第5話 お宅、訪問。
「明日は公爵家に納品に行くぞ、ヌエ」
「了解っす。俺でいいんすか? 同行者。なんか前回あちらのお嬢さんに因縁つけられましたけど」
「だからだ。公爵家は先代の頃からのお得意様だからな。いつまでも気まずいまんまじゃお前さんも嫌だろ? 明日行って何事もなければそれでよし」
「何かあったら?」
「その時はその時、だろ?」
「なるほど、確かに」
あれから20日ほどで注文されたギターは完成した。本来であれば楽器作りにはもっと時間がかかるのだが、親方は人間国宝に認定されるような天才だからか仕事が早い。というか異世界に人間国宝なんて制度があることに驚いたが、勲章授与とかサーの称号とか、海外にもそういった文化はあったのでどこの国でも優秀な人材には報いるのだろう。
「行きたくねえなあ。一緒に逃げちゃおっか?」
「ワン!」
晩飯の後、風呂上がりに親方の家の玄関口で夜風にあたって涼んでいると、野良犬のディアン爺がひょっこり顔を出した。彼は縄張りが広いらしく、俺が正式にイカルガ楽器工房に就職した後もちょくちょく顔を出すのだ。頭がよいので工房内に入ってくることはなく、大声で吠えたりもしないため、職人たちからは見逃されている。たまに俺が餌をやっていると、『ヌエちゃんは優しいなあ』とか生温かい視線を向けられることもあった。
「冗談だって。さすがにそんなことしたらクビだもんな。俺はまだ野良犬にはなりたくねーの」
無職になるのは前世だけで十分だ。もう二度とあんな貯金とメンタルばかりがガリガリ削れていく一方の惨めな生活はしたくないし、首を吊って死んで異世界転生した先でまた自殺するというのも芸がない。今生ではなるべく幸せに長生きしたいものだ。
――
「おうい! ちと手伝ってくれんかあ!」
「はいはいっと。あー、ネクタイグッチャグチャじゃないですか。どうやったらこんな器用な絡ませ方できるんすか。逆に器用っすね親方」
「笑うな!」
「笑ってませんて。はい、これでオッケーっす」
翌朝。俺たちは朝から準備に追われていた。工房の職人が正装する機会は滅多にない。それこそ貴族を迎える時でさえ作業着がザラだ。だがあちらさんのお屋敷にお伺いするからにはきちんとした格好を、と久々にスーツを引っ張り出してきたせいで、あちこち窮屈になってるわ指が太すぎてネクタイは結べないわと大変だ。俺? 俺も勿論パンツスーツにネクタイだよ。嫌だよスカートとか。ましてドレスなんて冗談じゃないって。見た目はとびきりの美少女でも中身は精神年齢四十路近いおっさんだぞ?
――
「素晴らしい。あなたに任せて正解だった」
「当然だ」
そんなわけで公爵家である。大事そうに完成したギターの入ったケースを背負った親方とともに、辻馬車を拾い公爵家へ。通された客間で披露されたギターは素人の俺から見ても見事なものだった。漆塗りに近い光沢のある艶やかな紅。マンダリン嬢の金髪碧眼によく映えるが決して下品には感じさせない上品なそれは、なるほど彼女が抱けば1枚の絵画、それこそ天使が持つに相応しい逸品だと言えるだろう。
「折角だ。1曲歌ってみなさい」
「はい、お義父様」
同席しているのはソニック公爵、娘のマンダリン嬢、それから彼女の義弟だというアルト様。マンダリン嬢が調律を終え、それからおもむろに歌い出したのは、このハルモニア王国の国歌だった。なんでも入学試験の際には審査員の前でこれを披露するのが伝統らしく、新入生歓迎会でもなんでも何か行事があると皆で国家を斉唱するのが常らしい。前世日本人の俺からすれば随分ポップな国家だなとも思うが、それはたぶん感覚が日本人だからだろう。
「素晴らしい! 楽器が喜んでやがる!」
「ありがとうございます。楽器がよいからですわ」
「そいつは違う! 幾ら楽器がよくとも使い手が駄目ならどんな名器も駄作に成り下がるだけだ! 自信を持ちな、お嬢さん! あんたは素晴らしい歌手になる!」
「よかったな、リン。イカルガ殿のお墨付きがあれば間違いなしだ。彼は音楽に関しては絶対に嘘を吐かん」
「さすが姉さん!」
「そうなのですか? ありがとうございます」
滅多に人前で笑顔を見せない親方が珍しく笑顔で拍手するのも分かる。彼女の歌声は見事なものだった。これ音楽学校通う意味ある? と疑問に思うぐらいだ。まあ、学歴は必要だろうから箔付のために必須ではあるのだろうが。新入生がこれでは教師陣もさぞやり辛かろう。なるほど音楽の国の貴族とはここまで凄いのか。これなら親方も気合いを入れてギターを作った甲斐があっただろう。思わず俺まで嬉しくなる。
「?」
だがマンダリン嬢の愛想笑いは作り物めいた代物だった。嬉しくないのだろうか。褒められすぎて賞賛は聞き飽きてるとか?
「どうかしたかね、お嬢さん」
「いえ、文句のつけようがない素晴らしい歌声でした」
「遠慮することはない。正直に言いたまえ」
「正直な感想です」
何か物言いたげな公爵の言葉に、親方から視線が飛んでくる。次いでマンダリン嬢から不安そうなものが。弟君からは姉様の何が不満だ、と敵意のこもった視線が突き刺さった。勘弁してくれ。
「お嬢様は、素晴らしく向上心に満ち溢れた方なのだな、と」
「!」
続けて? と公爵に視線で促され、俺は腹を括る。最悪クビかあ。やっぱついてくるんじゃなかった、と後悔してももう遅い。