふたつの行為。これがこれまで敵対してきたふたつの種族が交わらない決定的な理由だった。



「……見られたくないところを見せてしまいましたね、クレイン。さすがにあの傷を負っては、なりふりをかまっていられなかったものですから」


振り返ったガルは普段のガルの顔に戻っていた。


いや、違う。


ガルの表情は、先ほどよりも血色がよく薄笑みすら浮かべている。みるからに好調なようすが見ただけで分かった。


「それにしても、あの熱線は一体なんだったのですか。まさかあなたたちクレインの罠、でしょうか」


「ふざけんな! あたしらだって知るかよ! テメェんところが汚ェことしてんじゃねーのか!」


ふじがガルに向かって叫ぶと、ガルは光線が放射された方角を静かに見つめながら「ふむ」とひとり頷く。


「あなた方とは違う……。そうですね、さすがに自らの仲間を犠牲にしてまであの光線を撃つとは思えませんもの」


「あの魔女……自分の仲間食べたすぐあとでなに言ってるすか……!」


きくが怒りと困惑を飽和させた口調で言い絞る。


ひまわりやききょうらの表情にもガルへの憤りが宿るが、ガルの言っている【光線】の正体も気になっていた。


「クレインではないとすれば、あの熱線……。人間が放ったものでしょう。熱線の軌道からするに私たちに向けて放ったことは間違いないでしょうけど、ここにいる私たちを特定しているわけではない……」


「ヤバイさね、ひま」


すぐそばにいたひまわりにぼたんがガルの推測を聞いたうえで話しかけた。


「え、ヤバイって……」


この時、ぼたんとガルの思考は同じところにあった。いや、同じ推測に着地していた……というのが正しい。


「……来ますよ」


クレインたちの中で、【それ】に気付いていたのはぼたんだけだった。


すぐに全員へこれから何が起こるのかを伝えなければならなかったが、とてもそんな時間はない。


「つばき、傘を広げて東に構えるさ! 誰でもいいからすぐにつばきの背に隠れるさね!」


ぼたんはそう叫ぶのが精いっぱいだった。


「みんなはよあーしの後ろに!」


なにがなんだかわからないながら、つばきはぼたんの指示にすぐ従い、東に向けて傘を広げて構える。


「あの方向って……!」


ぼたんが指示した『東の方角』は、まさに先ほどさくらとカナリーを襲った光線が放たれた方角だった。


「喋んなし……! うちらはちょっとキツイかもしれないさね!」


片足のぼたんはひまわりの手を引き、脇に抱きかかえる。



閃光。



たった今さっき、見たばかりの閃光だった。


空と風を分断するような直線の光は、殺意も悪意も籠っていない、無感情な破壊光線。


直径でいうのならばおそらく10メートルはあろう巨大な光だった。


「さっきのよりもめっちゃくちゃでかい!」


つばきの傘は光線を弾き、その後ろではききょうときく、ふじが凄まじい破壊光に耐えていた。


「こらごっつキツイ……!」


つばきは破壊光の勢いに押され、徐々に後退しはじめる。


それなんとか踏みとどまろうとするが、それでも押される力に勝てなかった。


後退していくつばきの背になにか温かく力強いなにかが当たり、背中の傷の痛みよりもその温かさにつばきは一瞬驚いた。


「み、みんな……!」


「しっかりしなつばき! こんなわけわかんない状況のまま死ぬわけにはいかないだろ!」


「及ばずながらきくりんも手伝っちゃいますよぉ~」


つばきの背を支えていたのは3人のクレインたちだった。


徐々に後退していたつばきはぴたりと止まり、それに勇気づけられたつばきは構えた傘へさらに力を籠める。


「負けへんで、絶ッ対! 負けへん!!」





クレインと魔女を襲った光線の正体は【雪撃静雷砲 大和】。


そして、それを放ったのは言うまでもない、藤崎が率いる対銀雪機関【対銀雪澄天機関ミリオン】である。


二度の発射を終えた局内は、三発目の準備に追われるスタッフたちの声が飛び交っていた。


一度目に発射したのはタイプA。範囲は狭く精度も特筆するほど精密でもない。だがエネルギーがより凝縮している。


二度目に発射したのはそれとは逆に、範囲が広く対象をカバーしやすい反面、Aよりも威力が落ちるタイプB。


そして、現在発射に向けて準備しているのがタイプC……である。


一撃目で大和が通過した軌道上に微かだが人影が写った。おそらくそれは大和が直線状に抜けたことで、軌道上に降っていた銀雪を焼いたためだろう。


そのため二撃目はより対象に向けて精度の高い放射ができた。



「……」


だが司令塔であるはずの藤崎はひとり浮かない顔をしていた。


彼の浮かない顔の理由は、司令台の下で喜々とモニターをチェックする権財寺が知っている。


「そんな顔しないでくださいよ藤崎対銀雪責任官庁~。急な変更で私たちだって連日徹夜で仕上げたんですから」


「大和がビーム兵器になっているなどと報告を受けていない」


「しかし作戦指示書には書いてますよ? 大和は爆弾平気でなくビーム兵器として運用する……って」


権財寺のいうことは尤もだ。


自分の立場上、どんなものよりも作戦指示書に書いてあることが全てである。


最も大きい力が作戦指示書に内包されている。いわば物言わない上官に等しい。



これを渡されたのが今朝。どうやら数時間前に完成したらしい。


そこに大和の仕様変更が明記されており、書いてある以上藤崎はそれに従わねばならないという義務があった。


当然、緊急の場面では現場での判断が優先されるが、緊急を要していない現状況では作戦指示書に抗う理由がない。


それが分かっているから、大和の開発責任者である権財寺は藤崎を嬉しそうに見上げていたのだ。


「これがここに書いてある以上……」


「わかっている。それ以上言うな」


イラついた口調で藤崎は権財寺の言葉を遮った。


これまでの長い年月をかけ、大和は何度も改良を重ね、そのたびに大きな変更や小さな修正、さまざまな形を変えてきた。


だが藤崎は【兵器】を作ってきたつもりはない。


これまで大和が銀雪に対し発射できなかった背景とは、本当に人間に害がでないのかの確信が持てなかったのが最も大きい。


上層部としても民間人に危害を加えるわけにはいかないという見解だったため、実験を繰り返すのみでなかなか二の足を踏みだせなかったのも事実だ。


そこまでの長い道のり経て、何度も名前を変えながらようやく【大和】は完成した。


だが、完成した【大和】は藤崎の知るものとはまるで違うものだったのだ。


「藤崎対銀雪責任官長が憤るのはお察ししますがねぇ、藤崎対銀雪責任官長や上層部が懸念している【民間人への危害】という点では完全にクリアできてるんですよ。今回、史上初めて【銀雪による避難指示】が出て葵町には民間人はいない。それだけでなく、粒子光をエネルギーとしたビーム兵器にしたことで爆発による飛散の心配もなくなったんですよ? これ以上の進歩がありますか」


「大和の仕様が変わったことが不満じゃない。仕様の変更自体は大和はなにも昨日や今日決まったわけではないはずだ。それを知らされたのが今日だということに不満……というよりも、それは大問題だといっている」


藤崎の言っていることは正論だ。


それをわかったうえで権財寺は笑いながら視線をモニターに戻す。


「倫理観としてはお察ししますよ、ただここにはこの私がいます。問題はありません、あなたは現場指示に集中すればいい」


「それともう一つ大きな問題があるだろう」


「問題……? なんですかそれは」


権財寺の隙間を縫うような言葉に藤崎は立ち上がって声を大きくして捲し立てた。


「人害がでないのが必須だといったはずだ! 葵町上空にいたあの【少女】たちはどうなる! 今の二撃目をなぜお前の判断で撃った!」


「なぜってそりゃあ……そこに【脅威】があるからですよ。藤崎対銀雪責任官庁」


やや低い声で権財寺は言った。


「空を飛ぶ人間が人間だといえますか? 普通はそんな得体の知れないものは人間だといわない。大体、あなたの考え方はおかしいのだと思いますよ?

 なぜなら空を飛ぶ未確認の人型生物が確認されたら、それを【人間】だとはいわず、【銀雪の元凶になっているナニカ】だと思うべきです」


「なんだと……!」


「これ以上の不毛な議論は不要ですよ藤崎対銀雪責任官庁。これまでの貴方が大和に尽くしてきたことを上層部もちゃんと認めているから、このような状況でも貴方に仮初の指揮権を渡しているんだ」


「仮初……だと」


モニターに目を戻した権財寺は再び藤崎を見上げると、やはり薄笑みを浮かべたままの表情で、言うことを聞かない子供に語り掛けるような口調で答えた。


「ええ、貴方はちゃんと評価されているんです。だからそこに座っている。なのでそこで大人しく座っていてください、そして『指令気分』を味わってもらえればいいですよ。貴方がどんな指示や命令を下しても最終決定権はここにある」


権財寺は自らの胸に手をあて、「最終決定権はここにある」の「ここ」が自らであると示唆した。


「貴様……!」


「まあお茶でも飲んで落ち着いてください。一撃目のような『ここならいいかな』というところで発射命令を出せばそのタイミングで許可してあげますから」


ふと気づけば、局員の誰もが藤崎を見ようとしなかった。それはひと目見て権財寺に指揮権があることを不本意に思っている様子ではあるが、逆らえない力に抑圧されているのがわかる。


「知らないでいたのは……私だけだったということか」


「仕方がありませんよ、藤崎対銀雪責任官庁。これがジェネレーションギャップというものです。いつのまにか貴方の時代は終わっていたということです」


興味を失ったといわんばかりに権財寺は三度モニターに視線を戻し、「ではゆっくりと銀雪の終幕をごらんください」と静かに笑った。



「さあミリオンのみなさん。ここからが正念場ですよぉ! このタイプBの大和砲で脅威が去ったとは思えません、というかタイプCを試す前に消滅しちゃったら勿体ないのでこれで終わられると困っちゃうんですよね。以上のことから三撃目の準備、急いでください」


彼らからは小さな返事しか返ってこなかったが、権財寺は気にすることもなく、モニターに集中した。


「藤崎指令!」


誰かが鬼気迫った様子で藤崎の名を呼ぶ。


だが藤崎の名を呼んだ局員の男はすぐに権財寺に目を落とすバツが悪そうに「あ……」と言葉を濁した。


「なんだ。いいから言ってみろ」


権財寺が不機嫌そうな顔で一度その男を見たが、黙って頷くと続く言葉を促す。


一度唾を飲み込み、局員の男は少し震えたような口調で信じられないようなことを報告した。


「……銀雪が、日本全国で降雪を始めています」


「なんだと!?」


まさに寝耳に水とはこのことだった。


一撃目の大和砲と二撃目の大和砲、そして準備中の三撃目に備えている状況で、葵町だけでなく全国に銀雪が降り始めているというのだ。


「ど、どど……どういうことだぁ!」


取り乱したのは権財寺だ。


あらゆる想定外の出来事は想定していはずだったが、その中のどれにも当てはまらない、想定外中の想定外だった。


これまで二か所で同時に銀雪の降雪が報告されたことはあるが、全国で同時に降雪するというのは前代未聞の出来事。


プライドの高い権財寺が動揺するのも無理はない。


「す、すぐに大和をほかの地域に向けろ! そうだ……タイプCの準備を中断し、出力の小さいBにしよう! 早くしろ、早くしないとお前ら全員クビにするぞ!」


「報告しろ」


藤崎は狼狽えて的外れな指示を出す権財寺を制止、極めて冷静さを失わない藤崎はまず現状の報告を優先させる。


「おい、なにを勝手な……! わからないんですか、ここの全指揮権と権限は……」


「君にあるのだろう権財寺くん? ならば私にあるのはなにかね」


「はあ!?」


「単純な話だ。私にあるのはここまで費やしてきた時間と、信念がある。君と私のどちらが正しいのかなど問うつもりはないが、現場に立つ私以上の正義はあり得ん」


「馬鹿だろあんた! 僕のように正確な知識と判断能力を持たないのに誰があんたに従い……」


そういって権財寺が局員たちに振り向くと局員たちは黙って持ち場につき、藤崎の指示に従い各モニターを確認した。


「おい、お前たち……わかってるのか、この僕が!」


「黙れ若僧!」


「ひっ……!」


藤崎に一喝され怯んだ権財寺は一瞬言葉を失う。


「すべての責任は私が取る。お前はそこで現場というものをよく見ておけ」


藤崎がそのように締めてやると、権財寺はそれっきり黙りこくってしまった。


そんなことに構わず、藤崎は局員に状況を尋ねると群馬、四国、近畿地区にも緩やかではあるが銀雪の降雪が観測されているという。


北海道や沖縄といった日本の端にはまだ銀雪は観測されていないが、徐々に観測は広がりつつあり日本全土に降雪するのは時間の問題と思われた。


「……なぜ、突然こんなことが」


これまで関わってきた銀雪、そして触れてきた資料や事例を脳内にばらまき、フル回転させてゆく。


――考えろ、なにかがあるはずだ。なにかが……


藤崎の思考エンジンがギュルギュルと回転し、どうすべきか糸口を探す。


途方もないことではあるが、現状でそれができる人間はこの世で藤崎だけだ。


それだけ彼は目に見えにくい膨大な時間を銀雪根絶と大和に費やしてきたのだ。



「指令! 銀雪の拡大は葵町を中心に……日本を超えようとしています!」


思考が糸口を手繰り寄せる前に、残酷な報告が飛んだ。


「銀雪が……日本を超える……?」





――シャク。


おばあちゃんのお店で買ったチョコホームラン。


最後のひと口を食べておばあちゃんに袋を渡すと、おばあちゃんは袋の裏を確かめて笑って首を横に振った。


「残念だったね、またハズレさね」


「ええー、このままうち一生チョコホームラン当たらないような気がするー」


ぷくっ、と膨らませた頬。


ぼたんの膨らんだ頬をおばあちゃんは人差し指で潰すと、怒ったような口調で優しく言った。


「さっさと帰りな。お母さんと今日はパーテーをするんだろ」


「違うって! 『パーテー』じゃなくって『パーティー』!」


「あらそうかい? どっちにせよあんたが帰らないと店を閉めれないから迷惑なんだよ」


口が悪いのは愛嬌のようなものだ。


他の同級生がおばあちゃんを敬遠する中、ぼたんは口の悪い【優しい】おばあちゃんにいたずらっぽく笑うと、二つのおさげを揺らしながらくるりと回って玄関の引き戸を開けた。


「じゃあおばあちゃん、またね。明日、パーティーのこといっぱいお話ししてあげるから」


「そんなもんいらないよ」


と言ったおばあちゃんが笑顔だったことは背を向けたぼたんにはわかっていた。


おばあちゃんは照れ屋だから照れ隠しに口が悪いのだ。


「じゃあまたね、おばあちゃん」


「もう来なくていいよガキンチョ」


今度はしっかりとおばあちゃんの笑い顔を確かめてぼたんは家へと走った。


今夜はぼたんの母親が夜の仕事を休んで、一緒にパーティーをしてくれることになっている。


ずっと溜め続けた貯金箱の中身は5000円を超えていた。


ぼたんはひとりでいることが多かった。


ひとりじゃないときはつねに駄菓子屋のおばあちゃんと一緒にいた。


そのせいかほかの同年代の子供よりも落ち着いていたし、大人びていたのかもしれない。


たくさんの硬貨は銀行に行けば両替をしてくれるのだとおばあちゃんに教わった。


だからぴかぴかのお札を母親に渡して、「お母ちゃんとぼたんでパーティーしたいんだ」と言ったとき、ぼたんはとても得意げな顔をした。


当然、母親は「このお金どうしたの?」と聞く。


そして空になった貯金箱を見せる。この時母が見せた驚いた表情と、嬉しそうな表情をぼたんは忘れない。


18時のチャイムが鳴る少し前にぼたんは家に着いた。


5月のよく晴れた日。18時だといっても空はまだ明るいままだ。


なのに部屋の中は真っ暗だ。


カーテンは閉め切られており、電気もついていない。


ぼたんの母が昼の仕事のみなら、とっくに帰ってきているはずの時間。


「お母ちゃん……やっぱり夜の仕事休めなかったんだ……」


ぼたんは悲し気に独り言を呟いた。


予想していなかった訳じゃない。でもそうなってほしくないとは思っていた。


パーティーができるのは今日だけではないとはいえ、それでもやはり幼いぼたんにはショックだった。


だが子供心にでも「仕方ない」と自分に言い聞かせながら、おばあちゃんに明日なんて話そうと考えた。


おばあちゃんは普段、口が悪い癖にぼたんが母親について落ち込んだことを言った際には一切悪態はつかなかった。


ただ黙ってじっくりとぼたんの話を聞き、最後に「そうかい」とだけ言った。


きっと明日もおばあちゃんは「そうかい」とだけ言うのだろう。


ぼたんはため息を吐きながら傷心のまま部屋の電気をつけた。


パァン! 


部屋が明るくなったのと同時に鼓膜を襲う破裂音と、細か色とりどりのリボン。


「……え」


「おっかえりぃ~! ぼたん!」


100円均一で買ってきたのか、時代錯誤のような三角帽を被った母がぼたんに向けてクラッカーを鳴らした音だった。


「ね? ね? びっくりしたでしょ、ぼたん! 今日はぼたんとパーティーするために張りきったんだから」


クラッカーに驚いて固まったままのぼたんに、満面の笑みで母はテーブルいっぱいに並んだ料理と、子供でも飲めるシャンパンを指した。


テーブルの上にはピザ、ポテト、フライドチキン、ミートボール、中央に盛り付けたたくさんのチョコホームラン……ぼたんの好きなものばかりだ。


好きだけどほとんど食べたことのないもの。


教室の誰かがピザを食べたという話を聞けば自分とは関係のないことだと諦めていた。


ファーストフードでハンバーガーとポテトを食べたのを聞けば、自分にはまだ早いと言い聞かせた。


骨のついたチキンなんて、アニメの世界だけのものだと思っていた。


それが目の前に全部ある。


「どう? すっごいでしょ~。食べきれないくらい買ってきたからおなかいっぱい食べなよ」


ぼたんはこれまで生きてきた中でこの日が最も嬉しい日になった。


目の前に並んだおいしそうな料理がうれしい。


でもぼたんが本当にうれしかったのはそれではない。


「今日はね、……お母ちゃんとぼたん。二人っきりのパーティーだよ!」


わざとらしく精一杯明るく母はぼたんに言ってやると、ぼたんは母の胸に飛び込んだ。


「ちょ、ちょっとぼたん! もうお姉ちゃんなんだから……」


「お母ちゃん! お母ちゃん! お母ちゃん!」


ぼたんは泣きながら母の名を叫んだ。


ぼたんは泣きじゃくった。母の胸に顔を擦り付け、小さな腕で思いきり抱きつき何度も母の名を呼んだ。


「お母ちゃん、寂しかったよぅ! お母ちゃん、うちずっと寂しかった! ひとりぼっちはイヤ、うちお母ちゃんと一緒がいい! お母ちゃん、お母ちゃああん!」


「……そうだね、ごめんね。ぼたん、ひとりぼっちにさせちゃったね。でももうひとりぼっちにさせないから。ぼたんの傍に、お母ちゃんがずっといるからね」


ぼたんはずっとひとりだった。ずっと、我慢していた。


いつしかひとりに慣れてしまうことが怖い。いつしか母を求めなくなる自分が怖かった。


だがぼたんの夢は叶ったのだ。彼女はもう、ぼたんはもうひとりきりではない。


「頑張ったね、ぼたん。大好きだよ、私のぼたん」


「お母ちゃん、大好き……。ずっと一緒にいてね」


「うん、約束するよ。ぼたん……」



母の胸は温かく、柔らかく、そしていい匂いがした――。




閃光の後に目を開けると、横殴りの風に乗り吹雪く空。


景色自体は変わっていないが、大和の光線による余韻で銀雪が渦のように舞い上がっている。


その中でひまわりは自分が生きていることを自覚した。


直後に彼女が取った行動は、仲間の安否確認である。



「みんな! みんな大丈夫!?」


吹雪に目が慣れたひまわりの視界に重なり合うようにつばきに抱きついているふじ、ききょう、きくの姿。


疲弊しているようではあるが、無事なのはわかった。


正面で構えた傘は傷一つなかったものの、衝撃を正面から受け止め続けた傘を握るつばきの手は血まみれだ。


だがそれでもつばきは笑顔でひまわりに手を振った。


ほかの三人もみな同じく無事らしく、ゆっくりと立ち上がると辺りを見渡す。


それに胸を撫で下ろすとひまわりはぼたんがいないことに気が付いた。



「ぼたんちゃん……ぼたんちゃん」


閃光の瞬間、つばきから離れていたひまわりを抱いてぼたんは飛んだ。


そして目を覚ませるとぼたんはいない。……ひまわりの中でイヤな予感が走る。


「ぼたんちゃん、ぼたんちゃんどこ!?」


きょろきょろと周りを見回すがぼたんの姿はない。


そんなはずはない、さっきまで一緒にいたはずだとひまわりは目を凝らし、声を張り上げてぼたんの名を呼んだ。



「ぼたんちゃん!」


ぼたんは無事なはずだ。


自分も、ふじもききょうもきくも、つばきだって無事だった。


ぼたんになにかあるわけがない。


ひまわりは出せる限り大きな声でぼたんを呼ぶ。


「ぼたんちゃあん!」


その時、ぼたんの羽根下駄についた鈴の音をひまわりの耳が拾った。


「ぼたんちゃんっ! よかった!」


反射的に鈴の方向を向くと、もう一度鈴の音が間近くで聞こえた。


「ちょうど、仕留め損ねたことを悔いていたところでしたので」


ガルの声だった。


ガルはひまわりの上空から黒い鎌の柄で手を休めながら言った。


鈴の音と一緒に放り投げられたのは羽根下駄・十四松。


だが下駄だけでなく、下駄の鼻緒にはぼたんの足首から下がかかっている。


ひまわりはその綺麗な足の形には見覚えがあった。だが、一生懸命、その足は見たことのない人間の足だと思い込もうとした。


「手負いで無防備な状態とあらば、早い段階で死んでいただいたほうが私としてもやりやすいので。ああ、その魔具は足ごとお返しします。残りはすべて塵ほども残りませんでしたので」


ガルの言葉を聞きながら、ひまわりの瞳からぼろぼろと涙がこぼれていく。


せき止められない涙を拭うこともせず、ひまわりはぼたんの足を抱きしめた。


「ぼたんちゃん……私のせいで……」


――ぼたんが死んだ。


ふじ、ききょう、きく、つばき、ひまわりにあまりにも冷酷で残酷な死が突き付けられた。


仲間の死は初めてだった。


人が死ぬときというのは、別れの言葉をいえるものだとばかり、クレイン達は無意識に思っていた。


なのにさようならを言う間もなく、気付いた時にはぼたんは死んでいた。


この世に魔具と足だけを残して。


「あんたら油断すんな! ぼたんが死んだからって呆けてたら次は自分が死ぬぞ!」


ふじの檄がクレイン達を正気に戻させる。


覚悟はしていたつもりだったが、現実は想像よりも過酷だった。


想定していた覚悟が足りなかったことを痛感しながら、折れそうになる膝を必死で立たせ、仲間の死を悲しむ余裕などない戦乙女たちはガルに向き合う。


「ふむ。これで二人目……ですか。クレインさくらの没落は人間側の勝手な自滅でしたので幸運だったと言わざるを得ませんが、貴方方の【足】を潰せたことはよかったですね。……それに」


ガルは空を静かに見上げ、邪悪に口元を歪ませる。


「金の魔法陣も解けたようですし、これもまた幸運……」


「金の魔法陣……?」


ガルの言葉に反応したのはききょうだった。


本来ならば答える義務も義理もないが、気分を良くしているのかガルはききょうが聞き返したことについて答える。


「そうです。【金の魔法陣】大魔女クレインが500年前に張り巡らせた結界魔法。本当ならば私たちナハティガルは人間界ならば場所を選ばず訪れることができるはずでした。

 ですが大魔女クレインがこれを敷いたことで、ナハティガルがプルンネーヴェを降らせる範囲が日本だけに限られてまったのです。日本国内だけでも狭いのに、葵町以外の地になると魔力にも制限がかかります。

 銀雪を降らせるだけでも魔力を消費するのに、それ以上に制限がかかるとなればおのずと葵町に訪れるのが多くなります。そう、まるで……『ナハティガルとクレインを戦わせようとしている』ように」


大魔女クレイン……お鶴と与作の約束。


お鶴は与作の約束を守ろうとした。ナハティガルが誰も持たない【愛】を知ってしまったがために、自らの種族を時間をかけて滅ぼそうとした。


「それは人間からすればありがたい話でしょう。ですが、私たちには……」


そういったガルは黒い鎌をつばきに向けて振り下ろした。


言葉にできない鋭い音が周囲に走ったかと思うと、咄嗟に傘を構えたつばきの背からまた血が噴き出す。


「ぎゃっあ!」


そう、傘での防御をすり抜ける【音の刃】である。


「やばい、つばきを守れ!」


足であるぼたんを斃したガルが次に狙うのは【楯】であるつばきだ。


ふじの掛け声でつばきの周りにクレインが集結し、次の攻撃に備える。


「私を斃したいのですか? それとも仲間を守りたいのですか?」


呆れたようにガルがそのように言い放ち、その場から消えた。


「それとも……どちらも求めているなどと愚かなことを考えているつもりはありませんでしょうね? そんな虫のいいことを」


鋭い音が幾重にも重なり走る。


「任せてちょ! みんな耳塞いで!」


きくが先頭に立ち、『白磁はくじ』と詠った。そうして自らの頭上に簪を放り投げると、まばゆい閃光を放ちながら凄まじい炸裂音が周囲に響き渡る。


音の刃ならば音でかき消す。


きくの策は成功し、刃はかき消された。



「音に気を取られるということは、注意力が行き届かなくなるのですよ。クレイン」


きくの簪が炸裂した直後、ガルはクレイン達の目の前にいた。


黒い鎌できくの胸を貫きながら、細く尖った眼差しを冷たく放ち……。


「あっりゃ……あ?」


ガラガラとした咳でたまらずきくは吐血し、その血を頬に受けたガルは舌なめずりで血を舐めとった。


紅鬱金べにうこん!』


ひまわりの帯がプロペラのように回転し、空気中の摩擦で炎を出現させた。


――きくちゃん、ごめんっ!



この戦いを終わらせる。終わらせなければ。


その思いでひまわりは傷を負ったきくにかまわずガルにとびかかった。


「や、る……っすなぁ……ひまちん」


口元から血を流しながらひまわりを褒めたきくは、致命的なダメージにも拘わらず親指を立てた。


至近距離からの突進に、鎌で火炎プロペラを防ぎきれないガルは素手の方の腕を構える。


「さすがにこの距離でそれを避けるのは難しそうです。ですので、このように対処いたしましょう」


ガルの構えた腕が鉛色に変色し、たちまち艶やかに周囲の光を反射させた。


「硬化、ですか。ですが、甘いですわ!」


ガルの腕に煙がまとわりつき、瞬時にして凍結してゆく。


「硬化したことを悔いてださいまし!」


「うおお!」


同時に鎌に貫かれたままのきくを解放させようとふじがもう片方の腕に向かって刃と化した扇子を振りかぶった。


「ッ!?」


観念したかのようなガルの瞳。


ひまわりが凍結した腕を、ふじがきくを捉える腕を同時に仕掛け、ききょうもガルに致命傷を食らわせようと頭に目がけてキセルを構え突進した。



「待って、みんな!」



それらを制止したのはひまわりだ。


ききょうとふじの構えた腕がびたりと止まる。


何事かとひまわりを一瞬見たのちにガルに目を戻すと、そこにいたのはガルではなくきくであった。


「な……ッ!」


「き、きくさん……!」


ガルはきくと入れ替わっていたのだ。


危うくきくに攻撃を加えるところだった二人は慌ててそれぞれの魔具を引くと消えたガルを探す。


「きくちゃん、大丈夫?!」


「いたた……さすがひまちん、間一髪すなぁ……」


痛みに顔を歪めながらきくはひまわりの肩を抱いた。


「ふむ、みなさんお揃いで狙いやすいですね」


ガルの声が響き、彼女を探していたクレインたちはみつからなかったはずの姿をもう一度見渡してみるがいない。


「どこだ! どこだチクショー!」


「こちらですよ、愚かなクレインたち」


再度ガルの声を探すが上空にも周囲にもいない。


「……下ですわ!」


クレインたちは一斉に足元に目を落とした。


そこには逆さに立つガルがこちらを見下ろし、黒紫の魔力によるオーラを放出するところであった。


「やばっ……! 間に合わ……」


この距離からの攻撃は何が来ても回避することは難しい。


その場の全員が直感的に思った。



直感で彼女たちが悟ったのを視覚化したかのように、目の前を丸い花弁が視界に映るガルを隠す。


「大丈夫や、あーしがまだおるし!」


傷だらけで血に染まった背中越し、つばきは傘を構えて力強く叫ぶ。


「あーしは、傘のクレイン! 例え雨が逆さから降ったかて全然余裕や!」


どこかで小さな舌打ちが聞こえ、それがガルのものだと全員が悟ったのと同時、激しい衝撃波がクレイン達に襲い来るが、つばきの傘が線路の分岐点のように衝撃波を割る。



「本当に邪魔な能力ですね……《それ》」



ガルの次の声は足元ではなく頭上からだった。


だが正面を割る衝撃波はまだ続いている。


「なんや、分身!?」


つばきの背に隠れるクレインたちはそれぞれ魔具を構え、傘での防御で手を離せないつばきに変わってガルの攻撃を迎え撃とうと睨み付けた。


『マギ・オーダー・デスサイズ』


無詠唱魔法が自慢のガルだが、召喚魔法はそういうわけにはいかないらしかった。


漆黒の魔法陣が出現すると、おどろおどろしい巨大な死神が姿を現す。


「し、死神……!?」


「これほどのものを召喚するですって……!?」


ガルがなにかをするたび、勝ち目は途方もなくなってゆく。


このオーダー魔法はその最たるものと言ってもよかった。



だが、目の前で広がる悪夢は、彼女たちの想像を超えたのである。


「ここまで全力ではなかった……とはいいませんが、やや時間をかけすぎたかと思います。そろそろあなた方には死んでもらいましょう。また《あの光線》がここを襲う前に」


ガルが呼び出した死神は、ガルが手に持った鎌に吸い込まれていくように同化し、ガル自身を軽く抜く巨大な鎌に変貌してゆく。


禍々しく歪み、凶気を放出する黒く巨大な鎌はあらゆる命を刈り取るのだと即座に連想させる。


命を奪うためだけに存在する、悪魔の鎌であった。


「ありゃりゃ……、ちょっとあれはもうだめじゃないっすかねぇ……」


苦笑いすらも作れず、きくはただそれを見た感想を呟く。


まさに死神が笑った口元のように三日月を描く刃。


これを見た者は誰でも自らの首を刈り取られるイメージを植え付けられるだろう。


鎌は笑っているのに、それを持つ死神よりも邪悪な魔女は無表情のままで彼女らを見下ろした。


「さて、この一振りで何人死ぬでしょう。ひとりは絶対。ふたりならば運がいい、といったところでしょうか」


そういって黒い鎌を振り上げると、鎌の柄が生き物のようにぐにゃりと曲がった。


「あほ! なにしてんねんみんな!」


背中越しにつばきが叫ぶ。


つばきが言いたいのは、自分の後ろにいるままでいたらみんなあの黒い鎌の餌食になってしまう、ということ。


耐えている衝撃波は直撃こそすれば致命的だが、自分が傘で跳ね返し分散している以上、威力はそこまででないはず。


つまり自分を放っておけば背の仲間たちはこの状況から逃れられるはずだった。


「あほはお前だつばき! ぼたんがやられて、お前までやられたらもう勝ち目ねーってんだよ!」


ふじが普段よりも大きな声でしたためる。


その声の大きさが、状況の緊迫さを物語っていた。


――わかる、わかっとる! せやけど、それじゃあ共倒れやねん。そんなんでええわけない……!


背を向けていてもわかるプレッシャー。


ガルが邪悪な鎌を背負い、迫ってきている。体感時間がゆっくりとしている中、クレインを減らすわけにはいかない。


そうなれば、すでに怪我を負い戦力として機能していない自分が……。


――こないなこと考えてるってふじはんが分かったらまたあほ呼ばわりされるんやろうな。


極限状態。


死を望めば一秒すら必要としない状況の中なのに、つばきはほんの少し笑みを浮かべた。


――ええ人生やったなぁ。


そんな風に考えたことはなかった。


どちらかといえば、退屈と鬱積した感情に支配された人生だったといっていい。


つばきはこれまでの人生を楽しいものだと思ったことはない。



だが本来葵町の人間であったはずの自分が大阪で暮らし、友を作った。


戦いとは無縁の生活の中、母の愛情を受けて育った。


おいしいものを食べ、なんでもない毎日を過ごし、その最後で自分が戦士だと知り、覚悟を決め戦っている。


大事なものほど無くなってしまってからその重要さに気付くというが、つばきもそうだ。


大阪を離れ、母親から離れ、単身戦うためにやってきた。



今ならば大阪にいたことを幸せだと思う。母と暮らした17年は本当に幸福だったと思う。


反面、ずっと戦ってきたクレインたち……自分の本当の仲間の存在を知らなかったのは不幸だった。


いや、不幸ではない。


自分は鶴賀つばきという少女の人生を二人分満喫したのだ。


だから、不幸ではなく幸福。


この戦いで深く傷ついた今だって、つばきは幸福の中にいた。


――大阪のみんな、クレイン……七鶴のみんな。ぼたんはん、さくらはん……。おおきにやで、おおきに。



どんっ、と傘を振り回し背にいた4人を払う。


放出され続ける衝撃波が一瞬にて4人を散り散りにした。


「つばきっ、なにを……!」


「つばきちゃん! やめて!」


「つばたんく、早まっちゃダメっすよぉお!


「つばきさん! 早くこちらへ……!」


つばきは傘を肩に担ぎ、かろうじて衝撃波の威力を殺しながらガルに向き合った。


「あーしは鶴賀つばき! 笑いと食の都からきた唯一のクレインや!」


つばきは笑った。おそらく、これまでの人生でもっともまぶしい笑顔で。


「……ごきげんよう」


ガルの鎌はつばきを衝撃波ごと真っ二つに斬り裂いた。


落下傘のように左右に揺れながら魔具・遅松はゆっくりと落ちてゆく。


なのにつばきの骸はゆっくりと落ちる傘を追い越し、二つの音を立てて堕ちた。誰の目から見ても、つばきが死んだことがわかった。


だが実際は地面に激突するまでの間、つばきの意識はあった。


急激に遠くなってゆく空を見つめながら胸から下を失ったつばきは降り続く銀雪の中で衝撃波と鎌の斬撃をぶつけ相殺できたのを見届け、大阪に残した母を想う。



――おかん。あーし、やったで。めっちゃ戦った。これまで戦わんかったぶん、取り返せたかわからんけど……あーしな、戦ったで。クレインとして戦って死ぬねんで。あーしは、自分の人生をちゃんと、ちゃんと生きた。最後は仲間守って、ちょっと役に立って死ぬんやで。ほんま、しょっぱいけど……ええ人生やったわ。でもな、おかん……今まであーしを精一杯守ろうとしてくれて、愛してくれて、ありがとう。おおきにな。先に逝くんは偲びないけど、ゆっくりしてから来てや。待ってる……で……。

あとはよろしゅうな、みん……な……


「ひとり……でしたか。まあよしとしましょう」


黒鎌を蠢かせながらガルは全身から黒紫のオーラを漂わせ、つばきを葬ったことに手ごたえを感じていた。


「つばたんく……」


「うう……!」


「ちくしょ……チックショォオオ!」


「……つばきちゃん!」


ぼたんに続いてつばきまで没してしまった。


喪失感と焦燥感、怒り、憎しみ、悲しみ、殺意。


あらゆる感情を押え込もうとするが、若いクレインたちは無理をしてもにじみ出てしまう。


人が死ぬことは悲しいことなのだ。


友が死ぬことは辛いことなのだ。


だが泣くことすら許されない状況で、彼女らが最優先にしなければならないことは、大魔女ガルを如何に斃すかということのみ。


仲間を弔うのは後だ。仲間を悔やみ涙を流すのは戦いの後だ。


次に死ぬのは自分かもしれない。


次に死ぬのは隣の誰かかもしれない。



最初から全員五体満足で勝てるとは思っていない。だが敗北だけはあり得なかった。


「つばき、ぼたん……それにさくら、ですか。偶然なのか必然なのか、この国の花の名を持っているのですね。花のもっとも美しいのは散り際……。そのように聞いたことがあります。

 美しいものとはなんなのか、あまりわかりませんが散り際が美しいとするのなら、私が散らして差し上げましょう」


黒い鎌が邪悪なオーラをより一層大きくし、次の一撃もまた、喰らえば致命傷になるであろうプレッシャーを放っていた。


「さて……ワルツはお好き?」



「みなさん! 《アレ》をいただくとまずいですわ!」


「みりゃわかるよ! くそ、めちゃくちゃかよ!」


ガルは鎌を振り上げ、距離感など無関係だと言わんばかりの瞳をクレイン達に向ける。


「来るよみんな!」


全員がガルの一撃に備え、構えた時だ。



――ガルが目前から消えた。



「……ッ!?」


辺りを見回し、ガルの姿を探すクレイン達の中。


きくは全身が総毛だつ感覚を覚えた。


「仕留め損ねた者から狩たがるのは私の悪いクセのようですね」


「あ……りゃ……」


反射的に振り上げた鎌を回避すべきだとわかっているのに、きくの体は先ほどガルに貫かれた胸の傷のせいで動かなかった。


仮に五体満足だったとしても回避困難であろうガルの鎌。


自分がどんな風に体を分断されて死ぬのかも想像がつかないうちに、それは振り下ろされた。



――みんな、ごめんす……!



きくは目を閉じた。


「まさかとは思いますが、もしかして今、諦めたのではなくて?」


「おりょっ!?」


きくが目を開けるとききょうがキセルでガルの鎌を受けていた。


「刃が届かなければ、このキセルでも受け止められるのですね……大魔女ガル!」


「確かに。指摘の通りです」


ききょうはキセルで鎌を跳ね返し、きくを背にキセルをもう一度構える。


「貴方はまたあのくだらない配信でみんなの前に立たなければならないのでしょう? KickKick!」


「ききょう……ちん……」


きくはききょうが自分を助けに来てくれたことに感慨深さを感じた。


しかもききょうは恥ずかしげもなく、きくを『KickKick』と呼んだのだ。


「まだ死亡フラグじゃないってことっすか……Kick-YO」


「その名前で呼ばれるのはむず痒いですわ。ですが……」


キセルの先をガルに向けるききょうは、『萌葱もえぎ』と詠う。


急激な速さで、キセルの先端が伸びガルへと迫った。


「呪文を詠唱しなければ行使できないとは、不幸なことですね。なぜなら、詠唱した時点でなにかしらの魔法を行使することが分かり、それに向けてこちらは備えることができる。このくだらない魔法もそうです」


ギュルギュルと伸びるキセルのまとわりつくよう、回転しながらガルがききょうへと迫った。



爆発。



ガルがきくの元に出現してからここまでは瞬く間の出来事だった。


ききょうがいち早くきくの危機に感づいたが、ひまわりとふじはワンテンポ遅れた状況。


その中での爆発に、ひまわりとふじは動きが止まる。


「あの爆発って……」


「ああ、きくの簪爆弾だな」


そう、二人はそれがきくの魔法による爆発であると知っていた。


「とにかく早く行こう!」


「ああ」



なんだかんだでお気に入りじゃないっすか、ききょうちん……あ、Kick-YOだっけ


……あれはあの時、きくさんがそういえば喜ぶだろうと思っただけですわ。


ありゃりゃ、喜ばそうとしてくれたんすか? こりゃ珍しい~。雪でも降るんじゃ、って降ってるすなぁ


あ、あそこでああいっておけばきくさんのモチベーションが上がって、怪我を理由にのろのろとしないで済むと思ったのですわ。


ふんふんふーん……とかなんとか言っちゃって、ききょうちんも割とノリノリだったじゃないっすかぁ? 

 好きなんしょ? ほれほれ、言ってみ? ヴォーイ! って



し、心外ですわ! わたくしがそのような下品なことを言うわけございません!


一回言うたやん自分


なぜ関西弁?! ……ともかく、最後に役に立つにはわたくしにとってきくさんは必要な人だったのですよ。


Kick-YOにそう言われちゃ光栄す……。正直ききょうちんは苦手なキャラだったんすけどねぇ、なんというか苦手なのは変わらないけど一番信用できるっていうか


奇遇ですわね。わたくしも貴方のことは苦手ですわ。

でも同じく、きくさんとでしたら誰とでも立ち向かえるような……妙な安心感があるのです。


気持ち悪いけど、うれしいすな!


ひまわりさんとふじさんを残してしまいましたね。


だぁねぇ~。ま、どうせすぐにどっちもこっちに来るっしょ


きくさん! なんてこというんですか、縁起でもない!


ありゃっ!? なんちゃってゴージャスが怒った!?

別に負けるからとか、すぐ死ぬって言ってるわけじゃないし、使命とかってのも言う気ないっすよぉ?

でもなんてーか、信念のもと死ねるならそれはそれで幸せかなーって


見損ないましたわきくさん! それにわたくしはなんちゃってではございません!

……とは言ったものの、わたくし自身否定しきれないところもあるのは確かですわ。不思議と今、心地よい気分ですもの。


敗けることが悔しいことだし、あり得ないことなんだけど、思いきりやって歯が立たなかったってのは清々しいやぁねー


ええ。わたくしたちは力の限りやりました。満足しているわけではありませんが、不思議と安心感があるのです。なぜでしょうか……


んー、それは多分。まだきくりんたちに切り札があるからじゃない?


切り札?


わかんないけど、これですべてが終わるとは思えないんだよねぇ。


根拠もなにも無いくだらない推測ですが、わかるような気がしますわ。この不思議な高揚感と安心感。それはきっとあのひとがいるからですわね。


おりょっ、妙に物分かりがいいっすなぁ! なんかいいことあったっすか?


なんですの!? こんな時までわたくしを茶化して、なにが楽しいのですか!


楽しいっすよぉ~銭形平次の再放送よりずっと! ききょうちんといれるのは楽しいっす


ふふ、なにかいいことあったのかと聞きましたね? 実はありましたわ。

Kick-YOとしてKickKickと戦えたこと


もはやきくりんとききょうちんはアメコミヒーローもびっくりのヒーローっぷりすからなぁ。

世界よ、これが日本のヒーローだっ! 的な?


相変わらずですわね。


っちゅーことで、あの超絶ヤバイ魔女ちんからもお土産もらったことだし、あとはなんとかなるっしょ


そう信じていますわ。きっと無駄にはならないはず


じゃあ、行こっか。ききょうちん


違いますよ、KickKick。わたくしは……


ああ、そうだった。ごみぇーん。

じゃあ改めて……行こう、Kick-YO


ええ、よくってよ。KickKick。



ヴォオーイ!!







「きくちゃん……ききょうちゃああーん!」


爆発の後に残ったのは、黒く炭になったきくとききょうの姿だった。


二人は手をとり、同時にキックを放つ態勢のまま真黒な人影のように爆煙のあとから現れると、銀雪と風に攫われ塵になって消えた。


きくの簪と、ききょうのキセルが風に乗り緩やかに落ちてゆく。


「ききょうと……きくまで……ッ!」


唇から血がにじむほど強く噛みしめたふじが絞りだすように言った。


「無詠唱でなくとも、ごく小さな声で唱え魔法を完成させるとは。油断はしていなかったつもりですが、私自身に驕りがあったことを認めざるを得ないようですね……」


爆発が起こった場所から少し離れたところからガルは言った。


「……やっぱり、仕留め切れてない!」


涙を溜めた眼差しでガルを睨み付けるひまわりだったが、ガルの体の異変にも気付いた。


「ははっ、やってくれるじゃん。ききょう、きく!」


ガルの左腕と左足、左わき腹……。


爆発によってなのか、別の魔法なのか。ともかくとしてガルのそれらの部位が消失していた。


「煙の魔法使いと爆炎の魔法使い。なるほど、個々の能力では目立ちはしませんが、二人がひとつとして動くことで本来以上の力を出したというわけですか。……いちいち興味深いですね。人間というのは」


左半身の四肢を失っているというのに、ガルはなにごともなかったように淡々と分析し、話した。


余りにも平然としているその様子にひまわりとふじは、ききょうたちの攻撃が効いていないのではと案ずる。


「しかし、なによりも私の体の一部を奪ったことは賞賛に値するでしょう。確実に私よりも格下のクレイン風情がこの私から四肢の一部を奪ったのです。拍手を送りたいところですが、片方の手がないのでそれも叶いません。

 ですがそれ以上に私を支配する感情が強くあります。残った二人のクレイン、聞いてくださいますか?」


ガルの目つきが無感情なものではなく、殺意のこもった色に変わる。


瞬間、周囲の空気が淀み重力を課されたかのようにひまわりとふじは体に重みを感じた。


降り荒ぶ銀雪も、その瞬間スローモーションンのようにゆっくりと動き、ガルがなんらかの協力な魔法を行使したのが分かった。


「貴様らごとき下等な存在がわたくしの体を傷つけるとは……許せない! 貴様ら二人は、楽には殺さない! 気が狂うほどの苦しみと痛みをもって、死ぬがいい!」


黒く紫色を帯びた魔力が周囲を包み、ガルが放つ壮絶な殺意が二人を食い殺さんばかりに覆っている。


「…………ッッ」


ふじがなにかを話そうと口を動かすが、意に反して声がでない。


「…………!」


ひまわりも同じくふじになにかを言おうと試みたが、ふじと同様に言葉は声になって出ることはなかった。



「詠唱魔法など、声を潰せばなんの意味も持ちません。いかがですか? 成す術もなく殺される気分は?」


ゆっくりとガルはふたりに近づいてゆくと、体の自由が効かないふじの手首に手をかざした。


「……ッ、ッ!」


声にならない悲鳴を上げながらふじの手首から肘が溶け落ちる。


「い~い顔をしていますよ、クレイン。貴方はひと目見た時から癇に障る顔をしていたので、とても楽しいですね……ほら、こっちも」


次に左足の太ももを溶かされ、液状化してしまった患部を見てガルは高笑いをした。


「そこの黄色いクレイン、心配しなくとも次は貴方をいたぶり殺してあげます。ですので、仲間のクレインが徐々に溶かされ苦痛の中で死ぬのを見届けておきなさい」


――ふじちゃん! ふじちゃん……! なんで体が、これじゃ私がここにいる意味がないよ!


言葉が出ないひまわりはふじを涙ながらに見つめた。


「……」


ふじはそんなひまわりの視線に気づき、彼女のほうを見返した。


――え?


ふじの眼差しは苦痛に敗けた者の目つきではなかった。


『まだ終わっていない。諦めんな』


そう言っているようにも見えたのだ。


――でもどうすれば……



今の自分は声が出ない。だから魔法も使えない。


しかも動きの自由を奪われている。



ぇえええ!」



飛んできたのはミサイルだった。


光線でも魔法でもなく、人間が作った物理兵器。


それが空を割りながらガルを目がけて飛んできたのだ。



「な、これはっ!?」


「……」


急な事態にふじを見ると、ふじの口元は笑んでいた。


「なにをしたのですか、答えなさい! 答えろクレイン!」


ただ口元に笑みを浮かべているだけのふじに違和感を感じたガルは、彼女の残っているほうの手を見る。


「魔具……魔具はどこだ!」


ガルが取り乱し、見回すとふじの扇子はガルが張った魔法結界の遥か頭上にあった。


そしてそれは扇風機のように回転しながら、結界の周囲に降る銀雪をすべて飛ばしていたのだ。


「プルンネーヴェを……? まさか、私たちの姿を!」


ミサイルはこの結界に向けて発射されているのは一目瞭然だった。


ミサイルが直撃する前にガルは結界を解き、迎撃の態勢に移る。


「ばぁか、人間舐めてっからだよ。クソ魔女!」


結界が解かれ、言葉を発することができるようになったふじの第一声はそれだった。



魔女や魔法少女たちナハティガルは、クレインとの闘いで対魔法の戦いには慣れていたが、人間の扱う兵器に免疫がない。


それがどのようなものか、ナハティガルに通用するのか。


それらはすべて未知数であった。


だが今は違う。


さきほどの光線によって、さくらとカナリーが大ダメージを負った。


人間の兵器が充分に有効だと証明されたのである。


光線に関してはガルも警戒していたが、ミサイルのインパクトに脅威を感じていたようだ。


強張った表情からそれが見てとれた。







「藤崎指令、まもなくターゲットと旧式大和が接触します!」


「よし、ターゲットサークルのレッドエリアで炸裂させろ」


「レ、レッドですか!?」


「頼む、レッドでないとダメなんだ」


藤崎の真摯な言葉を受けたスタッフはそれ以上反論はしなかった。


代わりに、強いまなざしでモニターに集中する。


「……レッドゾーン入ります。炸裂させます!」


「やれ!」


「旧式大和砲、炸裂!」




ミリオン局内は、これまでに味わったことのない種類の緊張に包まれていた。


銀雪の降雪地帯が日本全土……さらには海を越えつつあるという未曽有の事態。



各地ではすでに羽根病にかかり、次々と患者が運び込まれる病院はパンク状態だという。


その状況に、局地的、つまり葵町用に特化した対銀雪兵器として光線型の新型大和が開発された。


だが降雪がこうも広範囲に渡るとなれば、光線型は無意味だといえる。



それは炸裂飛散型の旧型大和でも同じことだ。



この状況で、藤崎が葵町にそれを発射するよう指令を出したのはひとつの大きな理由がある。



――旧型大和砲発射数分前



「藤崎対銀雪責任官長、えらく大層に息まきましたがどうなれるおつもりなんです? 新型を使おうと旧型を使おうと状況はなんら変わりがないはずでは」


冷や汗を拭いながら権財寺が吐いた。


「……」


藤崎はただ待っていた。



なにか根拠があったわけではない、だが先ほど権財寺に発したように、彼の長年培った【現場の勘】が言っている。


きっと、今ではない。


照準が見えてもいないところへやみくもに撃っても仕方がないのだ。それは勘とは言えない。


このままじっと待っていれば、葵町で何かが起こるはず。それだけは勘ではなく、藤崎の中では確信に近かった。



佳音の一件、葵町駅の倒壊事故、空に映った少女……。


この吹き荒ぶ銀雪の中で、戦う少女がいるような気がしてならなかった。


未知なる敵と、戦う少女たちが――。


唯一の、『人体に無害な対銀雪砲』として開発された旧型大和。


こんなにも迅速に砲撃準備ができていたのは、そのプログラムと凍結シークエンスがすべてすぐに準備できる状態だったからだ。



「長年やってきた功労賞……といったところかな」


権財寺の新型に声を上げず異を唱えていた人間が組織内に少なからずいた……という動かぬ証拠だった。


藤崎が待っている間にも、全国各地で羽根病の報告がダムの決壊の如く溢れだしている。


だが彼は医者でもなければ政治家でもない。



ただ一人、銀雪を根絶するという重責を背負った人間。



それゆえ未曾有の事態であっても、心が動かされてはいけない。


――自分にできることはこれのみ。羽根病を治すこともできなければ、行政を動かすことも叶わない。私ができることは、ただ大和にて銀雪根絶のきっかけを作ること……!


その想いだけが、藤崎を冷静にさせた。


「どうするんですか!? ねぇ、ねぇねぇ藤崎対銀雪責任官長!」


動揺しパニックになる権財寺と彼との間に決定的な差が見えた。


それは局内にいる全員がもれなく感じたことだ。




そして、藤崎の待っていたそれは思っていたよりも早く訪れた。



「藤崎指令! 9番モニターを見てください!」


スタッフの声に藤崎は大型スクリーンに9番を呼びだした。


それは葵町上空のとある定点カメラの映像。


相変わらず吹き荒んでいる銀雪の中央で、風の流れが他と違う箇所を見つけたのだ。


「……なんだこれは」


まるで中央のある一か所だけ、違う風が吹いているようだった。


次第に中央のその部分だけ銀雪が払われ、鮮明になってゆく。



「――……!?」



絶句したのは藤崎だけではない。局内の全員が映し出された映像に言葉を失った。


「指令! 人間です! 人間の少女が……三体、9番モニターの地点……X77Y231に反応を現せました!」


「な……っ、バカなぁ! そんなことが……」


自らの見たものと、局員の報告に権財寺はさらに言葉を詰まらせ、固まってしまった。


権財寺だけではなく、局内の全員がわが目を疑った。


ただひとり、藤崎だけを除いて。



「あの映像にあったKickKickと同じ装束の少女がふたり、そして洋装束の少女がひとり……か」


ひと目で藤崎は、それが佳音が言っていたKickKickの仲間だとわかった。


――あれがKickKickの仲間だとするのならば、おそらく……人間。いや、違うな。そうじゃない。



藤崎の目に映る、邪悪な黒いオーラを纏った洋装束の少女を見て自らに言い直した。


――ひとりだけ、明らかに人間では説明できないほどの黒い光を放っている。あれが人間であるはずがない、と私の全細胞が言っている。


「な、なんだあれ……。あの黒いもやもや……、あんなの肉眼で視えるものなのか?」


「あの球体みたいなところで他の二人が捕まっているようにも視えるよね?」


見た印象を様々な角度から局員が口にする。


「ズーム、できるか?」


「はい、ズームできます!」


藤崎はそう言って自由を奪われているらしいふじの顔をズームすると、カメラ越しにふじと目が合った。



「……気付いているのか、私たちに。まさか、わざと自分たちの姿を」


「……」


カメラ越しにこちらを見つめるふじの映像に、局内が一瞬一つの感覚に伝わった。


『この少女に協力しなくてはならない』と。


それは人間同士のシンパシーだったのかもしれない。


ただ、ミリオンの中で最もその感覚を純粋に、真っ直ぐ信じて疑わなかったのはこの男だ。


「旧型大和砲の発射準備は!?」


「いつでも撃てます!」


「よし、座標地点X77Y231に照準をロック!」


「了解!」




ぇええええ!!」







目が眩むほどの強烈な閃光は、さきほどの新型大和砲における光線の非ではなかった。


そのミサイルがなんなのかわかっていないガルとひまわりは、その閃光に目を閉じざるを得ない。


ふじも当然、大和砲の事など知るはずもないがさきほどの大和光線で第三者がこの戦いを『見ている』ことに気付いていたふじは、自分の推測を信じたのだ。


『見ている』のは同じ『人間』であると。


それにこれまでの長い戦いの中で、人間側の銀雪に対する兵器がこれまで開発され、使用されたというケースがあったと聞いていた。


そのどれもが銀雪や魔法少女、クレイン達にとって意味を成すものではなかったため、戦いに大きく関わったことはない。


だが日本にだけ続く銀雪に対するなんらかの開発が止まることなど考えられない。


現在まで自分たちの知らないところで続いていると考えるのが自然だ。



そしてそれは佳音の存在も大きい。


ただ、きく(KickKick)のファンだというだけでこんなところにも単身会いに来るだろうか。


ふじは直感でそれが不自然ではないかと感じていたのだ。


そうなると、佳音は自分たちを調べに来た誰か……。



疑い深いふじらしい推測だったが、奇しくもそれは的を得ていた。


もっとも、それがこの状況で役に立つとはふじ自身も思ってもみなかったが。



その推測に至ったのは、ききょうのおかげも大きい。



ききょうがそもそも佳音の正体を疑問視していたところからふじも第三者組織の存在が頭にちらついていたからだ。


しかし、そんな組織があったところで戦いに介入できるとは思わなかった。


しかし飛んでくるミサイルが炸裂する瞬間、ふじは視界の端の端でちらりと見える指に巻いた赤い風船を見ながら叫んだ。


「オラァ! 人間舐めんなぁああ!」


そして炸裂。



咄嗟に目を瞑ったふじの耳にパァン、と思いのほか軽い音で爆発音が空に舞った。


そしてすぐに目を開けると半身が溶解したガルが飛び込んでくる。


自分たちにも相応のダメージがあることを想像していたが、ふじとひまわりには目に見えるダメージはなかった。


「あ……が、ああ……!」


苦しそうなガルのうめき声と、魔法が解け自由になる体。


すぐにその場を離れたふじとひまわりだったが、ふじは溶かされた腕を押えながら涙目ながらガルを睨んだ。


「ふじちゃん、手……!」


「ばぁか、んなことでいちいち気にすんなって! あたしら以外はみんな死んだんだぞ? 手や足が無くなったくらいで喚くなって!」


「でも、そういう問題じゃないよ!」


「甘ちゃんだね、ひまわりは相変わらず……。でも、あたしらリタイア組が最後に残ったんだ。これまで迷惑かけた分は働かないとね!」


肘から先のない腕。太ももは半分が溶け、骨でなんとかつながっている状態だった。


誰が見ても戦えるような状態じゃない。


なのにふじは全く戦意など失っておらず、これからが本番だと言わんばかりの表情を見せた。


この圧倒的に不利な状況に、ひまわりの心は若干の不利を感じ始めていただけにふじの態度には勇気づけられた。


「不利だって思うか? ひまわり」


「……え」


「あのミサイルに光線、見たろ。あたしたちにはまだ味方がいる。あたしらと一緒に戦っている顔も見たことのない味方が!」


――顔も見たことのない仲間……?


ひまわりは考えたこともなかった。自分たち以外の仲間がいるだなんて、これまで一度も……だ。


「仲間……」


ふと口に出した時、ひまわりはこれまで感じたことのない感情に勇気づけられる。


この世で魔法少女と戦っているのは自分たちだけだと思っていた。


だから、自分たちの誰かがいなくなったり戦えなくなったりしたらどうしよう、と。


だけど、自分の後ろには実はたくさんの味方がいる。


それがひまわりを再び奮い立たせたのだ。


「いくぞ、ひまわり! この戦いを終わらせるんだ! 朔の……みんなのために!」


「うん……! がんばる!」


「今ならあの魔女も随分とダメージを負っている、ここでやっちまわないともうチャンスねぇぞ!」


「わかった!」


ふじとひまわりはひとつとなって、半身を失い痙攣しているガルに向けて迫った。



『鶴丸家奥義・藤!』


片手と千切れかけの足。


全力とは程遠いが、ふじはガルに向け奥義を放った。





――ん、なんだここ。どうしたんだあたし。


「起きた? ふじ」


あれ、朔。朔、朔じゃん!?


え、な……なんで!?


「なんでもなにも、ぼくはずっといるよ」


ずっと? だって、だって朔は魔法使いに……


「魔法使い? 魔法、魔法かぁ。うん、ちょっと元気でた」


? なにがだよ


「ふじの口から魔法とか聞けるなんて思ってなかったから。魔法使い、を信じてるなんて……結構かわいいんだね。僕、ちょっと見直したよ」


ち、違う……! そうじゃなくって


「あはは、ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。それに僕はふじと一緒さ。魔法使いは信じてる」


え……それじゃあ……


「僕とふじが出会ったことも魔法使いの魔法だったんだよ、きっと」


……


「どうしたの」



……ああ、そうだったな。あんたってそういうキャラだった。


「ん? どういうこと?」


ううん、なんでもない。……そんなことより、戦いはどうなった!?


「戦い? なんの?」


戦いって、魔女との戦いだよ! えっと、誰だっけ……あいつ。あいつ一人じゃ


「あいつって誰? 今はふじだけしかいないよ」


そうだけど、……ああ、違う! そうじゃないって!


「なんのことか、分からないけど……ふじの戦いは僕の戦いだ。なにかできることはある?」


できること……? できること……なんて。


「泣いているの? ふじ」


泣いている……あたしが? うん、そうだ。いっぱい泣いた。


涙って枯れるって思ってたのに、ずっとずっと枯れなかった。


朔が死んだ、あの日からずっと。


「僕が死んだ? 僕はここにいるよ、ふじ」


朔ができること……朔ができることなんて……


『ふじの戦いは、僕の戦いだ!』


充分、してくれたんだよ……。


「ふじ、泣かないでよ。笑って? ほら、これ」


……風船? なんで?


「泣いている子供には、風船が一番さ」


真っ赤な、風船……。どこかでこれ……


「そうだ。僕も魔法使いを信じるって言ったろ? 僕も実は魔法使いだから……」


魔法使い? 朔が?


「少し唇を拝借……」


……っ!


「お見せするのは、笑顔の魔法でござい」


……バカ。もっと、かっこいいシチュエーションってあるじゃん。


「魔法使いだから、わかんないな」


全く、いい性格……してる。


「ふじはもう充分に戦ったよ。それは、僕が誰よりも知ってる」


朔……あたし。



あたし、もう戦わなくていいの?



「ああ、ずっと僕のそばにいてほしい。いいかな?」


……うん、ずっとあたしのそばに……いて?





ひまわりの見ている前で、ふじの首が弾け飛んだ。


首の次は、胸のあたりが弾け飛び、一瞬でふじはこの世から姿を消した。


彼女の持っていた扇子だけがひらひらと宙を舞い、その舞いがひまわりを踏みとどまらせた。


それがひまわりの生命線を繋げた。



「……!?」


ひまわりが止まったのと同時に、鼻先を鋭い何かが横切る。


「ふじ……ちゃん」


一瞬、いないはずのふじが見えた気がした。


ふじが身を挺して、ひまわりの危機を回避させたのだ。



「ぐが、がごご……」


ガルのうめき声。


そして、目の前を横切ったのは黒い鎌だ。


視線を半身を失い瀕死だったガルに向ける。


半身を失ったガルは、ぐがごご、と呻きながらひまわりを見つめると、苦悶に歪む口元で笑った。


「がが…………なぁ~んちゃって」


ガルの半身はひまわりの見ている前でみるみるうちに再生してゆく。


ききょうやきくが命を賭して奪った腕や足も、見るからに元通りになってしまった。



「そ、そんな……そんなぁ!」


悲鳴にも近い悲痛な叫び。


その声に喜ぶようにガルは、口元だけを邪悪に歪め穏やかな口調で言った。



「カナリーを喰ったのです。回復魔法を持っていてもおかしくないでしょう?」


ふじの風が止み、吹雪の中でガルは笑う。


「……ですが、回復魔法は肉体の治癒はしても元々は私の分野ではない魔法。懸念はしていましたがやはり思っていたよりも魔力を使ったようです。

 いま、この状態だったならば貴方たちクレインにもよもや……」


言いながらガルがひまわりを見ると、口元を押えた。


「おっと失礼いたしました。残るクレインは貴方ひとりだったようですね」


「……!?」


鈍感なひまわりでも今自分がガルに馬鹿にされたことは分かった。


そして、同時に改めて思い知る。


この戦いで、今残されたのは自分ひとりなのだと。


「私の魔力は全力状態の実に3分の1ほどと言っていいでしょう。貴方たちはよく頑張りました。もしもクレインさくらがずっと戦線から離れずに戦局に加わっていたらあるいは……。ですが私を救ったのは貴方たち人間。人間が作った愚かな兵器が、私たちナハティガルを救ったのです。

――そこは感謝しなくてはいけませんね、人間たちに」


ひまわりの顔は強張ったままで固まっていた。


確かにガルは本来の魔力よりも疲弊しているかもしれない。


だがだからといってひまわりひとりでどうにかなるような相手ではないことは、ひまわり自身が自覚していた。


覚悟の下、ここへやってきた。死んでもいいと思ってやってきた。


ひまわりの決意は偽物ではない。



本心からだった。


だがたった一人で、大魔女ガルに立ち向かうというのはアリが象に立ち向かうようなもの。


誰が、どのように、どの角度から見たところで勝ち目がない。


ただ突進し、犬死することが正しいとも思えない。それではただの自殺と変わらないからだ。


勝てない相手を前に、ひまわりは自分がどうすべきなのか考えた。


真正面から戦えば、ただ敗けて死すのみ。


ひまわりは体を動かせないのではない。


本能が、全神経が彼女を止めるのだ。


それは、ガルの目から見ても明らかなことだた。



「心と体が連動していないようですね。気持ちとは裏腹に体が動かない。七人いたクレインも自分だけ。魔力、魔法、格。どれをとったところで私に勝てるはずもなく、それを知っていて戦いを挑むような愚かな無法者というわけでもない。

 貴方の利口さが、次の一手を邪魔しているのですね。……さて、そんな無力なクレインひとりを屠るのはいかがなものでしょうか」


ひまわりはガルの言葉をまともに聞き入ることもできず、ただ脳内にはいまどうするべきか、なにができるのかばかりがぐるぐると回っていた。


ひまわりの思考と、ガルの勝鬨ともいえる演説を、空を裂くような轟音が遮った。


ふたりとも、これがなんの音であるか見ずとも分かっていた。


旧型大和砲……つまり、さきほどガルを襲ったミサイルである。



「人間というのは、分からないものです。優秀なのか、愚かなのか……」


ガルがミサイルに向けて手を翳すると、まだ遠くで小さく目に映るそれが空中で静止したのがわかる。


「……ともかく、一度ご挨拶する必要がありそうですね」


「まさか……!」


ガルが放った「ご挨拶」という言葉に反応したひまわりは、ここまで動けなかった体が嘘だったようにガルへと襲い掛かった。


「ここにも分からない人間がひとり……」


もう片方の手をひまわりに翳すと、ひまわりもまた自由を奪われその場から進めなくなった。


今度のは彼女の精神的な要因のものではなく、ガルの魔力による強制的なものだ。



「たった今までどうこの状況を抜けるかということばかりに囚われ身動きひとつ取れなかったのに、他人に身の危険が迫ると突然なりふり構わず飛びかかってくる……理解に苦しみます」


「うう……! 私がここで戦いを終わらせ……!」


「まだそんなことを言っているのですか。愚かさもそこまで行けば尊敬に値しますね。……そうだ、私がこの兵器を所有者にお返しするので、ひとつ競争をいたしましょう。私よりも早くその場に辿り着くことができたなら、この兵器を直接返すのはやめてあげましょう」


「競争? ……うん、いいよ。やる!」


正直なところ、競争だといわれたところで勝てる気はしない。


だがひまわりには選択肢はない。


断れば大和砲を撃った人間。つまり仲間をまた見殺しにしてしまうことになる。


勝てるか勝てないかは問題ではないのだ。


少しでも可能性があるのならそれにすべてを賭けるしかひまわりには残されていない。


「いい返事を聞けて嬉しい限りです。競争を始める前に……」


瞬間、ひまわりの体に自由が戻った。


理由が分からずひまわりがガルに目を戻すと、ガルはひまわりとは違う箇所を見つめ消えていた黒い鎌を手の平に出現させる。


「退場した者にはしっかり退場していただきませんと、フェアではないですものね。先に彼女には仲間のところへ行ってもらいましょう」


黒い鎌が黒く、紫色に光った。


ガルの視線は、鳥化し無力化してしまったさくらへと向いていたのだ。


「そんな!」


「鳥化し、魔力を失い、ナハティガルとしても人間としても終わっていても、《アレ》は私のあらゆる予測を超えて復活し兼ねません。だからちゃんと殺しておかねばならないのです」


ギュルギュルと回転しながら、ガルの黒い鎌がさくらへと向かってゆく。


「さて、では早速始めましょう。帯のクレイン」


ひまわりを見ることもせず、自らが止めた大和砲を引きつれるようにガルは銀雪の降る空を行った。





滲んだ銀雪の降る視界。



後悔と懺悔の念に包まれながら、ひまわりは世界とさくらに謝った。



――ごめん、ごめんね……。さくらちゃん、みんな。



最後に残った、最後のひとりだった自分が取った行為を、ひまわりは心から悔いていた。


だけど同じくらい……いや、それ以上にひまわりには譲れないものがあった。


さくらに覆いかぶさるひまわりの背には、ガルの黒い鎌が突き刺さり胸から腹に抜けていた。


鶴の姿をしたさくらの体には寸でで刃は届いておらず明らかにそれがひまわりが庇ったおかげであるとわかる。


だが鶴の姿をしたさくらの頬に涙をぽつぽつと落としながら、ひまわりはさくらや死んでいった仲間たちにずっと謝り続けた。



「ごめんね、みんな。ごめん。私、本当は魔女を追いかけてやっつけなきゃ……なのに、なのに」


安らかに眠りこくるさくらの顔を見つめながら、玉木を、仲間を奪った魔法少女たちからこの世界を取り戻すのだと決意した自分を呪った。


あの時の誓いは本気だった。


絶対に、この世界をもう一度恋ができる、思いを伝えられる普通の世界に……。


最後の一人になったひまわりは、恐れ、慄き、それでもどうしてこの世界を救うのか。


そればかり考えていた。


なのに、ひまわりは唯一戦える自分が、戦えなくなってしまったさくらを守るために死ぬ。


ひまわりは自分を呪う言葉を繰り返した。


「やっぱり私なんか、ダメだった……。ごめん、ごめんねさくらちゃん。さくらちゃん……」



血が混じった涙が落ち、ひまわりの傷から滴る血がさくらを濡らす。


文字通りひまわりのように明るく笑う彼女はどこにもいなかった。


ただそこにいたのは、仲間を救ってしまったことで世界を救えなかったと後悔する一人の少女。


少女を貫いていた禍々しい黒い鎌は、役目を終えたと言わんばかりに霧となって消えた。


さくらの横に倒れ込んだひまわりは、うつろな瞳でさくらを見つめる。


「さくらちゃん……さくら、ちゃん……ごめんね、さくらちゃん……ごめん」


滲んだひまわりの視界に玉木の姿。


その姿はふじに変わり、きく、ききょう、つばき、ぼたんと変わってゆく。


最後に母やまぶきの姿になると、やまぶきは優しい笑顔でひまわりの顔を覗き込んだ。


「おかあさん、ごめん。私じゃやっぱり駄目……だった……みた……い……」


後悔と懺悔の海に溺れるひまわりだったが、心の奥底ではほんのわずかながらさくらを守って死ねることに満足している部分もあった。


さくらは自分を救ってくれた。


ひまわりだけでなく、クレインはみんなさくらに救われてきたのだ。


そのさくらを救えたことは、死に歩んでゆくひまわりのなかで微かでわずかな誇り。


でも、世界は壊れてゆくばかりだ。


止められなかった。



「ごめんね……さくらちゃん。私の……大好きな……とも……だ……ち……」


目に見えてひまわりの呼吸が弱くなってゆく。


死の淵でひまわりは、最後の最後に言えなかった言葉を口にした。



「玉木く……ん、ずっと……好きでした……」


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