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第36話 親方の迷走。

「ガキか俺は!」


「ワフ?」


 夜のリビング。俺は燻製肉(ビーフジャーキー)を肴に酒を飲みながら頭を抱えていた。おこぼれ狙いのディアン爺に切れ端を投げてやりながら、酔いの回った頭を抱える。


「クソ! こんなことなら若い頃から適当に経験積んどくんだった!」


「クウーン……」


「それは不誠実だって? だがよお、まさかこの歳になって女の扱いに困るハメになるたあ夢にも思わねえだろうが!」


 自慢じゃないが俺は女にモテた試しがない。若い頃から背が低くて横に分厚いいかついドワーフだったし、髭のせいでちっとも人間の女から相手にされなかったから、恋愛経験というものが皆無だった。娼館で女を買うとか、見合いを斡旋されるとかは沢山あったが、純粋な恋愛なんてただの一度もしたことがなかったから、どうにもこうにもどの面下げてりゃいいのか全く判らん。


「相手は10代の小娘だぞ? 意味が解らん!」


「ワフ!」


 ヌエもヌエだ。よりにもよってなんで俺みたいな異種族(ドワーフ)のジジイに。同年代の若い男に惹かれるのが普通じゃないのか? 確かにあいつがどこの馬の骨とも知れん若い男を連れてきたら俺は(オーガ)と化す自身はあるが、だからって自分が当事者になるとは夢にも思わず、どうにもこうにも反応に困る。


「いや、さすがにそれは格好悪すぎるか」


「ワン!」


 グビグビと酒を飲み、俺は天井を仰ぐ。今更年齢を言い訳にするつもりはない。好かれてるのも素直に嬉しい。だがどうにも照れ臭いのだ。柄じゃないのだ。恥ずかしいのだ。


「ディアンよお。お前さんだって若い雌犬にあんだけ好き好きオーラ出されたら世間の目とか気になるだろ? なあ?」


「ワフ?」


 あまりにも甘酸っぱくて照れ臭い。なんだ、手を繋いで歩くだけって。しかも、途中で手の繋ぎ方を変えて。本当にこれが恋心なのか、本当に恋愛的な意味で好きなのか。解りきった結果をわざわざ遠回しに一歩一歩確かめるような、10代の少女のあまりに純情な恋心が容赦なく親爺の心に突き刺さってゴリゴリ抉るのを止める手段がない。


 正直何かの間違い、気の迷いだと振ってやるのが正解だと解っちゃいるのだ。ヌエの将来を考えれば間違いなくこんな偏屈ジジイの相手なんかさせずに、もっと輝かしい煌びやかな未来に送り出してやるべきだと誰の目にもあきらかながらに、それでもやはり、どうしても。


「あいつが可愛いんだよなあ」


「クウーン!」


 日に日に美少女から美女に成長していくヌエ。無邪気に自分を親方、親方と慕ってくる口も柄も悪い娘が、少女の恥じらいを覚え少しずつ女になっていくその過程と、その矛先を向けられている相手が自分だということへの男としての優越感。


 俺もまだまだ捨てたもんじゃねえな、なんてニンマリしちまった時点で、俺はたぶんあいつの保護者失格なんだろうよ。ああ、なんともまあ気持ち悪いもんだ。こんな老いぼれが、あんな若い世間知らずの小娘に懸想するなんぞ。あっちゃならねえだろうが。


「親方ー? まだ起きてるんすか?」


「あー、もう寝る」


 冬物の長袖のパジャマ姿のヌエがひょっこり顔を覗かせる。仕事中ではないため伊達眼鏡もなく、髪を下ろした無防備な姿で。


「そんじゃ、おやすみなさい。ディアン爺、ほら行くよ。寝よ」


「ああ、おやすみ」


 最近寒くなってきたから、という理由でヌエのベッドに引っ張り込まれるようになった老犬が、一瞬俺の方を振り向く。なんだその顔は。俺は別に犬っころに嫉妬したりなんかしねえぞ。勘違いすんなよな。


「……仮にもし、結婚して子供ができたとして、だ。絵面が完全に子供を抱えた未亡人と舅、或いは彼女に言い寄る悪徳ジジイじゃねえか!」


 もう1本空けちまうか、と捨て鉢な気分になったところで、戸棚の裏に貼られた『飲みすぎ厳禁!』の貼り紙に目が留まる。パタン、と扉を閉めて、俺は深々と酒臭いため息を吐いた。

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