第35話 攻防、開始。
なんでもない日常風景でも、あなたと一緒なら輝いて見える、的な現象をカレー味の唐揚げ記念日と呼ぶとか呼ばないとか。親方とふたり並んで秋の街を歩く。ディアン爺は気を利かせてちょっと先を歩いていた。元野良犬なだけあって頭のいい犬だ。いや、肝心なのはそこではなく。
「今日のお昼は鮭のバター焼きですよ」
「そうか。楽しみだ」
「……」
「……」
「夕飯は何が食べたいですか?」
「肉ならなんでもいい」
「分かりました。そんじゃ鶏のテリマヨ焼きとワカメのスープでも作りましょうか」
「ああ。楽しみだ」
「……」
「……」
間が持たないというか、会話が続かないというか。親方は元々職人気質の寡黙な人だ。ベラベラ喋り続けるタイプじゃないし、俺もそんなに会話が得意な方ではない。だから、場を盛り上げ続けるのは不得手だった。
いや、別に無理に盛り上げる必要はないんだよ? 沈黙が苦にならない関係ってあるじゃん。熟年夫婦よろしく。無理に言葉を交わさなくても、通じ合ってる仲というか。そこまでの境地には達してないけど、俺も親方もそこまで口数が多い方じゃないから、自然とそんな感じに落ち着いただけ。
「……手とか、繋いでみましょうか」
「!?」
「いや、なんというかその、試しに? ほら、ダメだったらすぐに手を離せば済むだけの話じゃないすか」
「……勝手にしろい」
「そんじゃ、勝手にしますよ」
荷物持ち用のカゴを持つ手を切り換えて、ムスっとした赤い顔で差し出されたイカルガ親方の手。ゴツゴツしたドワーフの職人らしい、大きな手だ。俺はヤケクソでそんな親方の手を取ってみる。小さくて白い女の子の手だ。
「……」
「……」
恐る恐るというか、壊れ物を扱うようにというか。親方の大きな手が俺の小さな手を包み込む。吹き抜ける秋の寒風も相俟ってか、それは殊更に温かく感じられた。
「俺って彼氏できたことまだ一度もないんすよ」
「知ってらあ」
「孤児だから、親と手を繋いだ記憶もないんすよ」
「……そうかよ」
手を繋いで歩く。10歩ぐらい歩いたところで、手の繋ぎ方を恋人繋ぎにしてみる。
「おい」
「物は試しッスよ、お試し」
そのままもう10歩ぐらい歩いてみる。更に10歩。もう10歩。
「気持ち悪かったりしません?」
「別に。お前の方こそ気持ち悪いんじゃねえか? 若い小娘がこんな親爺と手え繋いで往来を歩くなんてよ」
「別に不快感や嫌悪感はありませんよ。そもそも、嫌だったら最初から手なんか繋ぎませんて」
「ああ、そうかよ」
俺は立ち止まり、親方と繋いだ手をまじまじと見下ろす。親方も繋がれた手をじっと見つめている。
「ワン!」
「おっと」
いつの間にか追い越していたディアン爺に呼び止められ。気付けば当初の目的である魚屋を通り過ぎてしまっていた。一体何やってるんだろうな、俺ら。




